【エピソード4 第18話】

 ヴォルグはガサゴソと荷物の中から白いエプロンを取り出して首にかけた。


 ……って、あなた今まで服なんか着てなかったじゃん。ズボンは履いていたけど、上半身は毛むくじゃらの裸体だったじゃん。料理の時だけエプロンをつけるんかい。


「形から入るタイプの男ねぇ」クロコがクスクス笑っている。


「ワイルドな見た目とのギャップが可愛いですね」とフィリスも彼の姿が気に入ったようだ。


 二人ともこの調子だもんな。いつもツッコミは俺に任せっきり。

 狼男は鍋とフライパンを取り出す。どちらもデルアの村を出た初日に、武装商人のガルシアを襲っていた『鉄鴉』という金属の身体で出来た魔物の頭蓋骨を加工して作ったものだ。倒した魔物の頭蓋骨で料理するのって、ちょっと嫌。


「さあ、待ってろよ。サイコーの晩飯にしてやる! ほっぺた落ちちゃうぜ!」


 楽しげに鼻歌など歌いながら、魔物の皮を丁寧に剥ぎ、内臓を取り出す。うげえ。見たくない。腹を開けるとぷるぷるの内臓が姿をあらわす。


「鮮度がいいからな。肝とかそのまま行けるぞ。ほれ。流空。食ってみろ。精がつくぞ」


 どろり、と赤黒い物体を取り出すと、満面の笑みで俺に突き出してくる。ちょっとしたホラーだ。


「遠慮しとくよ」


 引きつった顔で目を逸らして言う。


「そうか。ならクロコ。はんぶんこするか?」


「ああん。ありがと。好物なのよね」


 むしゃむしゃむしゃ。ごっくん。

 二人は口の周りを赤く染めながら魔物の内臓を食らっているわけで、ちょっと俺には刺激が強すぎだ。


「ああん、こぼれちゃったぁん、ダーリン、拭いてぇ」


 身をよじりながら近づいてくる。馬鹿でかい胸の谷間に臓物から血が垂れていた。悩ましい声をあげているが、見たくもねえぞそんなもん。


「……ちょっと料理ができるまで、休ませてもらおうかな」


 見てるだけで気持ち悪くなってくるので、俺は二人から離れた。フィリスが大きめの岩に座っていたのでそばに座ることになる。


「あ、流空様。ようやく明日はラーマ神殿ですね」


 フィリスが横にずれて座る場所をくれた。


「ようやく帰れるんだな。ま、魔王がいるってのがちょっと不安だけど」


 おどけて見せるが、珍しくフィリスはうつむいたままで、会話に乗ってこない。


「……私、ずっと流空様には謝らなければいけないと思っていたんです」


 憂いを帯びた瞳でフィリスは切り出した。


「私たちの勝手な都合で召喚してしまい申し訳ございませんでした。流空様は仰ってましたよね。人生で一番大切なとても大事な瞬間を過ごされていた、と。本当に申し訳ございません」


 伏せがちな目で心苦しそうにフィリスが頭を下げた。

 俺がずっと帰りたいと言っていたことを、少し気にしてくれてたのかな。とはいえ、俺の帰りたい理由が、彼女とのザ・初体験だということがちょっと後ろめたいのだけど。


「どうしたんだよ急に。本当、迷惑極まりないけどね。ま、今となっては仕方ないと思っているよ」


「すみません……」


「でも、いいよ。明日には帰れると信じているからね」


「はい。命に代えても流空様を無事に元の世界に帰せるよう、全力を尽くします」


 真剣な面持ちでフィリスは言った。本気で命を差し出しても構わないと思っている瞳だった。そんな真摯な視線で見つめられると、少し申し訳ない気持ちになる。そりゃ勝手に俺を召喚したのだから、無事に元の世界に返して欲しいのは当然だ。

 けれど、一緒に旅をしてきた仲間の命をかけてまで元の世界に帰りたいかと聞かれると、なんとも答えづらい。


 それで気づいた。

 そっか。俺もなんだかんだフィリスやクロコ、ヴォルグなんかを仲間と自覚し始めているのか。

 旅は道連れ世は情けというが、たった一週間でも一緒にいれば絆ってのは生まれるんだな。

 もし、俺が帰れても、フィリスたちが死んでしまっては意味がない。後味が悪すぎるもんな。


「フィリス。気持ちは嬉しいけどさ。どうせなら俺はみんなと笑顔で別れたいぞ。誰も死んでほしくないし、誰かを犠牲にしてまで帰りたいとは思わないよ」


「流空様……。ありがとうございます。優しいんですね」


「ば、バカ。そんなんじゃねえよ」照れる。確かに言われてみればすごくキザなセリフを吐いてしまったような気がする。


「ともかく、魔王を倒してしまえばいいんだろ。そうすれば安全に俺を元の世界に帰せるんだろ。なら、まずは魔王をコテンパンにしてやろうぜ。話はそっからだよ」


「はい。まさかこんなチャンスが巡ってくるとは思いもしませんでした。ここで魔王を倒すことができれば、戦争も終結に向けて一気に動くでしょう」


「でも、もし魔王がもう『召喚の儀』をしてたらどうしよう。魔王側に冷酷な超強い異世界人が付いていたりしたらさ」


「それは大丈夫だと思います。召喚の儀には大変な魔力を必要とするので、もし儀式を行ったとすれば遠くからでも魔力の揺らめきを感知できます。ですが、幸運なことに現在までその様子は見られません」


「そうか。だけど、そうなるとなぜ魔王はラーマ神殿にいるのだろう。王って普通は後方で動かないもんじゃないの?」


「いえ、そうではありません。魔王ゴトーは戦で名を挙げた人物です。実力でのし上がりそのカリスマ性を持って魔群合衆を築き上げ王の座に君臨しましたと聞いています。いつも戦いの最前線に立ち、勝利を収めてきた闘将なのです」


 つまり、魔王ゴトーはめちゃくちゃ強いってことじゃん。一気に不安になってくる。

 やっぱり仲間には犠牲になってもらって、俺を元の世界に帰すってことを第一目標にしてもらおうかな。


「だからこそ、今回の件は不思議なのです。現在、アルトウィア連盟と魔群合衆が熾烈な争いを繰り広げているのはガルア大陸のテベレス荒野です。もちろん魔王はそちらに参戦していると思ったのですが、そんな大事な戦線を放置して、古の遺跡に来ているとなると不可解ではあります」


「なんでゴトーはラーマ神殿にいるんだろう」


「……これはあくまで推測ですが」と前置きをして、声を絞る。


「流空様をおびき寄せる罠かもしれません」


「俺を? なぜ?」


「流空様は腐っても異世界からやってきた勇者です」


「おい、ナチュラルに悪口が入ったぞ」


 ビシッと突っ込むが無視される。


「異世界からやってくる勇者は脅威になりかねない。そう魔王は思ったのでしょう。危険な芽は早めに摘み取ってしまおうとしているのかもしれません。もしくは異世界から来た、自分と対等の力を有する可能性のある者に興味を持ったのかもしれません。召喚の儀には大量の魔力が必要とされますから、ゴダール神殿で流空様を召喚したことも気づかれているはずです。そもそも、私たちがゴダール神殿に向かっているところに暗殺者を寄越してきたくらいですから、事前に察知されていたと考えるのが妥当でしょう。と、なるとラーマ神殿に罠を張って待っているのかもしれませんね」


 フィリスの言葉を聞いてより一層不安になった。やっぱり魔王ってやべー奴じゃん。勝てるのかな。いや、帰るためには勝たなければいけないんだけど。不安が大きくなる。


「フィリスも意外と考えていたんだな。安心したよ」


「むむ。何を言うんですか、私はアバリール国の王女であり優秀な魔術士なんですよ。しっかり者ですし、可愛いし、お嫁さんにしたい有名人同盟国王女部門二位という才色兼備の権化なんですよっ」


 いつもの調子に戻ったフィリスを見て、思わず笑みがこぼれる。


「そうだったな」


「本当は、自慢の国を流空様に紹介したかったんですけどね。明日でお別れなんて寂しいですね」


 ヴォルグは魔獣の解体を終え、採取してきた野菜を切り始めている。隣でクロコも手伝っている。あーだこーだ言い争いをしているが、案外相性がいい二人だ。


「俺ももう少し違うタイミングでこの世界に召喚されていたら、色々回って見たかったけどね」


 素直に言う。そうだよな。異世界に来るなんて滅多にないことだし、例えば中間試験の前とか、赤点とって教師に呼び出されている時とかなら、喜んでこの世界を見て回っていたかもしれない。


「流空様の世界は、どんな世界なんですか?」


「俺の世界?」聞き返して、考える。どんな世界と言われると、なんて答えるのが正解なのだろう。戦争している国もあるけれど、俺の国は概ね平和で、まあ凶悪犯罪とかもちょいちょいあるけど、魔物はいないし、あ、でも北国に行けばクソでかい熊とかいるし、あんなの魔物って言っても差し支えないレベルのバケモンだし、魔術はないけど、科学で空も飛べるし火も出せるから、似たようなものかもしれないし。

 困ったな。なんて答えればいいんだろう。

 俺が悩んでいると、フィリスは微笑んだ。


「きっと、いい世界なんでしょうね」


「うーん。難しいな。あんまり変わらないんじゃないか。この世界と」


 考えた結果、いい答えが出なくて、お茶を濁すような回答になってしまった。


「あ、でも。自分たちの世界以外にも、こうやって別の異世界があるってことは誰も知らないな。それは大きいかもしれない。このブルースカイルでは、異世界が存在するってことはみんな知ってるんだもんね」


「はい。幼い頃に学びます。多元世界。森の向こうに知らない村があるように、海の向こうに聞いたことのない島があるように、世界の果てに、また別の世界が広がっている。そう習いました。我々は大きな戦乱の世になると、異なる世界から勇者様を召喚して力を貸してもらってきました。そのせいで自分たちだけでは物事を解決できない弱い存在になってしまったのかもしれませんが」


「まあ、それも人間の性質なんだろうな。カラリル魔玉をくれた人が言っていたよ。便利なものがあればそれに頼るのが人だって。子供は大人を頼るし、大人だって自分より強い奴に頼る。そんなもんだよ」


 コンテナの中で一人ぼっちで暮らしているリティのことを思い出す。

 慰めるわけじゃないけれど、人間なんてそんなもんだよな、と言う諦念みたいなものはある。


「私はずっとこの世界に違和感を感じていました。この世界に伝わるおとぎ話や昔話のヒーローはいつだって異世界の勇者なんです。この世界の人間はいつも脇役で、世界の一大事には何もできない。異世界からやってくる勇者様だけが世界を救ってくれるんです。それが悔しくて不甲斐ないと思っていました。何か問題があれば、異世界から勇者を召喚し、解決させる。この繰り返しがはるか太古の時代から続いてきたのです。自分たちは何も成長せず。……それが情けなかった。だから、私は自分たちだけで世界を正しく保てるように力が欲しかった。アバリール王国の王女でありながら魔術を学び、こうしてアルトウィア連盟の中でも地位を築くことができたのは、その一心だけでした。でも、魔王の力は強大で、アルトウィア連盟は敗戦を重ねました。そして、ついに連盟は新たなる勇者の召喚を決定したのです。私はその決定に賛成してしまいました。仲間が次々と魔王によって倒される中、心が折れてしまったのです。国を守るためには勇者様に頼るしかない。そう思ってしまったのです。自分たちの世界は自分たちで守る。そう心に決めていたのに、それはただ意固地になった幼稚な思いだと、考えるようになってしまったのです」


 魔術の炎が揺らめいて、フィリスの横顔を弱々しく照らす。単なるわがまま自分勝手なお気楽娘だと思っていたフィリスにも、いろいろと考えることはあったようだ。自分の道に迷わない人間などいない。どんな世界でもきっとそうだろう。


「でも、やはり間違いでした。無理やり異世界から人を呼び出すなんて、とんでもないことです。流空様が帰りたいとおっしゃるのは当然です。その方の人生にどれだけの迷惑をかけるか、考えることを放棄していました。申し訳ございませんでした。流空様は無事に元の世界に送り届けます。もう少し、辛抱してください。よろしくお願い致します」


 頭を下げてフィリスが言う。


「おーい、お二人さん。ディナーの時間だぜ。……っと。取り込み中だったか?」


 エプロン姿のヴォルグが俺たちを呼びに来た。


「あ、はい。すぐ行きますから」


 フィリスが目元をこすって立ち上がった。


「すみません、流空様。湿っぽい話をしてしまって。お腹が減ったからかな。えへへ。空腹は人を弱気にさせますね」


 照れたように微笑むフィリス。


「ささ。いっぱいご飯を食べて、明日に備えましょう!」


 無理に笑顔を作って、フィリスは弾むようにかけて行った。その表情はまだまだ幼い少女のものだった。


 この世界で食べる最後の晩飯か。ちょっとセンチな気持ちになりながら、フィリスに続いてヴォルグが用意した食卓へ向かった。

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