第9話 背を追う輩
* * *
巨大ターミナルは常時、スクランブル交差点状態だ。四方八方から人間が飛び出し、体が接触しようものならすぐさま舌打ちされる。お宝を求めて赤外線センサを攻略する怪盗かよ、などとのたうち回りたい。駅構内の人間が怪盗だとしたら、求めるお宝は風呂上がりのビールだろうか。それとも冷凍庫にストックしてあるピノだろうか。押し入れに隠されている如何わしい何かかもしれない。
学校を出てから三十分は経過しただろうか。俺の神経はすでにすり減っていた。人混みに充てられたことだけが理由ではない。思いの外、尾行には集中力を使うのだ。
標的までの距離を十メートル以上キープしている。加えて、駅構内は雑音のオンパレードだ。俺と津田の声に気づくことはないだろう。
椎奈さんの横を謎の女子高生が平然と歩いている。目を逸らすことなく、俺は口を開いた。
「あの子、何食わぬ顔で椎奈さんと一緒に歩いてるんだけど……もしかして、変り者?」
「ああ、変り者というか……ただの天才だな、鳴無さんは」
鳴無さん、と聞いて思い浮かぶ人物が一人いる。
一年生の中では有名人だ。頭脳明晰でいついかなる場合でも笑顔を見せないことから、笑わない天才と呼ばれている
地動説を唱えた天才ニコラウス・コペルニクスとかけて、
人混みの中でちらりと垣間見えた二つのスカートは、隣り合って仲良く揺れている。椎奈さんと同程度の身長だけれど、鳴無さんのほうがスカート丈は少し長い。さりとて、膝よりも若干高い位置、すなわち最も美しいとされる丈がキープされている点を見ると、鳴無さんのスカート丈が長いのではなく、椎奈さんのそれが短いだけのことだ。
正門を出るまでは尾行対象が二人に増えるなど思ってもみなかった。罪悪感もまた、二倍になったような気がする。
「ただ、意外だな。据衣丈が花穂のことを探るなんて」
「んー、まあ……」
津田の口から椎奈さんの名前が飛び出し、むず痒い感覚に陥った。
女子の名前をサラッと口にするこの男はやはり輝いて見える。けれど、同級生の女子を呼び捨てで呼ぶことと椎奈さんを名前で呼ぶことは、少し意味合いが違うらしい。
おおよそ十分前の話だ。電車に乗っている間、俺は津田と椎奈さんの関係を知った。二人は小学校からの幼馴染らしい。高校まで同じということは『もう、それ、どっちかは恋愛感情あるだろ』などと思ったけれど、口にはしなかった。というか、できなかった。
津田は椎奈さんのことを語るとき、あからさまに顔が変わる。口角は下がりきり、目には力が宿っていなかった。
椎奈さんは小学生のころからすでにマスクとアイマスクを身に付けていたらしい。顔面を隠し、小さな体でランドセルを背負う小学生が、周囲からはみ出してしまうのは当然だろう。
高校生にもなれば、関わらなければいいと判断できる。けれど、小学生のときには異常なものを排除しようとする方向へ働いてしまったようだ。六年間の暗い時代が終わると、三年間の新たな暗い時代が待っていたのだという。
それ以上、詳細を聞くことはしなかった。推測に過ぎないけれど、津田も話すつもりはなかったように思える。
「まあって何だよ。はっきりしないなー。花穂のこと、気になんの?」
「気になりすぎて困ってる。恋愛的な話じゃなくて、パンドラの箱を開けてみたい系のやつな」
すげえ分かりやすい、と呟く津田の顔は半笑いだった。
椎奈さんと鳴無さんが東口改札を抜けた。二人の後ろの姿を確認し、俺と津田も後を追った。
外へ出ると、そびえたつビル群や謎の巨大オブジェクトが視界を支配する。バスやタクシーがまばらに留まっていて、車の数の数百倍の人間が無造作に移動していた。
ここから先はより一層気が抜けない。バレたらどうなるのか。皆目見当もつかないけれど、良い結果になることはないと確信できる。
「二人は……歩いてるな。もう少し距離を離すか」
「うおお、なんか外に出るとわくわくするな! こうなったら本気でやろうぜ!」
「本気なのは分かったから、ボリューム落とせって」
悪い悪い、と平謝りする津田を見ていると、ふざけてるのか本気なのかよく分からない。
片側三車線の大通りに出ると、人混みは僅かに和らいだ。
前を歩くサラリーマン風の男は身を隠すのに丁度いい。この通りを歩く限り、電柱に隠れながら移動するという手段を使うまでもなさそうだ。
定期的に標的の様子を確認することも忘れない。
鳴無さんが椎奈さんに何か話しかけ、椎奈さんが肩を震わせながら鳴無さんの肩をバンバンと叩く。椎奈さんの表情はマスクのせいで全く見ることができず、鳴無さんは無表情で叩かれていて、二人が楽しそうなのか険悪そうなのかすら分からない。
彼女たち二人の関係については未だに分からないことだらけだ。収穫が得られたのは、周囲の人間が椎奈さんの顔を見てどういう反応をするのかということぐらいだった。
触らぬ神に
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