第三章 修羅場注意報

真っ白な画面と格闘する


 ノートパソコンのモニターには、テキストエディタの真っ白な画面。


 こ、これが伝説の「白いワニ」か。

 漫画家を襲って休載に追い込むという。


 などと、思わず昭和ネタに走るおっさん(四〇歳)である。


 そんな俺は、さっきから一〇分以上も、この白いワニと睨み合っている。


 一体、何を書けバインダー。

 失礼、つい悪い癖が。


 ともあれ、作家になる、と言った手前、何かを書かなければならない。


 四〇歳の俺には、もう退路はない。

 いや、前方にも道はないぞ?

 あるのは大雪原のみだ。

 進退窮まるとはこのことか。


 どれだけ考えても、一文字たりとも浮かんでこない。

 美しき白銀の世界。


(だ、ダメだ!)

 俺は心の中で叫ぶ。


 今、気がついた。

「ダメだ」ってセリフ、俺の口癖だな。

 きっと俺の人生にも悪影響を与えているんだろうな。


 ああ、ダメだダメだダメだ。

 三〇回くらい連呼して、ため息一つ。


 ちらっとシャーロットを鑑賞。

 金髪碧眼の天使は、コタツを挟んで正面の位置で、夢中になって「とある魔術師の憂鬱」を読んでいる。


 俺の視線に気づくと、シャーロットはふっと白い顔をあげて、

「どうしましたか? お兄ちゃん。わたしの顔に何か付いていますか?」


「いや、なんでもない。その美貌に目を奪われていただけさ」


「お世辞でも嬉しいです」

 とエンジェル・スマイル。


 ふう、MP回復。

 よし、可愛い妹のために、お兄ちゃん頑張るぞ。

 歯を食いしばって、一歩一歩、この道なき大雪原を進んでいこう。


 そして二〇分後。

(だ、ダメだ!)

 またその口癖かよ。


 MPの目盛もゼロを示している。

 容量少なすぎだろ。


 ていうか、全くネタが浮かばない。

 どんな主人公?

 舞台と時代は?

 テーマは?


 何を書けばいいのか、さっぱりピーマンなのだ。

 いきなり現代社会に放り出された縄文人みたいだな。


 言い知れない不安が襲いかかってくる。

 こんな調子で、俺は作家としてやっていけるのだろうか?

 やって行けなかったら、俺はどうなっちまうのか?


 一〇〇人にアンケートを取りたい気分だ。


 時計を見ると一二時過ぎ。

 世間はちょうど昼休み。


 ここで妙案が浮かぶ。

 そうだ、機長氏に相談してみよう!

 と相変わらずの他力本願。


 自称大学生の機長氏は、昼休みか深夜に出没する。

 サラリーマンと同じ生活リズムだ。


(くそっ、オタクのくせに真人間のつもりかよ)


 俺はさっそくSNSにアクセスする。

 機長氏が腐ったツイートでタイムラインを汚染している最中だった。


 機長氏にリプを飛ばす。

 すぐにレスが帰ってきた。


@qtkityo『よう。昼間からどうした?』


@kotaroo『実はな、今、小説を書いてるんだが、機長氏に相談があるんだ』


@qtkityo『ワイみたいなダメ学生に相談とは、よほど追い込まれてるな?』


 コンチクショー。

 学生の身分が羨ましいぜ。


 俺がこの二〇年間味わってきた辛苦の十分の一も理解できんのだろうな。

 このポストゆとり世代め。


@kotaroo『何を書きゃいいのか、さっぱり分からないんだ。三〇分ぐらい画面とにらめっこをしているんだがな』


@qtkityo『ヒエッ。ゼロからのスタートかよ。お得意のネットがあるだろ。ggrks』


 そうするか。

 機長氏より役立ちそうだしな。

 俺は早速ブラウザを立ち上げて、「小説の書き方」などの検索ワードで調べてみる。


 たくさんのサイトがヒットした。

 小説を書きたい人が多いのかも。

 それだけ現実がしょーもないんだろうな。

 違いますか、皆さん。

 え? 現実がしょーもないのは俺だけ?


@qtkityo『他には、テンプレをなぞってみるとか、どうよ。学園ものなら、食パンをくわえた遅刻JKが、街角で主人公と鉢合わせになって恋が始まるシチュとかあるだろ』


「それだ!」

 俺はノートパソコンの画面に向かって叫ぶ。


 機長氏って、頭の回転が速そうだな。

 目端が利くタイプ。

 卒業したら、器用に世渡りして、勝ち組になるんだろうな。

 ファッキン。


@qtkityo『でよ、テンプレそのまま使ったらパクリになるから、ある程度アレンジすればいいんだ。例えば食パンをくわえる代わりにスマホを覗き込むとかな』


 そうか!

 俺が一歩も進めないのは、完全オリジナルなものを書こうとしたせいだった。

 無理せず、テンプレを使えばいいんだ。


@qtkityo『完全オリジナルなんて存在しねーから。要はアレンジだ。ばんばんテンプレを使ってきゃいい』


 さすが機長氏!

 真っ白な大雪原に、人の足跡を発見した気分だぜ。


 俺が熱心にキーボードを打ち込んでいると、向かいで読書中のシャーロットが無邪気すぎる青い目を俺に向ける。


「ねぇ、お兄ちゃん。誰とチャットしているのですか?」


「ネットのフレンドさ」

 同じ町に生息するオタク大学生だと説明してやる。


 だが機長氏とのチャットの内容は、さすがにシャーロットには見せられない。


 もしパソコン画面を覗き込んできたら、即座にブラウザ右上のバツ印をクリックだ。


「ふーん、あまりにも楽しそうにしているから、恋人とチャットしているのかと思っちゃっいました」


「まさか。恋人なんかいねーよ」


「ふふっ、そうでしたね」

 シャーロットは、にこっと微笑む。


(心配しなくていいぜ。これからは、好きなだけお兄ちゃんを独占できるんだからな)

 などと心の中でレスを送信して、ノートパソコンの画面に目を戻す。


 ちょうど機長氏が、『じゃあな』と呟いたところだった。


 突然、俺の中に悪魔的な考えが浮かぶ。

 そうだ。

 シャーロットを機長氏に自慢してやるか。


 いつも機長氏には上から目線で見られている気がするからな。

 俺ってウエメセには敏感なのだ。


@kotaroo『実はな機長氏、今、俺の部屋に、とんでもない美少女がいるんだぜ』


@qtkityo『フゴッ! 美少女だと』


@kotaroo『目が覚めたら、俺の隣で寝ててさ』


@qtkityo『ホゲッ! 朝チュンだと?』


@kotaroo『うむ。あと一歩でな』


@qtkityo『ドヒッ! 何者なんだ、その美少女は? ビニール製なのか?』


 実は妹なんだ、と書き込もうとして、手が止まる。

 さすがに信じないだろうな。


@kotaroo『シリコン製じゃなくて、れっきとした人間だ。種明かしをすると、実はイトコでな。ふふっ、ビミョーな関係だろ?』


@qtkityo『ヌワッ、何ですとー』


 ははっ。

 機長氏の狼狽が目に浮かぶようだ。


@kotaroo『俺氏、どうやら一瞬で勝ち組になったらしい。人生って何が起こるかわからないもんだな。かっかっかっ!』


 いい会社に就職しても、美少女とは知り合いになれん。

 この勝負、俺の勝ちだな。


@qtkityo『け、けしからんぞ! 抜け駆けをするとは! 卑怯なり!』


@kotaroo『ははは。進展があったら報告してやろう』


@qtkityo『許さんぞー、許さんぞー』


 機長氏は悲痛な叫びを上げつつ、タイムラインから消えて行った。


 俺は心の中で敬礼しながら機長氏を見送った。


 だが、すぐに後悔の念が湧いてきた。

 また嘘をついちまったな、俺。

 ただでさえ三〇歳と年齢詐称をしているというのに。


 機長氏は、俺の数少ない友人だ。

 親友、というよりソウルメイト。

 しかも同じ浅間市在住だ。


 機長氏とはいつかオフラインで会いたいと考えている。

 やはりカミングアウトすべきか。

 実は俺、四〇歳のキモくて金もスキルもないおっさんなんだって。


 これ以上、嘘を嘘で塗り固めないように。

 一時の恥ずかしさよりも、長きに渡る友情を、俺は選びたいのだ。


 でも、洗いざらいぶちまける前に、作家デビューしておきたいよな。

 そしたら、堂々と胸を張って、機長氏と会える。


(それまでは俺を見捨てないでくれよ、機長氏──)


   ☆


 さてと、執筆作業に戻ろう。

 白いワニと格闘するためのヒントを手に入れるべく、再びネットの海を泳ぎ始める。


 そして、数あるサイトの中から、一番分かりやすそうなものを発見した。

 ライトノベルの書き方指南サイトだ。


(ふむ、ラノベか)


 ミステリーや純文学よりも書きやすそうではあるな。

 小学生でもわかる文体で、バトルやラブコメを書けば良いわけだ。


 意外と楽勝だったっりしてな。

 なにしろ俺には四〇年分の人生経験がある。

 あっさり受賞しちまうかもしれん。


 よし、手始めにライトノベルを書いてみるとするか。


 目指せ、芥川賞!

 じゃなかった、直木賞!


 などと典型的な初心者的な妄想を膨らませつつ、サイトの内容を読み始めた。


 と、その最中だった。

 ガチャリ。

 いきなりアパートのドアが開いた。


 むっ、ノックなしだと?

 その無遠慮な登場の仕方は、きっと萌々ちゃんだな!


 でも、なんでこんな時間に?

 高校はまだ授業中のはずだ。


 というか、どうしよう。

 萌々とシャーロットはまだ会わせたくない。

 微妙な三角関係になりそうだし。


(うむむ、困ったな)

 俺はコタツから立ち上がり、急いでドアの方へ向かった。

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