もつれ絡み合う
第51話
[戦場––––ベラドンナ・極危険地帯にて]
もう、どのくらい移動したか分からない。
リアンは芝を駆け抜けながら、しかし体力の極限を見ていた。
ドラゴンの地獄をも上回る攻撃から一旦距離を置くべく、彼らは動けないスミレを連れて逃亡している。リアンはスミレを、デンはヤナギを抱えて全力疾走、必死の逃走だった。
「…っスミレ! 返事をしてください!」
三度ほど同じ問いを繰り返したが、スミレは目を閉じたまま眉の一つも動かさない。リアンは当たりを見渡す。どうにかして彼女の救護を行わなければならない。…__五十メートル先に、他の木々より二回りほど大きな常緑樹が生えていた。
あそこへ…!
リアンは加速した。彼の意図に気付いたデンが、彼の行く道に攻撃を仕掛けさせないよう、援護の姿勢をとった。ドラゴンは素早く尾を巻いて、彼らを猛スピードで追いかける。剣使いは飛躍を並行利用して、素早さを上げていく。傷口が開く感触があった。
しかし、激痛が身体中を走るのはいつものこと。
それよりも深刻なことに。
スミレは真っ白な顔を少しも動かさない。まるで___
リアンはかぶりを振りながら、たどり着いた木の影に彼女を寝かせた。傷口に目をやる。出血量は大したことではないが、毒を受けたらしく傷口が化膿し始めていた。スミレの属する人種、エルフは毒に耐性があると言われているが、彼女の様子から、毒の威力が凄まじいのか、分解するのに相当の力と時間が必要なようである。__リアンにそこまでのことはわからなかったが、とにかくスミレを安全なところへ運ぶ行動は賢明だった。
「ヤナギさんも安全なところへ__」
スミレにポーションを飲ませた後、リアンはデンに向き直る。…ヤナギの姿がない。
__そしてドラゴンの巨躯も。
彼は遅れてはっとした。
デンはリアンに背を向けて、その方向を凝視している。デンは片手剣を思わず取り落としそうになって、弾かれたように我に帰った。
「あれは…」
五十メートル先__。
無傷のヤナギと、上空にてうねる巨大ドラゴン。
ヤナギは血の滴る短刀を握りしめて、ドラゴンに剥き身で対峙していた。彼の背中は先ほどの無力感とは打って変わってたくましい。ぼろぼろにほつれたシャツの裾が、渦を巻く風に瞬いている。それはさながら、勇者のマントのような__…少なくとも二人の目にはそう映っていた。
デンはいち早く彼を救出しようと走り出した。
リアンは動けず、ただ呆然と棒立ちして___……
ある光景を見ていた。
青紫にもやがかかった、渦を巻いて駆ける禍々しい獣たち。
その中心に一人の人間と一匹のドラゴンが佇んでいる。
これは…__幻か?
それとも、この二人が見ている景色を「神経」を通して俺が見ているのか。
怪しいその煙は二人を弄ぶようにゆらりゆらりと蠢いている。時が止まったかのように二方は微動だにしない。
次に___
阿鼻叫喚。
支配に苦しむものたちの悲鳴、呪詛。そして、救いを求める懇願の声たち。
何にも答えることができず、リアンはその声に耳を傾けた。
取り憑かれたきっかけは、些細な出来事。
人の心の影の部分に、「奴」は目をつける。たちまちのうちに、思考の中へ這入りこみ、甘い声を囁くのだ。
一度きりでも、もしその声に同意してしまったのなら。
支配は完了する。
その声はリアンに助けを求めている。彼らの必死の訴えにより、リアンは「支配者」の素性を少しばかり目の当たりにすることになったのだった。
リアンにこの幻を見せているのは、ヤナギの中にある「支配者」の意識に取り込まれた異形の生物だった。
彼–––––もっとも性別などは無いが––––は、リアンに教えた。
–––お気づきのとおり、この男らは支配されているのです。
男の方はまだ自分の意識が僅か残っているようですが、すでに手遅れに近いよう。
この
そしてあなたたちが「支配されない」理由、ご存知でしょうか。
––––彼は言葉に詰まる。
––…それは、あなた方が–––––だから………
「え…?」
–––––あなた方しか、この不幸の連鎖を止められるものはいないということです。
まずはあの男を正気に戻すこと。
きっとすぐに彼の妹がやってくれる––……
「っっ!!」
急に意識が引っ張られ、リアンは気付くと現実世界に立っていた。
「うおおあああッ!!」
デンの後ろ姿。彼は地面を蹴らんとしている。ドラゴンに攻撃しようというのだ。
リアンは意識がまだ朦朧としたまま、夢中でデンを追いかけた。そしてありったけの声量で、
「ストップ!!!」
たったそれだけを叫ぶ。
デンは驚き振り返るが、僅か遅く、既に剣を振り上げていた。
止めなければ、何としてでも––––。
リアンは今までに猛撃を喰らった相手を、今度は庇おうと、走った。
どうしてこのように体が動くんだ。
デンを止めて何になる?
分からない。ああだめだ。
足が勝手に動くのだ。自分の中の何かが死に物狂いで彼らを助けたがっている。
俺も、取り憑かれているのかもしれない。自分であって自分じゃない何かに。導かれているのかもしれない。
さっき異形の何かが言った「自分の正体」が、この体を動かしているんだ。
でも–––案外。この感情に身を任せることは、悪いことじゃない。
「リアン、なにを…」
巨体に飛びかかった、金髪を後ろに結った男に、デンは困惑して問いかけた。デンは剣を振りかぶった体制を解き、地面に降り立つ。デンは何一つ分からないといった様子でかぶりをふり、説明を求めた。–––そう、ドラゴンは微動だにしていないのだ。目をかっと見開いたまま、牙をむき出しにしたまま、宙で静止している。
「なんなんだ、これは…」
「説明は後で。いずれにしても、ヤナギを助けましょう。遅かれ早かれドラゴンの攻撃は来るでしょうね」
息を切らせながら言うと、デンはぎょっと目を剥き、
「おまえ、出血! 酷いぞ」
「_あ」
「っまえは、ちったあ自分のこと…くそったれ!」
無意識の世界に集中していた所為か、リアンは失血で動きが鈍くなっていた。一気にがたが到来し、膝をついてしまう。デンは悪態をつくと、血濡れた装備を身につけた剣使いを脇に抱えて、スミレのいる方へ戻った。失血で、朦朧とした意識の中、リアンは何とかしてもう一度あの「意識」に中へ入ろうと集中する。…しかし、その感覚はいつまで立っても来なかった。できることなら、もっと、あの幻に浸かっていたかった…説明しようのない、あの時の高揚感を、彼は無意識のうちに求めていた。
デンは大股で疾走する。スミレの姿が見えた。彼女は気絶したままだったが、何やら手足が時折ぴくりと反応を示している。お願いだ、早く目覚めてくれ––––祈るように目を閉じ、開け、リアンの顔を覗き見た。
「まだ意識が…、 大丈夫か!」
「… ……… ……」
「っ… ––––お前、その目の色–––」
そんなに赤かったか?
その問いが脳裏に浮かんだ刹那。
ドラゴンの尾が、びくんと蠢いた。
『ま……テ、待て…』
「ッ…!」
今までリアンの見ていた意識の中で葛藤していたドラゴンが、今度こそ覚醒してしまったのだ。
『ガァあァァァァァ!!!!』
全身をこわばらせる、地獄の底から沸き出たような咆哮_。
デンは、振り向きざまにせめてもの一撃をと剣の柄を握り__
自分の采配の甘さを心底から後悔した。
ドラゴンの爪が空を切る。
瞬間、ギギギ、と何かが軋むような音がした。
デンは助かった。
「…?!」
目覚めた怪物の眼前には、死んだと言われた黒魔術師が、魔法陣を携えて佇んでいたのだ。
しかし、猛撃を受けたのだろうか、血だるまになって、今にも地面に伏しかねない様相である。彼は最期に残った魔力を使って、デンを守った。彼は後ろにいるデンに、がらがらに掠れた声で怒鳴った。
「早く行け…!!」
「…!」
「早くしろ!!」
デンは再び走り出す。振り向きざまに「感謝する!」と、たった一言の礼を残して。
リアンは揺られながら、地面からぶら下がって見える魔術師の大きな後ろ姿を瞳に捉えていた。乱れた意識の中で、気付けば自らにいい聞かせている自分がいた。
俺にはここまでできる力があるのか___。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます