おっさんは氷河期世代


「それでそれで、お兄ちゃんは今までどんな小説を書いたのですか?」


「えっと、その……」

 もちろん俺は一行たりとも書いていない。

 なんか変な汗が出てきた。


「見せて、見せて!」

 シャーロットはコタツの上にぐっと上体を乗せる。


 ツインテールの金髪がふわりと俺の鼻先で揺れる。


「じ、実はな、完成度が低くて、まだ見せられないんだ……」


 あ、これ、嘘を嘘で塗り固めるってやつだ。

 嘘が嘘を呼び、結果的に破滅するってパターンだよな。


「ノープロブレムですよ。そんなこと全然気にしませんから! お兄ちゃんの書いたものが見たいです!」


 シャーロットのおねだり攻勢に、俺は肩をすくめるしかない。


 すまんな、妹よ。

 君のお兄ちゃんは、どうしようもないクズなんだ。

 ほんとすまねぇ。


 シャーロットはいぶかしそうに、

「見せられない事情でもあるのですか?」


「ま、まあな」


「ひょっとしてひょっとして……」

 とシャーロットは顔を赤らめつつ、

「え、え、えっちなのものを書いているのですか?」


 さあ、困った。

 エッチな小説を書いている、と嘘を三重に塗り重ねて、この場をしのぐべきか?

 それとも、すっかり白状してしまうか?


「ごめん……!」

 思わず言葉が漏れた。


 俺はコタツの天板に両手をついて、頭を下げる。

「実はまだ、何も書いていないんだ……」


 みっともなくて、シャーロットの顔をまともに見ることができない。

 でも嘘をつくのは、もっと辛いんだ。


 シャーロットは不審そうな青い目で、

「じゃあ、作家になろうというのは?」


「そいつは本当なんだ。今度こそ本気で挑戦したいと思っているんだ。それだけは信じてほしい!」


 俺はコタツに額を擦り付ける。

 許してくれ、ふつつか者の兄を。


 シャーロットはしばし黙っていた。

 やがて透き通るような甘い声で、

「……もちろん信じますよ。だから、頭を上げて。お兄ちゃん」


 なんと、まさかの恩赦?

 俺は恐る恐る首を持ち上げる。

 上目遣いで、シャーロットの顔を覗く。


 そこには慈愛に満ちた表情があった。

 お兄ちゃんのことは何もかも理解しているよ。そう言わんばかりの仏の顔。

 いや、アメリカ人だからマリアの顔か。


「ご、ごめんな、見栄を張っちまって。せっかく遠くから来た妹をガッカリさせたくなくてな……」


「ふふっ。お兄ちゃんって、とっても純真なんですね。大丈夫。お兄ちゃんに失望したりはしないから。だって、お兄ちゃんは大器晩成型なんですもの」


 おおっ、なんたる慈悲。

 やはり君は闇に舞い降りた天使だ。


「お兄ちゃんは、人よりも正直すぎて、世渡りもうまくいっていない、みたいな感じかな?」


「なに、不器用なだけさ。ははは」


「そうだ、お兄ちゃん。不器用を英語でなんて言うか知っていますか?」


「えっと、えっと……」

 思い出せ、塾講師の俺。


「ピュア、って言うんですよ」


「あ、そうか」

 いや、待てよ。違うんじゃねえか?


「なんてね。わたしも嘘ついちゃいました。これでイーブンですね、あはは」

 とシャーロットは屈託なく笑う。


 なんたる聖女。

 クズな俺を助けるために、自らもクズ堕ちすることを厭わないとは。

 いと尊き自己犠牲。

 君には、本当に俺と同じ血が流れているのか?


「実はね、お兄ちゃんのことは色々と知っているんですよ。パパが探偵さんを雇って、お兄ちゃんのこと調べてて、そのレポートを読ませてもらったんです」


 探偵って、俺は犯罪者か。

「で、どこまで俺のこと知っている?」


「そうですね。例えば二〇年前、お兄ちゃんが地元の大学を中退した話とか」


「げっ。そんな昔の話まで」


「はい。当時はバブル崩壊後のひどい不景気でしたよね。大学中退のお兄ちゃんは正社員になれず、アルバイトや派遣社員で食いつなぐ毎日でした。そんな日々を送っているうちに次第に心を蝕まれていき、一〇年前にはまともに働くこともできなくなりました」


「ううっ。その通りだ……」

 後に言う就職氷河期である。

 四〇歳の俺は氷河期直撃世代というわけだ。


「ところが奇跡的に、以前学んでいた竜宮学習塾に拾ってもらうことができました。おかげで心の病も回復し、今に至ります。……ああ、何という壮絶な人生なんてしょう。あまりの悲惨な境遇に、話していて泣けてきました……」

 シャーロットの白い頬に、きらりと光るものが流れた。


「でも、そうやって同情してくれる人は、君が初めてだぜ」


「知っています。みんなして、お兄ちゃんを自己責任という言葉で追い込んだんですよね」


「そ、そうだ」

 あの頃は、世間もネットも自己責任の大合唱だった。

 その声に追い込まれていった同士たちも多い。


 シャーロットは胸の十字架のアクセサリーを両手で握りしめながら、

「ううう。お兄ちゃんは、平成の殉教者ですね……。そうだ、お兄ちゃん。コタツの上に右手を出してください」


「こうすれば、いいのか?」

 言われた通り右手を差し出す。


 シャーロットは両手を伸ばして、俺の右手を優しく包む。


 俺のよりも一段と白いその掌は、温かで、ふんわりとした感触だった。

 触れたものを全てマシュマロに変えてしまいそうな、極上の感触。


 聖女シャーロットは俺の手を握ったまま、

「お兄ちゃんは十分に苦しんだのだから、これからは幸せにならなくてはいけません」


「なれると、いいんだがな」


 シャーロットは柔らかな指先に力を込め、

「わたしがお兄ちゃんを絶対に幸せにしてみせます」


 君は女神だった。

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