第25話 遇い集う客

「きゃあ!」


 聞きなれた高音が玄関に響く。俺は後ろへ半歩引いた。開いたドアの隙間から外にいる人間の全体像を確認できる。マスクとアイマスクを身に付けている制服姿の女子高生、つまり椎奈さんだ。


「びっくりした……は? え、なんで?」


「え、えとー、ちょっと様子をみに」


 表情は見えないけれど、口調だけで動揺しているのが分かる。


 瞬間的な驚きは次第に落ち着きへと変わっていった。椎奈さんの背後に目をやった。


「様子をみにって、後ろの二人も?」


「よー、据衣丈! 生きてるか?」


「体調、大丈夫?」


 津田の茶化すような笑顔と鳴無さんの平常運転な真顔が見える。いつもと変わらないからこそ、抱えていた物寂しさが微かに薄れていくのを感じた。


「ありがとう、気分は悪くないし熱も下がってきてるから大丈夫」


 よかった、と鳴無さんが呟く。


「取り敢えず一安心だね。今から出かけようとしてたの?」


「ああ、コンビニで食べ物を買おうと思って」


「あ、それじゃあ丁度よかった!」


 椎奈さんは声を跳ね上げて、手に持っていた袋を胸元まで上げた。パンパンに膨れ上がった半透明の袋には近所のスーパーのロゴが印刷されている。


「三人で選び抜いたスペシャルなお見舞い品! 愛情をこめて選びました」


 はい、どうぞ、と椎奈さんは俺のほうへ袋を突き出した。礼を言って受け取る。想像していたよりも重い。それだけ想いが込められているのだろうか。津田の分は特に求めていないけれど、今日ぐらいは黙っておこう。


「一部、悪意も入ってるけどな」


 前言撤回だ。やはり女子二人とは違って津田は俺のことを茶化しに来ただけらしい。一体何を買って来たんだ、と袋の中を慌てて覗くと四角い箱が目に飛び込んできた。


 思わずため息が出てしまった。最近、ちまたで話題になっている超激辛カップ麺だ。一口目で神経麻痺、二口目で頭痛が起こると噂されている。


「食えるかこんなもん! 病人だぞ、一応」


「文句は鳴無さんに言えよー」


 なぜこのタイミングで鳴無さんが話題に上がるのか。訳が分からず、ちらっと鳴無さんのほうを見やった。心なしか瞬きが増えているような気がする。


「私が選んで……す、好きかなと思ったから」


「俺じゃなくて鳴無さんが好きなだけじゃん!」


 鳴無さんはこくりと小さく頷く。ただ立ち尽くすしかなかった。目を凝らしてみても、彼女から悪意は感じられない。本当に純真な好意だけで買ってきたのだろうか。


「ま、他にもいろいろと買ってきたから、食べて元気になれよ」


 津田は鳴無さんのほうへ顔を向けて「そろそろ帰ろうぜ」と呟いた。笑っているというよりもにやけている。


 鳴無さんは相変わらず表情を変えない。津田のほうへ視線を移し、相槌を打った。椎奈さんも振り返り、背後の二人を見た。


「よし、帰ろう! 長居するのも悪いしね」


「いや、花穂はまだ居れば? 同じクラスなのは花穂だけだし、ついでだから授業の内容とか教えてあげたらいいじゃん」


 津田はまくし立てるように言った。何やら満足したらしく、一方的に会話を打ち切って俺と椎奈さんに背を向ける。そうして、鳴無さんに「行こうぜー、確か方向一緒だよな?」と囁いた。


 椎奈さんの視線は足元へ落ちている。俺の顔を見ることなく「またね」と呟き、門のほうへ歩く津田の後を追った。ゆらゆらと揺れる後ろ髪を見ていると、そのまま秋風に吹かれて消えてしまうのではないかと思える。どうしてこれほどまでに寂寥感が溢れ出ているのか、不思議でならなかった。


「ちょ、ちょっと待ってよ、二人とも!」


「じゃあなー、据衣丈」


 椎奈さんの声は虚しく響く。津田は歩を止めずに滔々と言った。


「もう! ごめん、据衣丈くん。また明日、学校でね!」


 椎奈さんは離れていく二人を追いかけた。


 津田と鳴無さんが門を出る、ちょうどその時だ。芹花せりかの顔がちらっと見えた。

 

 芹花は、わっと声を上げて、じーっと津田の顔を見やった。普段の自宅前とは明らかに様子が違っているのだから、驚くのも無理はない。俺も玄関のドアを閉め、門まで歩を進めた。


「か、かっこいい」


 お、おう。芹花はただ単にイケメンと出会えて恍惚としていただけのようだ。芹花の視線は津田の顔面を捉えたきり離れない。津田は一瞬戸惑いを見せ、すぐに笑顔を浮かべた。微かに頬が引きっている。


 芹花は口を開いたまま動かない。そこまで津田に見惚れることがあるのだろうか、と不思議に思った。けれどそんな疑念は一瞬ではじけて消えた。きっと芹花は津田を見ているのではない。津田の横に立つ椎奈さんを見て呆然としているのだ。 


「ん? こんにちは」


「しゃ、しゃべった!?」


 芹花は目を見開いて半歩ほど後ずさりした。椎奈さんの口の動きは見えない。二つのマスクで覆い隠されているのだから当然だ。


「そりゃ、人間なんだから喋りますよ!」


「に、人間……ですか……」


 芹花は椎奈さんのほうへ顔を近づけて、なめるように視線を這わす。「前、見えてるのかな」と呟いていて、俺は心底共感した。


 椎奈さんはこめかみに手を添えた。顔がいろんな方向へ不自然に動いている。


「え、えっとー、据衣丈くんの……彼女さん?」

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