43話 猫とエルフのピクニック

 朝――

 

 迷宮都市の一角にある宿屋の一室。そのベッドの上で一匹の獣が、小鳥の囀りの音色で眼を覚ます。

 茶トラの毛並みをした小さな体。愛くるしい金の瞳は眠たそうに細められている。


 獣の名前はタマ。稀少生物、エレメンタルキャットというネコ科動物……と飼い主である少女に勘違いされているが、その正体は災厄級とも呼ばれるSランクモンスター、ベヒーモスの幼体であり、さらに前世の記憶を引き継いだ転生者である。


 性別はオス。前世は高潔な騎士であり、幾度となく魔族やモンスターから人々を守ってきた凄腕の剣士であった。


 そんなタマの体を……むにゅんっ! と柔らかな感触が包み込む。


「目が覚めたのですね、タマ。ふふっ、今日もとっても可愛いですっ」


 柔らかな感触に包まれたかと思うと、タマの頭上からそんな声が聞こえてくる。声の主の名はアリア。彼女こそがタマの飼い主であり、柔らかな感触の持ち主でもある。


 白磁の肌、髪は腰まで伸びたプラチナ、瞳は涼しげな……しかし慈愛を感じさせるアイスブルー、そんな絶世の美少女エルフだ。

 そして胸はこれでもかというほどに実っている。その実り、例えるなら〝メロン級〟といったところだ。


「にゃお〜ん」


 アリアに微笑みかけられたタマは、可愛らしい鳴き声をあげると、柔らかさの正体――アリアの胸にスリスリと甘え出す。

 前世は成人した騎士であり、その記憶を引き継いでいるタマではあるが、現在は幼体だ。

 幼い体に心が引っ張られ、自然と本能のままに甘えてしまうのだ。


「やん……っ。タマったら甘えんぼうさんなんだからぁ……っ」


 タマに甘えられると、アリアは甘く、艶かしい声とともに恍惚とした表情を浮かべる。アリアはタマを愛している。

 それは小動物を愛でる……という感覚でもあるにはあるのだが、別の意味も混じっている。

 それは恋の感情だ。アリアの性へ――もとい、趣味は少々特殊だ。つまり、異種族であり幼体であるタマをペット、それと異性としても見ているのだ。


(ぬ……っ、まずい。つい甘えてしまった)


 アリアの息づかいが荒くなってきたところで、タマはハッと我に返る。そしてパッと彼女から距離を取る。

 甘えすぎると、アリアの変なスイッチ――通称エロフスイッチが入って暴走し始めることをタマは知っているのだ。


「あんっ……もっと甘えてほしかったのに……」


 残念そうな声を出すアリア。物欲しげに人差し指を咥え、純白のネグリジェから露わになった太ももをモジモジと擦り合わせている。

 あまりの艶かしさに、タマのベヒーモスがベヒーモスしてしまいそうになるが、そんなところを見られたら最後。

 アリアに貞操を奪われることは確実だ。騎士道精神で己を律し、タマはなんとか耐えきってみせる。


「んっんっ……! ふぅ……。なんとか収まりました。さぁ、出かける準備をしましょう」

「にゃん!」


 小さく、ビクンビクンとしたかと思うと、アリアは小さく息を吐き、そんなセリフを口にする。

 今の震えはもしや……。そんな疑問を持つタマではあったが、見なかったことにし、アリアに元気よく返事をする。


 今日、アリアとタマは、近くの森にピクニックに行くことになっている。

 そして、今日は休養期間の最後の日。明日からアリアは彼女の職業、冒険者活動を開始する予定なのだ。


 約ひと月前――アリアは魔族との戦いで毒を受け、瀕死にまで追い込まれた。タマの活躍で解毒薬のもととなるアースドラゴンの目玉が手に入り、なんとか一命を取り留めたものの、毒の猛威は凄まじく彼女の体力と筋力を大きく衰えさせた。

 そんな状態になってしまっては戦えない。なので、このひと月はよく食べ、筋力を鍛え直すことに専念していたのだ。


「まずはお着替えですっ」


 そう言って、アリアは純白のネグリジェを脱ぎ始める。すると彼女の肌が露わになる。


(ふむ、相変わらずご主人は美しいのである)


 白磁の――スラッとした手脚、キュッと締まったウェスト、メロンのような双丘は黒の下着で包まれ、柔らかそうな臀部は同じく黒の下着で包まれている。

 清楚な見た目の美しきエルフの少女、そんな彼女の肌を刺激的なデザインの下着が包み込んでいる――そのギャップが妖艶な雰囲気を感じさせるが、タマはいやらしい気持ちを覚える前に、アリアの美しさに純粋に見惚れる。


(やんっ……! タマったら、そんなにわたしの体を見つめて……。そんなに見られたら疼い・・ちゃいます……)


 タマの視線に、アリアはまたもや興奮を覚えているのだが……タマはそのことに気づいていない。


「さぁ、次はタマのお着替えですっ!」


 純白のブラウス、それに黒のスカート、どちらも少々のフリルのついた――いわゆる〝童貞を殺す服〟に着替えたアリアが、タマに向かって笑いかける。

 その手には、とある衣服が握られていた。


 それから数分後――


「やぁん……! 可愛すぎます!!」

「にゃあ(こ、このような格好、屈辱だ)……」


 興奮した声をあげるアリアに、元気のない声を漏らすタマ。今、タマの体は猫用の衣服に包まれていた。

 淡いブルーの生地、それに純白のフリルがつけられたゴシックタイプの猫用ドレスだ。

 中身は誇り高き騎士がメス猫用のゴシックドレスを着せられる……。タマにとっては屈辱であった。

 だが、悲しいかな。タマの容姿は非常に愛らしい、その愛らしさも相まって、衣装はこれでもかというほどに似合っている。

 それに、この衣装はアリアがタマのためになかなかの額を積んで都市の服飾店に特注で作らせたものだった。

 そして、出来上がった衣装を見た時のアリアの顔はまさに幸せそのものであった。そんな表情を見せられてしまっては……タマに着るのを拒むことはできなかった。


 ぽよんっ!


 アリアは胸の中にタマを抱きしめると、上機嫌に宿の外へと出かけていくのだった。





「あっ、木苺を見つけました!」


 目的の森について少し、アリアは木苺が実っているのを見つける。


「ちょうどいいです。少し狩りとって食後のデザートにしましょう」

「にゃ〜ん!」


 お昼と聞いて、メス猫用の衣装を着せられ、元気のなかったタマにも活力が戻る。アリアは少量の木苺をもぎ取ると、手頃な位置に腰掛け、持ってきていたバスケットを開く。中には宿屋の女店主が用意してくれたサンドイッチが入っている。


「はいタマ、あ〜んです」

「にゃ〜」


 サンドイッチのひとつをアリアはタマに差し出す。タマは小さな口を開けると、バクっ! とサンドイッチにかぶりつく。


(おお、美味いぞ! これはたまらん!)


 タマの金の瞳が大きく広がる。サンドイッチの中身は新鮮なレタスにスモークチキン、それに特製のソースなどが挟まったものだった。

 野菜の甘み、肉の旨味、そして少々スパイシーなソースの味わいに、タマの食がどんどん進む。


「ふふっ、いい食べっぷりです♪」


 タマの様子に、アリアは愛でるように微笑むと、もう片方の手で自分もサンドイッチを味わい始める。


(む? ご主人、口の端にソースがついておる。仕方あるまい……)


 サンドイッチを食べるアリアの口に、ソースがついていることにタマは気づく。


 ぴょん!


 タマは軽やかに跳ぶと、アリアの肩に静かに着地する。


「どうしたのですかタマ?」


 急に飛び乗ってきたタマに、不思議そうな表情を浮かべるアリア。そんな彼女の唇の近くを……ぺろっ――とタマは小さな舌で舐めあげた。

 このひと月の間、弱ってしまったアリアに対し、タマは少々過保護になっていた。アリアが顔を洗う時はタオルを運んでやったりするなど、身の回りの世話をなるべくするようにしていた。

 今回も彼女の身だしなみを整えてやろうと気を利かせたのだ。


「くすっ……ありがとうございます。タマは本当に優しいです。わたしの命を二度――少なくとも一度救ってくれただけでも感謝しきれないのに……」


 口の汚れを舐めとってくれたのだと理解したアリアが、小さく笑いながらそんなことを言う。

 迷宮で、ゴブリン・メイジから命の危機を救われたこと。そして、毒に侵された自分をアースドラゴンを倒して解毒薬のもとである目玉を手に入れてくれたことに対する感謝の言葉だ。

 もっとも、後者に関してはタマがやったことだという確証がないため、少なくとも一度――という言い方になっているわけだ。


(感謝しきれぬのは我が輩の方だ。ご主人が迷宮で傷ついた我が輩を救ってくれなければ、こうして今生きていることはできなかったのだからな)


 タマも心の中でアリアに感謝の念を抱く。転生したての頃、アースドラゴンによってつけられた瀕死の傷から救い出してくれたのは他ならぬアリアだからだ。

 だからこそ、タマはアリアに忠誠を誓い、彼女の騎士(ペット)になることを決めたのだ。


「にゃ〜ん!」

「きゃっ、くすぐったいです、タマ」


 感謝を込めて、タマはアリアの頬に頭を擦りつける。くすぐったいと言いながらも、アリアは嬉しそうにタマの体を撫でてやる。


 猫と少女は、今日も絆を深めていくのだった。

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