二章
42話 強者の最期
我は〝強き者〟だ。いや、正しくは強き者
我は暗闇の中に生まれし者だ。生まれた時は今ほど体は巨大ではなかったが、それでも強靭、頑強だった。
我には生まれながらにして、ある程度の知識が備わっていた。誰に教わったわけでもないが、この暗闇が迷宮と呼ばれる場所であること、そして我自身がモンスターであることを知っていた。
生まれたての我は数々のモンスターから襲われた。緑の小鬼に始まり毒牙の蛇、魔法を使う魔牛、小型の飛龍まで様々だ。
だが、ヤツらは馬鹿であった。我が強き者ということも分からなかったのだ。小型のモンスターであれば爪による一撃の下に。中型のモンスターであれば急所を我の強靭な牙で貫いてみせた。
生まれたばかりの頃は楽しかった。来る日も来る日も他のモンスターどもに襲われる時を過ごした。
敵を討ち取る度に、我は歓喜に震えた。そう、我は生まれながらにして戦闘に快感を見出していたのだ。
そうするうちに、我は強き者を求め迷宮を彷徨うにようになった。
鋼鉄の巨人はなかなかに歯ごたえがあった。我の爪を受けても怯まず、牙を受けても倒れることはなかった。
だが、それだけだ。巨人の攻撃は我を傷つけることはできなかった。我からすれば防御力の高い木偶の坊。そうと分かれば数撃で屠るのみだった。
歯ごたえがあると言えば、人間という種族もなかなかに面白かった。確か自分たちのことを冒険者と呼んでいたか……。
そこらのモンスターと違い、我と同等……否、それ以上に知性を感じる種族だった。
単体では弱いのだが、盾や剣、魔法、それに罠などを使い、我を翻弄しようとしてきた。
だが、馬鹿だった。知性があるのなら逃げればいいというのに、我を見ると「ドラゴンだ!」「コイツを倒せば俺らは大金持ちだ!」「ランクと名声も思うがままよ!」などと興奮した様子で声を上げると、ちょこざいな技の数々を繰り出し、襲いかかってきた。
金やランクという意味は分からなかったが、名声という言葉の意味を我は知っていた。
そんなもののために、目を眩ませ強き者である我に勝負を挑むなど失笑ものだ。
だが、我は理由は気にしない。我は戦えればそれでいいのだから——
人間の剣は我の肌に傷をつけることはできなかった。
魔法も我には効かなかった。我に使うにしてはあまりにお粗末な魔法であった。
「中級魔法が効かない!?」「俺の剣技も通らないだと!?」
人間――冒険者どもは次々にそんな言葉を口にし、驚愕に目を剥く。どうやら、こやつらは自身の技量を計り誤っていたようだ。
様々な手を尽くして我に挑んできたが、結局は我の爪、そして牙で屠ってやった。
久々に面白みのある狩りだった。だがそれだけだ。
その後も何度か人間を屠ったことはあれど、我に傷をつける者は現れなかった。
そう、あの日までは――
いつしか、我は迷宮の奥深くを住処とし、惰眠を貪るようになった。我に敵う者は存在しないと分かり、戦うことすら億劫になったからだ。
そんなある日だった。
ぽとんっ。
我の頭の上に何やら柔らかいものが落ちてきた。我の感覚は鋭敏だ。頭の上に落ちてきたそれを、我はすぐに小型のモンスターであると判断することができた。
小型のモンスターは不思議そうに左右を見回している様子だった。どうやら自分の置かれた状況が理解できていないようだ。
『いつまで我の上にいるつもりだ。脆弱なる者よ――』
静かに、しかし怒気を込めて我は言葉を紡いだ。
自分より格下のモンスターに頭上に乗られるなど、強者たる我にとって許せるものではなかったからだ。
言葉とともに立ち上がった我の頭上から、小型のモンスターが転げ落ちていく。
茶トラだ。茶トラの毛皮に覆われたモンスターであった。
幼い顔をしている。まだ生まれたてといったところであろうか?
その割にはうまくバランスをとり着地をした。しかし、その表情には驚愕が浮かんでいる。どうやら、やっと自分の置かれた状況を理解したようだ。
しかし、その表情を見ても我の怒りは収まることはなかった。
『我の眠りを妨げた罪……万死に値するッ――!!』
驚愕する小型のモンスターに向かって、我は前足を振り下ろした。
「にゃん!」
そんな鳴き声を上げながら、小型のモンスター――〝弱き者〟と呼ぶことにしよう――は回避を試みた。
しかし、我の体は巨大でありながら俊敏だ。弱き者の回避は間に合わない。すると、弱き者は再び鳴き声をあげた。
すると、その体が鈍色に変化した。そして次の瞬間――
ガリッ――!!
そんな音が響いた。音、それに手応えからするに、弱き者が何らかのスキルで自身の体を硬質化したのだと分かった。
だが、我の攻撃を防ぐには至らなかった。我の爪は弱き者の体を深く抉った。
『グフフ……我の爪を受け生き残ったか、褒めてやろう』
我は称賛を贈った。幼体の身でありながら、我の攻撃を受け生き残ってみせたのだからな。
だがここまでだ。我は口を顎門を開き、弱き者へと顔を近づける。なかなかに美味そうな見た目をしているからな。喰らってやるつもりだ。
だが――ここで我は大きなミスを犯す。
『グアアアァァァァッァァァァ――――ッッ!!??』
我の絶叫が響き渡った。我の片目に、今まで感じたことのない感覚が襲いかかったのだ。そしてそれが痛みというものであるのだと我はこの時初めて知った。
無事な方の目で見て、そしてマナの流れを感じ取り、理解した。痛みの原因、それは弱き者の尻尾の先から伸びた透明なマナでできた剣のようなものであったのだと。
ボタッ、ボタッ……。
我の目から、地面に向かって血が滴り落ちる。
このような弱き者に傷つけられた……。
その事実に、我の怒りは頂点に達した。
なんとしてでも殺す! そう覚悟した瞬間だった。
バサッ!!
そんな音とともに、弱き者の背中に翼が生えた。そして天井――の吹き抜けに向かって飛んでいく。
逃すものか!
我は激痛に苛まれながらも爪を振るう。
しかし――攻撃は空振った。
片目を失ったことで狙いが狂ったのだ。
『オノレェェェェェェェェェェェェッッ!!!!』
我の声が木霊する。我に翼はない。ゆえに弱き者を追うことはできぬのだ。
この時、我は誓った。もし、もう一度あの者と相見えた時は、必ず仕留めてみせると――
そして、その機会は意外にも早く訪れることとなる。
バサッ!!
しばらく経った頃、羽ばたきの音とともに、弱き者は再び我のもとに現れたのだ。
『どういうつもりだ、弱き者よ。せっかく我から逃げ果せたというのに、舞い戻ってくるとは?』
「にゃんッッ!!」
我の質問に弱き者は短く鳴くと、炎を纏った息吹を我に放ってきた。
『グハハハハッッ!! 面白い! 再び相手をしてやろう! そして、この眼の傷の怨み、晴らさせてもらうッ――!!』
我は歓喜に震えながら笑った。我の片目を奪ったコヤツへの復讐――それが果たせれば再び現れた理由などどうでもよかったのだ。
戦いは激化し、果てしなく続くかと思われた。我の体は浅い傷が増え、逆に弱き者――いや、呼び方を〝小さき者〟と変えよう――の体は無傷であった。
小さき者は多彩なスキル、それに卓越した体捌きで我の攻撃を躱し、あるいはいなしてみせたのだ。
どうやら、一度目の戦いで我の動きを見切っていたようだ。たいしたヤツだ。そんなヤツを弱き者などとは呼べはしない。
なんと楽しい時間であろうか! これほど白熱した戦いは生まれてから初めてだ。
我は思った。この小さき者との一戦を交えるために我は生まれてきたのではないかと。
だが、そんな戦いにも変化が訪れる。
「ハッ……ハァッ……」
小さき者の息が大き上がり始めたのだ。どんなスキルや体捌きを持っていようと所詮は幼体。体力の限界だろう。
『諦めろ。貴様では我には勝てぬ。大人しく殺されるがいい』
そう我は言った。一思いに殺してやるつもりだ。それこそが、我を相手にしてここまで戦った小さき者に対する敬意だと思ったからだ。
しかし、どういうことだろうか? 小さき者の顔には諦めの色はない。むしろ何かを決意したかのような表情を浮かべている。
そう思った次の瞬間であった。
カッ――!!
小さき者の体から眩ゆいほどの閃光が迸った。
光が止むと、そこには漆黒の――獅子が佇んでいた。
弩轟――――ォオッッ!!
獅子が咆哮する。あまりの声量に我の体が震える。馬鹿な、我が恐怖しているとでもいうのか!? 我は思った。
そして、獅子は言葉を紡いだ。
――我が輩の名は〝タマ〟!! 冒険者アリアの騎士にして、Sランクモンスターのベヒーモスなり! 主人の命を救うため、貴様を屠らせてもらうッッ!!!!
声は違う。姿も違う。しかしその名乗りを聞き我は感じ取った。漆黒の獅子、それは先ほどまで戦っていた小さき者だったのだと。
そこからは一方的だった。小さき者……否、〝強き者〟が吐く灼熱の業火は我の肌を容易く焼いた。
我は命の危機を感じた。ゆえに初めて逃げようとした。しかし――
ボウッ!!
離脱を試みた我の前に、業火の中から強き者は飛び出してきた。
そして、その尻尾の先には煌煌と熱を放つ巨剣が伸び、既に振り下ろされていた。
回避できぬ!! 我はそれを理解した。こうなれば相打ち覚悟だ。
我は前脚の爪を振り抜いた。しかし、強き者は剣を振り下ろしながら、半身を反らすという離れ技で急所への直撃を回避してみせた。対し、我は……。
斬――ッ!!
そんな鋭い音とともに、頭を叩き割られた。
敗北だ。完全なる敗北だ……。
痛みを感じる以前に、我の心はその事実に埋め尽くされた。
そして思った。もし、我が〝生まれ変わる〟ことがあったなら、この強き者のようなオスとつがいになり、子をもうけてみたいものだと……。
そんな思いとともに、我の意識は闇へと落ちた。
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