第50話
[広場外・モンスター頻出区域・上空にて]
子供がすすり泣く声が聞こえる。
リアンの飛躍魔法がとけ、彼は上空高くから落下していた。風を切る音に混ざって、幼い男の子の声が耳に入った。そんな悲痛な嗚咽は、小さい頃の自分を思い起こさせる。リアンはその記憶を頭から追い出そうとかぶりを振り、着地に集中した。逃げ遅れた子供かもしれない。だとしたら即刻助け出さねば。
木々に囲まれて鬱蒼とした「モンスター出没区域」。ベラドンナが警戒地区に認定している、危険な地域だ。もちろん普段ならば人は近寄らないが、このような非常事態、ましてや子供となれば、迷い込んでしまうものだろう。
「あっ…あっち行けえ!!」
泣き声の主は、今度は震え声で勇んでいた。リアンは芝の上に着地し、子供を探した。
「うわっ…!!」
すると、一本の細身の樹木ががさりと揺れる。リアンは声と、その動きを頼りに、茂る草たちをかき分けかき分け、たどり着いた。
子供___少年は尻餅をついていた。そのすぐ目の前に、大型の
リアンは子供が少し苦手の傾向にある。…故に、少年は怯えた表情をいつまでも直さないまま、地面に手をついて涙をこぼしていた。
「怪我は?」
「…あ…」
少年は膝を負傷していた。
リアンは膝をついてしゃがみ込み、彼と目線を合わせた。
少年の神経を視たリアンはしばらく黙り込む。どうしても、このような子供を見ていると過去の映像が蘇ってしまう。リアンは怖がる少年に笑いかけようと努力した。
「あ…そうだ。これ、あげるよ」
リアンはほぼ無意識に、先ほどナズからもらった弓のストラップを少年に手渡していた。
「これ…ぼくの村の…」
少年の顔色がほんのり明るくなる。リアンはうなずき、ストラップを少年の手に握らせた。ころころした音色を奏でるそれは、空色を反射して光る。少年は、大切なものを守るような手つきで、ストラップを強く握った。
「大丈夫。ちゃんと安全なところに送るから。_首に、捕まれる?」
それから剣使いは背中を彼に向けた。少年は恐る恐る、黒と赤の装備に手を触れ、首に腕を巻き付ける。___彼の背中の人間らしい温かみに、幼い子供は安堵したようだった。
「飛ぶよ」
リアンはたった一言、そのまま飛躍した。
♦︎♦︎
[広場外・安全区域の施設にて]
「す、スミレ様?!」
討伐に向かっているはずのスミレが、幼い少女の手を引いて避難所に現れたのを目撃した役所の職員は、おろおろと少女とスミレを交互に見つめる。しかし、施設内の喧騒の中では、あまり二人を気に止めるものはおらず、皆慌てて移動しながら不不安そうに言葉を交わしていた。
「逃げ遅れた子供のようです。この子の他にもう一人いるという情報があるので救出に向かいます」
スミレは淡々と説明し、「アメリアさん、ここで待っていてくださいね」と、手を離した少女に向かって言った。少女__アメリアはこくんと頷き、安心きった可愛らしい笑顔を見せ、スミレの足にしがみつくように抱きついた。
「ありがとうっ、スミレお姉ちゃん」
「………どういたしまして、アメリアさん」
「絶対、ノアのこと、助けてね」
「はい、必ず」
アメリアとスミレは二人、目を細めて約束を交わしたのち、スミレは施設を出た。彼女は厳しい表情に戻り、地面を蹴る。地平線近くにドラゴンの尾が見える。ぎらぎらと、暗い青色の鱗が日光に輝いている。体の大きさは百メートルを超える巨躯だ。スミレは風の中、きっと眉を寄せ、七百メートル程離れたドラゴンの神経を視た___
「__これは……」
透かして見えたそれの中__隠れて見えにくい、腫瘍のような黒い塊が一瞬見えた。
__これは偶然なの? それとも…だとしたら。
ごくり。スミレは生唾を音を立てて飲み込んだ。
私の兄さんは、この世に蔓延る恐ろしいものに操られているのかもしれない。
同じ「物体」が、彼の神経の中にも存在した。
それは、彼らの神経の糸を思うがまま操り、その神経の持ち主の人格や行動を「変えてしまう」ようなものだった。スミレはそれに気づいていた。
…つい先程の出来事だ。ミツバと話をした後、スミレは兄ヤナギ対面したのだ。その際、スミレは交渉を試みたのだが__しかし、ヤナギは先ほどと打って変わって、スミレを意に介さず、…何かと会話していた。
_____
「やめろ、俺の中から出て行け…!! いつになったら懲りる…!」
それからヤナギは蹲り、突然苦しみもだえ始めた。スミレは兄を介抱しようとするも、ヤナギの「声」がそうさせなかった。
「_もう時間が…__俺の_村の、村長が持って……る…ゆみ_俺の弓をつか__」
ヤナギは絶叫した。彼が—
少なくともスミレの知る限り、この男がこのような雄叫びを上げるのは、初めてのことだった。
「にいさ__」
地面に倒れ込んだヤナギを抱き抱えようとしたスミレを、彼女の兄は突き飛ばして拒絶する。それが何度も続いたので、スミレは諦めざるを得なかった。
スミレは拳を握りしめて幾分かの葛藤の末、「すぐ戻る」と宣言して兄から離れようとした。しかし、話したいことや訊きたいことで溢れかえった頭では、兄から離れるという思考にたどり着けない。妹は、息を吸う。それから一息にしてこう告げた。
「私は勝つよっ」
息を吐き切ってしまい、スミレは目を見開いて静止する。このようなことを言うつもりではなかった。なのに、結局は用意もしていない一言が口をついて出てしまう。__スミレはいつもの冷静さを失いかけたが、様子の変わらないヤナギを見て、踵を返した。
「くそっ……もう俺は負けない…決めた、のに……」
走り出す時、そんな声が聞こえた。
___……確かに目の奥が熱くなったのだ。あの時、やっと本当の「兄さん」に会えた気がして…
____
スミレは、結局キキョウから弓を受け取ることができなかった。
彼女のいるテントに向かっている最中に襲撃があり、スミレはすぐに対処するほかなかったからである。
実のところスミレは、彼の弓しか扱う事ができない体であった。
ミツバの申し出を断ったのもそのためだ。彼女は兄の弓を扱う時のみ、この卓越した才能を発揮できる。理由は解らない。彼女が彼の弓を使い始めてから、一度でも他の弓を握ると、うまく矢が飛ばなくなったのだ。それは一時期のみの話ではなく、今になってもそのままだったので、スミレは“至高の冒険者”として、兄の弓を使い続ける他なかった。二人は不仲だったが、兄はスミレの弓を造る事を止めることはなかった。
_…いや、不仲だと思っていたのは私だけだった。
ごめんなさい。そう言える時は、一体いつくるのだろう。
___その時、スミレは声を__案じてやまなかった彼の声を耳に捉えた。
「_兄さんっ」
ドラゴンの姿はすぐそこまで迫っていた。
頭上にいるスミレの声は、兄ヤナギには届いていなかった。ヤナギは苦しみ、呻きながら、自らの足でよろよろと獣道を引きずるように歩いている。彼は何を思っているのか、ドラゴンのいる方へ向かっていた。スミレは慌てて____半ば、彼との再会に安堵しながら______降り立ち、兄に駆け寄った。妹の気配に気がついたヤナギは振り返るや否や「スミレ…」とその名を呼ぶ。彼の額には大量の汗の粒が光っていた。顔色が非常に悪く、今にも倒れ込みそうである。スミレはかぶりを振り、「避難して、お願い」と懇願するように兄の背中を支えた。
兄はそれでも歩みを止めない。虚になった瞳は、ずっと真正面を捉えている。
「だめ、なんだよ……俺が行かなくちゃ……あ……「終わり」はこないって…スミレも、気付いて、…るんだろ…」
彼はそこまで途切れ途切れに言い、前のめりになって激しく咳き込む。「くそ、情けないな」と、また歩き出す。スミレはさらに激しく首を振りながらヤナギの肩を掴んで引き留めた。無理やりにでも留めないと、ヤナギは死んででもあそこへ向かうだろう、と___自分の中の警鐘がうるさく鳴り響いたからだ。
「行かないで。代わりに私が」
「離してくれ」
「やだ…っ」
「…スミレ」
「教えてよ…お願い
何があったの。 どうしてここにいるの。
私たち……
スミレは頬を真っ赤に染めながら、恐らく誰も聞いたことのないであろうかすれ声を絞り出した。
「…
… ……
俺は……
俺は_もうお前を…危険に晒すわけにはいかないんだよッ!!」
どすの効いた怒鳴り声に、スミレは思わず手を引っ込めかけ、…しかし耐えて、強引に腕を引こうとする。ヤナギは悲鳴に似た叫び声を上げ、頭を押さえながら振り子時計のように、左右に揺れながら蹲る。
ヤナギは動かなくなってしまった。今も何かに訴えかけるように、呻いている。「やめろ」。「出ていけ」。「もうお前の言う通りになんてならない…」
時間がない。
このまま兄を放って討伐に向かうべきか、拒絶する兄を強引にでも避難所へ連れてゆくか。
後者だ。早急に…。
スミレは強張った兄の体を抱き上げて飛躍する。
「あ…?!」
だが、スミレの選択は誤っていた。
すぐそこ———彼女の眼前には、ドラゴンが雲を巻いて現れていた。
「あらわれ……た、か………」
♦︎♦︎
「アメリア!!」
「ノアあっ!」
ぼろぼろになった子供二人は互いの再会を喜び合う。
「ごめんね…わたしがわがままなんか言ったから」
「いや…ぼくもごめん、アメリア」
二人の会話を背中で聞きながら、リアンは施設の扉に手をかける。アメリアはそんな剣使いに気付いてあっと声を上げた。
「弓使いのお姉ちゃんは、ドラゴンの方に行ったよ!」
リアンは驚いて振り返る。涙や泥で汚れた頬を赤らめて、にこにこと少女は言った。
「お姉ちゃんと仲良くしてね!」
リアンは目を見開いた。アメリアはきょとんとしている。ノアも笑顔になり、もらった弓のストラップを掲げて見せた。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
リアンは頷いた。出し抜かれたような、おかしな気分に陥る。そして、このような状況下での子供の強さを思い知る——なるほど、これが、大人の言う「光」なのか、と。
子供たちに手を振りかえし、再び扉に手をかける。
早くスミレに合流を———
ドガガガガガガ!!!
突然大きな縦揺れが、この地域を襲った。
施設内では人々が悲鳴をあげて怯えていたが、リアンはそれを宥められる程の余裕を失っていた。彼は揺れが収まらないうちに、施設を飛び出し空を見上げる。
「うっ……」
凄まじい砂嵐が全身に降りかかり、リアンはもはや思慮している暇はないと道を急いだ。
嫌な、予感がずっとしてやまないんだ。
俺は本当に、この土地を、人々を救って生きて帰れるのか?
「……! ___リアン! リアン!!」
竜巻のように暴れ回る風に乗って、スミレではない誰かの声が聞こえる……
「聞こえるか?! おい!!」
デンだ。リアンは返事をしようと試みるが、口を開けると砂埃が口の中に入ってくるので、出来なかった。声の主、デンの姿はどこにも見当たらない。リアンは知らず知らずの内に飛躍していた。剣を抜く余裕もない。声も出せない。どうすれば……
「聞こえているなら今からいう指示を聞け!!! いいか、ドラゴンが動き出した! スミレさんが交戦中だ!! だが彼女はすでに手負いだ、誰かがすぐに行って援護しなきゃならんっ」
リアンは旋風からやっと逃れた。
壊れかけの、木製の塔の上にデンはいた。
「やっと出れたか__行くぞ!」
木の塔は崩落する。
戦いが始まった。
茂みから繰り出すモンスターを次々と薙ぎ倒しながら、剛腕のデンは森を駆け抜ける。リアンはそれにつづきながら、残りのパーティの気配を探る。魔術師とヒーラーは人命救助に精を出していたようだ。彼らが思っていた以上に取り残されていた人々は少なかった__リアンはともかく、と、コンビの弓使いの姿を探し求める。「手負い」__デンはそう言った。あのスミレが? どうして…。
半信半疑でデンの方に視線を向けると、デンは前方を顎で刺した。その表情は厳しい。眉間の皺と鋭い眼光がそれを物語っている__。
リアンの心臓が大きく跳ね上がった。
「スミレ…!?」
眩しい青空の下で、スミレの鮮血が飛び散る。彼女の脇腹には、小刀が深々と刺さっていた。
その側には、刀を構える姿勢で手のひらをスミレに向けながら呆然としている、ヤナギ。
「あ…」
リアンの目には__そしてスミレの視界の中の世界は、実にゆっくりと動いているように見えていた。
ドラゴンの尾が、立ち止まる剣使いの背中を掠める。
「リアン!!」
デンは駆け出し、リアンの体を抱えて回避を試みた。周囲の木々が倒れてゆき、辺りは更地に変貌を遂げる。四名を中心として、ドラゴンは牙を剥きだし円弧を描く。その仕草に、デンは警戒して盾を構えた。彼はスミレを庇うようにして立っている。_しかしリアンは、ドラゴンではなくヤナギの姿に釘付けになっていた__。
「おい!! 何してるっ、攻撃がくるぞ!」
ヤナギは激しく息を切らせていた。目は充血し、血走っている。唇に生気が宿っていない。瞳は暗黒に染まって光がない。……別の生き物に成り果てていた。
「っ……!!」
襲いかかるドラゴンの猛攻。その三白眼もまた、正気を完全に失っていた。膝をつくスミレ、いくつもの傷を負うリアン。叫びながら盾と剣を必死に操るデン___…圧倒的な劣勢を強いられている。今すぐにでも回復役が欲しいところだった。
「ヒーラーはどこだ?!」
爪による攻撃を後ろに躱しつつ、デンは周囲を見回した。確かに序盤、挨拶を交わしたはずの少女の姿はいつまで経っても現れない。ぞわり。デンの背筋に冷気が迸る。あの魔術師もいないではないか。
『ヒーラーなラ__死んだぞ。もうずいぶンと前ニな』
「?!」
低く、冷気を帯びた声が、静止しかけた彼らを包み込むように響いた。声の主を探してリアンは空を見上げる。すると、嘲笑するような、不気味な笑い声が、今度は渦巻くように聞こえた。
「今夜の晩餐タち__いや、貢ぎ物どもカな? _今日ハせいぜい楽しマせてオくれ」
ドラゴンはその長い尾を蛇のように巻いて嗤った。
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