第39話
どうして今、その世界を見ることができたのかは分からない。
…分からないが、リアンには何となく感じることがあった。
この女が、今までに出会ったどんな敵よりも、強く、知的であるという事実。そして、その女が何者かによって支配されているという事。後者は彼の勘だが、女の言動は矛盾があった。
リアンはここの鉱石のかけらを持ち帰ろうと手にとり、それによってこのモンスターが現れた。その通り、女は「私の一部を持って帰ろうとした悪い子供」と、リアンに言ったのだ。
しかしスミレは洞窟に這入り、撃破して壊した際、その鉱石の一部を手に取って持ち帰ろうとはしていなかった。
そして女は先程、「どうしてあの
そう、女はスミレを襲う必要など無いはずである。本来ならば。
なら何故、女はリアンにそれを問うたのか?
彼の振るう刃が女の頸に到達するまでの時間で、彼は考え込む。その矛盾に、弱点があるはず。それをつけば、コイツは……
「悪餓鬼には私の頸なんて切らせないわよお!!」
ガキィンッ!
女の頸に触れた剣は、そのまま停止する。少しも喰い込みはしなかったのだ。この頸、鉱物よりも硬い–––––そして、考えることだけに頭を優先させていたリアンは、次なる石の攻撃に気付く事ができなくなってしまった。
「くっ……!」
女はあははは、と今度は麗しさも微塵も感じさせない狂乱した笑い声を放つ。冷たい瞳が刺す方向に、鉱石も動いていく。地響きを鳴らしながら、地面から無数の鉱石の針を出現させた。目にも留まらぬ速さでそれは天井まで生えてゆく。
女は、視線や手を動かした方向に鉱石を移動させられるようになっている。
つまりは、攻撃を確実に避ける為には、女の瞳を観察しなければならないのだ。リアンは既にそれに気付いていたものの、手足の様にうごめく鉱物達を防ぐだけでも精一杯で、本体を凝視することができない。
–––––相手の攻撃パターンは無数にあるのだ。対してこちらは技の形も十と無い。–––もうアイツは、俺の出す攻撃を読み切っている––––
こうとなればもう、時間の問題になってくる。
–––…でも、焦っちゃダメだ。冷静に、落ち着くんだ。スミレの様に、冷徹に、醒めた頭で考えるんだ–––––
やはり、女の矛盾についてもっと情報を得なければ。
リアンの勘が正しいと仮定すると、女が何者かに操作されているとなる。–––すると、スミレが洞窟を破壊した時女が出現しなかったというのは、女の「性質」ではなく、何かの「意図」があったから、といえるのだ。
今その「何者か」は、この女に言及しても正しい答えが返ってくるとは限らない。つまり、これについては今は深める時では無い––……今、掴むべきは。
リアンは、壁から生えた鉱物の表面を蹴り、一気に距離を詰めた。剣の柄を、両手で強く握る。––剣身を見ずとも、それが青光りしている事はよく分かった。柄から伝わってくるのだ–––熱と、エネルギーが。
こうして彼は神聖な銀剣と共に魔力を纏い、加速した。
ぎらりと、剣呑な光を放つ攻撃的な鉱物達の間を潜り抜け、土を蹴り、鉱石を切り裂き、大きく振りかぶる。彼が振るう剣の青白い光は、この呑み込まれるような暗い空間を、明るく–––希望にかざす太陽の光の様に–––照らした。
もう一度あの世界にのめり込んでみたい。
全てが違った–––自分も、周りのものも。
なにが見えるのだろうか、なにを手に入れられるのだろう? 何をつかめる? あの世界に入りきるという、スミレと自分の夢が叶ったなら、デリダの伝説も、想いも受け継ぐことが出来る? サナを守れる? 人を救える?
怒涛の五分。
女は醜く、身体自体を曲がりくねらせた。
「ギャアアアアアアアアアアッッ」
リアンはその頸と胴体を泣き別れにさせた。直ぐには絶命せず、地面に生えた鉱石に、呆けた表情を貼り付けた頭が深々と刺さり、胴体はその場でのたうちまわった。
「い、いたい! 痛い! いたいよお!!!」
先程とは打って変わって、悲痛な叫び声が煩く木霊した。リアンは思わず耳を塞ぐ。金属を爪で引っ掻いた様な、体を震わす音だ。まだ口が効く様で、体が黒い砂と化し始めた今も痛みを訴え続けている。
「なんなの……なんなのよう!! なんで私が、あたしが切られるの!! あんた! 許さない、許さない許さない!!
あの方が!! あんたを必ず滅多刺しにして殺すから! ずたずたにしてやるから!! 絶対に、絶対に……!」
まるで駄々をこねる子供の様に、大口を開けて喚く。
「「あの方」……? …っお前、あの方とは誰だ!」
耳を塞いだまま、リアンは声を荒げる。女の叫びがピタリと止んだ。額から眉間に掛けて針が貫通して穴が開いており、女の顔はほぼ口のみが機能している。
「………
言わない。言うわけないでしょ!!」
「じゃあお前は何故俺が一人の時を襲ったんだ!
俺には分かる……俺達を陥れるつもりなのか?!」
剣の切っ先を鼻先に突き付け、先程読み取った女の心をそのまま言うと、女は明らかに驚いた様子で息を呑み込んだ。
「なんで……知ってんのよ」
それから急に、女の顔色が変わった。真っ青に、血の気が引いていくのがよく分かるほど、額の色が変化する。白い唇がぶるぶると震え始め、まるで何かに怯えているような形相だ。
「––––! あ、…あああ……嫌…だ……
死にたく、ないよぉ……!!」
女の冷たく濡れた視線が、リアンの後ろに向いている。彼は振り返りざま剣を構えたが、すぐそれを下ろした。
「よかった…!」
リアンはほっと胸を撫で下ろす。そこには弓をつがえたスミレと、新人のパーティ一同が佇んでいた。
「…リアン、酷い怪我ですよ。それと、それは何ですか」
スミレの山吹色の瞳は女の頭に釘付けである。そしてそのまま矢を放たんとしているので、リアンは慌てて制止させた。
「ち、ちょっと待ってください。コイツから聞き出したいことがあるんです」
「……聞き出す、とは」
「… …なにか、違うんです。おかしいんです。なにかが…操られている、みたいな」
口ではうまく説明できない。リアンは剣を仕舞い、わたわたと腕を振り回す。新人達はきょとんと呆けながら、地面や壁から無数に生えている鉱物を眺めていた。
「さっきこんなのあったっけ…?」
そこで魔法使いが、杖でその鉱石を突こうと、その腕を伸ばす…–––リアンは思わず剣を鞘から引き抜いた。
「やめろッ…それに触るなッッ!!」
ガッキィィン…!
間一髪…。
すんでのところで、新人魔法使いが氷柱のように尖った鉱石に串刺しにされるのは免れた。
剣腹でそれを受け止め、リアンは鉱石女の残骸を睨み付ける。
ここまできて……瀕死の状態で、ここまでの余力があるとは––––
しかし、スミレに対して怯えているように見える。
「やだ……やだあ……あたしは、あたしは……こんなこと…「守る者」の務めが……果たせないよう…
闘いたくなんか……喰いたくなんか……
なかったのに…っ」
先程まで、狂気に満ちた姿をしていたのに… 今はなんだろうか、子供のようだ–––––
「…「守る者」。貴方は、『鉱石の女神』ですか」
スミレはゆっくり、弓を下ろし、額の傷口から砂になって消えてゆく女の側へ近付いた。
刹那、もう頭の形も為さなくなったそれはびくりと震え、「そうよ…」–––––弱々しくつぶやき、それを最後に消え失せた。
「『鉱石の女神』……っ聞いたことあります! ダンジョンの中にある鉱物の埋め込まれている場所を守る者です。基本的に私たちを攻撃してくる事はなくって……」
ヒーラーが、ローブのフードを目深に被り、考えこむそぶりを見せる。どうやら『鉱石の女神』という名は割合有名だったようである。
「リアンはどうしてこの女神がこのようなことを……したのか、知っているのですか」
「…–––確証は無いんですが、何かに操作されているみたいでした。このモ……女神の本当の心の声と、言動が食い違っているようで…あと、スミレを恐れているみたいでしたけど…」
コンビは揃って首をひねる。疑問のみが頭の中に渦巻き、答えや手掛かりはもはやここには見つからない。
「とりあえず、この人達を連れてギルドへ戻りましょう。ポーション、持っていますか」
「あ、はい」
リアンは液体ポーションで腕と足の傷をある程度回復させた。新人のヒーラーは力を使い果たし、リアンの傷を癒す事はできなかったため、応急処置のみで済ませる。傷は癒えども痛みは生々しく残る。彼はふらつきながら、スミレの肩を借りて帰路を辿り始めた。
♦︎
「……何か、企みがあるのかもしれません」
ダンジョンの出口まで辿り着いたその時、スミレは唐突に呟いた。
手足の猛烈な痛みに息も絶え絶えな状態で、リアンは顔を上げる。スミレは眉を寄せ、険しい表情で言った。
「…… あの女神でさえも操られるのなら、操作していた者は相当の強者。それなりの動機があるはず……これからも、強いモンスターがまた「操作」によって知能力を上げ、私達を襲ってくるかもしれない」
珍しく、声のトーンは低い。唸るように、強い怒りを示すように、スミレはゆっくりと、かつ力強く言葉を紡ぐ。そこからは、神経を見透さぬとも分かる、密度の高い殺気が放たれていた。後ろをついて行く新人達はビクビクと身を戦慄させている。
「……もし…、そうなっても、俺達が」
「滅する––––分かっています」
「はい……。じゃあ、モンスターがルビーに変わらないのも、何か理由がありますよね……」
「ええ、それに関しては私もよく分からないのですが。ギルドには相談中なのです」
「え、いつの間に…?!」
「すみません……あのパーティーの後、報告してからは直ぐに家に帰ってばんしゃ…休んでいましたから」
「……」
リアンはこの時点で意識を保てなくなり、気を失った。
スミレはその、疲弊した彼の顔を、やや不安げに脇見て、だらりと垂れた二の腕を持って背負い、そっと囁いた。
「…無理は禁物ですから」
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