第40話

[ブルー区・冒険者ギルドにて]


「め、女神を殺したぁ?!」


 なんて事をしでかしたのだ、と言いたげに、受付嬢達はそわそわとざわめきだす。その一人、サナはリアンの怪我の様子を心配しながらも頬を膨らませていた。


「……分かっていますよね?」


「…はい」


 リアンはそもそも、あの『鉱石の女神』が守神である事ですら認識していなかったため、たった今––––救護室にて処置を受けた後それをギルド長直々に尋問され、やっと気付いた–––というところである。



 それから、一気に後悔と焦りが押し寄せて、冷や汗が彼の額から吹き出た。


 このままだと、最悪なら処刑、称号を剥奪されるだろう。こうとなればもう二度とダンジョンに入る事ができない。つまり–––––彼の人生は半分以上潰れてしまう。


 でも–––彼は必死で、心の中で弁解する。

 あの女神は人を殺した。この時点で「守神」としては失格の筈だ。例え操作されていたからと言って許されない。それに、のにも、彼女の中に女神としての欠点があるに違いないから–––––


「ちょっと、待ってまって」


 ギルド内が険悪な雰囲気に包まれた中、まさに鶴の一声、芯のある、よく通る男性の声が室内に響き渡った。


「あ……ギルド長っ!」


 受付窓の後ろから聞こえてきたその声に、職員達は振り返り、直ぐに道を避けた。ここのギルドでは、ギルド長、職員の上下関係がくっきりと分かれている。基本的にギルド長の命は絶対。また、ギルド長に就任する為には長年、大量のキャリアを積み重ねたうえ、国による試験に合格しなければならない。だからギルド長は職員達から尊敬され、従われているのである。



 ギルド長––––若く端麗な男性は底の高めな靴を静かに踏み鳴らし、リアンのいる窓に近付いた。横にはスミレがいるものの–––たじろぎ、顎を引く。穏やかな笑みを浮かべ、攻撃的なオーラは放たれてはいないものの、その笑顔の裏にギルドの長としての威厳–––––が窺える。理由は、神経が見透しにくいから。本来なら、身体中の、糸のような神経が細やかに浮かび上がるが–––––それが朧げで、断片的に見える。よって本質が見えにくいのである。



「リアンから話しは聞いたよ、みんな。「『鉱石の女神』を殺した」–––––本当なら容認し難い事態だ」


 職員たちの視線に、やりきれなくなり視線を落とすリアン。かくしてスミレは、ギルド長に鋭く言い放った。


「しかし、それは仕方のなかった事態であると私は思っております。今は処分よりも、「女神をも操る」というものについて言及していただきたい」


 …少なくともスミレは、自分のことを信じてくれているのだ。


 背中に温かみでさえ感じる。これが「相棒」なのか。


 リアンは顔を上げ、笑みを浮かべたままのギルド長––––リリー・レンという名前の––––に、正面から向き合った。


「そうです。それに俺が感知した限りでは、あの女神は操作された事によって本質が変化し、人を襲っていたと見られました。なので、このままではいけないと思い……倒しました。もしかしたら、この他にも…。同じような、敵が現れるかもしれないとスミレと話し合いました。だから、ギルドに協力してほしいのです。これが終わったら、俺のことも処分してもらって構いません。承知の上です」


「ちょ…! リアンく……」


 驚きを隠しきれず、サナはリアンの方に手を伸ばした。まだこの発言は取り消せる、と瞳で訴えかける。それに気づいていながら、リアンは動かなかった。まだ戸惑いを隠しきれないサナは、肩を震わせながら項垂れ、膝の上の拳をきつく握りしめた。



「––そうか。そうだよね。…現にリアンが女神を倒した事によって、ここ最近止まなかった冒険者の死亡情報が入ってきていない。つまり「貢献」してくれた。こちらとしては大いに感謝するところだよ–––––それにリアンは数少ないレベル上位者だから、失うのはだ」




 それで、何が言いたい––––––? ギルド長の、スミレよりも動きのない顔色。感情の起伏がないように見える。少し不気味だ。


「今は国の運営も疎かだから、私達がここの管理を全て行なっている。だから何度も処置に時間がかかってしまって申し訳ないと思っているよ…。リアンの在籍については許可する。ただしこれから事態の真相が明るみになっていけば、リアンにあった問題も分かっていくだろう。…それまで、私たちは君たちを全力でサポートしようじゃないか」



 自分の心中をおくびにも出さない、柔らかないでたちでいて、絶大な信頼を得ており、意のままにギルドを導く人物、レン。今や政府よりも権力を持っているといえよう–––––だからこそ末恐ろしい。彼が長年ギルド長を務めているといえど、この状況では––––リアンは「ありがとうございます」とかぶりを下げながら、その振るわない表情を隠した。



「うんうん、いいよリアン、顔を上げて」


 陽気なその声で、リアンはやや上目遣いに頭を上げる。

 短く切り揃えられた黒く艶の良い髪、そのこめかみに人差し指を当てて、レンはにこり、やっと「嬉しそうな」顔を見せた。


「リアンは、今は金等級への昇格を目指そうじゃないか。この私が面接のお相手だよ、早く怪我を治してね。お大事に!」


 華奢な体付きながら威勢の良い胸板に掌を当て、呆然としているリアンに微笑みかける。職員達は心底安堵したように互いの顔を見合わせ、次々と職務へ戻っていった。


「よーしみんな、夜も頑張ろうっ!」

『はい!』


 そして何事もなかったかのように、時間が流れる。


 リアンはしばらくこの場に立ち尽くし、レンの言った言葉を反芻させていた。やがてスミレに手首を引っ張られ、ギルドを後にする。そして最初に彼女が発した言葉がこれだった。


「…さすがはリリーさんですね。よく統制が取れている」


 納得したように頷くので、リアンは何も言い返せなくなってしまった。しかし言い返すもなにも、スミレの言っていることは紛れもない事実だ。若くして長になった彼は、これまでどれだけの努力をしてきただろうか。考えてゆくと、今のリアンの怪我や努力も、まだまだ豆粒の如く思える。


「……」


 空は既に暗く、夜を迎えている。街灯が辺りを照らし、しかし人通りは多いこのブルー区。スミレは空を仰ぎながら石段の道を歩いてゆく。怪我で早く歩くことができないリアンに気を遣っての事だろう。リアンはよろめきながら彼女に近付き、


「これからバーに行きませんか? あの、ウェイテルさんの」


 と誘いの言葉を投げかける。分かりやすいほどに、スミレはピタリと静止した。


「色々…情報交換を」


 聞き返すことも承諾もされないので、リアンは慌てて付け足した。するとスミレは振り返らず、また歩み出す。


「あっ、嫌でした?」

「いいえ」


 何故かスミレがこちらを見てくれない……


 リアンは内心息の詰まる思いで、すたすたと門をくぐるスミレについていった。


 ––––––一方、スミレは自分の口角が緩みゆくのに必死で耐えていた。





 ♦︎




[ホワイト区・小さなバー『mimosa』にて]




 カラン、重い扉が開き、鈴のが、狭い店内に客の来店を告げる。キッチリと引き締まったワイシャツベストの老齢バーテンダー、ウェイテルは、そのさほど変わらぬ姿をカウンター奥から見せた。


「…いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」


 相変わらない暗いトーンで、彼は二人を自分の目の前の席に促す。「お久しぶりです」、スミレはやや一年前と同じように、慣れたように席に座った。


「こんばんは」


 リアンがスミレの隣の椅子に腰掛けながら、曖昧に笑いかけると、ウェイテルは目を伏せ「いい夜ですね」と呟いた。


「今日は–––––脳をすっきりさせたいご気分でしょうか」


 グラスを洗う手を休め、ウェイテルは目を細め、優しい眼差しを二人に向けた。彼は〈察する〉能力に富んでおり、神経を見透す力はなけれど読心力を持っている。この類稀な才覚をバーテンダーとして十分に発揮していることも常連が増える要因の一つであろう。


「–––はい。二人で話し合いたいので」


 スミレが少し食い気味に言うと、ウェイテルは目を閉じ、ゆっくり、亀よりもゆっくりと頷く。縁なし眼鏡が光に反射しきらりと輝いた。


「…かしこまりました」


 彼が作るカクテルを決めた後は速い。背後の棚から、びっしりと並べられたグラスを一瞬で選定しタンブラーを抜き取る。片手で三本の瓶を冷蔵の箱から取り出し、氷をタンブラーいっぱいに入れ込み、炭酸飲料を静かに、とくとくと注ぐ。どうやらメジャーカップを使わず、目分量で調節するようだ。スミレはそれを興味津々に見つめた。そんな彼女につられ、リアンもじっとその滑らかな動きを観察した。––––ウェイテルはこのように注目されど怯むことなく、二種類の液体を注ぎ、それから最後に柑橘の果実を握って絞り、–––––無色透明の、見るからに爽やかな一品が出来あがった。


「おまたせしました、スミレさん。ジンをベースにトニックウォーターを加えました–––『ジントニック』でございます。…真夏のようなサッパリを、どうぞ」


 熟練バーテンダーが出したそのカクテルに、ごくりと唾を飲み込むスミレ。その音が隣のリアンにも聞こえてくる。彼が戸惑っていると、


「リアンさんは今回もノンアルコールで…」


 と、ウェイテルは僅かに首を傾げた。


「…あ、いえ、でも弱めでお願いいたします」


 首を振るリアン。彼な少しなら飲める気でいた。そして、スミレと少しでも肩を揃えていたいと言う感情で、ほぼ無意識に。…そんな彼に、バーテンダーは驚愕を、目を見開くことで表した。


「…かしこまりました」


 ウェイテルは、すぐに表情を取り直して作業に取り掛かる。まずは、冷やされたワイングラスとシャンパンの瓶を取り出し、静かに注いでゆく。瓶やグラスの持ち方はどの角度から見ても芸術的で、さすがはプロだと感心するほど。彼は次にオレンジ色の液体の入った容器を取り出して、グラスの中心目掛けて注いでいった。シュワシュワと炭酸がとろけるような音が聴こえてくる。リアンが思わず唾を飲み込むと、ウェイテルはそれを聴き逃さなかったかのように、バースプーンで二周、カクテルを混ぜ込んだ。また、炭酸が弾ける音が静寂に鳴り響く。


「…お待たせしました、リアンさん。ジューシーな柑橘ジュース多めの、『ミモザ』でございます––––店名にある通り、これが看板メニューです。贅沢なジュースを、どうぞ」


 さっと差し出されたワイングラスを、リアンは両手で持ち、口につけて傾ける。まるでノンアルコールのジュースだが、それよりももっと贅沢な柑橘を飲んでいるようだ。リアンは僅かに傾けたままだったグラスを更に持ち上げ、グラスの半分まで飲み干した。


 そしてはっと我に帰る。隣のスミレが、目をしばたかせていた。


「… …美味しいですか」

「…っぁはい! とても」


 思わず声が弾む。ここでは場違いな気がして、リアンは笑顔のまま固まった。


「…よかったです」


 スミレのタンブラーは既に空であることが、今の彼女の笑顔に不自然なところは無いと物語っていた。





「……あっえーと、本題に入りましょうか」


 数秒間それに見とれ、リアンは忘れぬうちにと切り出した。


「–––はい。では、モンスターがルビーに変わらない件についてですね。––––」



 二人は日付が変わる直前まで、カクテルを片手に話を交えた。


 そして、一つの結論が導かれる––––。


「……なら、それって…」

「……今にも、、という事です」

「………

 じゃあ、今すべきことはを特定する事…ですか?」


「いいえ。それはまだ早い。第一優先事項は一般人の安全です。少なくともむこうにとってはまだ、エネルギーを『集めきっていない』のでしょう。まだ私達にモンスターを〈倒させて〉、集めるつもりだと……」



 つまり、結論はこうである。


 –––今まで襲ってきたモンスターがルビーに変わらなかったのには、理由がある。

 本来モンスターの中にあるはずの『エネルギー』が、直接冒険者の報酬として現れるのではなく、流れて行ってしまったから…––つまりはその「何処か」に、一連の奇妙な事象を引き起こした張本人がいると考えられる。その者がルビーのエネルギーを貯め込み、––最悪の場合にはそれを使って良からぬことを巻き起こす、と、二人なりに推測した。



 一刻も早く、その居場所の特定が求められるが、ルビーのエネルギーで悪事が働かれるのであれば、まず大重要なのは市民の安全である。––––スミレとリアンが、他の冒険者達を指揮し、やってゆかなければならない。




 静かに夜は深まってゆく。雲ひとつない快晴の空だが、その向こうには底知れぬ闇が潜んでいる。そこには光もなければ答えも見つからない。いつしかその闇が、ここにある光をも蝕むことのないよう、二人は身を尽くして守らねばならない–––––。






 ––––––––––

 カクテルの種類や作り方は、以下のサイトを参考にしております。


 ✴︎http://www.4mix-cocktail.com/wp/blog-151.html


 ✴︎ https://tamotopi.com/cocktail/#i-2


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