第44話

[ブルー区・冒険者ギルドにて]


 ギルド内には、日常感漂う心地の良い騒がしさがある。


 職員同士が呼びかけ合う声。冒険者達が各々の相棒武器を揺らす音。受付嬢が依頼書を管理する、紙のこすれる音。–––つい昨日から「後輩」なるものができたサナは、そんなギルドの空気感が好きである。


 –––が、今日––リアン達が旅立った日の昼間に–––そんな雰囲気はがらりと変化する。


 サナは敏感にそれに勘付き、入り口の方に視線を投げかけた。背後で仕事をしていたギルド長レンが机に盛大に腰をぶつけながら立ち上がる音が耳に入る。サナは慌てて腰を上げ、身を乗り出し、空気を一気に別の物へ変えてしまった人物を––五秒程度かかってやっと、認識した。



「……何か御入用でしょうか?」


 レンはいち早くその人物の前に立ち、見事な営業スマイルを貼り付けた。ボルドー色のローブ、煌く「大魔法使い」のエンブレム。彼女は三角形の帽子を脇に抱えて、自分と背丈がほぼ等しいレンににっこりと笑いかけた。


「初めまして、突然ごめんなさいね。リリーさん。わたくしミツバ・マツリカと申します〜。ええーと、サナさんって子…いらっしゃるかしら?」


「えっ?!!」


 サナは机に手をついて上半身を乗り出したまま素っ頓狂な声を上げた。横で、カリーナがミツバとサナを何度も交互に見ては、「サナ、あの方に何かしたの?!」と目を白黒させている。「サナ」という名前–––職員では、彼女しかいない。


 ただ、ミツバとは初対面のサナ。人違いだとして、とにかく冷静になれと言い聞かせる。


「…受付嬢のサナ・ヒールの事でしょうか?」


 レンは律儀に両手を組み合わせ、やや上目遣いにミツバの瞳を見つめた。その顔から既に笑顔は無い。ミツバはそんな辛辣ともいえる対応に、冷や汗をかきながら首を振った。


「そ、そんなあ! 私はサナちゃんに危害を加えようとかそんな馬鹿みたいな事は考えてませんよ! 〈世界大魔法組合長〉の名に誓って絶対に! しません! 

 ただ、サナさんとリリーさんと三人でお話ししたいことがあって来たんです。––さっき、あそこの武器屋のデリダさんとも同じ話をしてきましたから。


 ……信じていただけますかね…?」



 ミツバの大人びた様な仕草は消え、祈る様に指を組み、腰をかがめる。レンはそんな彼女に、もう一度笑顔を見せた。今度は自然な笑みである。


「ええ、分かりました。今部屋をご用意致しますよ」


「ええっ…えっ?!」


 サナはすがりつくように、先輩たちの方を見る––が、彼女のすぐそばには初々しき後輩が不安げにこちらを見つめてくるではないか。心配させまい、サナは無理やり笑顔を作り出し、「わ、私は大丈夫だよ!」と言ってみせた。先輩たちはそんなサナに頷きかける。サナは今すぐにでも逃げ出したい気分だった。



「サナさん…––

 あなたにね、渡しておきたいものがあるんだ」


 ミツバは、そんな場に見合わない悲しげな微笑みをサナに送った。




 ♦︎♦︎




[カモミール大陸・都市区「ベラドンナ」役所にて]


 ジリリリリリリ、ジリリリリリリ……


「は、はいッ!……え?」


 –––カモミールという大陸の中枢となる国カモミールは、島国であるなか、大陸の中心部に都市部を構え、海沿いには開発された村に、荒廃した村が点々と並んでいる。

 都市「ベラドンナ」は、チャンプと同じ様に区域が存在し、大まかに市民街、観光街、ビジネス街と分かれている。


 要請を受け、入国したら真っ直ぐに向かう様にと言われたのが、「ベラドンナ」ビジネス街の役所。冒険者ギルドの十倍程の大きさの建物である。おおよそこの機関がカモミールという巨大な国家を管理していると言っても過言ではないであろう–––––石造りの時計塔を見上げ、スミレは目を細めた。



 –––そして二人が役所の受付窓まで進むと––––

 やたらと声の大きい、電話対応をしている受付嬢がいた。短髪で胆力の強そうな彼女は、二人のいる方を見やって素早くぺこりと頭を下げた。しかし、真新しい受話器の向こうにいる相手に気を取られているようで、椅子を回して二人に背中を向けた。


「はい、……はい。確かにそうでございます」


 受付嬢は屈んで、不安な面持ちで口元に手を当てた。声を抑えようとしている。が、地声が元々大きいのか、二人には筒抜けだった。


「え……は、かしこまりました。伝えておきます。…はい。で、では…」


 彼女は静かに、無線電話の受話器を電話機に戻す。それから椅子を元に戻し、手持ち無沙汰な二人に向き直った。


「ようこそ、スミレ様、リアン様。ベラドンナへようこそ。この度は緊急要請にいち早く応えてくださり、誠に感謝しております。––……しかしながらその件について、少しお話が…」


 真っ白でよくのりの効いたブラウスに、ピンクとベージュのチェック柄であるリボン。上品な風態でいて、その受付嬢は申し訳なさそうな表情を隠しきれずに、悶える様に縮こまった。


「すっすみません!!」


 その有り余る勢いに、リアンは少しのけぞった。

 スミレは眉を僅かに寄せ「…どうして?」と、唇を震わせた。


 九十度に上半身を曲げていた受付嬢は、ゆっくりと体を持ち上げながら、手を前で組んだ。


「それが、ある方からの申し出で……お二人を祭典に参加させるな、と、祭典主催側の方なのですが…」


「え…?!」


 そんな、何のためにここまで飛んできたのだ。リアンは戸惑い、腰に手を当て頰に手をあてがい剣の鞘を握る。

 スミレはさらに表情を険しくさせ「…誰からの電話でしたか」––––静かに、唸り、威嚇するように–––詰め寄った。世界から評価される〈一番星冒険者〉からのその威圧感で、受付嬢は怯み、息を呑み込んだ。それでもスミレはやめる事なく、さらに一歩、足を踏み鳴らす。リアンは今度は冷や水を頭からかぶせられるような気分で、スミレを静止しようと腕を広げた。


「スミレっ」


「しゅ、守秘義務が」

「私の兄……

 ヤナギ・シェルからでしょう」


 スミレは見透かしたかの様、夜の獣の如く受付嬢の怯えた姿の睨んだ。リアンには、彼女はさして怒りという感情を抱いているようには思えなかった。…少しだけ、悲しげな表情だとさえ感じた。


「……」


 図星だったのか、受付嬢は反論もせず、深く俯く。厳しい面構えのまま、スミレはまた何か問い詰めたそうにしていたが、リアンは必死に被りを振って制止する。ここに来て、よりにもよってスミレがいざこざを起こすのは嫌な気分だし、そうそうこの国から立ち去る気のない彼としては、ここの人間たちと不仲にはなりたくなかった。


 ……しかし、彼女の思いがわからない訳では無い。むしろ、心の底から共感してしまっていた。今でも彼は、彼女の行動を許してしまいそうになる。怒りでもないその、収集のつかない感情に身を任せる彼女の顔、瞳__兄との仲を取り持つ存在になろう、そう決心して間も無く、このように向こう側から拒まれるのは__何ともいえない程に寂しさを感じさせるのだ。



「…ここは落ち着いて対処しましょう。大丈夫、スミレは決めた事をちゃんとやり遂げればいいんですから。だから……今は」


 スミレにだけ聞こえる声の大きさで、リアンは囁いた。スミレは深く息を吸い込む。唇はわずか震えていた。目には涙さえ浮かぶことも忍びなく___リアンは思わず自分の胸をも締め付けられるような思いだった。


「……はい。…ありがとう」


 ___スミレは平静さを取り戻し、今度は優しく歩み寄った。受付嬢はびくりと体を跳ね上がらせ、オドオドと、スミレの方を見上げる。__スミレは深々、苺色の髪が垂れ下がる程、頭を下げた。


「ごめんなさい。少し取り乱してしまいました。_わざわざ伝えてくださったのに申し訳ないですが、電話の主には「お断りします」と__それだけ返しておいてください。…これは私の我が儘です。あなた方に非はありませんから。…これで失礼します」


 呆然としている受付嬢に、顔をあげたスミレは丁寧に__律儀に言ったのち、もう一度軽く会釈をして踵を返した。リアンは、脇目も振らず出口に向かうスミレを追いかけつつ、固まっている受付嬢に申し訳なさそうな笑顔を残し、__役所を後にした。



「…もしもし。こちらベラドンナ役所受付でございます。

 __スミレ様から折り返しの伝言を預かっております___」








「…それにしても、どうして…なんでしょうか?」

「何がですか」


「どうしてお兄さんはスミレが来るのを拒んだのか…です。だって、お兄さんはスミレのその__才能に付け入っているんですよね。__なら、普通歓迎するんじゃないですか? 別の意味で……ですけど」


「__…わかりません。私は一度も、兄の考えていることを理解できた覚えがありませんから」


 スミレは伏せ目がちに、__斜め下を見やる。


「……なら、あきらめますか?」

「__え」


 リアンの口からこぼれ出たその疑問。彼はそれを口に出そうとは思っておらず、言ってしまってから慌てふためいた。…しかしスミレの決心というものが、どれだけのものなのか___知りたい気持ちが、葛藤の結果 まさってリアンはそのままスミレの瞳を覗き込んだ。

 ビジネス街の広場__朱色の葉をつけた木々が揺れている。陽が傾きかけ、橙がかった木漏れ日は、涙が溢れ出るが如く、ゆらりくらりとうごめく。人通りは少ない。だだっ広い広場に__立ち止まった二人のみ。




「……いいえ。諦めません」

「_応援します、ね。俺も、微力ですけど」

「………どうしてリアンは」


 空を仰いだリアンに、低いトーンの声がかかる。

「…?」


「どうして…貫き通す事ができるんですか」


木の葉が風に揺らめく。


「…俺が、ですか? …この俺が、決めた事、全部やり通してるって、見えますか

 ?」

「…私には、そう見えます」


俯くスミレ。 


「__…そんな訳ないじゃないですか。

 俺は弱いですよ。あなたはよく、俺のことを「強い」と評価してくれますよね。俺は……その理由が知りたい」


リアンは首を何度も振り、否定する。

 スミレは視線を、足元に落とす。芝生の地面に、白色の美しい花が咲いていた。


「……足に、重りが付いた鎖が巻きついているみたいなんです

 頭の中では、何でも決める事ができる。「やろう」と…思うことは簡単でも…いざ動こうとすると、体が重いんです。私はいつもそう……でもあなたは、いつも休むことなく歩き続けられている。それは…あなたが強い証だから」



「…やめてください


 今の言葉全部、スミレに返ししますよ、俺はっ」


 リアンは遠い地平線を見渡し、振り切る動作で叫びをあげた。


「何度も判断が遅れた、俺が未熟なせいで、あなたにだって迷惑をかけた! それでいていまだに__自分に課せられているものにちゃんと向き合えない_こんな俺は! 

__あなただけを追いかけてここまで来たんですっ! あなたの強さに憧れたから___前も言ったでしょう、そんな顔しないでください! 俺が今までずっと追いかけてきてもまだ追いつけていないんですから、あなたは強いんですよ! 俺なんかよりもずっとずっと_

__もう、見失うのは終わりにしましょう__お兄さんと仲直りするって、決められたんですからッ。それでいいじゃないですか」



 二人、太陽を挟み、向かい合う。風が吹いて、二人の間を駆け抜け、消えてゆく。穏やかな風景の中で、迷いと決意の繰り返しは今、_一つになった。


リアンは心のままにおおっぴろげに喋ってしまったので、もう吹っ切れたと、開き直った。


「もう一度言わせてもらいますけど、俺はまだまだですからね。だいたいスミレは俺に対しての評価が甘すぎですっ。過大評価なんです」


「そう、ですか?」

「そうですよ! いつも言われてばっかりですからお返ししますけど、スミレの凄さは弓の才能や肩書きだけじゃ語れませんからっ」


「語れ……」


「いいですかとにかく、あなたはどの神話の世界にいる女神よりも綺麗だし、優しいですっ。それに俺みたいなやつのことを「友達」って言ってくれる程器が大きくて親切だし、それに___」



 相棒を語る時間、互いは顔を見合わせ、声を上げて笑い、時には真剣に考え、言葉を、様々な表情を交わし合う。




 ただ、それだけの時間が人を変える。


 スミレの足に付けられた足枷の重さは、二人で半分ずつ受け持つ。


 一人の迷いは二人の迷い。運命は共同で請け負う。こうして、仲間と繋ぐ絆は成長してゆく____



「_あの。さすがにもう、恥ずかしいです」

「え? まだまだありますよ」

「それまでにしておきましょう。__もうすぐで会場ですよ」


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