第12話 人の脆い繋

 過去の記憶を呼び起こすまでもなく、直感した。合コンで出会った女子高生だ。明るく場を盛り上げていたことは覚えているけれど、名前はまったく思い出せない。特に特徴のない顔をしている。街角インタビューを受ける若者としてテレビに映っていそうな女子高生だ。


 彼女の後ろにはさらに二人の女の子が立っている。こちらは正真正銘、初対面だ。


「あ、据衣丈くんも! おひさー!」


 うぃっす、と小さく頭を下げた。今の返事の仕方はさりげなさを演出できていただろうか。妙にテンションが上がっていると思われるのは御免だ。


「なになにー、男二人でデート?」


「冗談きついなあ、棘樹いばらきちゃん! そんな生温い状況じゃなくてー」


「お、おい!」


 後ろ髪をわさわさと触る津田を見ながら、俺は小さく声を荒げた。このまま喋らせていると、尾行という単語が大っぴらになりかねない。


 俺は無言で津田を睨みつけた。犬のしつけをしているかのような気分だ。生まれて十六年間、犬どころか動物の飼育などしたことはないけれど。あくまで、空想から引っ張ってきた感想にすぎない。


 視線がぶつかると、津田はニヤッと口角を上げた。犬もこれほどまでに憎たらしい表情をするのだろうか。


「あ、ちょうど横の席、空いてるじゃーん!」


 棘樹さんは通路を挟んだ向かい側の席にドスンと座った。彼女の明るい声音に引っ張られるようにして、残りの女子高生二人も着席する。ひらりと舞ったスカートから白桃色の太ももを垣間見た。


 異様な気まずさが漂っている。瞬きの回数も増えているに違いない。意識しないように視線を前方に固定しているけれど、その行為がすでに意識的だといえる。俺は観念して、横から聞こえてくる彼女たちの会話に聞き耳を立てた。


「てかさー、明日の補修、ちょーダルくなーい? 台損模試で80点以上なんて無理だっつーのー」


「だよねー。数学以外なら問題ないのに、よりによって数学とかマジ何なのって感じー」


 ……おいおいおい、ショートカットの彼女はどうやら頭が良いらしい。向日葵の髪飾りが輝いていて、顔面からはモテるオーラがとめどなく発されている。頭良し、ビジュアル良し、だと? 怖え、リア充、超怖え。


 知らず知らずのうちに視線が通路の向かい側へ移ってしまっていた。目が合った、と認識した時にはすでに視界から横の座席の様子をシャットダウンした。数メートル離れていてもひそひそ声は聞こえてくる。内容は聞き取れないけれど、数秒前までの自分の挙動を咎められているのではないだろうかと思った瞬間、体がカッと熱くなった。


「ねえねえ、紗那くん、据衣丈くん!」


 ん? と呟いた津田は冷静に横を振り向く。自意識の中に埋もれていた俺も、遅れて横の座席に目を遣った。


 棘樹さんはニッコリと微笑み、頭が良いらしいショートカットの彼女は心なしか頭を下げて、僅かに俯いている。さらに、少し丸顔の女子高生は、視線を泳がしながら、ちらちらとこちらの様子を窺っているようだ。


「今度、テスト明けにパーッと遊ぶ予定なんだけど、一緒にどう?」


 示し合わせたかのように丸顔の彼女が微笑んだ。


 津田は明るい声音で返答すると、いつの予定なのか、メンバーはどうするのかといった打ち合わせをスムーズに進めていった。遊びの予定を組むことに慣れているのだろう。俺はただ黙して座る人形と化していた。


 二、三分経ち、おおよその予定は立ったらしい。話を締めくくりにかかっている津田の顔が視界の端に映る。はるか前方でティータイムを楽しむ椎奈さんたちの様子を窺おうとした、ちょうどその時だった。


「じゃ、あの合コンで一緒だった度盛どもりも誘っとくわ」


「え? あの人はいらないよー!」


 津田がおまけ程度に付け加えた文言を棘樹さんが跳ねのける。その刹那、空気がピりついた。


 ないない、と顔の前で手を振る棘樹さんは満面の笑みを浮かべている。対照的に、一秒前まで口角が上がっていた津田の口元から一切の笑みが消えた。


 この空間から穏便さが消えてなくなったと確信したのと同時に、津田の口から重々しい息が洩れた。


「は?」


「ん? あの人は呼ばなくてもよくない?」


 棘樹さんはそう言って、合コンの日の度盛の様子を残りの女子二人に説明した。ゲラゲラと笑いながら話している。『汗でコップが滑るって、なにそれ、どんだけ発汗作用良いの? チョーウケる』とか『ねとげー? ないわー』などといった蔑みが聞こえてくるたびに、俺は顔を前に向けたまま眉間にしわを寄せた。汚い言葉が打ち上げ花火のように空気中を飛散している。


 反吐が出そうだ。度盛の外見は確かにパッとしない。オタク感が前面に押し出されているというのも事実だ。それでも内面は優しくて気の利く人格者だと思っている。表層的な情報だけで陰口を叩かれていいような安っぽい人間ではない。俺のようなちっぽけな奴ではないのだ。


 一言ぶつけてやりたい。本心はやる気に満ち溢れている。頭の中でのシミュレーションも終えている。『ふざけるなよ』の六文字を言えば済むことなのだ。


 それなのに、くだらない保身のせいでとうとう言葉は喉の奥へと押し留められた。


「おい」


 真正面にある津田の横顔は自然な真顔だった。力みがなく微動だにしない頬や口元を見ていると、銅像のような命のない人工物のように思えてくる。一切の怒りや憎しみはなく、強いて挙げるのならば、諦めのようなものだけが微かに感じられた。まるで、祖父母の訃報を受けたときの両親の面持ちのようだ。


 津田の顔をまじまじと見ている彼女たちは三者三葉の表情を浮かべている。棘樹さんは苦笑し、丸顔の彼女はぽかんと口を開けている。ショートカットの彼女は心なしか恐れているような引きつった表情をしていた。


「紗那くん? え、ちょ、どーしたの?」


「本人のいないところで、しかも本人の前では見せなかった態度で悪口とか……そういうの、良くないと思うわ」


 津田はテーブルの上に置いていたスマートフォンを掴んだ。ポケットにしまうのと同時に口を開く。


「悪いな据衣丈、先に出てる。外で待ってるから」


「え!? お、おい、待てよ」


「待たねえよ。このままここに居たら毒気に侵されてしまいそうだからな」


 俺の呼び止めを軽く跳ねのけて津田は歩いていってしまった。去り際に見せた津田の視線は偉そうな教師が生徒の顔をまじまじと凝視するときのそれに似ていた。女子高生三人組は顔を引きつらせながらひそひそと話している。


 津田の向かう先には椎奈さんと鳴無さんの座席がある。どこまで身勝手なやつなのだろうか。津田が鳴無さんに気づかれてしまうのは最早しょうがない。俺だけでも隠密にこの場を切り抜け、尾行を再開する必要があるだろう。


 津田のことをすごい奴だと思ってしまうのは、自分の不甲斐なさを上塗りしたいだけなのかもしれない。津田には女の子との友好関係、いや、人との友好関係をこうも容易く切り捨てることに恐れはないのだろうか。


「遊びの予定はなしってことで、それじゃ」


 俺は棘樹さんたちの顔を見ることなく、津田が歩いていった方向とは逆向きに歩みを進めて、出口を目指した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る