5. 亀裂修復、
第30話 消え失う火
十二月に入り、一年の終りが見えてきた。何かにつけてイベント化しようとする世間にとっては大忙しの月だろう。
クリスマスが何のための行事なのかいまだに謎だ。イエスさんの
そんな十二月も中旬に差し掛かるといよいよ真冬感が増してきた。テレビの中のお天気お姉さんは言っていた。今日の東京は今年最低の気温になるでしょう、と。
教室に入ると、外の凍えるような寒さとは一変して暖かかった。いつものように椎奈さんの席の傍を避けるようにして自分の席に向かう。一人でぽつりと座る様はいつ見ても寂し気だ。
「お、据衣丈、おはよっす! なあなあ、ちょっと見て欲しいものがあんだけど!」
席に座るや否や、ピアノが話しかけてきた。顔がニヤッとしていて頬が微かに緩んでいる。隠そうとしても隠しきれていないように感じて、気色悪い。
朝から何だよ、と呟いてピアノの顔を凝視した。視線を上から下へ這わせていくと、ご機嫌な様子でスマホの画面をスライドしているのが分かる。
「これ! どうよ!」
スマホの画面を突き出してきた。ピアノと見覚えのない女の子が一緒に映っている。揃いも揃って幸せそうな笑顔だ。彼女はおそらく高校生だろう。薄い唇と大きな垂れ目が幼げな雰囲気を作り出していて、美人というよりはフワフワとした可愛さがある。羨ましいと思ってしまう自分が情けない。それ以上に、椎奈さんとの仲を修復できていない俺への当てつけに思えてきた。
「可愛いな。彼女できたんだ?」
「そーなんだよ、昨日告ってさ。可愛いし俺の話を楽しそうに聞いてくれるし! 俺には勿体ないぐらいだぜ、まじで」
ピアノの彼女が真に楽しんでいるのかどうか気になってしまう。確認のしようがなくて残念だ。生きているだけで幸せ、と言わんばかりのピアノの笑顔を見ていると、余計な言葉は自然と引っ込んだ。
おはよー、とヴァイオリンの声がした。視線を移すと、ヴァイオリンとチェロが視界に入った。三重奏のお揃いだ。適当に挨拶を返すと、ピアノは間髪入れずにスマホの画面を二人のほうへ突き出した。ヴァイオリンもチェロも画面を見るとすぐに「は!?」と声を荒げて目を見開く。画面とピアノの憎たらしい笑みを交互に見て、やがて察したようだ。
「裏切りやがって」
「この子、合法なんだな? 法は犯してないんだな?」
チェロの着眼点に若干の違和感があるけれど、各々正しく理解したらしい。三重奏が戯れているのをしばらく傍観していると、クリスマスなどという忌々しい名詞が聞こえてきた。
「プレゼント、どうすっかなー。今日買いに行くつもりなんだけど」
「無難にアクセサリとかじゃね?」
「いや、あんな幼顔の子にアクセサリはちょっと違うだろ。ここは王道のクマさんパンツを」
全身の皮膚がざわざわと
ふざけ合う三重奏に時折茶々を入れつつ、俺は何気なく椎奈さんのほうへ視線を向けた。机のほうへ顔を向けて何かしらの教科書を読んでいるようだ。瞳の動きも瞬きも、口元の微かな動きも、何一つ見えない。いついかなる時に椎奈さんの顔面を見ても一切の変化がない。椎奈さんの顔面だけがこの世のときの流れから逸脱して、どこかへ置き去りにされているかのような、規格外の寂しさを感じてしまう。
あの日――風邪を引いて学校を休んだ日――を境に俺の生活は元の日常へと戻りつつあった。椎奈さんの顔面に対する興味が完全に消えたわけでは無い。けれど、以前のように会話することはままならず、椎奈さんの顔面について考える時間が自然と減っている。
何の邪魔も入ることなく授業が一つ、また一つと終わっていく。劇的なことなんて起こり得ない。勝手に進んでいく時間に身をゆだねていると、やがて退屈なすべての授業が終わった。
帰り支度を済ませて椅子を引く。不意に椎奈さんの席のほうをちらっとみやった。すでにあの不審者は姿を消している。教室後方のドアからちょうど出るところを目撃した。今日も独りだな、と不意に思った。
少し間を空けて教室を出る。特段、理由があるわけではないけれど、椎奈さんのすぐ後を追う気にはなれなかったのだ。
ドアを一歩踏み出した、と同時に聞きなれた声がした。
「お、据衣丈じゃん!」
振り向くと津田がいた。仰々しく目を見開いている。必然的にエンカウントした、つまりわざわざ待ち伏せしていたのではないか、と疑ってしまう。
「おお、帰るとこか? それとも今から合コン?」
「俺を見たら取り敢えず合コンって言っておけばいいみたいなところ、よくないぞ! 今日は姉貴の見舞い」
「ああ、お姉さん……エイさんだったっけ?」
「羽衣な。わざと間違えただろ、今の」
呟く津田の顔には苦笑いが浮かんでいる。言われてみるとそういう名前だった気がしないでもない。
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