第11話

[イエロー区・北東のダンジョン十階『難関地帯』にて]


「ふぅ……」


 なるがままに地面に座り込んだスミレは、弓を握る手の力を緩め、脱力した。

〈一番星冒険者〉なるスミレであれど『難関地帯』に認定された、イエロー区外れのダンジョン十階では手を焼かされる。

 今こうして疲労を癒している間も短い。背後からは、次のモンスターが迫ってきていた。他のダンジョンには存在しない『難関地帯』限定の銀等級モンスターだ。ちなみにここ、イエロー区のダンジョンには金、銀、胴、てっ等級と分かれており、見てわかる通り強度や力が異なっている。


 そして、その中の銀等級の強さを誇るモンスターが猛スピードでスミレの方に迫っている。


 タコのような触手が伸びていて、それが素早く地面を這っている。顔も形も海にいるタコに近いが、纏う臭いは一つ抜けていた。ただ、悪臭のせいか、頭脳が今ひとつ足りていない体力バカ、で有名である。



 仲間一人いない『難関地帯』––––––スミレは黙って立ち上がった。彼女には、見なくてもこの種のモンスターが何かを知っていた。一直線に迫り来るタコ型銀等級モンスターの方に鋭い眼光を向けている。


 スミレは風のような動きで弓を構えた。籠がガタリと揺れて、何本も刺さる白羽がぶつかる。弓の弦はギリギリと軋み、彼女に準備完了を伝えた。


 スミレは、矢を射ると共に弓を下げ、タコ型銀等級モンスターを見つめた。

 八本ほどの触手の、そのうち一本の触手の先に深々と刺さる白木の矢は勢いのせいかビリビリと震えていた。が、強度No.二を名誉に待つモンスターは何食わぬ顔で、無表情の彼女に、おっかない動きで触手の吸盤から緑色の液体を噴射した。

 無数に放たれた泥々の粘液を、彼女は防御魔法を行う事で避けた。


「『バリア』!」


 彼女のかざした右手から、透明な壁が同心円状に広がる。彼女とモンスターの間に作られたバリアのお陰で、スミレはすんでのところで粘液のシャワーは免れた。

 いくら魔法が使えど本職は弓使い–––––壁の強度にも限界はある。毒性の粘液が掛かった為に、少しずつ消滅している。

 突然見えない壁に隔たれたタコ型モンスターは驚いた様子で丸い瞳を更に見開いた。単調な目は血走っている。緑色の粘液が掛かった壁に、ガツンと体当たりし始めた。


 そしてまた、期限は迫る。


 彼女は防御魔法が時間稼ぎをしている間に、矢を込めた弓に攻撃魔法を掛けた。武器に魔法を掛け合わせる魔法は高度な技術が必要であり、スミレでも魔法が完成するまでに数秒は掛かる。彼女はそれを計算に入れて防御魔法を繰り出したのだ。


 握り締めた白木の弓と矢に、自分の闘気を注ぎ込む。何度も手入れされたそれらは熱を帯び、火照り始めた。スミレは視線を集中させて、掛け合わせ魔法に取り組んだ。


 防御魔法の壁は徐々に崩れ、ばらばらに砕け散り始めた。


「『ファイア+bow』発動」


 仕上げにと、スミレが小声で唱える。すると、弓矢はついに、赤く、赤く発光し、うずうずしだし、白木の矢は朱色に染まった。


 ガシャーン!


 ガラスを連想させる防御魔法、バリアが完全に砕け散り、壊れた。破片は後残らず消え失せ、銀等級モンスターが高スピードで追い詰める。

 スミレはそんな状況に似つかわしくなく、ゆっくりと弓を正確に構えた。一ミリも震える事なく、ただ一点、モンスターの脳天を狙って。


 瞬間、スミレの射った矢はスピードを上げると、徐々に炎を纏い始め、それは轟々と燃え盛りながら、突進する銀等級モンスターに迫った。


 真っ赤に燃える矢先の炎を、彼女は無言で、無情に見つめていた。

 ダンジョンの洞窟の僅かな灯りと、明るい炎で、山吹の瞳には光が差していたが、彼女の目ほど単調なものは無かった。白と黒というモノトーンなタコ型モンスターの瞳よりも、である。



 その後、タコ型銀等級モンスターが、スミレを攻撃することは無かった。

 炎と同じ真っ赤な脳天を貫いた矢の先は、焦げた後一つ残らなかった。


 そこらの冒険者では到底、一人では敵わない銀等級モンスターを一人で軽々と倒してみせたスミレは喜ぶ様子もない。

 地面に大量に落ちたルビーを、繊細な指先で広い、既にパンパンな巾着袋に仕舞うと、さっさと弓を背中に掛けてダンジョンを出た。



 ♦︎



[ブルー区・冒険者ギルドにて]


 タン、タンと、リズミカルに音が響く。受付のデスクに紙の束が当たる音だ。掃除が行き届いた綺麗なデスクの上に「依頼書」と書かれた大量の書類を置いた受付嬢は、目の前に現れた冒険者に笑いかけた。


「あっ、スミレさん! お疲れ様です!」


 ギルドの新米受付嬢–––––サナは、スミレに見せた依頼書を確認する。『難関地区の攻略』と、そこには記してあった。


「お疲れ様です、サナさん。予定通りにこなしました。換金をお願いしたいのですが」

「はい! ではここに」


 淡々としたスミレの語りに、サナはさらりと合わせる。全身白のいつも通りなスミレは、薄汚れた小さな巾着袋から沢山のルビーを取り出した。泉色のそれは、ジャラジャラと、硬い音色を奏でながら換金トレイに入れられる。


「……! では、失礼しまーす」


 眼に映るほど煌びやかなルビーに心奪われながら、サナはトレイを持って奥へ引っ込んで行く。スミレは周囲の目を気にせず、丸椅子に腰掛けて無言で彼女を待った。


 ––––しばらくして、換金を終えたサナは、トレイを両手にぱたぱたと駆けてスミレの元に急いだ。

 –と–––

「きゃっ?!!」


 何も無い、木製の古い床でつまづき前から転んでしまった。

 金色のコインは鮮やかに宙を舞い、近くにいた職員の悲鳴がこだまする。スミレは顔を上げ、目を見張ってその様子を一瞬伺ってから言った。


「だ、大丈夫ですか」


 トレイだけはしっかりと抱えたまま、制服を振り乱してうつ伏せになったサナは、職員に肩を揺さぶられ、痛いと訴えた。

 辺りはその音でざわつき、ちょっとした騒動に発展してしまった。すぐさま他の受付嬢が冒険者達を落ち着け、いつも通りの業務に戻った。


「うーん…痛ーい……きゃ! ご、も、申し訳ございませんでしたスミレさん!」


 バラバラに散らばった金貨を、サナは必死で拾い集める。


「ああ、全然大丈夫です。サナさんはお怪我されてませんですか」

「えっと……まぁ、このくらい大丈夫ですよ!」


 金貨を全て拾い、制服の埃を払ったサナは、擦りむいた膝を一瞥し苦笑いを溢した。右膝は、赤くかぶれて、少し腫れている。その他に怪我は無いのだが、制服が膝上のスカートなので特に目立つ。スミレはそれを見兼ねて「いいえ」と首を振った。


「かぶれは酷くなりがちですし、ガーゼでも貼っておいた方が良いですよ」

「ありがとうございます…本当に、助けてもらってばかりで」


 サナは少し悔しそうに、しかしご機嫌にトレイに金貨を乗せてスミレに差し出した。彼女はそれらを素早く攫って巾着袋に流し込む。周囲の人々はごくりと唾を飲み込みながらその様子を見た。


「では、私はこれで」

「ありがとうございましたー!」


 スミレがギルド本部を出て行くと、中にいた冒険者達は口々に噂を口にする。


「〈一番星冒険者〉様って……どんな家住んでるんだろうな」

「さぁな……きっとでかい豪邸なんだろうな」

「「羨ましいなぁ」」

「それよりもさ、あの噂聞いたか?」

「あの噂? ……あぁあれか……あっ」


 ふと、サナの視線を感じた二人の冒険者はびくりと跳びのき、ギルドを出て行った。そばにいた者達も、次々に散って行く。鈍感な受付嬢は、唖然としてその様子を見守っていた。

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