【エピソード4 第26話】

「魔王ゴトー……」


 フィリスが呟く。

 後ろ姿が見える。風もないのに纏うマントがひらひらとたなびいている。


「せっかく、元の世界に戻してやると言ったのにな……」


 背中で言う。


「だが、人間らしい選択だ。俺は少しお前が気に入ったよ。流空」


 魔術越しではない肉声は思っていたよりも若かった。しかしその声質は闇に引き込まれるように暗く重たい。 


「悪いな。せっかく準備して待っていてもらったのに」


 恐怖をごまかすために軽口を叩く。


「かまわん。俺に媚びへつらう者達にはない人の美しさを見ることができて、これはこれで満足している」


 青い炎に照らされた後ろ姿。マントのせいでよく見えないが、クロコやヴォルグのような獣人ではない。俺とそう変わらない背丈。そして逆立てられた黒髪が、あまり歳を重ねていないであろうことを物語っていた。


「……だが、俺の中に封印した魔神ボウル・ネデルはそうではないようだ……」


「魔神ボウル・ネデル……。まさか」


 フィリスが口の中で反芻するように呟く。


「俺の中で魔神が叫んでいる。お前達を滅ぼしたい、と騒いでいる。魔神にとって異世界の勇者というのは相容れない天敵だからな。戦うというのなら、すまない。死に方は選べない。せめて惨たらしくは殺さないように魔神をコントロールするが。保証はできん」


「何を言ってやがる」ヴォルグが吠える「負けるのはてめえだ。魔王ゴトー! てめえを倒して、流空を元の世界に返すんだ」


「そうよ。遺跡を破壊なんてさせないわ!」


「いい仲間に恵まれたな。少しお前が羨ましいよ。だが、すぐにお別れだ」


 マントをたなびかせて振り向く。

 振り向いた男の目には悲しみが宿っていた。


「その姿。魔神の力が体を侵食している……」


 ぱっと見は人間のような姿、しかし顔や首筋に赤い印が幾筋も浮かび上がり、左の瞳は憎悪に燃える炎のように赤い。


「これが、魔王ゴトー」


 その瞳を見るだけで寒気がする。初めてクロコを見たときや獣人であるヴォルグを見たときもそりゃ怖かったけど、そう言った恐怖とは根本的に違う恐ろしさをその姿から感じた。血が凍るような悪寒。


「さあ。かかってこい。できるだけ綺麗に殺してやろう」


 ぽきぽきと指を鳴らして戦闘体制に入る魔王。


 俺たちも各々構えをとった。



「出し惜しみはしません!灼熱の大蛇マグナカルテッ


 フィリスが両の掌から燃え盛る炎が放たれる。それを合図に左右に散ったヴォルグとクロコが挟み討ちを加えるように追撃を仕掛ける。

 しかし、魔王はろうそくの火を消すかのように口をすぼめ軽く息を吐くだけで炎の大蛇をかき消し、斬りかかるクロコの大剣を指先二本で受け止め、ヴォルグの豪腕を平手でこともなく受け止めた。

 だが、さっきの四天王の戦いとは俺だって覚悟は違う。フィリスの魔術が防がれることは俺だってなんとなく予想していたんだ。防がれることを念頭に光の剣を振りかぶって不意を突こうと飛び込んでいた。


 魔王は両手がふさがっている。一刀両断にしてやる!

 と、飛びかかった俺に向けて、魔王は表情一つ変えずにヴォルグとクロコを石ころでも放るように投げ飛ばしてくきた。

 巨体の二人が俺に向かって飛んでくる。避けれるわけもないじゃん。


「ぐわ!」


 三人は塊になって地面に叩きつけられた。


「ちっ。野郎。なめやがって」


 ぐるると牙をむき出して逆上するヴォルグ。


「なんて力なの。あんなに簡単に投げ飛ばされたことなんてないわぁ」


 クロコも魔王の力に唖然としている。


「みなさん伏せて! 神の雷砲エレクロノニカ!!」


 援護の魔術がフィリスから飛ぶ。稲光が魔王に向かう。が、魔王はこれも指先ひとつで軌道をずらしてかわす。あさっての方向へ突き進んだ稲妻は祭壇の間の壁に直撃した。


「いいのか? 俺を倒してもこの祭壇の間が破壊されては勇者を送還できなくなるぞ」


「ば、馬鹿にして! 静寂の暴走サイレンダンス! 悪夢の舞踏デビデルアクツ!」


「無駄だ」


 つぶやきとともに魔術をかいくぐり、一瞬でフィリスの元へと間合いを詰めた魔王が軽く拳を突き出す。


「ガフっ……」


 みぞおちに拳を打ち込まれ、フィリスの小柄な体が吹き飛ぶ。


「大丈夫!?」


 飛び込んだクロコが壁に直撃する寸前でフィリスの体を受け止めた。


「だ、大丈夫です……。がはっ」


 気丈に振る舞おうとしたフィリスの口から血が吐き出される。


「……ほう。耐えたか。すまんな。力加減が難しくて。せめて原型を留めたまま殺してやろうとしたのだが、少し力が足りなかったようだな。」


「お気遣い感謝するわ……。でも、その油断が命取りよっ」


 顔をしかめながらフィリスが言った瞬間。魔王の足元から火柱が上がった。


獄界の火葬デスドファイラっ!」


 フィリスの魔術だ。火柱は魔王の体を包み込んだ。

 巨大な火柱が轟々と燃える。


「捉えた獲物が消し炭になるまで消えることのない業火です! 」


 おお、すごい。フィリス。あの魔王でもこれだけの炎に包まれたら……。


「……確かにお前の言う通りだ。お前たちを侮っていた。油断したよ。俺に打ち込まれるのを予想してトラップを仕掛けるとはな」


 火柱の中から感情のない声が聞こえる。


「なんですって。あの炎の中で平気でいられるはずが……」


「いい攻撃だった。俺が今まで受けた攻撃の中で五本の指に入るぞ」


 火柱の中から人影が現れた。身に纏っていた衣類は焦げているが、その体には一つも傷のついていない魔王だった。


「俺も浅はかだったな。ぐちゃぐちゃになろうとも一撃で殺してやるべきだった……。みろ。拘束服がボロボロだ」


 上半身があらわになる。顔に浮かび上がっていた赤い印が上半身にも満遍なく描かれている。


「少し、寂しいよ。こうなってしまうと、魔神を抑えることができない。お前の魔術の威力は魔神を抑えるための拘束服を破るだけの威力はあったが、それが仇になった……。せめて楽に葬ってやりたかったが……無理かもしれん」


 ふらり、と立ちくらみのような様子を見せる魔王。様子がおかしい。ひくっ、ひくっとしゃっくりのような嗚咽を漏らす魔王。


 そして。


「『俺』は本当に詰めが甘いようだ。くだらん人情など捨てて魔に徹すれば『我』に出て来られることもなかったというのに……」


 大きく息を吸って吐いて、だらん、と肩を落とした魔王。呼吸に合わせて魔王の体の印が変色する。赤から黒へ。


「『俺』が気づいた時には変わり果てたお前たちの姿を目にするのだろうなぁ」


 自分に言い聞かすように小さく囁く。


「隙だらけだぜ!」


 その様子を見て、ヴォルグが殴りかかる。

 ガシン、とヴォルグの分厚い拳が魔王の頬をとらえた。魔王の体がぐにゃりと体が折れ曲がる。しかし、地に着いた両足は地面から一歩も動いていない。


「……落ち込むだろうなぁ。元の世界に帰してやろうとした後輩が臓物を撒き散らして野垂れ死んでいたら、落ち込むかなぁ。落ち込むだろうなぁ」


 鉄拳を食らって、体は折れ曲がっているのに、その口調は先ほどと何も変わらない。いや、むしろさっきよりも明るく感じる。


「落ち込むよなぁ。落ち込むだろうなぁ、はははは。あーっはははははははははははははははははははは」


 突如顔を上げて部屋全体を震わすような笑い声を放つ。

 誰もが体を動かすことができない。その圧倒的な存在感。圧力。俺でもわかるほど濃度の高い魔力の放出。

 息もつがずに高笑いを続ける魔王は、ひとしきり笑った後に、思い出したようにこちらを向いた。


「笑ってんじゃねえ! 流空は殺させねえ!」


 ヴォルグが再び殴りかかる。


「くらえ 猛襲爪!」


 しかし魔王は上体を反らしただけでそれを避ける。

 ヴォルグは左右の爪をむき出しにしてさらに追い打ちをかけるが、上半身の動きだけの最低限の動きだけで全てをかわされてしまう。


「……遅いよ」


 ぽつりと呟いた魔王はすっと手を出して、攻撃を続けるヴォルグの額に指を弾かせた。デコピンってやつだ。


 ぱぁん!!!


 空気を切り裂くような破裂音がしてヴォルグの体が吹き飛ぶ。

 壁に激突して落ちるヴォルグ。


「ったく。ちょっと待ってよー。まだ自己紹介してないじゃんか。それなのに襲いかかってくるのはちょっと卑怯じゃ、ないかい?」


 口調が、変わった?


 倒れたヴォルグがかすかに動く。よかった。死んでない。でも、脳が揺れたのか立ち上がることができず呻くだけだ。


「自己紹介もせずに殺すのは申し訳ないからね。手加減したんだけど、やっぱり脆いね。大丈夫? 生きてる?」


「……く、くそぉ」呻いて顔を上げるヴォルグだが、額がパッカリ割れて血が滴っている。


「『我』は魔神。ボウル・ネデル。『俺』の中に封印されし破壊の神だ。短い間だろうけど。よろしくね」


「ぼ、ボウル・ネデル……」


 フィリスが呟くと、魔神はぎろり、と睨みを利かす。「……二度は言わん。次に呼び捨てにしたら殺す。ま、どっちにしろ殺すけどね。はははははははははは」


 ビクッと体を震わしてフィリスが硬直した。


「久しぶりに出てこれたからなー。気分がいい」


 ぐるぐると肩を回して笑う魔神ボウル・ネデル。


「ははは。自由に動けるって。素晴らしいね。さーて。どいつから殺そっか。どーせ『俺』が目覚めたら、まーた面倒な封印をかけられるからなー。今のうちに遊べるだけ遊んどこーと思ってるから、楽しませてよ」


 軽薄にして最悪な口調。

 戦いの経験が少ない俺でもわかる。段違いだ。勝てる見込みがねえ。全身に走る悪寒を抑えるのが精一杯だ。くそ。やっぱり魔王の言うことを聞いて元の世界に戻ればよかったかな。でも、そんな風に及び腰になっているのは俺だけだった。


「負けるわけにはいかないのよぉ!」


 自分を鼓舞するように叫び、大剣を構えて駆け出すクロコ。


「お、次は竜の女か。いーねー。ナイスバディー。さ。戦おう」


 嬉しそうにぴょんぴょん跳ねる魔神。

 グググッと力を込めたクロコが咆哮と斬りかかる。


「おお!? 見かけによらず素早いね!」


 楽しげな声を出した魔神は身を屈めたり仰け反ったりしたその剣技を交わす。さっきのヴォルグの時よりも明らかに動きに無駄がある。避けるのを楽しんでいるようだ。


「ほらほら。もっと腰を使って……。ああそこでなんで突きを出さないかなぁ。わわっ。今のは惜しかった。ははは。いいよその感じ、もう少し速度があったら当たってたから。さ、もういっちょ」


 完全に弄んでいる。クロコがいくら必死に剣を振ってもかすりもしない。


「ああ、もう隙がありすギィ。ここ、ほら今『我』が攻撃してたら避けきれなかったでしょ。そーそー、もっと脇を締めて、あ。また隙が出来てるって、ココっ」


 ドゴッと鈍い音がして魔神の左拳がクロコの顎を捉える。

 よろめくクロコ。


「ほら、で、そしたらこう行くじゃん」


 右の直拳。がクロコの顔面を撃ち抜いた。クロコの巨体が一直線に吹き飛ぶ。


「あ、しまった。もうちょっと遊ぶつもりだったのに、隙だらけだからつい攻撃しちゃった。ははははは。ごめんごめん」


 圧倒的。奴にとって俺たちは敵としてすら認識されていないのか。虫けらで遊ぶ幼児のようだ。


「……あれ。まともに動けるのは二人になっちゃった? あ、そっちのお前が勇者か。臭いが違うもんなー。この世界の臭いじゃない。そっか。そっか。じゃーお前は最後に殺そっと。ほら。『我』好物は最後にとっておくタイプの魔神じゃん? ははははは、そこで仲間が死ぬのを見ててねー。と言っても。もうみんなボロボロじゃん。つまんないなー。もっと壊させてよー」


 けらけら笑ってぐるりを見渡す魔神。


「あ、いいこと思いついた。そーか。『俺』の力を使えばいいのか。ふーん。なるほどー。『俺』もなかなか使えるやつだったんだ」


 そう言うと、パッと消える魔神。

 一瞬でフィリスの元に瞬間移動したのだ。

 まずい。


 ガシッとフィリスの右手首を掴むと、簡単に持ち上げた。


「く、神の雷砲エレクロノニカっ!」


 自由な方の手で魔術を放とうとしたフィリスだが、魔神はそのフィリスの顔面に拳を叩き込んだ。


「がっ」


 悲鳴にもならない声を上げるフィリス。


「詠唱呪文だよね、それ。ならしゃべれないようにしちゃえばいいってことかな?」


 そう言ってもう一発、顔面に拳を叩き込む。鈍い音が響く。

 フィリスのくぐもった声が聞こえる。


「あ。まだ声が出てる。どう?喋れる?魔術使える? やってみてよ?」


「……ごふ…」


 骨が砕ける音。


「あーあ、舌がちぎれて喋れないか。あはは」


 そう言って、もう一発。さらに一発、容赦なく顔面に拳を打ち込む魔神。フィリスの体から力が抜け、細い足がだらんと垂れる。


「ははは。おもしろーい顔になったね。」


 さらに追い打ちの一発。フィリスの体は痙攣するように動くだけで、もう動かない。

 あまりの残虐さを目の当たりにし、俺は動くこともできな買った。


「うわぁ。手が血でべちゃべちゃになっちゃった。あはは。きもちわるー」


 ネチャリ、と嫌な音を残して拳を引き抜く魔神。そして、掴んだフィリスを思いっきり振り回して地面に叩きつけた。

 ピク、ピクと体を痙攣させているフィリスの変わり果てた顔が僅かに見えた。


「う、う、うわああああ!!」


 体の震えを抑えることもできず、俺は叫ぶ。

 頭の中が真っ白になる。

 俺は無我夢中で魔神に突進した。


「ちょっと待ってよ。勇者くん」


 面倒臭そうに魔神は言うと、近づく俺の体を簡単に吹き飛ばす。


「もう、取り乱しちゃって。情けないなぁ」


 苦笑いしながら頭をかいている。背中を打ち付けた俺だが、痛みよりも恐怖に体を支配されていた。

 フィリスが。フィリスが……。


「何を驚いているんだよ。生き物はみんな皮を剥げば肉が見えるし、目を潰せば血が出るだろう?」


「う、う、うわあああああ!!!」


「でも、君にはせっかくだから面白いものを見せてあげたくてね」


 魔神は変わり果て、動かなくなったフィリスの顔面をガシッと掴んだ。


「『俺』の力を使うのは初めてだから、うまくいくかわかんないけど……」


 フィリスの顔面をつかむ手がまばゆく光る。


 奴は、何をしてるんだ、あんな酷い仕打ちをした上で、まだフィリスに何かする気なのか。くそ、動け俺の足。仇をフィリスの仇を取るんだ。


「はははは。ちょっと待ってって言ってるでしょー。……よし、できた。ははは。うまく行ったよ。ほーら。勇者くん、受け取って」


 光が治ると、魔神はフィリスの体をボールのように投げてよこした。両手を広げて受け止める。フィリス。あんなに綺麗な整った顔だったのに……。


 恐る恐る顔を覗き込む。

 すると


「わっ。流空様!? ちょ、顔が近いです!!」


 白い肌が紅潮して俺を突き飛ばす。


「え、なんで……? 嘘?」


「あれ、私……」自分の頬を口を鼻を、ペタペタ触って確かめているフィリス。


「はははは。うまくいったー。『俺』は回復魔術も使えるからなー。瀕死の状態でも元どおりってわけだー。これで思う存分遊べるね。ぐちゃぐちゃにしても心臓さえ止まらなければすぐに治療してあげれるよ。殺すのは簡単だけど、こっちの方が長く遊べるもんねー。と、いうわけで」


 瞬間移動して、クロコの元に現れた魔神はフィリスにしたように光を放ち、傷を癒す。同じようにヴォルグにも治癒魔術をかけた。


「さ。これで元どおり。君たちはずーっと『我』と戦うことができまーす。もちろん、逃げることは許しませーん。はははははは。もしかしたら『我』を倒すこともできるかもよー。0.000000001%くらいの確率でね。はははははは」


「く、くそ。俺たちはあいつのおもちゃなんかじゃねえぞ」


 ヴォルグが奥歯を噛んだ。


「おもちゃ? おもちゃですらないよ。おもちゃにするなら、もっと遊びがいのあるものにするねー。この世界で『我』と互角に戦えたのは魔力を最大限に溜めた『俺』くらいじゃないかな。今となっては自分とは戦えないからつまんないけどねー。はははははは」


 くそ。耳障りな笑い声だ。だけど、力の差がありすぎる。どうしたらいいんだ。


「勇者くんは惜しかったね。光の剣にもっと多くの魔力を溜めることができれば『我』と互角に戦えたかもしれないのに、帰りたい帰りたいってダダこねてのこのこ来ちゃったから、こんなことになったんだよー」


 リティが確か言っていた。勇者はこの世界の人たちよりも魔力を溜めることができると。何もしなくてもこの世界で時を重ねれば魔力は体に溜まると。


「全然魔力が溜まってないんだもんね。ざーんねん。もっと効率よく魔力を溜める術を身につけておけばよかったのにー」


「……そうか、気づきました」


 ぽつりとフィリスが呟く。


「クロコさん、ヴォルグさん!」


「……ああ。そういうことか。魔神さんよ。そのおしゃべりが命取りかもしれねえぜ」


「はははははは。なになに? 何だって? 何か名案でも浮かんだのかい? いーよいーよ。このまま嬲り殺すのもすぐに飽きちゃうだろうから、どうしようかなって思っていたところなんだ。知恵を出し合って『我』を驚かしてみなよ。待っててあげるよ。作戦会議は聞かないほうがいいかい? 耳を閉じてようか?」


 両手で耳をふさぐジェスチャーをしてみせる魔神。


「ははは。でもここに居たら作戦も立てにくいか。よーし。壁際で目をつぶっててやろう。逃げるのはなしだぞー。ってか逃げ切れるわけないってのはわかるか。ははははは」


 魔神がふわっと宙に浮き、壁際へ移動する。律儀に壁の方を向いて耳を手で押さえてる。


「100数えてやるよー。その間にせいぜい頭をひねるんだねー。ははは」


 そう言うと、魔神は数を数え始めた。


「完全になめきってやがるな」

「でも、これが最後のチャンスかもしれないわぁ」


「……魔神ボウル・ネデルは異界の破壊神です。かつて勇者によって倒されたと聞いていましたが、魔王の体に憑依することで生き延びていたとは……」


「それより、みんななにか妙案でも浮かんだのか?」


「はい」「ええ」「……ああ。あんまりやりたくねえけどな」

 三人ともどうやら同じことを考えているようだ。


「聞かせてくれ! あいつに立ち向かえる方法があるのなら、なんだってする」


 皆の顔を見て頷く。俺の目をしっかりと見て、フィリスが口を開いた。


「魔神の言葉がヒントになりました。勇者である流空様は私たちよりもはるかに魔力を多く蓄積することができる。ならば、私達の魔力を流空様に全てをお渡しすれば、あの魔神を倒すだけの力が生まれるかもしれない!」


「三人分の魔力を……?」


「はい。魔力はヴェルネゴチフ粒子を体内に取り込んで錬成するということはご存知ですよね。私達の魔力を一旦体外に排出して粒子に戻し、流空様が取り込み、それを再び魔力へと再錬成するのです。この世界に来て、まだ一週間程度だというのに、光の剣を自由に出し入れできるほどの魔力錬成能力をお持ちの流空様ならば、とてつもなく強大な魔力へ変換できるはずです」


「それしか手はねえだろうな」

「ふふふ、皆思うことは同じね」


 やっぱりクロコとヴォルグも同じことを思いついていたらしい。


「でも、普通に生活していれば魔力は溜まるってのは聞いたけど、みんなの魔力を吸収するなんて、どうやってすればいいんだ!?」


「ヴァルネゴチフ粒子はどこから体に取り込むかはご存知ですか?」


「大気中に漂っているって。呼吸をするだけで体内に溜まっていくって……。も、もしかして」


 嫌な予感がする。まさか……。


「そうです。口移しです」


「げ! や、やっぱり……」


「悩んでる暇はありません。魔神がいつ心変わりをして攻撃を加えてくるかわかりません」


「で、でも……。いやわかった。やるよ。みんなの魔力を俺が預かる!」


 生きるか死ぬかの瞬間に恥も外聞もない!

 やってやる!


「じゃあ、まず俺の魔力からだ……」


 ずいっと身を乗り出してくる毛むくじゃらの狼男。


「……って、げ! ヴォルグとも口移しすんの!?」


「ば、馬鹿野郎! 俺だって本当はしたくねえよ! でも仕方ねえだろ、これしか方法はねえんだ! せめて一番最初にしてやろうと思ってんだぞ。最後のキスが男の俺じゃ嫌だろう!」


 顔を真っ赤にしてヴォルグが言う。


「ウゲェ。わ、わかったよ……」


「じゃあ、行くぞ……。目を開けんな。変な気持ちになる。……いや目を閉じられても気持ち悪いな。開けろ。バカこっちは見るな」


「もう、後ろがつっかえてんですから早くしてください」


「わ、わかったよ。急かすな嬢ちゃん。い、行くぞ」


 ヴォルグの顔が、口が近づく。

 なんで魔神との決戦前に狼男とチューする羽目になってんだよ!

 どーゆー戦いだよ!

 ヒィイ息しないようにしよ。


「ダメよ、ダーリン、ヴォルグの魔力をきちんと体内に取り込まなきゃ。吸って。激しく吸って!」


 むちゃくちゃいうな!!

 くそ。こうなりゃやけだ。唇を重ねる。うわぁ、きつい。

 意を決して口から息を吸う。

 獣の匂いが口中に広がる。


「…………うぷ、もういいか」


「……ああ、俺の魔力は全部お前に託したぜ」


 なんで俺は異世界で狼男とキスをせねばならんのだ。ああ、きつい。


「さ。ダーリン。次はあたしよん」


 一難去ってまた一難だよ……。


「70! 71! 72!」


 魔神の声が聞こえる。


「もう時間がないぞ。急げ」


「う、わかったよ。クロコ、早く済ませて」


「はぁん。夢にまで見たダーリンとの愛の誓い……」


「黙れ」


「んふ。照れちゃって。じゃあ行くわよ」


 赤い長髪を掻き上げて、クロコが屈むようにして顔を近づけてくる。


「ん……」

「うぐ……」


 意外といい匂いがする……のが癪にさわる。元の姿は巨大なワニなのに。いや、でもワニの姿とキスするよりかはこっちの姿の方がいいか。


「はむ……んぐぅふ……」


「クロコ、ここぞとばかりに舌入れてるな」


「もう! 時間がないですって! クロコさん!」


 うわあ。ヌメヌメした舌が俺の口の中に入り込んでくるよ。うわぁ、助けてぇ……。


 ……。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


「終了っ。ごちそうさまでしたぁ」


「ペッペっ! 満足そうな顔してんじゃねえよ! 魔神を倒したらクロコもぶん殴る!」


「ああん。ドメスティックバイオレンスはダメよぉ」


「うるせえ、次だ!次!


「……ごほん。で、では流空様。私の番です」


 顔を赤く染めたフィリスが照れ臭そうに立っていた。


「……フィリス」


 見つめ合う。銀髪。白い肌。青い瞳。薄く紅潮してる頬。やばい、一番緊張する。


「はよせんかい」


「ちょ、自分のタイミングで行きますから、外野は黙っててください!」


 フィリスが顔を真っ赤にして怒鳴る。


「おほん。流空様。私の魔力、すべて預けます。宜しくお願いします……」


「お、おう」


 フィリスの柔らかい唇が俺の唇に触れる。すっと口を開いたフィリスは吐息をゆっくりと俺の口の中に流し込む。


「ん……」漏れる吐息を逃さぬように、フィリスは唇を優しく強く押し付けてくる。


 これは魔力の供給。ただの魔力供給。勘違いするな。勘違いはするな、馬鹿、こんな時に元の世界に残してきた彼女の顔なんて浮かばなくていい!

 今はただ、魔力を受け取るんだ。

 フィリスが息を吹き込むのをやめた。すべて魔力は俺に渡し切ったのだろうか。

 しかし、フィリスは唇を離そうとしない。静かに、ただ唇を重ねあう。

 心が静まる。



「……99! 100!! はーいおしまい!! さあ。作戦会議は終わったかなー」


 俺を夢見心地から引き剥がしたのは魔神の声だった。


「さあて。それじゃあ再開しようかー」


 ぴょんぴょんと跳ねて首をこきこき鳴らして魔神は言う。


「流空様。これを。ガルシアさんから預かっていた魔術古具アンティクス・ソードです。これを使えばさらに魔力が増大するはずです」


「……わかった」


「さて、最後のひと勝負だ。魔力はなくとも、囮にくらいなれるさ」

「ええ。ダーリンとの熱い口づけのおかげで百万馬力よ。」


「さあ。かかってきなー。君たちの悪あがき。見せてもらおうかー」


「行くぞ!クロコ!」「ええ!」


 駆け出す二人の後ろで俺は魔術古具アンティクス・ソードを握りしめ、皆から受け取った魔力を光の剣へと変換する。


「なんだい。結局さっきと変わらぬ安直な攻撃じゃあないか」


 失望の色を滲ませて。二人の攻撃を避ける魔神。だが、ヴォルグもクロコも一歩も引かない。巧みなコンビネーションを見せ、魔神の反撃もギリギリのところで避けつつ、攻撃を繰り返す。


 その様子を視界の端に収めながら、意識を集中する。焦るな。ミスるな。集中して、皆の魔力を確実に力に変えるんだ。


「ハァァァァ!!」


 かつてないほど強大な魔力がうちからこみあがっていく。ヴォルグの勇気。クロコの願い。フィリスの想い。すべてが一つになる。



「『我に宿りし勇者の証、今顕在せよ!閃光のシャイニングブレイド!」


 魔術古具アンティクス・ソードを媒介に巨大な光の剣が現れた。

 今までの光の剣とは似て非なるもの。静かに、勇ましく尊い光を持った勇者の剣だ。


「その剣は!?」


 目を見開き驚愕する魔神。


「よそ見してんじゃねえ!」


 一瞬動きが止まった魔神に、ヴォルグが殴りかかる。完全に捉えたと思ったその拳を魔神は素早く反転してよけ、反動でヴォルグを蹴り飛ばし、斬りかかるクロコを裏拳で叩きおとした。だが、先ほどのようにジャストミートはしなかった。魔神の焦りがわずかながら打点をずらすことになったのだ。


 そして、そのおかげで射線上に魔神しかいなくなった。


「くらえええええ!!」


 力任せに魔神めがけて光の剣を叩きつける。想いを込めて振るう刃に魔力がさらに反応し、熱く輝かせる。


「うぉおおおおおお!!!!」


 両手を出して身をかばう魔神。光の剣が魔神の腕を体をジリジリと焼く。


「ぬおおお!!勇者めぇええ!!!」


 耐える魔神ボウル・ネデル。その叫び声がそのまま魔術となり、神殿を激しく揺らす。

 壁が剥がれ、天井が崩れ始める。


「流空様!!」「流空!!」「ダーリン!」


 みんなの声が確かに耳に届いた。はね返そうと力を込める魔神の魔力が俺の光の剣を伝って逆流してくる。

 頬に肩に脇腹にかまいたちの様な真空の刃が襲いかかってくる。体が切り刻まれるが、一歩も引かない。

 負けてたまるか。こいつを倒して、元の世界に帰るんだ!!

 俺はこの世界に初めて来た日の、あの想いをもう一度思い出していた。

 俺は。俺は生きて帰る。そしたら、そしたら……。



「俺は生きて帰って!!彼女とエッチなことをするんだあああ!!!!


 叫ぶ声が魔神も魔力を圧倒する。光の剣が叫びに呼応するように、さらに強く輝きを放つ。真っ白で暖かい安らかな光。

 その光が魔神を仲間を、そして俺自身をも包み込んでいった……。



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