第10話 肩に降る危
「あの二人、どこに向かってんのかな」
つまらなさそうな声音で津田はぼやいた。数分前のテンションは見る影もない。男子中学生が初彼女を獲得したときのような高揚っぷりはどこへ消えたのだろうか。
「カフェとか雑貨屋とかじゃね? 女子高生が行きそうな場所だと」
「カフェ……そういえば、この通りの裏に新しい何かができたとかなんとか、聞いたような」
津田の声を聞きながら、俺はぐるりと周囲を見回した。オフィスビルや商業施設、飲食店、多種多様なジャンルの建物がひしめき合っている。どんなお店が開店しても特に驚くことはないだろう。
「確か、女子高生と相席でお茶ができるみたいなお店だった気が……あ!」
津田が唐突に声を跳ね上げた。視線の先には曲がり角がある。細道になっているのだろう。
どうした? と問いかけると、津田はくわっと目を見開いた。
「あの裏通りにできたんだわ、たしか。如何わしいお店」
果てしなくどうでもいい情報だった。椎奈さんと鳴無さんを見失わないように、すぐさま視線を戻す。前を歩く男がこちらへ微かにちらっと顔を向けたような気がした。
例の曲がり角に差し掛かったとき、彼が静かに、かつ滑らかに左折したことを受けて、俺はいろいろと察した。
目の前の視界が良好になった。つまり、椎奈さんと鳴無さんが後ろを振り返ってしまうと、確実に見つかってしまう。
すかさず、俺はそばを歩く女子大生風のお姉さん三人組の後ろについた。ワンテンポ遅れて津田も加わる。
柔軟剤と香水の混じった甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「なんか、尾行するために新たな尾行をしてるみたいだな」
津田は平然と言った。津田の音声が俺の鼓膜を震わせた瞬間、俺の体はカッと熱くなった。
「お、おいばか」
きゃっきゃと騒いでいた女子大生風のお姉さんたちが一瞬鳴りを潜め、ひそひそ声で話し始める。二言三言交わした後、顔を微かに後ろへ向け、戻してはコソコソと会話する。この流れをしばらく繰り返していた。
すぐさま横に移動し、足を踏み出すスピードを緩めた。女子大生風の三人組は遠ざかっていく。新たな壁としてカジュアルスーツ姿のおじさんを採用した。
「声がでけえよ、津田」
「悪い悪い。据衣丈ってあんまり本性を見せないからな。焦ってる顔、よかったぜ、最高!」
「わざとあんなこと言ったのかよ」
ビルの隙間から太陽が顔を出し、津田の眼球を輝かせた。もしも津田がサンドバッグだったならば、俺は何の迷いもなく殴っていただろう。
「あ、花穂たち、あの店に入るみたいだぞ」
津田の笑顔からは話を逸らす気しか感じられない。仕方なく指さす方を見遣ると、ベーシックな木製の立て看板が視界に飛び込んできた。店の外観は確認できないけれど、看板の様相を見ただけで予想はできる。おそらく、カフェだ。
体を触ったり鳴無さんに触れたり、手の動きが激しい椎奈さんを見ていると、本来の目的をふと思い出した。マスクもアイマスクも全く外す仕草は見られない。
入店する二人の姿をこの目に焼き付け、二つの選択肢を並べた。すぐに後を追うか。時間を置いて後を追うか。すぐに追えば、二人の姿を見失うことはないだろう。その分、接近は免れず、気づかれるリスクが高まる。時間を置くと、入店する瞬間だけ気を付けていれば、バレないように振舞えそうだ。
一分ほど外で待ち、扉を開けた。手で口元を覆ったり頬をさすったりすることで、なるべく『据衣丈布瀬』の存在を消す。
店内は外よりも騒々しい。ぐるりと見渡してみると、男性が見当たらない。疎外感に押しつぶされてしまいそうだ。ロールケーキ専門のカフェらしいけれど、内装はポップというよりかは落ち着いている。オープンして間もない店内は、お洒落なモデルルームを彷彿とさせた。
全体的に木製の資材が用いられ、ニスによる光沢が綺麗に散りばめられている。ホールの中心には大きな大木の模造品が置かれていて、床から天井を突き抜けるようにして大樹林が生えているような演出が取られていた。
俺も津田も標的を見失った。店内中心の模造品に邪魔をされ、広すぎる店舗内に翻弄されたのだ。
入店してすぐにカウンターへ向かった。席に着く前にカウンターで注文を済ませるタイプの店らしい。派手過ぎるメニューボードに困惑し、悩んだ挙句、おすすめと表示されているメニューを『this one』方式で注文した。
敷居をまたいだ瞬間から、俺は慣れない雰囲気にのみこまれていた。無事に商品を受け取ることができて、ほっと胸を撫でおろす。
緊張の糸が一瞬緩んだ。津田が幼顔の可愛い系店員さんと笑顔でやり取りをしている様子が視界に入り、咄嗟に目を逸らした。
羨望の気持ちがそうさせたに違いない。夜空に輝く星も海底に沈む宝も、地上から手を伸ばして届く代物ではないのだ。空を飛ぶ覚悟も海へ潜る度胸も、俺は持ち合わせていない。
視線を逸らしたついでに、その場から離れようとした。すぐにでも椎奈さんを見つけ出し、尾行を再開しなければならない。
グラスの中で揺れる水面を眺めながら、足を踏み出したちょうどその時だった。
「きゃっ!」
肩に衝撃が走り、トレイの中のグラスとお皿ががたっと音を立てた。
やってしまった、と思ったときにはすでにグラスは横たわり、トレイの上には薄黒い海が形成されていく。氷が滑らかに横滑りするのを見て、ようやく俺は横たわっているグラスを元に戻した。
視界の端で紺色のスカートがなびいている。視線を上へスライドさせると、おそらく女子高生と思われる女の子の軽蔑するような眼差しとぶつかった。
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