第48話
[広場外、林にて]
「ちょっと失礼しまーす。…スミレさ〜ん」
「…!」
木の幹の影から、ひょっこりと顔を覗かせたのは、ミツバ・マツリカ。
「…どうして、ここに…」
––身を隠すように、暗がりに立っていたスミレは振り返りざま弓を構えかけ、慌ててそれを降ろした。
「お話、しにきたんだよ。
ね、座っていいもの飲んで、落ち着いて…私と話そうよ」
やはり、この時のミツバは、悔やみとかなしみを入り交えた顔を見せていた。
「ほら!」
ミツバが掌に出現させてスミレに差し出したのは、手のひらに収まるくらいの大きさの酒瓶だ。スミレは唖然としたままそれを受け取り、ミツバが作り出したベンチに腰掛けた。
「…」
スミレの隣に座り、大きく瓶を煽ったミツバ。それに倣い、スミレも瓶の蓋を開け、少しだけ酒を口に含んだ。辛みと少しの甘味が水色の液体に感じる。その程良い味わいは、体を温め、力を抜いてくれる。思わずほっと息が漏れた。
「美味しいでしょ? あそこで買ったのよ! あの、東区画の有名な酒屋さんが出店してるとこ」
「ああ…そう、なんですね。ありがとう」
「……ねえ、スミレ。…なんだか、いつもと違うよ」
俯いていたスミレに、ミツバは立ち上がり、スミレの前でしゃがんで顔を下から覗き込んだ。
「…あなたは、どこまで知っているのですか」
単刀直入に問うたミツバに、スミレは問いで返す。
「…半分知ってて、半分知らないって感じかなあ。
…平気、なの? あなたは…」
ミツバが心配した通り、スミレの表情は強張ったままだ。
「………泣きそうなカオしてるよ」
ミツバは、にこりと口角を上げて見せた。長いローブは芝生に被さり、しかし汚れることを彼女は気にしていない。
「…!」
「私に、話してみない? ね…ふふっ、スミレは、もう心に決めてることがあるんじゃないかしら」
スミレは頷いた。視線を下ろすと、薄い水色の液体が瓶の中で静かに揺れている。生憎自分の顔は水面に移らなかったので、今自分がどんな表情をしているのか、ミツバの言う通り、本当に泣き出す寸前なのか、見当もつかなかった。ただ、どうしようもなく目頭が熱く、いくら喉を潤しても喉の渇きが止まらない。だから私は本当に、__どうかしてしまったのだろうと思った。
「……リアンに。ひどいことをしてしまって…。もう一度あってきちんと話がしたくても、なぜか、どうにも体が重くて動けないんです」
自分でも驚くほどのか細い声が出ていた。スミレは内心困惑したものの、話し相手がミツバという信頼でき、かつ尊敬している相手だというのが救いだった。安心しきって、心の内を打ち明けることができる。
「…ひどいこと…って?」
ミツバはあえてそこを問う。
「………
…毒…が盛られたらしく、」
「それって、スミレのせいで?」
「…っ、はい」
「お兄さんじゃなくて?」
「……
それは、わかりません」
「でも、「私のせいだ」って思っているのね」
「…」
返答に詰まるスミレの横顔を、ミツバはしばらく眺めたまま、「…違うんだよ」と、彼女は自分に言い聞かせるようにも取れるような声に出した。
「違うの。あなたのせいじゃないのよ。あなたは、スミレは責任なんて感じなくていいの。…全部間違いなんだから。何でもかんでも「自分のせい」にしないで。
リアンは、あなたに怒ってなんかない。あなたに早く会いたがってるの。それに、あなたの代わりに、ヤナギのことを聞き回っているのも彼だよ。リアンだって…あなたに責任なんて感じて欲しくないよ。それはスミレもよくわかってるでしょ? いつも一緒にいるんだから」
畳み掛けるように、ミツバはまくし立てる。だんだんと息が上がり、顔が熱くなるのを感じた。過去の悔やみが自分を攻撃してくるようだった。何万年も前のことなのに、今になって何故ぶり返すのか。ミツバは過去を捨てた。…しかし、自分と同じ道を歩もうとしているスミレを前にして、急にその光景が目の前に広がったように感じたのだ。
同じようになって欲しくないんだよ、私は。
スミレはミツバの必死な様子を目の当たりにする。何度もとらわれたその念に、また負けてしまいそうになっていたことに今気がついた。
「……迷っているいとまなどないのですね」
スミレは意を決する。
ミツバは頷く。心中では、安堵している自分がいた。
ごめんね、スミレ。
本当は、もっと。私らしいことを言ってあげたかった。
でも、昔のことが絡むと、ダメになってしまう。
「…では、もう行きます。お酒、ありがとう。あとでちゃんと飲みます」
スミレはスクリと立ち上がる。体の芯に貼られていたような重りが消えた、そんな気分だった。
「あっ、ちょっと待って。説明したいことがあるの」
ミツバが、武器に刻み込んだ戦闘の記録についてのことをスミレに話す。そして、それ専用の武器が完成し次第渡すことも説明した。そこでスミレは、少し申し訳なさげな顔をミツバに見せたのだった。
「あの…武器については、少し問題が」
♦︎♦︎
[広場外れのテント内にて]
「も…元、恋人…?」
思わず反芻してから、リアンは男の刺すような視線を感じてさっと口をつぐんだ。
そんな素っ頓狂な反応が可笑しかったのか、キキョウ__高価そうな装飾品に囲まれた女性は、ふふっと声を漏らす。
「ええ。今はただの、村長と村人…なんでもない関係ですが。若気の至り、みたいなものね。ふふ」
「村長さん…だったのですね」
動揺を隠そうとすると、抑揚のない返事が出る。この女性は、ヤナギの住む村の村長であった。
「あらっ、あなた言ってなかったの?」
「……」
男はむすっとしている。
「もう…。___そうです。まだ就任してから日は浅いですが…。
深々と頭を下げられ、リアンは困惑した。__あの時の村長は引退したのか、それとも……。
「__そろそろ本題に入りましょう、キキョウさま。急ぎです」
後ろで控えていた男はまた不機嫌そうな合図を出す。キキョウは苦笑した。
「ごめんなさいね、せっかちで。この人は私の側近なの。とっても手際がいいのよ。でも態度が問題でねえ…」
「キキョウさま…」
「わかってるわ、ナズ。でもこういうのも大事よ? 何せ、これから始まる話は…少なからず、いい話ではないからね」
ナズと呼ばれた側近は渋々、後ろに下がった。リアンの後ろに彼が控えているので、きつく監視されているようでリアンはあまり落ち着いていられなかったが、キキョウが語り出した話はおちおち聞き逃せない内容だった__。
__________
ヤナギの兄妹っていうのは、スミレ様のことよね? …察するに、スミレ様とヤナギの関係について…聞きたいのよね。
ヤナギはああ見えて、…とても献身的なのよ。今はあんな感じで恐れられているけど、きちんと指導者として頼りにされてる。私も…そこに惹かれたんだから。
この街の伝統工芸品は知っているかしら?
実は、弓なのよ。それも、スミレ様も使っている白木の弓が、この村が誇る一級品なの。
ヤナギはその弓を作り出すことのできる技術を持っている数少ない職人の一人なの。彼自身、出身は別の場所でこちらにきたのは数十年前の出来事だから…この技術を伝えて村を発展させてくれたのも彼。だからみんなあまり、彼には物申せないのよね。
ヤナギと交際していた間も__…あまり身の内話はしてくれなかった。隠すのがとても上手なのよね。…私は正直、彼が恐ろしかった。今でもそう、なんて、村長が言うことじゃないかしら? でも、あの人は、過去や人柄を越えて…何か別の、もっと壮大なものを抱えているような気がするの。…いいえ、ずっと近くにいたら、はっきり感じた…あなたも、スミレ様も…そうなんじゃないかしら。
……それを除けば、ヤナギはとても…ものすごく優しくて人思いな人よ。いつも、彼は私に
………ただ、様子が変なのよ。
__
「…………何か、変なものに取り憑かれているんじゃないかって…時々思うの」
‘‘取り憑かれている’’…?
リアンの脳内に、走馬灯のように声が飛び交い始めた。それは記憶だ。
『ヤナギ…妙だわ、何かが…』
ミツバの言葉。「おかしい」。「何者かに操られている」。「奇妙」。「様子が変」。「出所のわからない毒」………
「…冒険者さん?」
伺うようなキキョウの声で、悶々と記憶を辿っていたリアンはハッと現実に引き戻される。外から聞こえてくるざわめきが耳に流れ込んできた。目の前では、何も知らない、幼げな村長が不安そうにこちらを見つめてくる。…勝手な憶測でものを言ってはいけない。それに、うまく説明できる気がしないのだ。リアンはその疑念を、心にしまっておくことにした。
「助かりました。ありがとうございます」
頭を、床につくくらい深く下げると、キキョウは慌てて「いいんですいいんです!」と手を振る。
「こちらこそ。ずっとここで待たされていて、退屈だったんです。お話相手ができてよかったわ」
「…外に出られないのですか?」
「キキョウさま、外はダメです。わたしがあなたのお好きなものを買ってきますから、それでよいでしょう」
早口で二人の会話に水を差したのはナズだ。少し
「ええー。どうして?」
キキョウは大変不満げだ。なるほどこのごった返した装飾品達は、ナズがここで買いためたものだったのか__確かに広場で見たものばかりだ。
「危険だからです。あなたのようなお美しい方がこんな繁華街にいれば、手に取るように事件や事故が発生するのです。それに村長となれば……」
「あ〜ハイハイ! 聞き飽きたわその下手な褒め言葉。わかったわよう、ここで大人しくみんなの応援してる」
「それが一番でございます」
軽快な会話を聴きながら、リアンは任務中であることを改めて実感する。ナズは脅迫状の件を知っているのだろう。
「ほら、これがヤナギの作った弓です。触って確かめてみてちょうだいな」
キキョウは穏やかな笑みを見せながら、彼女の座る椅子に立てかけてあった白木の弓をリアンに手渡した。
滑らかな触り心地、手のひらに、当然のようになじむその感覚。手に取った瞬間、この弓がスミレの唯一無二の相棒になる理由がわかった。
これが、スミレの弓……
「これをヤナギが?」
「ええ。この弓を作る木材は私たちの村でしか採れないのですよ。そして、これを一つ作るだけで五ヶ月近くかかる。…かなりの手間と労力が要るから、技術が貴重なのもそれの影響で__ヤナギはいつも、その四ヶ月間は絶対に私に会ってくれなかった。
妹の弓を作る事だけに専念したかったみたいね」
「……」
早く、一刻も早くスミレに再会しなければならない___。
彼女の兄の本当の姿が分かったんだ。
ただ妹の才能を妬み、利用しようとしたのではない。
スミレはそれを知らない。
それは、ヤナギの本質を隠す‘‘何か’’が邪魔をしているからだ。
♦︎
[広場・東区画にて]
「ここらでいいか?」
「はい、どうも」
「ふん、あんたキキョウさまに気に入られたな。またお呼び出しがあるだろう。感謝しておけ」
「じゃあ約束通り教えてやるよ。そのポーションのもう一つの使い方をな」
ナズはリアンの携える剣を指差し、それから腰に取り付けたポーションの瓶を指差す。
「剣には魔力があるだろう。あのオヤジが言った通りにな。しかしその魔力量には限界がある。その限界値を大きく引き上げてくれるのが、このポーション液だ。
まず、その剣の魔力が使用できる状態にする。
_それから、ポーションを手に塗り込み、発生した魔力を剣に注入する。
簡単な手順だが、何度もやらないと成功率は上がらないと聞いた。それに、ポーションの魔力は体に溜めすぎると悪影響が及ぶそうだ。
普通に回復するために飲むだけなら問題ないが、やってみたいなら勝手にすればいいさ、俺はお前がどうなろうと興味ない。俺は…キキョウさまがご無事ならなんだっていいんだ。
…あと、これをやる。キキョウさまのご命令だ。
それじゃあな」
ナズは走ってテントの方に戻っていった。
「……」
ナズの様子から見て取れるに、彼に取ってキキョウは命に代えても守らねばならない存在なのだろう__リアンは彼の屈強そうな背中を目で追った。
ナズから渡されたのは、デリダが獲ったナイトバードの鱗を原料に作られた弓の形のストラップだった。太陽光に照らされ、ガラスのような鱗は色とりどりに光っている。キキョウの村が即興で作ったオーダーメイドの品らしい。
あとでスミレに会えたらこれを渡そうか、などと考えながら、西区画の道を歩いていく。見渡す限りの店が、美しい鱗から多彩な装飾品や小道具を作りだし、売りに出しているのがわかる。どこも盛況の様子だ。
「『キキョウさまがご無事ならなんだっていい』…か」
ナズという男は、モンスターから彼女を守ることができる力を、自分が持っていないことにどうしようもない嫌悪感を抱いているのだ。彼の仏頂面の裏に、悔恨の苦しみが隠されている。神経を見ようとしなくとも、人の細かい表情の変化に気を配っていれば、分かることが多いのだ。
_大切な人を守るのは難しい。
いつでもそばにいるからといって、大切な人のピンチに立ち向かえる力がなければどうしようもないのだ。
……ましてや子供は尚更だ。
今ならあの時の彼女を助けてやれたのに__。
♦︎♦︎
「たっ、大変だッ!!!」
中央広場の方角から、絶叫とともに人の大群が押し寄せる。あちこちで悲鳴が上がった。皆パニック状態で、右往左往、そばにいるものと抱き合い、あちこちに走り出す。…巨大な混乱の始まりだった。
「うそ…だろ? なんで…こんな…」
__一人の剣使いは、その声の方向へ走り出す。
「冒険者様はいないの?!」
__一人の片手剣使いは舌を打ち、準備の仕上げに取り掛かる。
「大丈夫だから…! 離れないで!」
__一人の弓使いが、弓の
「モンスターだ…っ、ドラゴンが現れたぞ!!」
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