修羅場警報
予想通り、戸口には萌々が立っていた。
学校からアパートへ急行したためか、ブレザーの制服姿のままである。
背中にはスクールバッグ。
俺は、戸口に向かう際に、六畳間のふすまを閉めた。
我が妹シャーロットの存在は、まだ萌々に知られたくない。
俺はすっとぼけ顔で、
「やあ、萌々ちゃん。こんな昼間っから、どうしたんだい?」
「うんとね。ちょっと体調が悪くなって、早退してきたの。ここで漫画でも読んでれば回復できるかなって」
「げほんげほん。……あ、やべっ。俺も風邪気味だ。萌々ちゃんは自分の家でゆっくりした方がいいぜ」
仮病で迎撃。
萌々の上陸を阻止せよ。
「でもコタローさんが、『ぼくのゆめ・わたしのゆめ』のプリント用紙をちゃんと書いたか確認しなくちゃいけないし」
萌々はそう言いつつ、靴を脱いで上陸を敢行しようとする。
「安心してくれ。すでに俺は夢に向かって一歩を踏み出したばかりだ」
と、その時だった。
萌々は足元のたたきを指差した。
「あれっ? こ、この靴は?」
そこには黒いブーツが一足、脱ぎ揃えられていた。
ピカピカでゴツゴツの、革製のゴスロリブーツ。
ま、まずい。
修羅場警報発令。
萌々はゴスロリブーツを見ながら、
「ねえ、コタローさん。この靴、どう見ても女の子のものなんだけど……?」
「そのようだな」
「どうしたの、これ。ひょっとして、奥に女の子かいるの?」
「いや、その……。たまには女装でもしてみようと思ってな」
な、何を言ってるんだ、俺は。
萌々は引きつった表情をして、
「き、きもっ……」
「いや、まさか。四〇のおっさんが女装だなんて。ははっ。冗談だ」
冗談じゃなかったりして。
「ってことは、女の子を連れ込んでるってわけか。ふ~ん」
とアニメ調のジト目を俺に向ける。
「その、なんだ、連れ込んだわけじゃなくて、向こうからを押しかけて来たわけで……」
「押しかけ女房?」
「まあ、そんなところだ」
こら、認めてどうする。
萌々は突然、キリッとした表情になる。
「じゃあ、挨拶させてもらいますっ」
そう言って、土間に靴を脱ぎ捨て、戸惑う俺の脇をすり抜た。
「あ、待ってくれ、萌々ちゃん!」
萌々は俺の制止を無視して、ずんずん六畳間の奥へイノシシみたいに突進していく。
あちゃー、どうしよう。
修羅場にならなきゃいいのだが。
なったら大惨事だ。
最悪、シャーロットはこのままアメリカに帰国し、萌々はこのアパートに寄り付かなくなる展開もありえる。
考えるだけで恐ろしい。
ブルブル。
でも逆に、萌々とシャーロットが意気投合してくれれば願ったりの展開だ。
三者の関係がより緊密になる。
鉄のトライアングルの完成だ。
文字通り、天国と地獄。
さしあたっては、この二人が末永くやっていけるように、年長者の俺が関係を取り持ってやらねばならぬ。
それが現時点での至上命題だ。
小説執筆は後回しにならざるを得ない。
☆
かくして俺は萌々の背中を追いかける。
だが果たして、俺の危惧は現実になった。
「えええぇぇぇっ! この子、だれぇええええええ?」
萌々が黄色い声で絶叫する。
ちょっと待った、萌々ちゃん!
初対面の相手に絶叫はないだろ!
慌てん坊にも程があるだろ!
俺が駆けつけると、清楚系ロングの髪を振り乱しながら、俺の方を振り向いた。
「こここ、コタローさん! あの子が押しかけ女房なの!?」
俺の両手を広げて、
「落ち着くんだ、萌々ちゃん! プリーズ クールダウン!」
「落ち着けって、そんなの無理だよっ! てか、その英語間違ってるよっ」
「レッツ深呼吸! リピート アフターミー! ワン・ツー・スリー!」
俺がラジオ体操みたいに手を動かして深呼吸をする。
萌々もそれに続く。
二人してスーハー、スーハー。
かくして萌々は落ち着きを取り戻した。
ふぅ。
慎重に行こうぜ、慎重に。
いのちだいじに、だ。
と思った直後、萌々が黄色い声で再びシャウト。
「こここ、コタローさんっ!」
「どどど、どうした萌々ちゃん!」
「あああ、あの子! ひょっとして、例の動画の子?」
もはや俺には、この慌てん坊をたしなめる気力は残っていない。
「ははは。見ての通りだ。そっくりだろう。と言うか、本人だ」
「ししし、信じられない……!」
萌々は石のように固まった。
しばらくそのまま固まっていてくれ。
シャーロットはというと、コタツに入ったまま、「とある魔術師の憂鬱」を読書中。
培養系美少女みたいな無表情。
ガン無視モード。
その無表情が逆に怖い。
萌々の失礼な態度に怒っているに違いない。
まずい。
二人を仲良くさせなくては。
さて、どこから手を付けるべきか。
とりあえず、そそっかしい萌々からだ。
俺は、石化状態の萌々に向かって、シャーロットがこのアパートにやってきた経緯について説明を行う。
かくかくしかじか。
「……というわけだ。分かってくれたかな、萌々ちゃん」
「信じられるわけないでしょ、そんな話」
萌々はまともに取り合おうとしない。
「俺も信じられないんだ。でも、事実は常に小説の斜め上を行くんだ。だから、ここは俺を信じてくれっ」
萌々は俺の目をじっと見て、
「コタローさんがそう言うなら、信じることにするけど……」
「ぜひ、そうしてほしい」
俺は頭を下げた。
これで、ひとまず安心だ。
第一種警戒体制、解除。
次は、シャーロットに萌々のことを紹介するとしよう。
二人の永久なる友情の成立を願って──
などと楽観した直後だった。
シャーロットは「とある魔術師の憂鬱」の表紙をパタッと閉じた。
無言&無表情のまま、コタツから立ち上がり、つかつかと俺の側に来た。
や、ヤバい。
怒ってるっぽい。
シャーロットは俺の袖を掴み、グイッと引っ張った。
そして淡々とした口調で、
「お兄ちゃん。その失礼な女は何ですか?」
「えっと、知り合いの……」
「お兄ちゃんの恋人ですか? それとも彼女ですか?」
「それ、同じ意味だ」
我が天使は動揺しているらしい。
東側スパイのような冷静な表情のくせに。
「お兄ちゃん、恋人はいないって言ったのに」
「だから言ったじゃないか」
「わたしよりも、その失礼な女の方がいいという理由を論理的に説明してください。ただし二文字以内で」
「制服」
しまった。
つい真面目に答えてしまった。
「はっ……」
シャーロットは青い目を大きく見開いて硬直した。
そして、がっくりと肩を落とす。
「お兄ちゃん、制服フェチだったんですね……。実は、わたしの登場シーンはゴスロリにするかセーラー服にするか三日間迷ったんですが……、完全な選択ミスでした……」
「俺も、選択ミスだと思う。金髪にセーラー服だったらセーラームーンじゃないか。そっちの方が最高だろ?」
「ですよね……」
で、なんの話だっけ。
そうだ、恋人の話だ。
「いや、だから、恋人じゃないってばよ。この子は、学習塾の塾長の孫娘で、河合萌々ちゃんだ。色々と仕事の関係で世話になっているから、仲良くしてほしい」
「世話? 仕事の関係なのに、なんでお兄ちゃんの世話を焼くのですか? 上司と秘書プレイですか?」
君は、錯乱する時も冷静な顔をするのかね。
どんな躾を受けたんだ。
お兄ちゃん、心配になってきたぞ。
「わ、分かりました!」
シャーロットは手をぱちんと叩いた。
「うむ、分かればよろしい」
「この女、お兄ちゃんのお宝を狙っているんですっ」
「お宝?」
「お兄ちゃんの特異体質です。遺伝子ですよ」
「い、遺伝子?」
「つまり、お兄ちゃんの子供を欲しがっているのですっ」
空気が凍りつくようなことを平然と言ってのけた。
シャーロット、恐ろしい子。
急に我に返った萌々が、
「ちょっと! さっきから何を言っているの、あんたたちっ! なんであたしがコタローさんの子供を欲しがるっていうの……!」
そこまで言って、萌々は顔を赤らめながら、自分の手で自分の口を塞いだ。
「あ、あわわっ、あたし、何を言っているんだかっ。もうっ!」
金髪娘は、萌々に向かって冷ややかに、
「あなたはなぜ、わたしのお兄ちゃんにお節介を焼くのですか? 合理的な説明を要求します」
「な、なんなの、この小娘……。コタローさんには昔からお世話になっているからに決まってるでしょ。あんたみたいなおっぱい未発達児童よりも関係が古いのっ」
「お、おっぱい未発達児童……」
シャーロットは目をぱちくりさせた。
言ってはならぬことを。
俺は思わず対爆防御態勢を取った。
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