第14話 尾の行く末
「おいおい、まじかよ……」
「おお! な、な? 俺の言った通りじゃん!」
津田は想像通りだったことに対して誇らしげだ。その割に津田は驚きを隠せていないようだけれど、触れないでおこう。
足を止めて、男子禁制の領域の様子をちらちらと窺った。椎奈さんと鳴無さんの姿は店内へと吸い込まれていって垣間見えない。右へ左へと移動を試みるが、視界に映るのはパステルカラーや綺麗な赤色の布ばかりだ。
男子高校生が遠目にランジェリーショップをちらちらと見遣りながらうろうろと歩く構図は控えめに言って異色だろう。これでは椎奈さんと俺たちを比べてもどちらが不審者なのか分からなくなる。
「ここからじゃ全く見えないし、尾行の意味がないんじゃね? まじで突入しちゃう?」
津田は俺の抱える後ろめたさを跳ねのけるようにして呟いた。
「津田……生きて帰って来いよ」
「は!? 俺だけが突入する前提なの!?」
津田が大仰に驚く。
「男二人でランジェリーショップに入るシチュエーションってどう考えても事案だろ」
「じゃ、どうすんだよー。ここからじゃ決定的瞬間は捉えられないぞ」
「どうでもいいけど、決定的瞬間とか言っちゃうと俺たち万引きGメンみたいになっちゃうな」
「お、おう。まじでどうでもいいわ、それ」
津田は目を細めて呟いた。血走ったような目と興奮気味な表情はすっと引いたように感じる。どうやら男子禁制区域への立ち入りは踏みとどまらせることができたようだ。
「とりあえず出てくるのを待つしかないな」
俺と津田はランジェリーショップの向かい側、かつ二店舗分横にずれた位置で待機した。女性用品専門のフロアで呆然と立ち尽くす。精神的負荷が常にかかり続けた。
しきりにスマートフォンで時間を確認した。十分が経過し、ようやく椎奈さんと鳴無さんがランジェリーショップから姿を現した。
気づかれないように、十分な距離を取って彼女たちの後ろをつける。津田は心なしか静かになっていた。尾行に飽きてきたのか、単純に疲れてきたのか、女性下着の宝庫に埋もれられなかったことに気落ちしているのか、分からない。
時折椎奈さんと鳴無さんが会話をしていて、二人の横顔を確認できる。俺は黒のマスクと白のアイマスクを直視しすぎて、パンダだとかパトカーだとか、小学生並みの想像力が働いた。知らず知らずのうちに俺の身体にも疲労が溜まってきているのかもしれない。
ところで、椎奈さんも鳴無さんも両手が開いている。結局、下着は購入しなかったのだろうか。鞄の中に仕舞っている可能性も否定できない。そもそも女性下着は一体どのように梱包されるのだろうか。気が向いたときにでも、ヘイ、シリと尋ねてみよう。
男には到底知り得ないことであれこれと思考を巡らしているうちに、彼女たちがメガネ専門店に入っていくのを確認した。
「メガネか。鳴無さんがメガネをかけてるところなんて見たことないし、花穂はかけるかけない以前の問題だし、これはどういうことなのかね」
津田が冷静に呟いた。珍しく津田の考えとほぼ一致している。頭のいい人はメガネをかけているイメージだけれど、津田の言う通り、鳴無さんはメガネをかけていない。椎奈さんがかけるというのであれば、まずはアイマスクを外すように全力で説得するだろう。
「伊達メガネとか?」
「ああ、なるほど! 鳴無さんのメガネ姿か……意外と化けるんじゃね?」
「それ、鳴無さんのことを暗に侮辱してるな。というか、椎奈さんっていう選択肢はそもそもないのな」
「え? ないだろ」
即答だった。俺も完全に同感だ。今日の津田とはやけにシンクロ率が高くて、悪寒が走る。
「まあ、とりあえずランジェリーショップみたいな禁制区域じゃないし、お店自体は広そうだからバレない程度に近づくか」
「よっしゃ、面白くなってきたじゃん! っと、その前にちょっとトイレ行ってくるわ」
津田はそう言い残して小走りで去った。この女性向けフロアに男子トイレはあるのだろうか。健闘を祈りつつ俺は、椎奈さんとの距離を出来るだけ確保して、メガネを物色する振りをした。
椎奈さんは次から次へとメガネを手に取り、鳴無さんへ試しにかけるように促している。着せ替え人形に心を奪われた女の子のように、容赦がない。
鳴無さんのメガネ姿は優等生というよりも文学少女という風な印象を受けた。正論を理路整然とまくし立てるような雰囲気ではない。静かに佇んで物思いに耽っていそうな、儚げで高級な空気が感じられた。
文学少女風の少女がカオナシ風の少女に何やら異議申し立てをしている。おそらく、彼女の目元のあたりに三つほどかかっているメガネが関係しているのだろう。
鳴無さんは一つ一つ丁寧に扱うかのごとくメガネを外していく。耳から離れるたびに黒髪が微かに舞った。サラサラともフワフワとも表現できそうな動きを見ていると、あの毛先に撫でられるメガネが羨ましく思えてくる。
今もなお女子の手と密着しているメガネに対して少しばかり妬いていると、やがて三つあるうちの一つが椎奈さんの手へと渡された。
その動作はあまりに自然だった。俺は一瞬たりとも見逃していない。これはチャンスだ、とすら思えないほどのさり気なさが彼女たちの所作に含まれていた。
椎奈さんは右手にメガネを持ち、左手でアイマスクに手を掛けた。これからメガネの試着をしますよ、と言わんばかりの様子だ。そこでようやく俺は、絶好の機会がやってきたのではないか、と心が躍った。空腹の状態で散々待たされた行列店で料理が目の前に出てきたときの絶頂感に似ている。
ついに長きにわたった尾行が終わりを迎えるのだ。ここまで粘った甲斐があった。「俺、何やってんだろう」と途中で何度も帰りたくなったけれど、終わり良ければすべてよし、だ。
俺は椎奈さんの顔を睨みつけるように凝視した。瞬きなんてしてたまるものか。絶対に決定的瞬間を目に焼き付ける、静かにそう意気込んで。
――そして尾行は失敗した。喉のあたりから、ごくりと音が鳴る。まるで床がぬかるみになったかのように足が動かない。椎奈さんの左手はアイマスクに触れられたまま一切変化がないけれど、全身の大きさが次第に大きくなっている。突然変異で巨大化しているのではない。ただ単にこちらへ向かって歩いてきているのだ。
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