第37話

[北東ダンジョン五十階・『鉱石洞窟』にて]


「痛った…」


 なんとか鉱石の攻撃から逃れ、リアンは今度はゆっくり、洞窟から這い出た。細くなって通れなかったはずの道は広くなり、開けた場所に出たのだ。


「これ…スミレが?」

「はい。少々手荒でしたが」


 スミレは洞窟の塞がれた穴を破壊し、このダンジョンの新天地を切り拓いた。リアンには感じられない気配を感じ取ったのであろう。…スミレは、先を歩き出した。


 そして、彼女は地面の凹んだ部分の前に立つ。


「これが、『先見の泉』です」


 彼女が指差したのは、他の安全地帯にもある様な池だった。リアンは首を捻る。


「……これが?」

「はい。表面を真上から覗いてみてください」


 スミレはそう、ストレートに透き通った声色で言い、一歩後ろへ下がった。リアンは周囲の様子を伺いながらそっと泉に近付き、屈んで水面を覗き込んだ––––


「ッ?!」


「先のことが見える」そういったスミレの言葉に間違いはなかった。

 未来を視ることが出来る–––泉の表面に、映像が映る–––





 ––––嘘だろう


 なにが、なんで、これは……

 これは、スミレの、未来なのか?


 リアンがその目ではっきりと視たのは。


 仰向けに倒れ、ぐったりと気を失うスミレの姿だった。


 リアンは瞬きし、再度確かめる。その映像、スミレの姿に間違いはない。リアンはそれに釘付けになりながらやっと声を絞り出した。


「あの……これって、いつ頃の未来が視えるんですか?」

「…割と近い未来だと聞きましたよ。私はあなたが金等級冒険者になっている未来が視えました」


 スミレは穏やかに答える。リアンは顔を上げ、そしてもう一度泉の表面に目を凝らしたが、今度は何もなく、ただ透明な水しか見えなくなってしまった。


「それは一度しか見えませんよ。リアンは何を視ましたか」


「…ッ」


 リアンは思わず唇を噛みそうになり、平常心を装おうとぐっと踏ん張った。スミレが倒れていた、今にも死にそうだった、なんて、本人に言えるだろうか。信じてもらえるのか。……本当に「くる」未来だとしても? 警告、すべき? でも、でも俺が言えば、彼女は不安になってしまうかもしれない。誰だってそんな警告を受けたら動揺するだろう。


「…俺が、見たのは」


 そこまで言って、一旦口を閉じたリアン。–––何かを躊躇うそのこわばった表情に、スミレは察した様子だった。彼女は俯くリアンの正面に立ち、声のトーンを下げ、静かに告げた。


「…言いたくなければ、いいです。大事なのは「ここに『先見の泉』がある」という事実––––––近くに安全地帯がないか探しましょう」


「…はい」


 スミレは今度は泉を一瞥もせず、早足に歩き出す。リアンは小走りにその跡をついてゆく。…まだ不安は拭いきれない。まだ弱い自分に、この未来を覆す力など存在するのか。助けられるのか、…スミレを失いたくないという一心だけでは、無理なのだ––––彼はとうとう我慢しきれなかった。


「あのっ、スミレはッ!


 –––––いなくなりません、よね」


 思ったままに言ってしまってから、リアンはそれを猛烈に悔やんだ。何を勝手なことを押し付けているんだ、と。


 その、彼の身勝手な訴えに、スミレは足を留める。暫く二人は目を合わせないまま黙り込んだ。リアンは生唾を呑み込み、言葉をつなげることもできぬまま呆然としていた。


 いなくなりません、よね

 –––その言葉が、頭の中に重く響く。


 私は、いなくならない。


「大丈夫ですよ。私は」


 振り返らぬまま、ただ、目の前の誰かに伝える様に、スミレは言う。彼女は真っ直ぐ正面を見つめたまま、その誰かと対話をする–––––かつての〈一番星冒険者〉達と––––


「〈一番星冒険者〉として、生きていきます」


「!… ……

 そうですか、…そうですよね、よかったです。

 …

 俺は貴方みたいに生まれてからの才能なんてないし、前の戦いの時だって、感情だけが体を動かしてしまった…でも、スミレがいるだけで、俺は変われると思ったんです。–––背中、追いかけさせてください」


 拳を握り、力みながらリアンは言葉を強める。ずっと言いたかった言葉を、今のこの勢いに任せて言うことが出来た–––––自然と、気分が高揚する気分だった。



「はい、喜んで」


 ––––二人は、それからというもの、余計に気持ちを確認し合うような言葉を交わさなくなった。…それは、二人がお互いの『理解者』となったという事に等しい。目と目を合わせ、共闘するだけでも解るようになったから、そして、彼は、彼女は絶対に揺るがない人だと確信したからである。




 未来は変えられる。

 絶対に、失わない…––––




[北東ダンジョン五十階・『鉱石洞窟』奥にて]


 瓢箪型、という珍妙な形の容器に、池の水が掬われ、入る。容器に元々注がれていた液体に池の水が入り、混じり合い、暫くして、その液体の色は爽やかな青色に変わった。


「おお…」

「ここは安全地帯ですね」


 二人は容器の中の青の液体を眺め、頷きあった。


 スミレは腰の依頼書にペンで、安全地帯の詳しい場所を記した。この情報は、ギルドに持ち帰られると、冒険者達に広く伝わるよう貼り出したり、マップに追加したりされる。安全地帯の活用が、安全と任務の効率化を図れるのだ。


「では上階へ––––––」




 二人はそのまま並んで、元来た道を引き返そうと歩き出した。一つ安全地帯を開拓できたという安堵感で、彼らは何気ない雑談を始めた。とは言ってもいつモンスターが出没するか分からないため、声は最小限に抑えている。


「この銀剣、凄いらしいんですよ。魔力を取り込むと青白く光るみたいなんです」

「…それは面白い–––デリダさんの、鍛えたものですよね…」

「そうなんですよー! なんでも伝説の剣みたいで。デリダの父親が–––––」


 リアンが拙い身振り手振りでスミレにことの説明をする。弓使いは顎に指をあてがい、相槌を打ちながら熱心に話に聞き入った。


「…––なるほど。あれはあの人のお父様の伝説だった、と。そして貴方がその剣でそれを受け継ぐ–––––とても素敵ですね」


「ですよね…って、俺なんかが成し遂げられるのかって話ですけど」

「できますよ」

「え?」


「『神子』でなくとも、長命でなくとも…少なくとも、貴方が生きたという証は絶対に後世に残りますから。それが伝説です」


 その変化の乏しい表情からでも、自信に溢れていることが分かる。リアンはそんな彼女に首を傾げた。


「…–––でも、誰が伝えるんですか?」

「それは、決まってますよ––私がやる事ですから」


 照れ隠しか否か、スミレはリアンから顔を逸らし、早口に告白した。

 リアンはそんな彼女と、「伝える」と約束してくれたという事実に、思わず喜びの笑みを溢してしまった。


「……

 …じゃあ、お願いしますね、スミレに!

 ––…じゃあ俺も、スミレの伝説を伝えたいな…あっ、そういえば、スミレの––––」



「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」


「ッ?!」



 ––––そんな楽しい時間も、あっという間に終わってしまう。



「誰かが襲われている…! どこからか分かりますか?!」

「おそらくこの道まっすぐ–––––ですね」


 両者、顔を見合わせ地面を蹴る。


 砂埃が舞い、彼らはすでにこの場から立ち去っていた。リアンは片手に銀剣を、スミレは弓を番え、暗い土の道を突き進み–––––––


 辿り着いた場所は、大鬼の生息地帯。



 リアンは一度立ち止まり、地面を見つめる。


 あの泉で見た光景、同じような地面に彼女は横たわっていた。

 もしかしたら、今?


 …いいや、いつでも、どんな状況でも、必ず回避してみせる


 必ず––––––




 彼らの視界に、大鬼の手に握られている女の拳銃使いが入った。ぎり、と握られ、みしみしと彼女の骨が軋む音が、ドーム状の洞窟内に響いた。



「–––ッ!」


 リアンは飛躍、赤いマントが一閃、彼は大鬼の手首に歯を食い込ませ、そのまま一直線に刃を振り下ろした。


 そのまま、飛躍は解けて、手首と共にリアンは落下、地面に落ちる寸前でリアンは宙で体を回転させ、受け身を取りながら地面に着地した。そのまま、手の呪縛から逃れた拳銃使いを受け止め、ほっと一息をつく。


「平気ですか?」


 かろうじて拳銃一丁を握りしめていた少女は激しく咳き込みながら「なんとか、」と声を絞り出す。それから彼女は何か話したげだったが、リアンにはその余裕はなかった。彼は彼女を抱き上げて走り、大鬼の攻撃範囲から脱出する。それとほぼ同時に、スミレが矢を射た。


 が、大鬼の急所には惜しくも命中せず、その矢は左肩に刺さる。スミレは動じることなくもう二本、連続して射た。


 がどちらも体に当たりはしたものの、浅い。リアンがもう一度近付こうと踏ん張る––––拳銃使いが動き出した。


「はやくっ…コイツを倒さなきゃッ、みんなが!!」


 ––––みんな?


 彼女はすくりと立ち上がり、銃を両手に構えて連射した。一秒の間に三発、二秒に六発。黒光りした丸い弾は僅かな弧を描きながら、拳を振り上げようとする大鬼へと向かってゆく。少女は額に大量の汗をかき、がたがたと震えながら「当たって!!」と絶叫した。


「「みんな」……仲間とはぐれたのですか?」


 スミレは弓を番えた姿勢のまま、少女の姿を一瞥する。銅等級の拳銃使いは、掌の二倍の大きさの銃を持っている。造りは古代的で、弾を込めるのには時間がかかりそうであった。しかし物自体は新品で、木材と金属の部分はぴかぴかに輝いている。そして短い赤髪をもつ、背の低めな十六前後の娘だった。


「グァァァァァアガァァ!!」


 心臓部に弾が二発命中した。大鬼は胸を押さえて悶絶する。そしてそのままうつ伏せに倒れ込み、暫く暴れ回った。

 その巨躯が狭い空間をのたうち回るので、地面は縦に大きく揺れ、壁にひびが入った。–––胸に弾が当たっただけでは絶命しない大鬼は、ここで今すぐとどめを刺さなければいけなかった。


 リアンは壁を蹴り、揺れに左右されない様、壁を移動して、大鬼の頭に狙いを定めた。集中し、神経を見極める。胸の痛みに暴れている大鬼は、自分の急所には神経を集中させていなかった。


 リアンはその頭にひと突き、切っ先を食い込ませる––––。


 そして大鬼はうつ伏せの状態のまま、ルビーに変化した。



 そこで今更になって、リアンは先日のモンスターがルビーに変わらず、黒い砂に変わったことを思い出す。

 そして、一刻も早くそれをスミレと話し合わねばと振り返った。


 しかし、そこにはスミレの姿も、少女もいなかった。


「え…––」

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