歪な関係修復
……いったい、どれだけの時間が過ぎたのだろう。
イーシュさんの姿が消え声が届かず、呼吸が乱れても足は止まらなかった。
現実逃避という他ないが、あの場に留まるより走った方が楽だったのだ。
しかしそんな離脱の為の歩みも徐々に減速し、停止へと向かう。
目的地など無かったが、それでも辿り着く場所は出来るらしい。
「ここは墓、でしょうか?」
人工的に切り開かれた森の一角に、歪な石が規則正しく並んでいた。
帝国兵士達の墓石とは比べものにならないほど粗末だが、それでも名前らしい文字が刻まれている。その側には花が添えられているのだから、まず間違いないだろう。
「……けれど不思議ですね。ここも危険な場所の筈なのに、すごく綺麗だ」
墓地の周囲は草が覆い茂ること無く、整備されていた。墓標の前にある花束や果実は枯れても腐ってもおらず、人に管理されている痕跡を感じる。
目を引くような装飾や贅沢は皆無だが、此処には献身的な誠意があった。 ……正直、羨ましい。俺も死ぬなら、こういう場所に埋葬されたい。
そんな感慨に耽っていると、ザッという人の足音が耳に入る。
驚き振り向くとイーシュさんが居る、という訳ではなかった。
「あら、クロー。まさか、貴方がこの場所に来るとは思わなかったわ」
意外そうに目を丸くしたソフィア姫と「どうしてココに」という言葉が重なる。
そうやって互いに疑問を口にすれば、後は自然に会話が続く。
まぁ、俺が一方的に喋らされていたのだけれど。
「ふーん。貴方の話をまとめると、男爵と喧嘩して、ここまで逃げてきたと。意外だったけど、クローにも怒る感情があったのね」
ここまで来た経緯を手短に伝えると、ソフィア姫は嬉しそうに微笑んだ。
なんというか、俺に対しての好感度が上昇した様子が窺える。
落ち込んでいた自分としては、じつに不愉快な表情だ。
「心外ですね。別に、俺にだって譲れないものくらいあります」
「そう、安心したわ」
「どういう意味ですか、それ」
「だって、今までのクローは消極的な破滅願望者にしか見えなかったもの。誰かに反発したり感情を乱して拗ねてる方が、人間味を感じて魅力的というものだわ」
「いくら何でも失礼が過ぎます。誠実で謙虚な生き方を心がけているのに、俺にはまるで似合っていないと言われたみたいだ」
「えぇ。その通りでしょ、実際。こうやって接してみるとクローは不平や不満を漏らしている方が違和感を感じない。従順で真面目な態度を演じているけど、内心は辛辣な皮肉屋なのね」
「…………」
――皮肉屋という言葉は耳が痛かった。
告白すれば、それは元居た世界でも聞き覚えのあった言葉なのだ。
自覚は無いが異世界でも言われる程度には、そういう性格なのだろうかと思うと抗議する気にはなれなかった。
そんな風に押し黙ってしまった俺を見て、ソフィア姫は寛容な笑顔を見せる。
「ほら、そうやって不満を隠すのは良くないわよ。もっと晒け出してみなさいな」
「呆れた。嫌味じゃ無くて親切心で言ってるんですよね、それ。文句や反抗心を聞きたがる王族が居るとは驚きです」
「あら、愚痴を聞いて親睦を深めるのは人心掌握における基礎なのだけれど。ちょうど私も役目を終えたところだし、待ち時間も少しあるの。その間だけでも、お互いに語り合ってみるのも悪くないわ」
「……参りました。そこまで堂々と言われては、コッチの毒気も抜けますね」
「それは朗報ね。なにか話してみる気になったなら尚、良いわ」
煮えていた気分を溜息で冷まして気持ちを切り替えることにする。
感情的な自己主張をする気は無いが、会話を望むという点は俺も共通していた。
「少し、気になることはあります」
「ふぅん、なにかしら?」
「どうしてソフィア姫はここに居るんですか。手伝うつもりで放とうとする破壊魔法で二次被害を増やさないよう、無人の場所に隔離されてたとか?」
「まさか。ここに来たのは男爵に頼まれたから。さっき役目を終えたと言った通り、私なりの仕事をこなした後よ」
「頼まれたって何を? この場所でやる事なんて、墓参りくらいなものでしょう」
「鎮魂という意味では似たようなモノね。さっきまで、この場に留まっていた怨念や魔力の淀みを浄化していたのよ。最悪、ココなら火災になる心配は少ないし」
事も無げに、戦闘を匂わせる言葉を放つソフィア姫。
いや確かに此処も森の中だ。魔物の残党もいるし、危険な場所である。
しかし怨念や魔力の淀みを浄化したと聞いては、黙っている訳にはいかない。
「……待ってください。つまり、さっきまで魔物が出る可能性があったって訳ですか」
「えぇ。今まで死者の弔い方が丁寧だったから、魔力の淀みがあっても魔物は産まれなかったようだけど。あのゴーレム退治の影響なのか、少し出来かかっていたわ」
「では結界の有無は関係なく、魔物が産まれそうになっていたと? 此処に眠る人達が誰かを傷付けることを望んでいたと言うのですか?」
「私に死者の願いは言及できないけれど。恨みに近い心残りがあれば、魔物になると言う事は断言できるわね。ほら、貴方だってセレネ将軍にそう言う現場をみせられたのなら理解できるでしょう?」
「………」
ソフィア姫の言葉を聞いて、帝国兵の死体が魔物化した夜の出来事を思い出す。
あの骸骨に表情は無くても感情は確かに存在した。憤怒という名の殺意だ。
実際に体験したのだ、確かに理解できる。しかし納得は出来なかった。
「もしかしてクロー、戸惑っているのかしら?」
「そりゃ混乱しますよ。だって、イーシュさんは兵士は死ぬ覚悟は出来ていると言ってました。あの物言いなら魔物化するなんて想定しているとは思えない。魔物化を防ぐ為に鎮魂や浄化なんて、そんな」
――と。あることを思い出して、言葉が途切れる。
ソフィア姫がここに居る切っ掛けは果たして何だったのか、と。
「確か、ここの浄化を頼んだのはイーシュさんだと言っていませんでしたか?」
「ついでに言うなら、道案内から必要な道具の用意もして貰ったわ。イーシュ男爵は、誰よりもこの墓地が危険な場所だと把握していたのよ」
そう聞かされた途端、俺は落ち着いていた心が再び炎上していく感覚を味わった。
さきほど諭されるようにされた態度が、あまりにも理不尽に感じたのだ。
「なんですかそれ。未練、あるって事じゃないですか。国や仲間の為とか言って格好付けても、結局は死にたくないって事じゃないですか。少なくとも、イーシュさんは兵士が不本意に感じていると知っている筈だッ」
どうしてなのか、自分でも訳が分からずに怒鳴ってしまう。
そんな俺の不可解な感情の乱れに対し、怯むことなくソフィア姫は解答する。
「当然でしょう。でも逃げることは許されないのだから、強がりくらい言わずにはいられない。それは彼らなりの処世術や尊厳でもあるのよ」
なるほど、じつに客観的な意見だ。ソフィア姫は本当に公平を好むのだろう。
しかし国を運営する王族の言葉としては、余りにも冷めて聞こえた。
「他人事みたいに言わないでください。死ぬ覚悟が必要な職場だというなら、せめて設備は整えるべきだ。ここよりも危険な帝国の基地は豪華だったのに。アッカド基地は補給も兵力もままならない。まるで刑罰のような扱いの差じゃないですか」
と言いつつ、俺と同じ時期に此処に来て事情を知ったソフィア姫に要求するのは八つ当たりなのかも知れない、という後悔が脳裏に過ぎった。
結果としてソレは杞憂で終わる。ソフィア姫は想像以上に公明正大だった。
「えぇ、そうね。アッカド基地の劣悪な環境は人為的なものだもの。それを刑罰という言葉は正しいわ」
「え?」
「かつて最前線であったアッカド基地は現在、流刑地として機能しているわ。国家は彼らを生かす気が無いから今の状況で誰も助けに来ないし、補給や設備は改善されない。だからこそ兵士達はこの環境に無念を募らせて、魔物化する土壌を作り上げているの」
「…………」
正直、俺の方が狼狽した。
善人だと思っていた相手に、躊躇いなく悪意を述べられるのは胸が痛い。
いっそ、耳を塞いで逃げたい欲求さえ芽生える。
だがそれ以上に、ソフィア姫から語られた所行は俺の神経を逆撫でさせた。
仲違いする危険も承知で、糾さすには居られなかったのだ。
「なんですか、それ。酷いですよ、あまりにも惨い仕打ちじゃないですか。一生懸命戦っている人達に、何でそんな残忍な真似が出来るんですか」
俺は明確な嫌悪を向けてソフィア姫に尋ねる。
しかし予想以上に彼女は感情を乱さない。反発もせずに、ただ静かに口を開く。
「えぇ、そうね。クロー、貴方の疑問と感情は正しい。でもね、その良識でも覆らない規則があるのよ。法律という名の、罰則条項がね」
「罰則?」
「そう。簡潔に言えばね、アッカド基地の兵士は罪人で構成されている部隊なのよ。さっき貴方が提示した改善案は、罪人の減刑要求に他ならないわ。たとえ王族であっても個人の裁量ではままならない、政治が絡む極めて困難な行政取り引きなの」
「――――」
今度こそショックで言葉を失う。
ソフィア姫がごちゃごちゃと言っていた難しい事情は、頭に入らない。
だが罪人という汚名は余りにも予想外で、脳漿が弾けそうになる程の衝撃だ。
あれだけ命を賭して戦える人達に、まるで相応しくない唾棄すべき悪評である。
「有り得ない。信じられませんよ。虚言ですよね、きっと濡れ衣だ。誰かに擦り付けられた冤罪なんでしょう?」
そうだ、と頷いて欲しかった。たとえ嘘であっても、信じるつもりだった。
なのにソフィア姫は、残念そうに首を横に振りながら公正を貫いた。
「罪状は敵前逃亡。彼らはアッカド基地に来る以前、討伐すべき魔物と戦わず国外へ出立する途中に現行犯で捕らえられたわ。その過ちを犯した者を収容し、見せしめも兼ねて孤立無援で戦わせる監獄、それがアッカド基地よ」
「……嘘だ。だって、あの人達の懸命に戦う姿は、とても勇敢でした。仲間の為に命だって惜しまない絆があった。出会って間もない俺達を助けてくれた。恨んでもおかしくないソフィア姫にさえ敬意を示していたじゃないですかッ」
認めたくない、拒否したいという欲求によって、ソフィア姫を睨み付ける。
それでも彼女は怯まない。その真っ直ぐな視線はこちらに焦燥感を与え、俺の方が言い逃れのような早口を発生させた。
「敵前逃亡した集団が、命懸けで国の為に戦うなんて有り得ません。バカな俺にだって脱走した方がマシだって事くらい判ります」
今考えつく限りで最大の矛盾点を突いたつもりだった。
彼らの国を守る行動原理が、罪滅ぼしの為だなんて思いたくない。
俺はどうしても、イーシュさん達が自分と同じ境遇だなんて信じたくないのだ。
彼らの仲間を思いやり役目に誇りを持つ生き様は、俺にとっては眩しいくらい羨ましくて嫉妬するくらい憧れるものだったのに。
けれどソフィア姫は夢を打ち壊すように、容赦なく現実的な理屈を突き付けてきた。
「もし再び逃亡すれば、別の場所に隔離されている身内が連座で罰せられるのよ。それを恐れているからこそ彼らは戦っているの。家族を守る為に戦うって、凄く分かり易い理由でしょう?」
「そんなバカな。国家が、守るべき領民を人質にして戦わせているんですか?」
「軽蔑した? でも、この国ではそれが法律で常識なの。犠牲になるのは罪人だからと誤魔化して、何年も犠牲にしてきた生き物。それが、貴方が命を賭して救おうとしている私達の正体って訳ね」
返す言葉が無かった。
決して、失望から会話を捨てたわけでは無い。
国の正当性を口にするソフィア姫の顔が、とても悲しそうだったからである。
「ソフィア姫、さすがにイラッと来たので少し言わせてください」
「そう。別に遠慮は要らないわよ、罵倒を聞く用意は出来てるから」
「なるほど。では言いますが、貴方は呆れるほど誠実ですね」
「え?」
「おかげで対応に戸惑います。いっそ、モート伯爵くらい性悪なら俺も付き合いやすいというものです」
「なに、それ。貴方、私とあの腹黒を同率に考えていたというの? いえ、待って。そういう事じゃなくて、え?」
白昼夢から覚めたように目を丸くしたソフィア姫が、小さく戸惑う。
どうやら予想から外れた言動だったようで、俺としては満足できる反応だ。
「もしかして、批判を想定していました?」
「そうね。そういう展開も覚悟していたわ」
「なら、貴方の価値観は善良です。俺が何を言うまでもなく、ソフィア姫自身がアッカド基地の異常性を認識していることに他ならない」
本来ならば、人の上に立つ者ならば都合の悪い真実など隠すべきだ。ソフィア姫と同じ立場であったなら、間違いなく俺はそうしていただろう。
そう言う意味ではソフィア姫の在り方には共感できない。だが、包み隠さず教えてくれたのは、信用できる人柄と言える。
だからこそ、俺は勇気を振り絞って本心を尋ねることができた。
「ソフィア姫はアッカド基地で受けるイーシュさん達の境遇について、許せますか?」
「…………」
俺が質問した直後、正気を取り戻したように真顔となるソフィア姫。
そこから答えに要した時間は僅かだった。
「いいえ、許さないわ。兵士は戦うべき者で敵前逃亡は禁忌だとしても、こんな粗末な扱いは間違っている。法の名の下に行われてしまった、断罪すべき国家犯罪と認識しているつもりよ。王族では無く私個人の意見として、だけれど」
「じゃあソフィア姫は、イーシュさん達を助けたいと考えているんですか?」
「……そうね。支配者としては失格扱いでしょうけど、この現状を見過ごせるほど冷酷になれない。だから、もう手は打っておいたわ」
「はい?」
「エレナを使者にして南方の領主達に救援を要請しておいたの。王族の私が避難ではなく現場待機をしている以上、彼らが兵士や物資を連れてやって来るのに時間は掛からないでしょう。少なくとも、今の状況より悪化することは無い筈よ」
「そうだったんですか」
今度はコチラが驚く番だった。有言実行、早過ぎる。
何より王族としての権力を行使することに遠慮が無いのは意外だ。
「すみません。俺はてっきり、ソフィア姫は南方の有力者に大きな貸しを作ることを嫌がっていたのかと邪推していました」
「あら、良い読みね。実際、私の要請で政治関係は大きく変化するでしょう。王家に不利な形で貸しを作ると知ったら、イーシュでさえ眉をひそめるでしょうね。そう言う意味では、余り使いたくなかった奥の手ではあるわ」
『今まで無視していた人達が、素直に手を差し伸べる訳ないでしょう』と皮肉めいた顔で語るソフィア姫を、俺は複雑な気持ちで見つめた。
「なるほど。どうやら想定以上に、この世界のあり方は過酷のようですね」
元居た世界でも身の安全や生活の保障は無料ではなかった。しかし、ここまで余裕が無いほど殺伐もしていなかった筈だ。
「善意だけで助けてくれないのが当たり前なら、最初の頃にイーシュさんが俺達を歓迎しなかった気持ちも、少しわかる気がします」
明日の命も保証されない魔境に住み、周囲は損得勘定でしか動かない人達では、そう簡単に誰かを信用できないのも当然だ。だからこそ仲間の結束も固いのだろう。
「……これからはもっと険悪な雰囲気が訪れるわよ。南方はどこも危険だけど、アッカド基地は随一の激戦区だもの。救援を命じられる兵士達からすれば、ここに近付くだけで危険に晒される訳だし、訪れた彼らの嫌味や八つ当たりは覚悟しておきなさい」
「そういう面倒ごとが想定されるなら安全性を考慮し、イーシュさん達を別の防衛基地に移動させた方が効率的な気もしますけれど」
「残念だけど、その場合は逃亡扱いにされるのよ。政治は本当に厄介だと痛感するわ」
頭を抑えて溜息を吐くソフィア姫の表情からは強い疲労が窺える。
気丈な性格だろうに、俺にまで弱みを見せてしまうほど参っていると理解して、再び後悔の念が溢れ出る。
「じゃあ、やっぱり俺がゴーレム退治を優先していなければ良かったんです。そうすればアッカド基地は無事で、ソフィア姫は悩まずに済んだ訳ですから」
瞬きするだけで、まだ二人の遺体が目に浮かぶ。
まるで石像のように硬かったイーシュさんの表情が、心に深く突き刺さる。
無感情を装っていたけれど、あれはなにか耐えるように我慢していただけだ。
……ああいう不幸は、もう見たくはない。
「クロー、人の出来ることには限界があるの。慈悲深い神様だって、この世の全ては救えない。今回の件はそう言う話。男爵も、貴方に完璧を望んでいない筈よ。まぁ兵士が死んだのは残念だけれど、それは仕方の無いことだわ」
「俺からすれば貴方達が割り切りすぎなんです。まぁ、どう言われたても自分の意見は変えません。救えた命を無くしたのは、俺の落ち度です」
「困ったわね。重症過ぎて手に負えない。まぁ良いわ、この手の解決は経験者をに任せるのが定石だもの」
「ちょっと待ってください。いったい、何の話ですか」
「私は言ったわよ。ココには男爵の依頼で来たって。なら、仕事の様子を見に来ても不思議じゃないでしょう?」
「あ」
血の気を引かす俺を、澄まし顔で眺めるソフィア姫。
いや実際、彼女に落ち度はないがそれでも俺は罠に嵌められた気分に陥った。
会話の性で忘れかけていたが、俺は此処まで逃げ込んでいたのである。
では脱兎の如く去らねば、と足を動かそうとしたのも束の間。
「おや、ここに居たのか。クロー」
その聞き覚えのある声に身体が硬直した。
想像だと怒っていると思ったのに、実際には穏やかな表情で近付いてくる。
「先程は済まなかった。追い詰める気は無かったので、探すつもりもなかったのだが。まさか訪問予定だった墓地に居るとは思わなかった」
ペコリと下げられた頭を前にして、俺の足は縫い付けられたように動かない。
会いたくないのならこれが最後のチャンスだと判っているのに、イーシュさんが顔を上げてなお、身体は停止したままだった。
――そんな俺の事情など考慮せず、ソフィア姫がイーシュさんに話しかける。
「時間通りね、男爵。貴方に頼まれた仕事は無事に終えたわ。魔力の乱れも収まったし当面は魔物も産まれないでしょう」
「感謝致します、姫殿下。王族たる貴方に鎮魂の儀式を施され、散った部下達も報われた事でしょう。この地を今後とも守護する吾輩達にとっては栄誉でもある」
「えぇ、そう言って貰えて私も誇らしいわ。それじゃあ仕事も終えた事だし、私は基地に戻って怪我人の介抱に専念しましょう。だから後のことはお願いね、男爵」
「……む。後のこととは?」
「少しクローから事情を聞いたけれど、口喧嘩をしたのでしょう。ココなら邪魔されずに仲直りできるのだから、そうしなさい」
「なるほど。先程からクローが大人しい理由が判りました。アッカド基地の昔話でもされましたか」
「あくまでも少し触れた程度だわ。私自身、深く語れる立場ではないもの。だから貴方に頼むのよ。私では、クローの心は動かせない」
少し寂しそうに呟いて、ソフィア姫は一本道を引き返していく。
その背中にイーシュさんは静かに一礼すると、今度こそ俺の目を見て口を開いた。
「姫殿下はああ仰っていたが、クローはソレで構わないのか?」
「…………」
そう言われたが、俺としても判断に困って沈黙してしまう。
気不味いのは確かだが、果たして俺はイーシュさんに何がしたいのだろう。だが悩む俺を前にして、イーシュさんは空を仰いで何か懐かしむように語り始めた。
「……まぁ良い機会かも知れん。クローには少し、吾輩の独り言に付き合って欲しい。なに、そこまで時間は取らんさ」
まるで世間話でもするような気軽さで呟かれる。
ただ、その表情は陰が差していた。ゆえに楽しい事ではないと悟ってしまう。
「――今更ながらに告白してしまえば。吾輩はアッカド基地の指揮官であると同時に、この国における犯罪者なのだ」
森の中に吹く風と共に、聞きたくも無い言葉が耳に触れる。
犯罪者。心が乱れる不快な言葉だ。ソフィア姫から事前に言われなければ、俺は耳を塞いでそれ以上は拒絶していたかも知れない。
なのに今の俺は、続きが聞きたくて口を閉じた。
「吾輩には兄が居た。身体が弱く戦いには向かない人だったが、貴族の長子という立場故に戦場へ出される事になってな。それを防ぐ為に奔走していたら、吾輩は貴族制度を脅かす者としてアッカド基地へと押し込まれたという訳だ」
躊躇うことなく、あっさりと。
悪びれもせずにイーシュさんは自分の罪状を白状する。
しかしそれは想像以上に、何というか。
「……不思議ですね。戦場に送られる理由としては、あまり凶悪な感じがしません」
「まぁ、重犯罪を咎められた者は既に尽きていたからな。しかし基地を維持する為に最低一人は魔法師が必要だったのだろう。吾輩の罪状は、アッカド基地で戦っていた最後の魔法師が死亡した後に決まったのだ」
「それだと、まるで生け贄のような処置で送られたのだと聞こえるのですが」
苦笑いを浮かべるものの、イーシュさんは答えない。
同意も反論もせず、ただ過去の続きを口にした。
「最初は吾輩をココに追いやった国を恨んだ。そして次に、同じ境遇になった頼りない仲間を侮蔑した。そんな連中で構成された部隊が戦える筈もなく、最初の魔物退治は数多くの犠牲者を出したよ。全て、吾輩の不徳によってだ」
そう語るイーシュさんの顔は歪み、自己嫌悪に満ちていた。
いっそ殺気さえ感じられる気迫は全て、過去の自分に向けられている。
……そう断言できるのは俺にも似た経験があるからだ。
だが、俺とイーシュさんでは決定的に違う事がある。
「あの時に受けた損害と恐怖は未だに忘れられない。しかし何度か戦い続けていく内に吾輩達は身を以て知ったのだ。たとえ不仲な相手であっても、協力しなければ生きてはいけないと」
まるで消えていく宝箱を惜しむようにイーシュさんは目を細めた。
不甲斐なかった自分への怒りを見せたくせに、その過去を受け入れている。
つまるところ、俺と違ってイーシュさんは克服した人間という事だ。
「生きる術を理解した途端、誰もが親しくなろうと努めた。そういう意味では、最初は利害関係だったかも知れない。だがそんな日が続けば、肩を並べて戦う者は大切な仲間に他ならなかった。失いたくないと心の底から望んだ。それが今のアッカド基地に残った精鋭達を支えている原動力だ」
そう言い放つ人物を前にして、俺は何故か太陽のような眩しさを感じた。
自ら犯罪者と公言したのに、気後れや卑屈な態度など皆無でむしろ誇りさえ感じられる堂々っぷりに、劣等感が滲み出る。
「……何で今更、そんな話を俺にするんですか。知らせるなら、もっと早く出来たはずなのに。いや、そもそも個人的な過去を語られても対応に困ります」
「気分を害したというなら、申し訳ないことをした。だがクロー、お前の苦悩は克服できると吾輩の過去を教えることで知って欲しかった」
「そういう気遣いは、あまり嬉しくありません。そもそも俺は苦悩なんてしていない。自分の過失を反省していただけなのに、酷い誤解ですよ」
「では忘れてくれ。クローが拒絶するように逃げ出した時、自分も同じような時期があったことを思い出して口が滑ってしまったのだ」
聞かせておいて忘れてくれとは正直、かなり自分勝手な言い分だった。
ソフィア姫と良い、この世界の貴族階級は強引な人しか居ないのか。
ただ、俺を気遣ってくれていることは理解できる。こういう状況になって初めて話すと言う事は本来、知って欲しくは無かった過去ということなのだろう。
ただ、その親切心で俺の不機嫌さが癒やされた訳でもない。
「……なにか勘違いされているようですね。走って此処まで来たのは、別にイーシュさんを拒絶した訳ではありません。貴方こそ、俺を気に病む必要なんかないのに」
もちろん見栄に近い嘘だ。そして、既に見透かされている自覚もある。
しかし手を振り払った負い目を、素直に謝罪する気にはなれずにいた。
それでもイーシュさんは、俺の戯言に救われたような安堵を見せる。
「あぁ良かった、ならば安心した。正直に言えば吾輩の八つ当たりのような言動で、お前の心に踏み込みすぎたと思っていたのだ」
「八つ当たり、ですか?」
意外な言葉に目を丸くする。
あれは、新参者のやった出過ぎた真似を怒った事だと思っていたのに。
「……ここには、吾輩とクローしか居ない。だからこそ言える事なのだがな、我慢できなかったのだ。お前が死者を嘆く姿を見て、妬ましいと思う気持ちを抑えきれなかった」
「――――」
「冷静に考えれば、短い期間で数十人単位いる人間の名前を覚えるほど愛着を持てというのは理不尽だ。そういう意味では吾輩も未熟だった。散った者達に対して取り乱すほどの未練があったと言う事なのだろう」
「……それは、本当はイーシュさんも悲しかったと言う事ですか?」
「無論だ。今日死んだのはラガシュとナラムという者達だ。吾輩よりも以前からアッカド基地で戦っていた古株だった。仲間が死ぬ事は何度も経験したが、長い付き合いのある者を失うのは辛いに決まっている」
それは紛れもなく、イーシュさんが初めて見せた弱音だった。
力強い軍人ではなく、俺より少し年上なだけの普通の人間がそこに居た。
「だから、お前が二人が死んだ責任を抱え込もうとした時、自分の無能ぶりを棚に上げて過剰に否定しまった。たとえ短い間であっても、クローは一緒に戦っている仲間だと認めていた筈なのにな」
「……ズルい、卑劣な後出しだ。悲しいのなら素直に認めて欲しかった。冷静であることが正解のように振る舞っておきながら、今になって本音を明かすなんて」
「致し方ないのだ。取り乱した態度を出せば部隊が乱れる。泣いたところで死者は蘇らない。戦意の低下を招く言動をする者を叱るのも、吾輩の責務なのだ」
「なら、そんな仕事は放棄したら良い。もし生き残った兵士の人達もイーシュさんと同じ我慢を強いられているのなら、みんなが不幸です。感情を晒け出す事で救われる思いもある筈だ。あの場で言った主張は無かった事にすべきです」
「いや別に、あの時の注意を撤回する気も無い。何しろ吾輩は隊長だからな。隊員への行動制限を設ける権利も有している」
「……何を言っているんですか、だから自分は間違っていないと?」
「そうだとも。ゴーレム打倒を優先したお前を止めず、そのまま荷担したのは、他でもない吾輩だ。ソレが正しいと信じた。その結果を勝手に嘆くと言う事は、吾輩を蔑ろにすると言う事に他ならない」
「い、いくらなんでも横暴で暴論過ぎますよ」
「権力とはそういうモノだ。その対価に責任も生じる。この件に限らず、アッカドにおける被害の責任は全て隊長にあるのだ。懺悔も謝罪も、数日前に来た新人が背負って良い役目ではない。お前は救援部隊だ。皆を守ることを考え、散った仲間には静かに悼む事だけを許そう」
「……俺に反省を辞めろと言っているんですか」
「それが隊長命令だ。お前に過失は無いのだからな」
どうやらイーシュさんは憎まれ役を買ってでも、俺の罪悪感を最大限に減らそうとしてくれているようだ。
だが誰かの主張を聞いて自分を変える事が出来るほど器用なら、俺は異世界に来ることなく元の世界でやって行けただろう。
つまりこのままでは平行線。場合によっては泥沼の喧嘩に発展しかねないが、なんとイーシュさんが先に譲歩した。
「……そうか、これでも折れないか。それは仕方の無い事だな。だが今回は吾輩の未熟さが招いた出来事だ。その認識を変えるつもりは無い。しかし自省したいというクローの気持ちを蔑ろにするのは止めよう。今後は部隊に影響を与えない範囲なら、クロー個人の嘆きを否定しないと約束する」
このイーシュさんの判断は俺にとって歓迎するほかないものだった。
もはや意地になって反発する理由が、見当たらないほどに。
「そこまで大袈裟に言う必要は無いですよ。今回の件は、お互いに譲れないことで衝突しただけですから」
今になって態度を軟化させた言葉を口にするのは、じつに惨めだった。
けれどイーシュさんは気にした様子もなく満足そうに頷く。
「うむ、その様子なら嫌われた訳ではないらしい。ならば吾輩はそれで良しとしよう」
職業軍人の成せる業なのか、そう告げたイーシュさんの切り替えは早かった。
だらだらと会話を続けることもなく、用事は済ませたとばかりに颯爽と背中を見せて基地へと戻ろうとする。
その余りの淡泊さに、俺の方が未練がましく声をかけてしまう。
「……あの。最後に一つ聞きたいことがあります」
「なにか、気に掛かることでも残したか?」
「結局、イーシュさんはお兄さんを守れたのでしょうか。じつはアッカド基地に居るんですか。それとも別の何処かで戦っているんですか」
こんな失礼な質問をしたのは、単純に知りたかったからだ。
一生懸命戦うイーシュさんの頑張りは、一体何処まで報われているのかを。
「……クロー、それはもう終わった話なのだ」
「え?」
……切っ掛けになった過去を語っておきながら、その結末は話さないんですか。
と、口にすることは憚られた。
「アッカド基地に居る仲間達が最も守りたい存在であり、吾輩の全てだ。それ以外の関係性のある人間は、もう居ない」
そう寂しそうに笑うイーシュさんは、もう質問は受け付けないという気配を作りながら歩き出していく。
その拒絶の仕方に、俺は次の言葉を失う。だが、決して悪い気分ではなかった。
何しろ、この人にもまだ克服できていない出来事があると知ったのだ。
そんな仄暗い共感性を伴いながら、俺は黙ってその背中を追いかけることにした。
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