いざ集う、新人コンビ

第30話

[ブルー区・冒険者ギルド受付にて」



「ふふふふふ」



 植物ダンジョンで採れる高級なコーヒー豆を、ごりごりと削りながら、長い髪をもつ受付嬢はにやにやと笑みをこぼした。


 彼女のそばには古めのサイフォンが置かれている。それは、サナの先輩のお気に入りの代物だった。ベテランの受付嬢は、コーヒーが大の好物で、たった今、自分のためだけに高級コーヒーを淹れようとしている。



「先輩、仕事してくださいよー」


 引き出しの中を探りながら、サナは不満そうに言う。


「別に、今誰もいないじゃないの」


 栗色の髪を丁寧に肩の後ろにやり、辺りを見回す。確かに今は休憩時間に等しく、皆受付の席に着きながらも隣の仲間と楽しそうに話している。サナは顔を赤くした。


「それよりもさあ、サナ……あなたって本当にリアンくんのことが好…」

「あー! あー! 忙しい! これもしなきゃいけないし、 あっ、パーティーの準備しなきゃ!」


 サナは大慌てで引き出しの中の紙類を引っ張り出し、ペンを取り出して何やら書き込みだす。先輩受付嬢は不審がって彼女の後ろからそれを覗いた。



「って、それ描いちゃダメなやつよ? 配るやつだもの」

「えっ、あー!」


 サナは焦ってインク壺の中にペン先を突っ込んだ。インクが飛び、紙は黒々と汚れる。あーあ、と隣にいた同僚が笑う。後ろにいた先輩はひょいと紙を取り上げて、びりびりに破いてゴミ箱に放り込んだ。



「いいのよ、作り直せばいいし」

「ご、ごめんなさい……」

「いいって。それより、サナちゃんカフェオレどう?」

「あ、…いただきます…先輩…」

「だから、先輩、じゃなくって。カリーナさんって呼べって言ったでしょ!」


「あう、カリーナさん…」


「良し良し」


 カリーナは歯を見せて笑った。隣の同僚が、わたしもわたしも、とカフェオレをせがむ。しょうがないわね、とカリーナ。



「話逸れたけどさ、サナ」

「なんでひょ、しょうか」


「やっぱりあなた、あの剣使い君のこと好きでしょ」


「……」


 ぎしっ。サナの座る椅子が軋んだ。彼女は机の木目を見つめながら膝の手の力を入れてスカートを掴んだ。それだけで、カリーナには図星だということが分かる。隣の仲間もだ。


 いや、この受付の職員全員には分かる。



「あら〜、否定しないのね」

「ちっ、違いますよ! あ……いえ…」









 三人がのんびりとカフェオレを飲んでいると、昼時が過ぎ、ギルドには人が溢れてきた。サナはカップを倒さないように緊張しながら窓に向き直る。昼時の冒険者は厄介者が多いのだ。


「げっ…きちゃった、あいつ」


 カリーナは嫌そうに眉を寄せ、席に戻る。あいつ、とは–––––酒の匂いをプンプンさせた巨漢の人間だ。サナも仲間も厄介者として認識している。しばしば、この場で他の冒険者と争い、総出で対応することがあるのだ。内々では、等級を一番下まで下げようか議論している、という噂を聞いた。



 その、金等級の斧使いは今日も酒の匂いを振り撒きながら、古い床を音うるさくやってきた。サナはこういう時は先輩に頼っている。今回も目を合わせないようにやり過ごそう–––––––そう、カップの中を覗いた、その時だった。



「おいっ」


「おいっっ!!」


 まさか、いやどうして。


 サナは営業スマイルを貼り付けたまま凍りついた。この男はご所望なのは、サナの受付窓口だったのだ。


 隣にいた先輩が促してくれたが、斧使いは見向きもせず、サナの顔を舐めるように見つめた。不快さに顔を背けたくなるが、当然我慢だ。「ご…ようけんは、…–––」



「あの剣使いだっ」

「え」

「あの…あのリアンだとかいうっ、思い上がった剣使いごときがッ!」


「え…」


「「え」じゃ–––」


 男は突然咳き込みだした。痰混じりの咳だ。サナはあっけにとられて、苦しそうに喘ぐ大男を見ているしかなかった。その隙にと、カリーナが割って入ってきた。彼女はサナの椅子に座る。サナが立ってギルド内を見ると、すっかり注目されていた。


 リアン、という単語があちらこちらから聞こえた時、サナは身体中に激しい鼓動を感じ取った。なぜ彼が。どうして、どうなって–––––。





「落ち着いてくださいませ」



 カリーナの声で、二人ともが我にかえる。彼女の声には、何年も磨いてきた経験が詰まっている。今まで、その声で何人もの人を正気に返したのだろう。サナは考えた。


「俺はこいつに話してるんだっ」


 まだ男の声には酔いが入っていた。縮みあがりそうになるのをこらえ、サナは男の顔色を伺ってみる。おそらくは–––––サナが新人だと見てうまく出来ないのを口実に思い通り動かそうと思っていのだろう。カリーナはサナに囁いた。


「何言われても、笑っていなさい」

「え」



 カリーナに背中を押されて、再び腰を下ろす。頼もしい先輩は、サナの方に手をおいて去っていく。斧を担いでいる男は満足そうにした。


 笑顔、笑顔、笑顔–––。



 息を吐く。鼓動はいつも通りだ。にっこり、何年も前から鏡の前で作ってきたこの笑顔。あの先輩みたいに、崩さないように。


「ご用件は、なん––」


「だーかーらっ、あの剣使いのヤローが…! この俺をっ、見下す真似をしやがったんだよ!!」

「剣使い…確認いたしますと、銀等級のリア・ダンでしょうか」

「あーあーそうだっ! ボーリョクだぜ、ボーリョク。剥奪しろよ、あのナントカってやつをさあ」


「…まず、剥奪すると決める根拠は、私共が検討します。お話をお伺いいたしますと、被害に遭われたのですよね。ならば、今ここに加害者を連れてくるか、被害届を提出しなければなりません。お手数ですが–––」


「あーーっっ!!! めんっどくせえんだよ! こっちは金等級の斧使いだぞ? おまえらなんかの指図に従うわけねえだろ! こんな古くせえギルドで、そのくせこいつらは気色悪りい笑顔でよ! あははは! おまえも、あの女も、こっちが手ェ出せばすぐ涙目で––––」


 バンッ!!


 こんなこと言われて、好き勝手侮辱されたのに。にこにこして我慢なんてできない。


 毎日毎日近くで見ていたから分かるのだ。仲間が、先輩が、どんな時も笑顔でやり通しているその背中を、憧れていたから分かるのだ。


 許せないよ。彼のことも、訳の分からない言いがかりつけて……。





「何言われても、笑っていなさい」


 またもや、脳内に響いたカリーナの声で我にかえった。

 そうだ。


 笑っていればいい。我慢しろ、とは言われてないじゃないか。



「あなたは、どうやってここまで来ましたか? どうやって金等級の実力を得ましたか? どうやcつて仕事をもらいましたか? どうして今までのあなたの行動に罰が下されなかったのでしょうか?


 …それは、あなたの実力です。しかしあなたの実力がここまで伸びたのを手助けしたのは他でもないここ、冒険者ギルドです。私のかけがえのない仲間です!

 まずはここに、本当はもって来るべきではない用件を持ち込むまえに、やるべきことがあるんじゃないでしょうか?

 …そのようなご用件は、向かいの役所に被害届がありますから、それからお願いいたします」


 正面で、呆然としている斧使いは、そこでようやく周りの痛い視線に気が付いたようだ。ぶちぶち何か言いながら消えていった。




 サナは涙が零れ落ちそうになるのをこらえ、カフェオレの最後の一口を飲み干す。早まっていた時間が元どおりになったように、時計の針が刻む音が響き渡った。






 サナが辺りを見回すと、カリーナと目があった。カリーナはサナに笑いかけ、ウインク。サナは力が抜けたように笑い返す。視線を戻そうとすると、サナの同期が隣から肩を叩いてきた。



、来たよ」


 見ると、入り口付近できょろきょろしている人影があった。リアンだ。彼女は顔全体が熱っぽくなるのを感じて、頬に手のひらをやる。あ、手も熱い––––––そう感じていたら、リアンはすでにサナの真正面に立っていた。申し訳なさそうな表情だ。サナは突然、自分の中に魔が差したにの感じた。


「今回は何をしでかしたんですか」


「あっ…、本当にごめんなさい! あの、でも、事情がありまして…」


 サナは胸に前で腕を組む。今にも笑い出しそうだ。堪えた。別に怒っているわけではない。


「なんですか?」


「ホワイト区で、いざこざがあったんです。居酒屋の店主と冒険者が揉めてて。お金が足りないとかなんとかで…。で、酔ってたんで、たまたま近くにいた俺が巻き込まれて。それで適当に落ち着かせようと…」


「地面に倒した…ということですか」


 深く息をつくと、リアンは深々と頭を下げた。


「ごめんなさい! ここにも迷惑かけて…」


「いいんです、リアンさん。別に、怒ってなんかいませんよ」

「でも」


「でも、……私、心配したんですから。怪我なんて、してませんよね?」

「してないですけど」

「ならいいんです。でも、もう危ないことはしないで……、あっ、なんでもないです!」


 サナは慌てて訂正し、なぜか全く笑顔を作れないことを悔やんだ。




「あの斧使いなら、被害届は出してこないと思いますよ」


 カリーナはいつのまにかサナの後ろで誇らしげに笑っていた。


「え? それはどうして…」

「そ、そんなことより、リアンさ–––––」




「リアンさあーん!!」

「え」

「あ」


 躍り出てきたのはまさかの。そう、サナの好敵手となろう、それは。


 あの時リアンに名前を聞き出した、新人の少女だった。





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