オタクの本棚には仕掛けがある


 会話が一段落。

 またしても沈黙が流れる。

 まずい、次の会話のネタを見つけねば。


 シャーロットの身の上を思い出す。

 ロサンゼルス、ハリウッド、セレブ。


 地方在住のキモくて金もスキルもないおっさんとは無縁すぎる。


 絶望しかけた時だった。

 シャーロットが突然、祝福のような歓声を上げる。

 真後ろの壁を指差して、

「ねぇねぇ、お兄ちゃん!」


「ん? どした?」


「本棚の本!」


 俺の背後には、壁全体に本棚が並ぶ。

 本棚の中身は、漫画、ライトノベル、ゲーム、アニメの関連書籍など。

 要するにオタクの本棚である。


 つまり俺はオタクなのだ。

 年季が入っているくせに、コアな話を振られるとしどろもどろになる浅いオタクだが。


 俺は後ろを指しながら、

「アレに興味があるのか? 読みたけりゃ好きに読んでいいぞ」


「やった!」

 シャーロットは小躍りするようにコタツを出て、本棚の前に立った。


 ゴスロリワンピースで包んだ体を屈めて、金髪ツインテールを胸の前に垂らしながら、興奮気味に本の背表紙を指でなぞっていく。


「あっ、○の錬金術師! 美しい兄弟愛に感動しましたっ。○イキューに黒バス! 流行を抑えてますねっ。テニスの○子様! 分身したりするんですよねっ。なつかしの○cさくら! ○々白書! ふしぎ○戯!」


 金髪娘は夢中でタイトルを読み上げる。

 まるで天上世界の思い出話でも語るみたいに。


 俺の中に、とてつもない幸運の予感がこみ上げてきた。


「ひょっとして、君は、オタクなのか?」


「はいっ、オタクです!」

 と満面の笑み。


「ま、マジか……!」

 俺の中で歓喜が爆発しそうになる。


「ビバリーヒルズのハイスクールではコスプレクラブに入っていましたし、ロサンゼルスのアニメエキスポも常連ですよっ」


 ブ、ブラボー!

 ついに共通の話題が見つかったぞ!


 しかも俺の専門分野だ。

 オタクに国境はなかった。


「そういや君はアニソンも歌えるんだっけな。あの動画、なかなかだったぞ」


「あれは片手間で作った動画ですよ。アニソンはカラオケで歌っていましたし」


「にしては、すごくよくできていたぞ。知り合いもびっくりしてた」


「ハリウッドのスタッフに作ってもらった動画ですからね」

 こともなげにさらっと言う。

 さすがはセレブのお嬢様。


「そういえば、亀吉がハリウッド映画のスポンサーだったんだっけ。クリス・キングとかいう若手俳優を応援してるとか」


「そうです。でも、どっちかと言うとわたしは実写よりアニメ派なんですけどね。日本語を覚えたのもアニメと漫画でしたし。……それにしても、この本棚のラインナップ、なんだかすごくわたし好みですよ」


「そ、そうか。ただ俺好みのものを集めただけなんだけどな」


 うへへっ。しめしめ。

 俺は心の中で舌なめずりをする。


 実を言うと、その本棚のセレクトは、萌々のために計算されたものなのだ。


 まず、女子がドン引きするような萌え系のコンテンツは全て排除する。

 ロボットやミリタリーなど濃い系も極力減らす。

 中心のラインナップは、女子も俺自身も楽しめるような少年漫画や少女漫画、ライトノベルのメジャータイトルだ。


 この本棚のおかげで、萌々がこのアパートに足を運ぶ回数が増えた。

 シャーロットにも効果覿面だった、ということである。


 シャーロットは本棚に視線を這わせ、

「ところで、お兄ちゃんのおすすめはどれですか?」


「難しい質問だな。そこにあるのは全部おすすめ作品とも言えるが……。その右端のライトノベルはどうだ。『とある魔術師の憂鬱』というやつだ。知ってるか?」


「知ってますっ! アニメを見たことありますから。原作の小説はまだ読んでないですが」


「なら、読んでみるといい。エポックメイキングな作品だからな。一巻が出たのはかなり昔だが、巻数も多いし、連載が続いているから、長く楽しめるぜ」


「じゃ、早速読んでみることにします。日本語の勉強にもなりますし」


 シャーロットは本棚から「とある魔術師の憂鬱」を抜き出して大切そうに胸に抱えた。


 俺がこのラノベをすすめたのは、全巻を読み終えるのに時間がかかるためだ。

 読んでいる間はずっと俺の部屋に居ついてくれるのでは、という目論見である。


 計算高すぎだろ、俺。


   ☆


 と、その時だった。


 シャーロットは何かを思い出したように、本棚を振り返った。

 ゴスロリワンピの裾がふわりと揺れる。


 しばらく本棚を眺めていたが、再び俺の方を振り返って、

「そういえば、お兄ちゃん。この本棚、あんまりオタクの臭いがしないんですけど……」


 ギクッ。

 見抜かれたか?


「それに、ネットの画像で見かけるオタク部屋には、ワイフのポスターとか抱き枕とかフィギュアとか薄い本とかあるじゃないですか」


「ワイフ?」


「ネットスラングでWaifu、つまり『俺の嫁』のことです」


「いや、俺はコアなオタクじゃないってばよ。広く浅いライトオタクなんだ」

 Waifuなら何人もいるけどな。


 シャーロットは北欧のスナイパーみたいな青い目で、

「ふふん。さては、どこかに隠していますね?」


「そ、そんなわけ、あるだろ」

 動揺しまくる俺。


 シャーロットは六畳間の中をキョロキョロと見回しつつ、

「少し調べさせてもらっていいですか?」


「か、構わんが」

 ここで断るのは逆効果と判断。

 聖女の審判を座して待つのみ。


「ではさっそく、捜査を開始しますっ」

 そう宣言して、押入れや洋服ダンスなどを調べ始める。

 麻薬捜査官かよ。


 むろん、そんな分かりやすい場所には隠さない。

 萌々に見つかったら一大事だから。

 でもヒヤヒヤである。


 ゴスロリ捜査官は、しばらくあちこち探し回った挙句、押入れの上のスペースを指差した。

 天袋と呼ばれる場所だ。

 天井に接した天袋には、小さな扉。


「むっ、あそこが怪しいですっ!」


 ま、まずいっ。

 核弾頭級の危険物は、全てそこに隠蔽してあるのだ。


 もし、その危険物をシャーロットが目にしたら、部屋から逃げ出すのは必定である。

 全力阻止あるのみ!


「だ、ダメだ。そこは異世界とつながっているんだ。扉を開けたら強力なモンスターが出てくるぞ!」


「えっ、モンスターが潜んでいるのですか? なら、わたしが退治してあげますっ」

 シャーロットは天袋の下へ接近。


「下がれっ 爆発するぞっ!」

 俺はコタツから飛び出す。


 シャーロットの前に体を割り込ませる。

 膨らみのあるゴスロリワンピの裾が、俺の足にまとわりつくほどの至近距離。

 このまま抱きしめちまおうか。


「お兄ちゃんどいて!」

 君はS県某氏か。


「分かってくれっ。君を危険にさらすわけにはいかないんだっ!」

 いや、ピンチなのは俺なんだけどな。


 と、その時。

 シャーロットは突然、

「ぷぷっ」と口を抑えながら笑い出した。


「……なんてね。冗談ですよ。兄妹にもプライバシーがありますからね」


 なんだ、演技だったのかよ。

 お兄ちゃん、一本取られたらしい。


「そ、そうだったな。うん、プライバシー大事。とりあえずコタツに戻ろうか」

 俺はシャーロットの両肩をぽんと叩いた。


 ちょっと狼狽しすぎたな、俺。

 ヤバいブツを隠しているって丸分かり。

 すっかり変態お兄ちゃんだ。


 本当は清らかなおっさんなのに。

 ううむ。なんとか汚名を拭いたいぞ。


 ふと、俺の脳裏に、ある考えが浮かぶ。

 そうだ、あれなら問題ないか。


「……でもよ、どうしても君が見たいと言うなら、見せてやってもいいぜ?」


 シャーロットは、ゴクリと喉を鳴らして、

「ひょっとして、ハードでデンジャラスな内容なのですか?」


「いや。ソフトでセーフティだが、極めてブラックなんだ。下手に見ると正気度が下がる危険性がある」


「ううっ、気になります……」


「さあ、どうする?」

 俺は挑発するように言った。


 シャーロットは形の良い唇をきゅっと結んで、しばらく迷っていたが、やがて決然とした表情で、

「見ます」と言った。


「いいのか? 後悔するぜ?」


「この目でしかと見届けます。お兄ちゃんの真実を」


「よし、いいだろう」

 俺はうなずくと、丸椅子を取りに台所へ向かった。

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