第21話 憧れ乞う偽
二人の間で沈黙が続く。羽衣さんに関する話題は避けたほうが良いだろう。
無難さを心掛けよう、そう考えて「度辛の辛さは異常だったな」などという言葉が浮かんだ。けれど、無難さを意識しすぎているせいでかえってぎこちなくなるかもしれない。やはり思い切って羽衣さんの話をすべきだろうか。いや、リスクが高すぎる。
「爆死する賭博師ってちょっと面白くない?」
鳴無さんは、え? と呟いた。じとーっとした目で見られている。何言ってんの、こいつ? という声が今にも聞こえてきそうだ。
「それって、ダジャレ? 今のご時世、時差ぼけしたおじさんでも言わないと思うよ?」
「お、おう……今をときめく女子高生が言っちゃってるんだよなー」
俺は自然と笑みがこぼれた。つられるように鳴無さんが前髪に触れる。
この放課後の二時間弱で分かったことがある。彼女には癖のようなものがあるらしい。決して笑みをこぼさないけれど、その代わりとして、前髪を気にするような仕草が見られるのだ。彼女の笑顔は前髪に吸われてしまったのだろうか。
「そういえば、話って……何かな?」
「え」
俺は油断しきっていた。予期していなかった言葉に思わず身じろぐ。
チャンスだ、しっかりしろ、と自分に言い聞かせた。
「ああ、そう、話がね。深刻なこととかじゃないんだけど……」
「うん?」
鳴無さんは首を傾げて話を待っている。
椎奈さんのことを教えて、と口を動かせばいいのだ。それなのに、桃色の唇を見ていると不意に、きっぱりと断られるような気がした。
「椎奈さん……と鳴無さんが話すのって異種格闘技戦みたいだよな」
「はい?」
鳴無さんは少しだけ眉間にしわを寄せた。表情を変えない彼女だからこそ、僅かな変化が事の重大さを思わせる。こいつ、頭大丈夫か? とでも言いたげだ。口には出さないだけで、言葉は思い浮かんでいるに違いない。
「いや、何て言えばいいんだろう……椎奈さんは素顔を隠していても明るさとか元気さとかが言動から分かるじゃん?」
「うん。元気って言えば聞こえはいいけど、うるさい時もあるんだよ?」
鳴無さんはクスリともせず、真顔だ。舌の毒々しさには触れないでおこうと、ふと思った。
「お、おう……だけど、鳴無さんはあんまり表情に出なくて、静かな感じがする。全くかみ合わなそうな二人が話すのは、異種格闘技戦っぽいなって」
「それだと戦っちゃってるよね。異種格闘技というよりかは同種目の体重別階級みたいなほうがしっくりくるかも」
「なるほど、鳴無さんがフライ級で椎奈さんがフェザー級みたいな?」
「階級の選び方が妙にリアルだし、花穂が聞いてたら据衣丈くんの命がなくなってるよ、きっと」
一瞬、鳴無さんの眉が動いたような気がした。どうやら、階級の知識もあるらしい。学年トップの頭脳は伊達じゃない。
想定していた話の進め方ではないけれど、このまま椎奈さんに関する話題を続けていれば、いずれ本筋へと導かれていくだろう。俺は口角を上げた。
「まあ、体重とかそういう話は一先ずどうでもよくて……クラスが違うのに、仲良くなるきっかけってあんまりないような気がするんだけど」
「きっかけかあ……四月の終り頃に、ファイルを持って廊下を歩いてたんだけど、曲がり角で花穂とぶつかりそうになっちゃって。そのとき、ファイルを落として、プリントが散乱しちゃったんだよね」
「ああ、それを拾ってくれたのか」
有り触れたきっかけだ。返事を聞くまでもない。
鳴無さんは首を横に振り、ううん、と言った。予期せぬ答えに思わず、ふぇ? と変な声が漏れてしまう。
「それが違うんだよね。花穂、急いでたみたいで、『ごめーん!』って叫びながら遠ざかっていっちゃったの」
「え? そ、そうなんだ。廊下は走るなとあれほど……」
言った覚えはないけれど、取り敢えず空想の世界の椎奈さんに注意した。
「ファイルを片付けてもらえなくて、ツイてないなあって思ったよ。ただ、それよりも花穂の見た目に驚いちゃって」
鳴無さんは前髪に数回触れながら語った。瞬きのために瞼が下ろされ、喋るために唇が上下する。顔面上での動きはそれだけだ。
「最初に対面したときはびっくりするよな。危ない人にしか見えないし」
鳴無さんはうん、うん、と小さく頷く。
「それから花穂のことは常に気になってたんだけどね。用もないのに会いに行くのは変だなって思って、何もしなかった」
「へ、へぇー」
俺の疑問は一向に解決されない。なぜ二人で買い物に行くような関係にまでなったのか。きっかけが全く分からないままだ。俺は鳴無さんのほうをじっと眺めるしかなかった。
「廊下でしか見かけるタイミングはなかったんだけど、だんだん花穂に惹かれていったんだよ」
「お、おう? 惹かれたって、恋愛的要素が入ってる?」
「別に入ってないけど」
鳴無さんはぼそっと呟く。声には抑揚がない。突き放されるかのような冷たさを感じた。たとえ鳴無さんにそのつもりがなくても、そう見えてしまうのだ。
「花穂は私にないものを持ってるなって、次第に思うようになったんだ。誰かに話しかけてるときは必ず声が弾んでてさ。仲の良い友達なのかと思えば、全くそうじゃないみたいで。疎まれても無視されても、いじけた態度はすぐに元に戻るし。まるで子供みたい」
俺は視線を落とした。進行方向へ伸びる影は真っ黒い。
椎奈さんは常に明るく振舞っている。彼女の言動は当然のことのように日常に溶け込んでいた。
「そういう花穂の雰囲気に憧れちゃった」
鳴無さんは静かに呟く。俺は急に全身がむず痒くなった。
「そ、それから話すようになったんだ?」
「そうだね。思い切って自分から声を掛けてみた。今までの私じゃ考えられないような行動だったけど、それだけ花穂に対して興味が湧いたのかも」
優しく寄り添うような、ゆったりとした声音だ。俺は無言で続きを促した。
「マスクとアイマスクのせいで花穂の表情は読み取れない。だけど、明るさとか元気さはすごく伝わってきてさ。私も言動に感情をのせることができたとしたら、どんな風に変われるんだろうって思った。感情が表に出ないほうだから……」
「椎奈さんの明るさみたいなものが欲しいんだ?」
「うん……欲しい」
鳴無さんの囁き声には妙に色っぽい。俺は微かな背徳感に包まれた。
赤信号に足止めされて、人混みに紛れる。無意識のうちに周囲の人の顔をちらっと見まわした。素顔を隠す怪しげな人など、当然いない。
椎奈さんの情報を聞き出したいという欲求は絶えず膨らんでいる。尾行に失敗したからといって興味が完全に消え失せるわけでは無いのだ。
手段を選ばないということは低俗な行為かもしれない。そうと分かっていてもなぜか椎奈さんに深入りしたくなる。心の片隅に針が突き刺さっているのに、痛みを感じない。肥大化した好奇心がアドレナリンの役目を果たしているらしい。
二つの相反する気持ちに揺られながら、口だけが先走った。
「何で、顔を隠してんのかな?」
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