第53話

 分かったことがある。


 そしてそれを、今すぐにお前に知らせたい。


 リアン、お前は–––………。




『グ アアアアアッ』


 遂にドラゴンの喉から炎が噴き出た。リアンは地面を滑り、散っていく火の粉を紙一重で躱す。


 その次に、ドラゴンの頭上にいたスミレが、刹那に矢を射る。三本の矢がドラゴンの半身に突き刺さった。尚も、全てを焼き尽くすような炎は二人を襲う。二人はほぼ自意識を失ったまま、必死の攻撃を続けていた。



 ドラゴンが鳴く。スミレは地面に降り立った時、不意に目の前で糸が切れたような感覚に襲われた。

 すんでのところで火の粉を避け、彼女はこめかみを抑えてその場に立ち惚けた。



 頭が……

 目をしばたかせ、タイムリミットを迎えた弓使いは何かの声を聞いた。



 –––助けて…


「?!」


 ––痛い 苦しい 怖い 怖い 嫌 いやだどうして …

 開放 してほしい…–––



 息を呑み、スミレは顔を上げた。


 すぐ目の前に、ドラゴンの汚れた鱗が––––


「ッッ!!」


 ––スミレを守ったリアンは、人間離れした身体運びで技を次々と繰り出していく。縦に、横にと、剣の切先は高速で回転する。通常であれば身体がちぎているであろう速度だ。–––リアンはものともせず、魔力の支配に身を委ねたままにしていた。



「「リアン!!!」」


 このままでは、まずい。


 そう思わせる、赤い剣。


 デンとスミレは叫びながら、それぞれの得物を構えた。




 __


 軋む。

 ああうるさい。この音はなんだ?

 ぎりぎりぎりぎり。

 暗闇を、何かが何かを引きずる物音が這いずり回っているような。


 脳が何かに引っ掻かれ、叫びたくなるほどに痛い。

 じりじりじり。

 脚が重い。動かせない。


 ふと自分の掌に、ざわりとした感触。

 見てみると––黒い。

 …いや、赤黒い。

 痣かかさぶたか、そのようなものがまるで呪いのように体の中へ侵入する。


“リアン!!!”


 ––そうだ。俺はまだやらなくてはならないことがあるんだ。

 ––ここは? これは何? 兎にも角にも、早く戻らなくちゃ、…


 ぎりぎりぎりぎり

 ギギギギギギギ……


 突如、が、リアンの目の前に現れ、覆い被さってくるのがわかった。背中に氷のような、冷たい何かが這う。気持ちが悪い。そしてそれは、背中から食い込む様に体内へ入ってゆく。


 と__心臓をがしりと掴まれた。_いや、実際に掴まれたわけではなく、化け物が取り憑いたような_そのような、気味悪くおどろおどろしい感覚だった。


 苦しみに耐えきれず、リアンは暗闇に叫んだ。

「ああああああああ!!!」



 口を塞がれた。息ができない。目も見えない。


 しかし。彼は目を閉じなかった。


 違う。これは「支配」ではない。これは、自分が取り込んだ魔力が具現化し、現れたもの。それらは俺を支配しようとしているのではなく、「共になろう」としているのだ。




 __

「あああくそっ!! まずい、リアンが取り込まれかけてる!」


 デンは降り注ぐ鱗の針たちを捌きながら、地面に落ちた赤と黒の化け物に声を投げかけた。


「リアン! リアン! 聞こえているなら返事しろ、そんで戻ってこい! いいかお前を引き止めるヤツなんざそんなモンはな、ぶっ飛ばしゃあいいんだよ! 分かってんだろみんなを守りたいって大口こくんなら! 証明しろ、その手で! 


 自分は魔力を使いこなせるんだとな!!」



 デンの…声だ…


「がっ……」

 だめだ、声が…

 深い深い海に沈められているような…

 そうか、これがナズの言った「失敗」。支配されると終わりなのだ。



「リアン! 戻ってきてお願い! 約束–––、まだ終わってないっ」


 スミレの声。よかった、ちゃんと動けているのか。


「約束」–––忘れるわけがない。


 サナが…ギルド長が。…待っている。

 戻ろう。戻らなければ。


 遅い遅くないではない。何がなんでも戻る。そして生きる。生きる理由をくれた人々に、生きている価値を返したい。

 ああ、この声は届くのだろうか。でもやってみるしかない。



 ここにいろと引き止めるように、手足は絡み捕まられ、再び口を塞がれる。リアンは力尽くでそれを振り払い、上へ上へと、光の見える方へ進んだ。それでも無数の腕は伸びてくる。下から引き止めてくる。まるで呪いのように。いつまでもついて回る影のように。リアンは、その存在に向かって言葉を投げかけた。


「力を貸してくれてありがとう。でもここは––––俺の身体なんだ。じっとしていてほしい」


 腕は弱々しく、引っ込んだ。リアンは頷きかけ、次に言い放った。


「大丈夫。だから」






 –––––


「戻る兆候がある! スミレさん、最後の仕上げだ! なんとしてでもコイツを倒すぞ!!」


 支配から抜け出すリアンの背中を確認し、弓を番えるスミレに合図したデンは、片手剣を鱗に食い込ませ、その尾の上に乗り、軽快に––細い橋を渡るように––––ドラゴンの頭へ走った。デンを振り落とそうと身をくねらせるドラゴン。その動きを封じるべく、スミレは強靭な一発をドラゴンの眼球に命中させた。苦しげに、血の流れる瞳を閉じる間、デンはドラゴンの頭に剣を突き立てた。


 が–––


「っ?!」


 その鋼の剣は、軽く跳ねるのみ。

 全く歯が立たないのだ。


 流石のスミレも目を見張り、頭に矢を一、二本射るが、それらも同じく跳ね返り、虚しく地面に落ちる。ドラゴンは目を開け、頭を激しく振りデンを振り落とした。


「頭硬えっ!!」

「–––首はどうでしょうか」

「––やっぱ首だよな。でも……あそこは」


「ええ……かなりの警戒区域でしょうね」


 二人は、ドラゴンの赤い瞳を見つめていた。

 スミレには神経が読め、デンには思考が見通せる。


「…しかし、神経が見えるようになったなら、ドラゴンも弱っている証拠です」


 スミレは矢を取り出す。彼女の瞳には光が、勝利を約束する強い意志がある。


「私たちは勝てます。リアンが戻ってくれればそれは確実になります」



 _____


「がはっ」


 から這い出たリアンは地面に手をつきながら起き上がり、負わされた傷口を押さえ、片足づつで立ち上がった。先程は麻痺されていたので、痛みと疲れがどっと襲いかかる。重石が頭上からのしかかり、頽れかけ、歯を食いしばって耐えた。


 剣を構えたリアンは、上目遣いでドラゴンを見上げる。息苦しそうに右往左往するドラゴンは、身体を大きく前後させて呼吸しながらスミレやデンの猛撃を躱していた。


 このドラゴンも、そしてこちらも、限界はとうに超えている。


 だから今、決着を…__


 そう決め、柄を強く握り直した時だった。



 突如、ドラゴンの頭が地面に伏したのだ。

 怪物の長い髭が草原を揺らし、僅かに遅れて轟音が突風の如く、彼らを吹き飛ばさんとした。彼らが足を踏ん張って耐える間、ドラゴンは低い唸り声を上げながら、その身体を横たえた。


 最後の呪いが発動したのだ。



「?! なんだ?!」


 デンは立ち止まり、唖然としている。


 リアンは動かない。倒れたドラゴンの見開いた瞳の瞳孔が大小するのを見つめたまま、根が生えた様に立ったままだった。


 何かに気付いたスミレは、咄嗟に声をあげた。


「今のうちです、体制を立て直しましょう」


 先程とは打って変わって、いつも通りの平静さが彼女の姿にはあった。

 スミレは二人に促し、走る。ドラゴンから距離を取ろうというのだ。


「スミレ…」

「これは黒魔術師の残した呪術です」

「呪術?」


 スミレはこくりと顎を引く。


「はい…ですが、胴体を両断されてもなお全力を発揮できるあの相手なら、時間稼ぎにしかならないと思います。……いえ。この時間は非常に有効です。あの方には感謝しましょう」


 スミレは立ち止まり、手袋を外して手の指を動かした。傷だらけの白い手の甲がリアンから見える。スミレの表情は極めて厳しく、今もドラゴンの神経を注視している。目が細くなった。何かに気付いた様だ。リアンは彼女に並び、同じように糸の張り巡る世界に踏み入る。血管のような赤く細かい糸状の神経が、網模様に広がる_美しくも残酷な世界。


 全ては神経の「向き」。


「『苦しい』…『助けて』って、言ってる」

 リアンは呟き、剣を鞘に収めた。

 スミレは頷き、その沈んだ表情を隠すように俯いた。


「私にも聞こえます。これは…ドラゴンの本当の姿、声。きっと苦しいでしょう。彼には、死さえも許さない苦しみを与える腫瘍が植っている…_その苦しみから解放させるためにも、今終わらせなければいけません」


「オレ様にも聞こえるぜ。これ…こいつの声だったんだな…」


 デンは構えていた片手剣をゆっくりと下げ、眉を顰める。


「支配者か…なんてヤツなんだよ」

「同じモノが、ヤナギさんにも取り憑いているんですよね」


 ぎゅっと唇を結ぶスミレは、食いしばった歯の隙間から「早く助け出さないと」と声を絞り出した。身体は強ばり、そのせいで小刻みに肩が震えている。近くにいたリアンはそれを感じ取り、はっとして彼女の横顔に目をやった。その目は必死に兄を探していた。遠くで休ませている自らの兄を案じていた。リアンの手は勝手に、スミレの肩に乗せられる。そしてかつて、彼女が自分にやってくれたように。


「大丈夫。俺にはわかります。スミレも分かってるはずです。ヤナギさんはあなたのために、」

「…兄さんは、」


「…兄さんは、どうしてあそこまで、私の事を一番に考えてくれているのでしょうか?」


 子供のように幼い、儚げなトーンでスミレは問う。


「…俺は、ひとりだったから。きょうだいのことは分かりません。

 …でも、近くにいる人を大切に思うのは、きっと当たり前の感情なんだと思います」


 スミレの顔つきが変化する。


「…ありがとう。そう、大丈夫です、よね。兄さんは」


 スミレは深呼吸を始めた。


「まず決着です。見える通り、急所である首が有効でしょう。おそらく二、三発で致命傷になる」


 血に塗れた白い装備を纏い、スミレは傷を負っているとは思えない凛々しい姿を見せていた。


「…あの呪いは、ドラゴンの体内を「燃やす」作用を伴うそうです。黒魔術師の命の炎が、時間をかけて相手の体を内部から燃やしていく。ゴブリン相手に仕掛けたら、五秒ほどで灰になります。見ての通りあの怪物にはやけど程度の傷しか追わせられません。しかし、それでも立派な魔術師の命が確かにあの中で燃えています。力の限りに」


「_」


 リアンは、名乗らなかった魔術師の、最後に見た顔を思い起こす。


 それは、「勝つ」ことだけを信じた強い面持ちだった。


「そして、リアン」


 スミレはリアンの手を取った。


「あなたには…__もう気づいているでしょうが、魔力の才能があります」


「_正確には、突出した魔力の素質だな」


 デンはこめかみに人差し指を当てた。


「魔力を吸い取った際に瞳が赤くなる。

 _そして能力値が一気に跳ね上がる。

 それらは、他の奴らには出ないものだ。お前だから発揮でき、使いこなせるもの」


「その通りです。そして先程、あなたを飲み込もうとしたものとも、共存できるあなただから、「支配」の対象外になるのでしょう」


 スミレはものを言わないリアンの手袋を取り、ポーションが塗り込まれた、赤黒い痣の様な跡を見つめた。


「これは痕跡です。あなたのなかに、魔力が宿った証拠」




 ♦︎♦︎三十分前


[ベラドンナ安全地帯・避難施設にて]


「ナズ!」

「はい、キキョウさま!」

「これを、あの二人へっ」


 純白のワンピースの裾をなびかせ、キキョウは白木の美しい弓を掴み、ナズにむかって半ば詰め寄る様に、出口に向かって走り出した。


「どうしました、急に!」


 出口に立っていたギルド職員が慌てて二人を止めにかかる。

 ナズは持ち前の強面をさらに厳しくし、女の受付嬢をぎっと睨む。受付嬢はびくりと跳ね、しかし高い位置にいるナズの顔を見上げたまま唇を真一文字に結んだ。


「ごめんなさい。でも通して欲しいの、お願い」


 キキョウはナズに寄りかかる姿勢で丁寧に謝罪して、しかしそれとは裏腹にずかずかと止める人々を押し分けて進む。辺境の村といえど村長という立場であり、名声を集めるキキョウのことである、職員たちは渋々引き下がった。


「護衛をおつけいたします」

「必要ない」


 ナズはキキョウの細い手首を優しく持ち、彼女に離れまいとしながらかぶりをふる。ですが、と食い下がる彼らに対し、「俺一人で十分だ」と聞かず、遂には扉を開けて外へ飛び出した。


「キキョウさま_絶対に、離れないでください」

「わかってる。ナズ…ありがとう」

「! …泣かないでください」


 ナズはバランスを崩しかけながら、鼻をすするキキョウの体を持ち上げた。





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