第13話 進み入る園


    *     *     *


 結果からすると、俺たちは尾行の再開に成功している。南北に伸びる巨大な駅のターミナルへ向かって東西方向へ真っすぐに舗装された道路、すなわち一時間前に歩いてきた道を引きかえしていた。


 例のカフェを出てから歩き出すまでに起きた波乱を俺は決して忘れない。怒りに身を任せた津田が暴れただとか、引っ切り無しに彼女たちの悪口を言うような矛盾した行為に走っただとかではない。


 カフェを退店して暫く経ったとき、俺は水分不足を補いたくて向かい側のコンビニへと向かった。椎奈さんたちが出てくる可能性を見越して、見張りのために津田を残したのだ。


 会計を済ませてコンビニを出た俺は、津田が二人の女子高生と話している場面を目の当たりにして、一瞬硬直した。マスクとアイマスクを身に付けている女子高生など、俺の知る限り一人しかいない。椎奈さんだ。


 津田の頭の中には尾行を成功させるという思考が微塵もないのかもしれないと俺は悟った。


 津田と椎奈さんたちが話し終わるまで遠く距離を保って、田んぼに置かれたかかしのように突っ立っているしかなかった。しばらくして椎奈さんと鳴無さんが歩み始め、今に至る。


「津田。バカなの?」


「うぇ!? まあまあ、そんなに怒るなって。上手いこと巻いたから」


 津田の声を聞きながら、車三台分ほど前方を歩く椎奈さんと鳴無さんの姿を見た。顔面を覆い隠している女子高生は相変わらず身振り手振りが大きい。何やら鳴無さんと盛り上がっているようだ。津田の言う通り、尾行に気づいている様子は今のところない。


 ターゲットは駅の東口に足を踏み入れた。巨大な壁のように聳え立つ駅舎は、中央が大きく開けていて人の出入りが激しい。


 周囲の喧噪が尾行の手助けをしてくれているように感じて心地良いけれど、同時に苦々しい映像が頭を過った。このまま素顔を見ることなく椎奈さんたちが帰宅し、貴重な放課後に費やした時間が無駄になる未来。俺は気になる女の子に付きまとうだけの危ない少年に成り果てるつもりなど毛頭ない。この目で椎奈さんの素顔を確かめることだけが目的なのだ。


 少々強引にでも動かなければ、絶望的な未来が現実へとタイムスリップしてくる。そう思った刹那、椎奈さんたちは改札へと向かうことなく左折し、駅ナカの複合商業施設へと入っていった。


「お、今度は買い物かー。ブラとか買ったりすんのかな?」


「……プラ?」


「ブラ! ブラジャー!」


 大声で叫ぶ津田のことを無視して俺はフロア内へ入った。後ろのほうからひそひそと女性の声が聞こえてくる。俺は関係ないですよーと、そ知らぬ顔を意識して大理石のような床材を踏み込んだ。


 一階フロアは香水やスイーツの匂いが充満していて、永遠に吸っていられそうだ。エスカレーターで三階まで移動した。椎奈さんと鳴無さんは三人分ほどの間隔を挟んで前を歩いている。すれ違う人たちが椎奈さんの顔面に釘付けになっているのがよく見て取れた。目を逸らそうとしてもつい視線が向かってしまうのだろう。


 華麗に髪を靡かせながら闊歩するカジュアルスーツ姿のOLや、すらっとした生足を見せつけている量産型女子大生らしき若者でフロア全体は騒々しい。


 見渡す限り、女性しかいない。ようやく俺は三階フロアが女子向けの商品ラインナップのみで構成されていることに気が付いた。それと同時に、異様な疎外感がふつふつと湧いてくる。無意識のうちに視界を地面へと落としていた。手持無沙汰であるがゆえに、余計逃げ出したくなる。沈黙から抜け出すように口を開いた。


「椎奈さん、歩いてるだけでかなり目立つよな」


「ああ、今さらどうしたよ?」


「いや、何でもないけど……四方八方から視線を浴びる毎日だろうし、この先もそういう生活を続けんのかなって」


「さー?」


 津田は物凄くどうでもよさそうな返答をした。質問に対する答えが分からないというような様子だ。けれど、立ち並ぶお店のほうをしきりに見遣って俺のほうへ視線を合わせない津田の振舞いからはそれだけではないようにも思える。考えることを拒絶しているような雰囲気だ。


「そもそも、あの格好が周囲に許容されてるのが意味不明なんだよな」


「さー!」


「それは愛ちゃんな」


 津田はピンポン玉を跳ね返すような動きを再現する。俺は即座に切り返した。


 数十メートル先を歩いていた椎奈さんと鳴無さんが立ち止まった。何やら柱に飾られている掲示物を眺めているようだ。このまま進み続ければ、分針が動く前にエンカウントしてしまう。戦闘画面に移るわけにはいかない。俺は津田に一声かけ、立ち止まった。


 やがて彼女たちは歩き始めた。振り子が連動するように、俺と津田も尾行を再開した。


 椎奈さんたちが見ていた掲示物を視界の端にとらえた。徐々に掲示物の全貌が明らかになる。


 幻想的な青だ。ラッセンが描くイルカに似ている。目の前に飾られているポスターには正真正銘本物のイルカが映っていた。打ちあがった水しぶきには光が当たり、ダイヤモンドをばらまいたかのように空中が燦然さんぜんと輝いている。


 しばらくして、この掲示物が今冬に新しくオープンする水族館の広告であることに気付いた。それと同時に、椎奈さんの手提げバッグに取り付けられていたキーホルダーの姿を思い出す。波乗りペンギンだ。


 ターゲットを見失うわけにはいかない。俺と津田はすぐに椎奈さんたちの後を追った。


 エスカレーター乗り場から随分と歩いた。このままフロアを突き破って外に出てしまうのではないか、というあり得ない妄想に浸ってしまうほど何一つ進展がない。


 遂にフロアの最北端まで到達した、ちょうどその時だった。椎奈さんと鳴無さんが桃色と白色を組み合わせた外観の店舗へと足を踏み入れたのだ。大きく開けた入り口からは直視できないほどの眩しさを感じる楽園が広がっている。


 それはまさしくランジェリーショップだった。

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