【エピソード4 第11話】
……で、俺は道に迷った。本当に情けないな。そして、すでに日は沈みかけている。やばいって。
こんなどこだかわからない世界で一人で森で迷うとか、死亡フラグビンビンじゃん。ビンビンビンラディンじゃん。
とか、おどけてみても状況は一向に変わらず、同じような巨木の間を数時間彷徨い続けている。
あのフィリスとクロコのことだから負けるとは思わないけど、今頃はなにをしてるのだろうか。俺のことを心配しているだろうか。探してくれているだろうか。あんな感じに逃げ出したから呆れられて見捨てられたりしてないだろうか。ちょっと心配になってきた。
ああ、腹減った。朝飯しか食べてないし、それも食料が少ないからってなんか味のないスープだけだったし、何時間も歩いて足はもう棒だし、どこかで休もうにも湿気がすごくてジメジメしてるから座ると尻が濡れるし、もう最悪だよ、本当。
なんでこんなことになっちゃったんだろうな。普通に平和に暮らしていただけなんだけどな。
昨日までの日常がまるではるか昔の出来事のように思えた。
朝、学校に行って、数学の宿題忘れて怒られて、プールの授業で平泳ぎしてる山田に浣腸したらあのバカ溺れやがって、すげー怒られて、そのせいで昼休みの購買戦争に出遅れてジャムパンしか買えなくて、それでも彼女が「親が今日旅行だから誰もいないの。……うち、こない?」なんて言うから超絶喜んで飛んで行ったのに。
なんで、こんな薄暗い森で一人ぼっちでさまよっているんだろう。なんか涙出てきた。帰りたいよ。
右に進めばいいのか左に進めばいいのか、全然わからない中をずっと歩いていると、気が狂いそうになる。魔物に出くわさないだけマシだけど、ビクビクしながら歩いてるから精神が削られる。
だって、ほら、もう幻覚すら見えてきたもんな。木々の向こうにコンテナを積んだトラックが見えるもん。
……ってまじ? なにあれ?
目をこする。でっかいトラック。よく港とかで見るような大きなコンテナを積んだトラック。それがこの森の中に打ち捨てられている。
恐る恐る近づく。見間違いじゃない。本当にトラックだ。なんでこの異世界にトラックがあるんだ?
怪しいけど、ようやく人間の痕跡が残る建造物っぽいものを見つけたので、嬉しい気持ちが湧いてくる。
白い塗装の剥げかかったコンテナ。間違いない。本物だ。
どうしてこんなところにこんなものがあるのだろう、と近づいたがトラックばかりに気を取られていて、足元に注意が及ばなかった。
カランコロンと乾いた音が足元で鳴り、そこで無警戒に踏み出した一歩が木々の間に仕掛けられていた縄に引っかかっていることに気がついた。
そして、次の瞬間には土煙とともに地面から巨大な網が現れたのだ。
抵抗する間も無く俺はその網に捉えられ、間抜けにも宙吊りになった。
大木を支点にして仕掛けられたワイヤートラップ。ぶらんぶらんと揺れながら、古典的な感じの罠にハマってしまったことに気づき、自分の不甲斐なさを呪うが後の祭りであった。
身動きの取れない網の中で身をよじりコンテナを睨む。
夕日も沈みかけ、薄暗くなる森の中にぼんやりと白い塗装を施されたコンテナが怪しく浮かび上がった。
縄を引っ掛けた瞬間に音が鳴ったということは、罠に獲物がかかった事を知らせるということだ。つまり、この音を聞きつけ、何者かがやってくるはずだろう。
ぶらんぶらん揺れながら、待っていると、なかなか珍しく俺の推理は的中したようだった。
鈍く錆びた重い扉が悲鳴をあげ、ゆっくりと開く。コンテナの中から人影が現れた。
人間だ。細い女の人だ。
黒い髪が腰までまっすぐ落ち、足首まであるロングワンピースの色も漆黒。くびれが強調されたデザインのため彼女のスタイルの良さを際立たせている。
全体のシルエットが黒く、夕闇の中にポツンと立つ姿は魔女のようだった。
女はコンテナから出てくると、デコボコの根が張る森の中だというのに、すうっと音もなく近づいてくる。切れ長の瞳と薄い唇。休みの日は図書館で本を読んでいるのが好きです。って感じの幸が薄そうなお姉さん。
とてもこんな森の中でコンテナに潜んで罠を仕掛けて狩猟するような野蛮人には見えない。
俺の下まできた幸薄お姉さんは、木に結び付けられていた紐を細い指で引いた。
支点を失った俺の身体が重力に引かれて地に落ちる。
「ぐわちゃ!」受け身も取れず、腰を打ち付け悶絶していると、女の足が目の前に迫っていた。
ひらひらと揺れるワンピースのした、白く透き通った肌がちらりと視界に入る。
「ど、どうもこんにちは」
罠にハマって無様な格好なんだけど敵対心がないことのアピールがてらに挨拶する。
初対面の基本は挨拶だよね、一応。
「……こんにちは。勇者様」
静かな声。綺麗な鈴を鳴らしたような声。
「お、俺のこと知ってるんですか?」
「ええ。同じ匂いがしたから」
感情の見えない声音で言うと、くるりと背を向けた。
そして、何も言わずにコンテナへと戻って行く。
「ま、待ってください」
慌てて網を振りほどこうとするが、体に絡まり、なかなか抜け出せない。
「そんなんじゃ、この世界から抜け出せずに、死ぬよ」
言葉はストレートだけど、不思議と冷たさはない。それこそ図書館で相手に届くだけの最低限の声量で喋っているみたい。
「ま、待ってください」もう一度言い、なんとか体に絡まる縄をかなぐり捨てて、先を行く女を追う。
「森で迷ってしまって……。できればデルアの村へ帰りたいのですが、道を知りませんか?」
「そう。デルアの村から。それで帰ってどうするの? また何もできずに逃げ出すだけじゃない?」
立ち止まった女が、まるで狼男との一件を見ていたかのようなことを言う。
いや、見ていたのかもな、と思わせる何かが彼女にはあった。
「あなたは一体何者なんですか? このコンテナは一体……」
「もう日が沈むわ。今晩は泊まっていきなさい。夜の魔物は凶暴よ」
俺の質問には答えず、コンテナの扉を開ける女。錆びたコンテナの軋む音。
「……どうしたの? 来ないなら、別にいいけど」
「い、いえ。お邪魔しますっ」
慌てて駆け寄る。女は扉を支えて俺が入るのを待ってくれた。
図らずとも、出会ったこの謎の女性が、俺の運命を動かす人物だとは、この時の俺は知る由もなかった。
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