第26話 予て見え不

「妹ですよ、い・も・う・と! こんなのが相手なんて御免こうむります。頭脳も運動能力も見た目もすべてにおいてパッとしないし、何か目標を立てて取り組む活力も野心も感じないし。そんな人には惹かれません」


 俺は芹花の顔を静かに睨みつけた。こんな小生意気なお子様なんてこちらから願い下げだ。


「言いたい放題言ってんなー。そんなダメダメな兄の妹が自分だってこと、分かってんのか?」


「私はお兄ちゃんとは違うもん!」


 芹花はあるのかないのかよく分からない胸の前で腕を組み、ため息を一つ吐いた。


「ま、まあ? ほんのごく稀に気が利いたり、さりげなく優しかったり……しますけど」


「そ、そうなんだー仲いいんだね。妹ちゃんか、なるほどなるほど」


 椎奈さんはこれでもかというほどに頭を上下に振っている。少し大袈裟な気もするけれど、納得してくれたのなら構うことはない。


「兄妹……いいなあ」


 鳴無さんはぼそっと呟いた。激辛ラーメン屋で津田と津田のお姉さんに会った時も同じようなことを言っていたような気がする。鳴無さんは一人っ子なのだろうか。孤独から生まれる寂寥感が鳴無さんの雰囲気の根源だとすると、やるせなさが止まらない。一瞬だけ、芹花に対する愛くるしさが湧いた。ほんのわずかに塵ほどだけれど。


「そんなことよりお兄ちゃん、熱は下がったの?」


「ああ、三種の神器のおかげでだいぶ良くなったよ」


 その場にいた全員が声を揃えて三種の神器? と囁いた。津田も芹花も斜め上に視線を遣って考える仕草をしている。鳴無さんは顎に手をつけた。まるで推理に挑む探偵のようだ。椎奈さんの表情がどうなっているのかは当然分からない。


 あっと声を上げたのは津田だった。


「もしかして……蕪城ぶじょう結衣江ゆいえの」


「お、おい、ばか! やめろよ! そもそも違うし」


 俺は慌てて津田の声を遮った。少し淫らなお姉さんの名前が飛び出して動揺したのだ。


「ブジョーユイエ? 誰それ」


 非常にまずい。椎奈さんが食いついてしまった。鳴無さんと芹花はきょとんとした真顔で、津田のほうを見つめている。三種の神器なんて表現をしたのが間違いだったのだ。


 過去の発言で後悔していてもどうしようもない。


「お、俺にも何のことやら。三種の神器っていうのは、冷却シートと解熱剤とおきゃ、おかゆのことな」


 考える余地を与えないように早口でまくし立てるあまり、大胆に噛んでしまった。ほんの僅かに場が沈黙し、途端に恥ずかしさが込み上げてくる。


「おきゃゆってなんだよ」


 津田はゲラゲラと声を上げて笑った。女性陣は総じて首を傾げている。何とか煙に巻けただろうか。残り火を完全に消すように、俺は芹花へ声を掛けた。「家、入らないのか?」と。


 芹花は不意を突かれて困惑しつつも相槌を打った。けれど、すぐに何か閃いたかのように、あっと声を漏らした。


「みなさん、お兄ちゃんのお見舞いに来てくれたんですか?」


「ま、まあ、そんなところだよ」


 芹花は津田の顔だけを凝視して問いかけた。高身長イケメンしか視界に入っていないくせに、よく「皆さん」などと言えたものだ。


 津田は芹花とどのように接したらいいのか分からず、微かに困惑しているようだった。そんなことはお構いなしという風に、芹花はぐんぐんと前のめりになる。


「うわっ、お兄ちゃんって愛されてるんだなー。というかお友達なんていたんだー」


「なんだと、コノヤロー」


 俺が呟くと、芹花はニヤリと笑みを浮かべた。それにしても、芹花の喋り方がいやによそよそしい。家族と接するときの態度とは天と地ほどの差がある。


「よかったら、家でゆっくりしていきませんか?」


「お、おい。ゆっくりって、おもてなしできる物なんて何もなかったぞ?」


 キッチン周辺の風景を思い返しながら芹花に伝えた。津田が軽く手を挙げる。きっと拒否するだろう。


「あーいや、俺はそろそ――」


「よゆーよゆー、私の部屋に大量にストックしてるから。えっとー、名前聞いてもいいですか?」


 芹花の鬱陶しいまでの猛攻に津田も苦笑いを浮かべるしかないらしい。津田はぎこちない笑顔で名前を告げた。対照的に芹花の笑みからは満足そうなのが伝わってくる。椎奈さんと鳴無さんもそれぞれ名字を伝えると、芹花はよしっと呟いた。


「入りましょう、わが家へ! お兄ちゃんのお見舞いなんてこの際どうでもいいんです。私がおもてなしします」


「芹花ちゃん」


 そそくさと玄関まで歩いていく芹花を呼び止めるように、津田が叫んだ。芹花は立ち止まり振り返る。


「俺はこれから用事があるから帰るよ。また日を改めて、遊びに来るね」


「え!? そんなー、紗那しゃなさーん」


 芹花は唇を尖らして、悲し気な眼差しを津田に送っている。恥ずかしいからすぐにでもやめてほしい。


「あ、あの、私も実はバイトが」


「ええ!? 李衣奈さんまで!?」


 芹花は驚くや否や、うぅと唸り声を上げた。鳴無さんがアルバイトをしているなんて初耳だ。醸し出す物静かな雰囲気からはアルバイトにはげむ姿を想像しにくい。


 津田と鳴無さんが帰るのだから椎奈さんもそうなるだろう。ちらっと椎奈さんのアイマスク付近を見遣る。表情が分からないから、俺は言葉を欲した。


「か、花穂さんも帰っちゃうんですか?」


「え? ま、まあ」


 椎奈さんの言葉をかき消すかのように津田が「いや」と呟いた。口角を下げた表情は真剣そのものだ。椎奈さんは微かに俯いている。


「花穂も何か用事あんの?」


 津田の聞き方には棘があるような気がした。椎奈さんは黙り込んでいる。やがて、斜め下に下げていた顔を上へ戻した。


「ないけど」

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