第38話
[北東ダンジョン五十階・『熱帯域』にて]
新人パーティの集団に迫る火の手。
ここ『熱帯域』は常に炎が燃え盛る危険地帯だ。
熟練した冒険者でも、そこでの攻略には手を焼かされ、ましてや新人など、火から逃げるので精一杯になる。
そしてその状況で
合わせて五名が在籍する、銅等級パーティ。しかしこの場には四名しかおらず、皆は固まって、炎に囲まれた小さな場所に立っていた。
「ねえ……わたしたち、死ぬのかなあ…」
聞き取り難い程の震え声で、ロングヘアのヒーラーは呟く。汗が大量に吹き出るほどの暑さの中、彼女は我が身を抱きしめてがたがたと打ち震えていた。
「なんとか、する。なんとかしなきゃ…ッ!」
重い剣を両手に握り、必死に打開策を考えながら、既に気力をなくしかけているのは、リーダーである青年。そんな彼に、後ろにいた魔法使いが口を挟む。
「なんともならねー。こんなの、オレの氷魔法だって効かないんだぜ。…だから、「アイツの言うことは聞いとけよ」って言ったじゃん」
魔法使いは諦念の意を示すように、持っていた木の杖を地面に放り投げた。カランッ、乾いた音に、怯えた表情を見せる弓使いの少年。彼は、最早何の効力も示してくれない自分の二の足を拳で強く叩いた。
「くそッ! 解ってる、そんな事はもう! アイツだってもう、一人じゃすぐ大鬼にやられて…–––」
「やめてよっ! 何てこと言うの?! その通りじゃない、あの子の言う通りにしてたら…」
このパーティは、お互いの名前も性格もよく知らないまま攻略に出かけていたのだ。つまり、「顔合わせ」という名称で、この危険な旅に出掛けていたといえる。
剣使いは、今更そのことを悔やんだ。無論、「リーダー」という肩書である以上、自分がこのパーティを指揮して、信頼関係を深めなければならなかった。が、早とちりしてしまった––––自分が早く冒険に出たかったという一心で。
「……
……ゴメン、みんな…
俺の、せいで」
赤い炎は、四名を覆い被さる様に高く燃え上がり、盛り、轟音をたて、広がっていく。
絶望感に満ちたこの空間では、覚悟を決める
そして、そんな四人に襲い掛かったのは二体の
まだ希望を捨てきれないヒーラーは、黙りこくる剣使いの背中を激しく揺すった。
「ちょっと! ねえあなた! 盗られちゃったよ、ねえ助けてよ!! 誰か––––!」
「––––!」
直後の事だった。
「あの人…!」
その方向に、既に火の手は消え去っていた。
何故なら、矢を射た者が火消し魔法を使い道を開けたからである。
そう、スミレだ。
しかしスミレが彼らの方に歩む前に、後ろにいた拳銃使いが中に突っ込んで来た。彼女は大粒の涙を光らせながら、四名の元へ走る。そこで、剣使いが顔を上げ、目を疑うその光景に息を呑んでいた。
「ごめんなさい、ごめんなさい!! 私が勝手なせいで…!」
拳銃使いは、未だ言葉を発せない仲間達に向かって頭を下げる。剣使いは膝を突いて立ち上がり、まだ震えている手を伸ばした。その手を掴み、立ち上がらせた魔法使い。彼は何を返すことも出来ず、その場に立ち止まっていた。
「ごめん…こっちこそ、君の言う事、信じなかった」
そんな五名の元へ、音もなくスミレが近付く。
「お怪我は」
言いながら彼女は全員の顔色を伺い、「早くここから立ち去りましょう」と、辺りをサッと見渡した。まだ火は上がっている。
そして、スミレは一人悶々とする。
コンビを置いて行ってしまったのだ。
この拳銃使いの少女が断りなく走っていくので驚いて付いて行ってしまい、気付けばこんな遠くまで離れてしまった。出来るだけ早く合流しなければ、彼と…–––
私はいなくならない、そう宣言したばかりなのに。
だが、ここは北区域ダンジョン、そしてもうすぐで金等級になる一人前なら、平気だろうが–––。
♦︎♦︎
[北東ダンジョン五十階・『鉱石洞窟』手前にて]
–––久々に一人、ここら一帯を探索することになった剣使い、リアンは、洞窟から抜け出し、辺りを見回した。
…しかし、探している人物は一向に見つからないままである。
スミレが無断で離れるというのはまず有り得ない話なので、あの少女を追って行ったのだろう–––優しい彼女のことだから––––リアンは推測、合流がスムーズになるよう、待機することを決めた。
剣を鞘にしまい、ふう、息を吐いて緊張を解く。それから、先程は脅威としか見ることができなかった無色透明の鉱石に手を触れた。小さい塊りなら手に取って持ち帰ることができる。これを一つ、サナに持って帰ろう–––––勝手に脳がそう判断したまま、彼は手袋をはめた指で鉱物を摘み、力を入れて折った。
ぱきり、音がしたと思うと、それは案外簡単に取れ、リアンの掌に光を反射して清楚に煌く宝石が乗せられた。思わずその美しさに気を取られて、リアンはそれをじっと見つめ––––––
「––ッッ?!!」
––––その鉱石は突然眩い光を放ち始めた。
その光は直視できない。真っ白で周囲も確認できないほど、強く広く照らしている。リアンはそれを思わず取り落とし、後退りながら剣を構えた。
––––取り落としたのが、不幸中の幸いか。
その光の中で、何かの輪郭が映し出される。それはシルエットになっており、何者かは掴めない。リアンは目を細め、それをきちんと見極めようと、目を凝らした。
「…くそ」
だめだ、眩しすぎて見えない。––––目がやられそうだ。
リアンはさらに後ろに、三メートル程離れた。
またそれも、幸運だった。この光、これ以上間近で浴びれば体に異常が出ていた。
「あら〜、賢明な子なのねえ」
光の方向から、声がする。女の声だ。間延びしていて、––下手をすると女神、という印象を受ける、淡麗な声色だった。
「…誰だ」
剣使いはもう一度、徐々に弱くなっていく光の中のそれに目を凝らす。光がなくなっても尚、それは、白かった。
「あなた、ここの宝石盗ったでしょ〜」
それは–––「だめよう、」と戯けたように注意する、母親の様だ。やけに、懐かしい。リアンは警戒心をさらに強め、柄を握り込んだ。
「まあ、まあ。そんな恐いカオしないでよ〜。わたくしは、教えてあげようとしてるだけ」
声のトーンが相変わらず高い女。彼女はリアンより長身だった。金色がかっており、カールした長い髪、白いワンピース、透明の鉱石をかたどったネックレスとブレスレット……切れ長の青い瞳は、何を語っているのかを掴めない。
冷静になれ、どんな相手でも–––リアンは神経を見透した。彼の体内の血液の温度が上がり、脈拍数が多くなってゆく。––そしてリアンは気が付いた。
「お前……
これまで何人の人を殺してきた…?」
今まで見たものと違う。神経が違う。比べ物にならないほどに。
この、穏やかな笑みを貼り付けた女は、北区域にいていい奴ではない。
リアンは、意図せぬ内に、また激しい怒りに支配されつつあった。
「人……ねえ。何人くらいかしらねえ。忘れちゃったわあ、うふふっ。でもね坊や、そんなことより大事なことを教えなくっちゃ」
刹那–––
リアンは思い切り地面を蹴った。飛躍。そして、大量の冷や汗を吹き出し、息をひゅっと吸う。彼は戦おうとして地面を蹴ったのではない–––生えてきたのだ。突如、鋭利な鉱物達が。
あと瞬刻遅ければ串刺しにされていた。リアンは歯を食いしばる。攻撃が読めない。あの気配でいえば、地面の攻撃の他にも、自分を殺しに来るものがあるはずだ。あの敵––––大勢の人間を吸収して、強くなっている。それも北区域ダンジョン、銅等級の冒険者なら多くいる––つまりは、新人が驚異の速さで死んでゆくのはコイツのせいと言っても過言ではないだろう。
許せない。
ここで俺が倒さなければ、また人が死ぬ。
ただ、疑問がひとつだけ–––
スミレはこの洞窟を破壊した。普通なら––コイツに矛盾がなければ、その時点で俺達を襲ってくるはずだ。
俺が持ち帰ろうと手に取ったから?
それとも何か、別の思惑が……
「ふうん、すばしっこい子供なのねえ〜…
でも逃さないわよ、だって私の一部を持って帰ろうとした、悪い子供だもの〜。食べてあげるわぁ!」
白い唇を歪め、女は腕を、リアンへと伸ばす。瞬間、その掌から無数の鉱石の剣山の様なものが生え、伸びてきた。たった今距離を詰めたリアンは、剣で受け止めて後退る。その間にも、受け止めきれなかった細い鉱石が腕と足に刺さった。
「……っ」
鈍い痛みに、思わず腕力が弱まる。「逃さないわよー!」女は心底楽しそうに、石を操っていた。リアンは深々と刺さったそれを容赦なく抜き、今度は石の平坦な部分を蹴り、突進した。
「無謀ねえ。突っ込むの? ……あら! あなた銀等級なのね! どうりでー! 前に食べた剣使いは、今の攻撃でギブアップだったけど……あら〜、久々に遊びがいがあるのねえ!」
生かしてはおけない。
絶対に殺さなくては。
だから死ねない。スミレが戻ってくるまで。
コイツを倒せば、何百人ものひとが救われる。
矢の様に、鋭く素早く飛んでくる、細かい粒子の様な鉱石達。
全て無色透明なので、目では見えにくい。全て躱すのは無理だ。不可能。でも、もっと大きな可能な事があるから走る。走る。飛ぶ––。
「ねえ、あなた、まだ分からないの?」
「何が!!」
「ふ…バカな子ねえ。どおしてあの女が洞窟を壊した時、私が出てこなかったのか、よお」
どうしてそれを今…?
リアンはもう一度距離を縮め、女の神経を見詰めた。
そして、そう、その一瞬…脳裏に走った。
女の、考えていることが。
–––––思い出したことがある。
スミレが「神経の向き」を教えてくれた時。
「私が今どこに神経を集中させているのか。
私が今何を考えているのか。
私が立っているのは敵から何メートルほどか、矢を射られた敵はどちらに倒れるのか。
全ての攻撃は、神経の向きなのです」
何を考えているのか。
見透せる様になるのは、スミレでも難しかったという。
そして、神経の向きを極めれば極めるほど、世界が変わるという。
まだその世界をリアンは知らなかった。
ただ、
今、ほんの、ほんの瞬刻のみ。
その世界が垣間見えたのである。
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