第45話

[カモミール・都市区「ベラドンナ」観光街にて]


 観光街の、祭典が開催される大きな広場。周りは色鮮やかな花々を咲かせる常緑樹が囲んでいる。広場の中央は円形のステージになっており、明日から祭典が開催されるということで、人々は休むことなく設営の作業に努めている。


 広場には、場所を余すことなく屋台が並んでおり、各地方から集った職人や商人らは最終調整に精を出していた。


「いよいよ明日か…! じゃんじゃん宣伝するぞ!」

「俺達の技術が有名になれば、村も明るくなりますかね」

「あったりめーだよっ! それに噂だと、あの〈一番星冒険者〉様も来るんだってよ…! その方に買ってもらえればオレたちの株も爆上がりじゃねえか!」


 ––––と、ポスターや看板を取り付けながら、若い男と初老の男は楽しそうに話している。




「スミレが来るってことは…知られているんですね」

「ええ…ですが、参加者はあの予告のことは知らされていないようです」


「うーん…十年に一回、か…

 確かに、参加者にとってこの行事は欠かせない商売の一つみたいだ」



 _____と、それまではいつも通りのように周りを観察していたスミレだったが、「_____ッ」と___何かを見つけ、思わず目を逸らしかけ、肩を硬らせてそれを我慢した。


 その様子を見てすぐに気が付いたリアンは、スミレと同じ方向に集中する。_____いた。


 スミレの兄だ。


 名前はヤナギ・シェル。



「……」

「…」


 神経を見透さぬとも、スミレは血迷っていることがよく分かった。リアンは無言で、いつでも彼女の後ろをついて行けるよう、土の地面をざり、といわせ後ろに下がった。



 _____当のヤナギは、二人に気付かない。彼自身も準備に追われているようだが、指示者、というのは以前の村の件と変わらず、村人を指揮しているようにみえた。


 スミレは、_一歩。またさらに、一歩、横に少しよろけ、また一歩と、足取りは少しばかり不憫だが、それでも顔もちはしっかりと、兄の方へ歩いてゆく。


 _____そんな彼女を刺激しないように、冷静を努めるリアンだったが、心臓の音は本人よりも高く、速く鳴っていた。その所為あって、顔どころか身体中熱く、指先が震える。自分が一番取り乱しているということ––悟られぬよう、彼は慎重に後に続いた。



 __二人がその調子でヤナギのいる屋台の側に近付くと、ヤナギは部外者の侵入に気がついたように、鋭い眼光を二人に向けた。


 __そして、立ち止まったスミレを見るなり___


 と相変わらない、歪んだ笑顔を見せたのだった。




「_やあ、久々だね我が妹よ! ねえ伝言は聞いたんでしょ? 「断ります」_だったっけ。あははは、よくもまあそんな口が聞けたもんだよ! ねえ君もさあ、そう思わない?」


 全開におどけ、彼は唐突にリアンの顔を覗き込んだ。

 その隙にヤナギの神経が一瞬だけ見えてしまい、リアンは はっと息を呑む。


「……そうです。私達は仕事でここに来ていますから。

 私事で、のうのうと帰ることなどできません」


 スミレはあくまでも冷徹に答えた。


「…………まあ、そうなるよねー。予感はしてたけどさっ!

 …ねえ。ちょっと二人だけで話をしようよ」


 スミレの呼吸の調子が荒くなる。

 ヤナギは表情を無に還して言ったのち、顔の影に隠れるようにリアンを睨みつけた。


 __この二人は、全く違うようで何かが似ている気がする。

 だからこの人を、俺は憎むことができない…


 リアンはそっと、目を逸らした。


 彼の本当の気持ちを暴こうと思うことはしたくない。

 それをするべきは妹の方だから。




「わ…かりました。_____リアンは自由に行動していてください」

「あ…はい」

「けってーい! じゃあこっち来て」


 ヤナギは素早くスミレの手首を掴み、ぐいと引っ張って屋台の向こうに連れ込んだ。その乱暴な動作に、リアンは思わず声が出かける。_も、スミレの顔を見、自分を律した。



 __手伝い、しなければ。



 ちゃんとスミレの「相棒」となれるように。




 __リアンは、作業をしていた村人たちに話を聞くことにした。



「あの…少しだけ、いいですか?」


「__ん? ああ…あの時の冒険者さんか。あの時はすまなかった」


 やや年のいった男は手を止め、笑顔で答えてくれたが、疲れが酷いらしく、笑顔をつくることにも苦労していた。朝からぶっ通しで働かされたのだろうか___リアンは気遣い、「あの、ちょっと座りませんか」と。近くのベンチに誘導した。



「あ、ああ…すまない」

「いいえ…これ、よかったら飲んでください」


 リアンが差し出したのはポーションである。円柱形の瓶に入っている、いざという時すぐに体力を回復できる優れものだ。


「___あっ、美味い!」

「でしょう。良いお店で買いましたから」

 リアンは殻になった瓶を受け取り、栓を閉めて腰にベルトに収めた。


「そーか…でもこっちにもな、凄いポーションを作ってる職人がくるらしいんだ。奢るよ、礼に」

「えっ、いえ俺は勝手にポーションを渡しただけだから––そんな」

「いーのいーの! 堅苦しいことはさ! ……助けてくれたんだしなあ」


 男は肩を落とした。白いTシャツは所々泥で汚れている。頭に巻いたタオルは汗まみれ。手には痛々しい豆の跡、指には多数の切り傷。リアンは居た堪れず問うた。


「あの…あのヤナギさんに従わされてるんですか?」


 __と、そばで荷物を運んでいた村人がぼそりと呟く。

「………違うよ。そんな次元じゃねえ」



「…え?」


「あのひとはさあ………俺たちのことよくわかってんのよ。もちろんバラされたくねえ秘密とかもさ。ここにいる村の奴のはみんな、あの人に弱み握られてる。だから逆らえないんだ。それに、はあ…」


「__…あの人のおかげで、俺らの村もものすごく発展したしなあ。だから俺たちはほとんど自分の意思で動いてる」

「…でもまー怖えんだよな、ヤナギさん………」


 村人達はそろって深いため息を吐いた。


「……俺、知りたいんです。あの人のこと……」



 魔導列車の座席で、スミレが途切れ途切れに教えてくれた、兄の記憶。


 妹の「神子」という素質や能力を、いつの間にかつけ狙うような存在になった__その理由を、スミレは知らない。


 しかし、リアンは心の奥で感じていた。




 スミレの兄は、スミレに似ている。


 またスミレは、スミレの兄に似ている。


 なんせ、兄妹だ。

 俺には、家族はいないけれど。


 少しだけ、分かった気がした。


 彼の体を取り巻く神経が、小さな穴から視えたとき。




 ♦︎♦︎




「…ねえスミレ、まだあの男とつるんでるの?」

「……コンビです。つるむつるまないではなく、いつも共にいます」


「へえそう。そりゃあ随分…信頼しあってるんだね?」

「_はい」

「なんで?」

「え…」

「なんで信頼し合えてるの?」


 広場を囲む樹々の影、木の幹に寄りかかり、ヤナギは葉の隙間から暗くなりかけた空を見上げた。スミレは芝生が青々と茂る地面を見下ろした。



 なんで?


 なんで……


 何故…


 リアンは…あの剣使いは……いつも私に、憧れの眼差しを向けてくる。

 それは決して不快じゃない。むしろその瞳が、私の自信になっているんだ。


 でもそのやりとりだけで、信頼とまではいかない。


 私達は_…いつも共に行動し、時に戦いの時は、助け合って、庇いあって、補い合っている。



 でもそれだけで、本当の信用が生まれる?


 私は、

 彼の何を知っている?



「ねえ、なんだか疑り深いカオしてるね、スミレ? 確かにあの時から、の色は変わったけれど。


 –––––目覚めたんでしょ、「神子」の力が」


「__ッ!」


 何が言いたいの。


「まだ遅くない。

 ねえ、俺はスミレの「お兄ちゃん」だ。

 お互いのことはよーく知ってるでしょ? 生まれた時からずっと一緒だもんね」


 ドクン、ドクン、ドクン__

 心臓の鼓動が。

 落ち着け、落ち着け、落ち着け!


 私は今、そんな話をしに来たんじゃない!


 違うんだ、私は、私はリアンと、コンビと、

 守らなきゃいけない。約束を。

 私はいなくならない_____言ったばかりじゃないか。



 スミレは勢いよくかぶりを振った。風が吹く。枝は震える。ヤナギは俯くスミレの正面に進み出て、その肩に両手を乗せた。


「この世界は変えられる」


 やめて。


「スミレと俺_この兄妹がいれば」


 いやだ。


「簡単だよ? _あの剣使いとの信頼度を調よりも」


 ちがう。




「ねえスミレ。


 __俺のそばに来てよ。

 もうさ、刺々しい言い合いは止めようじゃないか。

 仲良くしよう」



「…あ……」

 __私は………

 仲直り、したかった。

 たった一人の家族だ。

 小さい頃は確信していたんだ。ずっと二人で一緒にいるって。


 でも私のせいでダメだった。



ダメにしてしまった。






 今は?





 今、なら………




 ♦︎





 樹々の影からスミレ一人が出てきた。


 村人達の手伝いをしていたリアンは、スミレの姿を見てあっと声を上げる。それから手を振った。


「これからどうします? …あっあの、俺分かった気がするんですよ。お兄さんの……」


「もういいですよ」

「え?」


「だから、もう大丈夫です。

 私達は–––仲直りできました」

「え? そうなんですか? それはよかっ……た……」


 スミレはリアンの方にはあまり視線をくれず、すたすたと歩く。


 リアンは何故か彼女の背中を追うことかできず、その場に立ち尽くした。





 なにか。

 なにかおかしい。


 なにが?

 何がおかしい?

 仲直りできた。スミレはやってのけた。さすがだ、すごい、これで解決じゃないか。


 でも何だろう…


 俺の神経…の、大切な部分から、何かが抜き取られたような。


 空虚感。

 無力感。


 気力が起きない。


 足の力が抜ける。

 そのまま、地面に手をついた。

 景色が歪む。

 耳が全く聞こえない。





 ___意識が遠のいた。






 





「……うまくいったな

 これでいい。これで……」











 ♦︎♦︎





「おぉーい…

 ……大丈夫?

 おーい……! あ…目が……!


 大丈夫?! !」



 見慣れない景色だ。


 いや、見たことのない景色。


 これは空?

 ちがう……白い……天井?



 俺は……

 なんでここに…


「あーよかった! 全くあっぶない目に遭ってくれるなあ、君は」


「…あ、」


「あーあ心配したよ! まあでも! もう大丈夫、私が起こしたげたんだからね」


 傍らでにっこり、歯を見せる女性__魔法使い、か。


「意識はオーケー?」

「……はい…助けて……くれたんですか」


 またにこり。堂々とした笑みを見せる。


「そうそう。どういたしまして。私はミツバ、覚えてる? スミレの友達よ」



 魔法使い、ミツバ・マツリカは、リアンの背中を起こした。彼は真っ白な床の上に寝そべっていた。


「あ、あのっ…」

「聞きたいこと、いっぱいあるでしょうね。

 じゃあまずは、これ」


 ミツバは掌を出した。

 –––ふわ、紫色の煙のようなものが舞う。それは一度踊るように巻き上がり、花弁を散らし、


 ––リアンの胸の中へ入り込んだ。


「…?!」

「心配しなさんな、魔力を付与しただけだよ。


 ……ほんとに「いざっ!」って時だけに使うこと! いい?」


 ぐいと、顔を寄せられる。ふわりと花の香りが鼻腔をくすぐる。リアンは思わず顎を引いた。


「よっし。じゃー次。

ここは私の魔法の中。

 要するに、リザレクション[奇跡]ね。

 君、毒にやられて死にかけてたんだよ」


「死っ……は?!」


 リアンは慌てて自分の体を観察した。なんらおかしいところはない。傷もない。毒に侵された痕すら。



「驚くのも無理はないけど、ちゃんと冷静に聞いてね。


 _____毒を使ったのは、スミレだよ」




 ミツバは目を伏せた。



 リアンは首を傾げるのも、冗談を、と笑い飛ばすのも、きちんとその言葉を自分の頭の中で反芻するのも忘れてしまうほど、率直に––ストレートに、ショックを受けた。


 それは毒よりも鋭かった。



「…… ………



 なん……で……」



「それは…ね。本当に困ったものだけど、私も分からない。

 だって私も超ショックだもん。なーんにも手につかないくらい。


 だって信じてたんだから。君もそうでしょ? いつも追いかけてたものね。でも、事実なの」


 ミツバは指を組み、座り込んだ。



「あ〜……ほんとやになるわ。なんでよ、スミレ…

 約束……すーぐ…忘れてさ。

 意外とああゆうところあるんだよね。夢中になっちゃって…大事なもの、落としちゃうんだ」





 私は、いなくなりませんよ。






 もう、いなくなったというのか。

 失った?

 俺は失ったのか?

 強くなる手立てを……彼女の背中を。



 ずっと恐れていたことが。

 今起こってしまったというのか_____



 信じていたのに。


 スミレは俺のこと、

 信じていなかったの__?






「リアン!!」


「はっ…」


「だめだめ。まだ諦めちゃ、だめ! ね、私も手伝うよ。何のためにここにきたって思ってるの、助けるんでしょっ! 君まで忘れちゃだめだよ! ね!」



 リリーの悲しげな笑顔。

 託された。



「__そうだ。俺は…_____」



 リアンは強く拳を握りしめた。

 正直許すことはできない。スミレの行動は。

 でも、信じてるから。

 半分ずつ受け持っているから。


 きっと何かが起きてしまったんだ。


 そう思うことにしなければ。

 ちゃんと理解できるその時まで。


 今は、誰かの大切なものを護らなきゃ。



「わかってます……協力してください!」

「そのつもり! よっしゃ燃えるぅ!」





 _____こうして二人は一時的にタッグを組むこととなった。

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