傲慢と劣等の仲違い
「……それは突然でした。基地の防衛ラインの中に大量の魔物達が姿を現し、襲いかかってきたのです。完全に不意打ちを喰らった我々は、武器さえ満足に使えぬまま戦う羽目になりました」
そう報告する兵士の右目には、血の滲んだ包帯が巻かれていた。
黙って聞いていたイーシュさんは心配すること無く、周囲を見ながら呟く。
「それで魔物の出現時間は、どれくらいだった?」
「およそ、十五分かと。一方的な攻撃の最中、魔物達は弾けるように消滅したのです。ソフィア様が残されたワイバーンの奮闘もあり、自分たちは生き延びることが出来ました」
「……十五分か。ゴーレムの起動から、クリスタルを破壊するまでの時間と一致する。あまり認めたくは無いが、セレネ将軍の言い分は正しかったようだな」
寒々しいほど冷たい口調で言いながら、イーシュさんは聞き取り調査を続ける。
とはいえ感情的にならず、的確な質疑応答は所要時間二分で終わった。
その様子は明らかに手馴れていて、この手の惨事は初めてではないと察する。
「……よし、これで状況は把握できた。吾輩が不在の中、諸君は最善を尽くした。この結果を糧に、次回に生かせ。この戦いは決して無駄ではなかったと証明するのだ」
「了解致しました」
上司は取り乱さず淡々と言葉を伝え、部下は無表情で頷くだけ。
それはきっと、幾度となく戦場で過ごした経験の賜物なのだろう。
……けれど不慣れな人間からすれば、それは耐えられないモノだった。
「それでも、二人です。二名もの尊い命が、犠牲になりました」
悔しさに歯を食いしばりながら、俺は膝を折る。
目先の地面には、顔に布が被せられた二つの遺体が安置されていた。
……両手に剣が添えられ、眠ったような体勢で弔われている。
だが、死体からは今もまだ血が流れ、欠落している箇所さえあった。
その姿を見てしまっては、悔やまずにはいられない。
「すみません、これは俺の責任です」
「なに?」
怪訝な顔をしたイーシュさんが振り向く。
このまま殴りかかられても文句はない。それだけ、俺の過失は大きいのだ。
「俺が、もっと早くゴーレムを倒せば誰も死なずに済みました。いいや、そもそもあの場でエレナさんの言う通り、アッカド基地に戻っていれば良かったのに。俺はゴーレムを破壊する方が効率的な人助けだと自惚れていました。だからこれは、俺が悪いんだ」
この失態は、なにも犠牲者だけの問題では無い。
今やアッカド基地は、完全な廃墟と化しているのだ。
石のバリケードは全て崩れ落ち、木造の基地も半壊している。
ソレもコレも、全て俺が無力だったから起きた悲劇だ。
役立つ為に俺はこの戦場に向かった筈なのに、人が死んでは居場所がなくなる。
命まで削っているのに、必要とされないのは恐怖だった。
捨てられるかも知れないと思いながらイーシュさんを見ると、相手もコチラをじっと見ていた事に気付く。
「……魔法師クロー。お前は、この死者達の名前を言えるのか?」
「え?」
イーシュさんから出た想定外の言葉に、頭が真っ白になる。
……死者の名前。顔を隠された人間の名前など、言える訳が無いのに。
答えられずに戸惑っていると、イーシュさんは少し溜息を吐いて告げた。
「ではクロー。この者達に何を思う?」
「後悔です。申し訳ないことをしたと感じています。気の毒だった、と」
紛れもない本心からの懺悔だった。
なのにイーシュさんは詐欺師でも見るように、俺に対し警戒する顔を作る。
「名前も知らない相手の命を弔う。……その行為自体を咎める気は無い、むしろ感謝しよう。だがな、今は嘆くな。それは吾輩達の望む鎮魂では無い。何より死者ではなく生者にこそ目を向けねばならん時だ」
「それは、どういう意味ですか?」
「新たな犠牲者を作らぬ為の予防策だ。これから吾輩は怪我人の治療や破壊された家屋の修理を部下に命じる。その為にも周辺の見回りと情報収集を行わなければならん」
静かに告げると、イーシュさんは遺体から離れるように身体の向きを変える。
それがあまりに冷酷な態度に見えて、俺は必死にイーシュさんの足を掴んだ。
「待ってください、イーシュさん。貴方は、人が死んで悲しくないんですか?」
「彼らは仲間と国を守って死んだのだ。兵士である以上、命を失うのは覚悟していることでもある。憐憫を抱く方が彼らに失礼というものだ」
「それは綺麗事ですよ。犠牲なんてない方が良いに決まってる。それを防ぐ為の俺である筈なのに、何で『お前の性で、こうなった』と責めないんですか」
俺が荒い息と共にそう言い放った後、慌ただしい現場にも関わらずほんの少しだけ沈黙が訪れた。
……おそらく注目されているからだろう。遠巻きに俺を見る兵士達の視線が痛い。
そんな感傷を抱いている内に、イーシュさんが怪訝な表情から憐れみが入り交じった物に変化していた事に気付く。
「もう止めてくれないか、クロー。お前は死者どころか現実を見ていない」
「え?」
「吾輩達にさえ、自分が抱える罪悪感に目を向けろと求めているだけなのだ」
「い、一体なにを」
「お前の悲しみは一体、誰に向けられたものか。戦い抜いた戦士か? それとも、命を助けられなかった哀れな自分に対してか?」
「――なにを、言っているんですか。貴方は」
予想外の言葉に動揺して、頭が真っ白になる。
気が付いたときには、怒りを糧に立ち上がり、久しぶりに人を睨み付けていた。
人の死を悲しみ、助けられなかった不甲斐なさを反省するのは当然のことだ。
そうしてこなければ、自己嫌悪で押し撫されて自殺していたに違いない。
「……クロー、吾輩達は罪の告発など求めない。彼らの死は仕方の無い物だと知っているからだ。だから、そんなに自分を卑下しないで欲しい」
「見え透いた嘘だ。この犠牲は俺に原因があることは明白じゃないですか、ゴーレムよりも基地に戻る事を優先していたら、誰もこんな目に遭わなかった」
「――分かった。ならば、その罪を許す。それならば、どうだ?」
「俺自身が、努力不足だったと認めているんです。口出ししないでくださいッ」
思わず本気で怒鳴ってしまう。
しかしイーシュさんは怯むことなく、むしろ俺を真っ直ぐ見据えてくる。
「クロー、吾輩達は覚悟を決めた軍人なのだ。命を救われた事に感謝はしても、命が救われる事を期待はしない。何よりお前は吾輩達の命の恩人、共に戦った仲間なのだ。苦しんでいる姿など見たくない。その気持ちだけは信用して欲しい」
心臓が締め付けられるくらい、言葉に詰まった。
イーシュさんが、とても悲しそうな顔で俺を見ている。
どういう訳だか知らないが俺は今、明らかに同情されているのだ。
意味がわからない。理不尽すぎて目の前の相手を殴ってしまいたくなる。
「貴方に、俺の何が判るって言うんですかッ」
「あぁ、理解は出来ん。しかし、お前の償い方が間違っている事は知っている」
何も言い返せなかった。
だが間違っているという言葉は深く胸に響いた。償い続けるのだ、と。
そう己に課して続けていた生き方を、間違っていると言われたのは初めてだ。
反論したいのに、何も出ない。情けなさ過ぎて、沸騰したみたいに頭が熱くなる。
「困った奴だ。その様子だと納得する気は無いらしい」
「当然です。これだけの災害を起こした罪悪感が簡単に消えるはずも無い。たとえ生きているイーシュさんが許しても、死んだ方達は俺を許さないでしょう」
「そうか。ならばクローよ、あえて言わせて貰おうか」
「……なんですか」
「もし本当に尊い命が失われ、亡くした者を悼んでくれるというのなら。何故、死んだ者の名前を尋ねてはくれないのだ」
「――――――」
あっ、と呼吸が止まり、今度こそ言葉が出なかった。
興味が無かったから、などと口が裂けても言えるはずが無い。
しかしそんな思考に押し潰されて、ようやく自覚できた。
必死な求刑は徒労であり、秘めていた策略は完全に露見しているのだ、と。
「クロー。過剰な自己罰の欲求は、そのじつ劣等感の表れだと吾輩は知っている。犯した罪状では無く、吾輩達の失望こそを恐れているのだろう?」
「……俺の心を読んだつもりにならないでください」
「まだ出会って数日、すぐさま親しくなれる筈もないのは承知の上だ。しかし、どうか見限らないで欲しい。何か差し出さずとも、吾輩達は命の恩人を迫害などしないのだ」
居心地の悪さに目線を外し、自分の置かれた状況に絶望する。
おかげでイーシュさんに対する反論は浮かばなかった。だがソレも当然だ。
俺が戦死者や基地の損害に、責任を取りたいと思っているのは真実ではある。
しかし、それ以上に見捨てられたくないという気持ちは否定できない。
必要以上の刑罰を受けることで、温情を求める思惑があったのは事実なのだ。
「少しクローには待って貰う形になるが、後でゆっくりと話し合おう。その懺悔の解消には至らないだろうが、その手の先駆者として多少の指針は語れるはずだ」
そう言ってイーシュさんは、友好を示すように手を差し伸べてくる。
こちらの思惑に気付いているくせに、それはあまりにも残酷な優しさだ。
抗いにくい魅力的な誘惑だが、喜んで追従は出来ない。
その慈悲を甘受すれば、自分が救いようの無いほど哀れな存在に成り下がるのは目に見えていた。
しかしだからといってバシッと、反射的に振り払うつもりはなかった。
「あれ?」
自分でも不可解な声を出したのは覚えている。
状況を確認するように顔を向けると、イーシュさんの残念そうな顔があった
しかしそれ以降の出来事は、記憶が蒸発したみたいに消し飛んだ。
意識に空白が生じる。
ただ気付いた時には、その場から逃げるように駆けだす自分がいた。
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