第5話③

「あはは。ひっかかった。魔王は洗脳できないけど、アホは御しやすい。」

小学校の教室。机に腰掛け少女は笑う。

それまで普段通りの授業が行われていた教室では、生徒の子供たちと教師は虚ろな目で静止していた。


彼女は魔王スターチャイルド。精神を操る魔王である。この学校の人間は既に全員が彼女の脳奴隷である。


「魔王! ここで戦闘をするつもりなら、やめろ!」

この声は、魔王スターチャイルドと同じ声である。正確には、彼女の意識内に存在する、もうひとりの意識。魔王ソウルに憑依された元々の人間、チセである。


「私が許さない! 私の友達を、傷つけるなら……!」

「どうするの?」

魔王スターチャイルド、その魂は精神内で挑発的に問い返す。

「邪魔をする。私の体は私のものだ。友達を死なさえるくらいなら、あんたを道連れにして死んだ方がマシだ!」

チセは一切の迷いなく、言い放った。

「アアハハハ。死ぬとか子供が簡単に言っちゃあいけないよ?」

魔王の魂はチセの論理肉体を電子的に撫でる。しかしそれでも、チセの目は敵意に満ちたままだ。


「ああ、いい精神……。この私を収まる器はやはり君だ。」

魔王は嬉しそうに喉を鳴らす。目を細め、不快な笑みを浮かばす。


「ま、お友達を巻き込む戦闘はしないよ。まだね……。あの魔王が能力を介して意思を拡散させたおかげで、私には場所も心も手に取るようにわかる。適当な場所に移って待ってればのこのことやってくるさ。」

「……。だったら早く移動しろ。」

「はいはい、王様。フフ。」


精神内からスターチャイルドの姿が薄くなり、消える。チセとの会話のため、内部に集中させた意識を解除したのだ。


「もうすぐだ。もうすぐ。」

スターチャイルドは脳停止生徒の前を横切り、教室から出た。

彼女は誰にも、チセにも聞こえない微かな声で呟いた。




「あ。」

連城恋は凍りついた。


スマート・フォンでレストランの殺人容疑者が、つまり豊水忍が脱走したというニュースを確認した。この報道には驚かなかった。魔王なら容易だからだ。

一度逮捕された理由は不明だが……彼は警察の一人も怪我をさせていなかった。手錠を力ずくて破壊し、鉄砲の弾丸を避け、またたく間に姿を消したそうだ。改めて彼の善良さを理解した。

故に、当初の予定通りこの件にはかかわらず、恋と静穂は帰宅する途中だった。


しかし。


2人の目の前には、緑色の頭髪、鱗状の皮膚、爬虫類の目と黒煙の目。おぞましい漆黒の煙を周囲に漂わせた女が、憤怒の形相で走り去る姿であった。


「今の人。」

静穂はぼそりと呟く。

「上級生じゃなかった? 素行不良で有名な……。髪染めて、暴力沙汰起こしたりしてた人。」

「ここ最近学校に来てないって、噂になってたわね。」


2人は固まったまま話した。

「……なっていたいたのね。」


兄は言っていた。魔王の魂が体に入り込んだと。心に語りかけ、肉体が変貌したと。


「こりゃ、ヤバイね。」

「また戦いが起きる。」

2人はしばらく呆然と立ち尽くすしかなかった。



「アアアアアアア!」

外壁粉砕! 緑の怪物、魔王マレヴォレントが現れた!

「見つけたぜぇぇぇ……!」


場所は、広い運動公園。普段は一定数の利用者が使うこの公園に、この時は全く人の気配がしない。いるのは、年端もいかぬ少女が一人。魔王スターチャイルドだ。


「わー、こわーい。おばけだー。泣いちゃうー。」

見下した笑顔でおどけると、スターチャイルドは敵を見据える。

「私は魔王スターチャイルド。あなたは?」


「魔王マレヴォレント、です……! てめぇが魔王に間違いねぇなぁ!?」

マレヴォレントは吠える。

「そうよん。小学四年生、10歳の女の子卜部治世の正体はなんと! 魔王スターチャイルドちゃんでした。」

「そうかい。んじゃ、短い人生を終えな。今ッ!」


黒煙! 微細なサイズで張り巡らされていた黒煙の触手がマレヴォレントの意思により肥大化した!


「これは……!」

スターチャイルドが驚く。

「死ね!」

黒煙は一瞬にして無数の凶器に形状を変えるとスターチャイルドに襲いかかった!


「なーんてね。」

次はマレヴォレントが驚く番だった。しかし、演技ではなく本心から。


スターチャイルドが指一本動かすこと無く、黒煙の触手は吹き飛んだ。


「なんだとクソが!」

「こんなこともできるよ。」


雲散霧消した黒煙が再度集まり、巨大な手を形作る。魔王マレヴォレントは苛立った。自身の能力である黒煙を乗っ取られている。


「なんだ、このガキの、能力は……!」

眼前の少女は、困惑を浮かべる敵に対して目を細める。


「いけ!」

スターチャイルドが手を突き出すと、黒煙の腕が猛烈な勢いで発射された!


「ああ!? くそっ! 解除だ!」

「アッハハハ! 無駄だよ!」

漆黒の拳はそのまま魔王マレヴォレントに突っ込んだ!

床材は粉々に粉砕され、激しい土煙が舞う!


「オオオオオアアアア!」

怒号! 粉塵の中から魔王マレヴォレントが弾丸めいて駆ける!

「木っ端微塵にしてやる!」

叫びと同時に爆発的に黒煙が噴出! 固形化し巨大なメイスとなり、マレヴォレントの手に握られた!


「ハハハ! すごい怒りだぁ。伝わってくるよ。」

少女は敵の攻撃に直面しながら、一歩も動かない。その必要はないのだ。なぜならば。

「出番だよ。」


「うるせえ死ねぇぇぇ!」

マレヴォレントは大質量漆黒メイスを渾身の力で振り下ろす! その時だ!

「キキキィィィーーーー!」

爆発音と共に狂気めいた老婆が突っ込みスターチャイルドを庇った!


「なっ!」

さらなる爆発! 突き出された老婆の拳がメイスに接触すると爆発が発生! メイスは吹き飛ばされ雲散霧消した!


「ヒヒャヒャヒャァッ! 今度は負けな負けな負けないィィィヒヒヒヒ!」

老婆は目を見開き、瞳孔の開いた瞳、よだれを垂らした口。狂気そのものの表情だ!

「なんだこのババァはァ! ぶちころされてぇのか!」


「このおばあちゃんは魔王ロンジェビティ。私のお友達だよ。」

脳奴隷魔王の背後でスターチャイルドは笑う。

「あなたも友達にしてあげるよ。」


「うるせえ徒党を組んで群れる雑魚が! うぜえんだよおおおお!」

マレヴォレントは空が割れるばかりの怒声をあげる! 噴火のように大量の黒煙が彼女から舞い上がり、そしてその体を覆っていく!


「てめぇの能力は精神操作だろ! 私の黒煙を乗っ取ったのは遠隔操作した時だけで、物質化させた武器は消せなかった!」

黒煙は巻き付いていき、マレヴォレントの数倍巨大なシルエットを形成していく……それは鎧どころか、要塞の如く!

「だったら単純だ! 意思なんかいらねえ最強の武器だ! そいつでてめぇもババアも力づくでぶち殺す!」


漆黒の巨人は見た目からは想像できない速度でスターチャイルドに殴りかかる!

「エエエエエアアァ! 死ねェェェ!」

ロンジェビティが奇声をあげ、足元を爆発させた! ロケットめいた勢いでマレヴォレントに突進する!

「吹っ飛べ!」


漆黒の鎧から黒煙が噴射!

「オゴゴオゴゴ!?」

魔王ロンジェビティは風圧に押し返された!

「ガガガアアア!」

老婆は腕を突き出し、爆発を起こす! しかし意味はなく地面に叩きつけられた!


「雑魚が! てめぇの能力は皮膚の表面で指向性爆発みてえなを起こすってところだろ! 触れなきゃ意味がねえ!」

巨人の周囲にさらなる黒煙が噴出し、巨大な何かを創り出す……。それは至極単純な黒い岩。巨大な質量のかたまりであった。


「これがてめえの墓石だぁ!」

巨大岩石投擲!


「ガ……ガ……!」

ロンジェビティは逃げようとするが、体が重い。全身に無数の切り傷。

先の風圧攻撃の際、マレヴォレントはダイヤモンドダストめいた小さな刃を混ぜており、肉体を切り刻んだのだ。


「ギィィィィ……畜生ガガガ! またジャリ共に……!」

二度目の死が迫る。正気を奪われた老婆に恐怖が湧き上がった。


しかし。突如放たれた雷が黒い岩石を破壊した。

「なんだと!」


マレヴォレントは驚愕した。そして同時に激しい怒りを覚えた。

こうなるから。早く戦いを済ませたかったのだと。


「ふふふ。意外にクレバーだね。もともとなのか、魔王知性ブーストの効果なのか……。」

スターチャイルドはバチバチと通電する手を、ゴミでも払うように降った。

「これを持ってなかったら危なかったかもね。」


「チッ……! 奪った能力か……! クソ!」

「そう。この前ちょっと漁夫の利で頂いた力だよ。魔王インクィジションの能力。雷撃の矢。」


スターチャイルドは誇示するように、手から雷光を輝かせて見せた。

「そうだ。あなたが意外に強かったから、ご褒美にいいものを見せてあげる。」

「んだと! てめえ! 舐め腐りやがって! 後悔することになんぞ!」

マレヴォレントはあらん限りの怒声を飛ばす。


「ああ。いい怒りだ。感じる。本気と嘘が混じり合った素敵な感情だ。」

「……!」


嘘。スターチャイルドはそう言った。マレヴォレントはこの一瞬、ぞわりとした感覚を味わった。

敵は、何者だ?


「これが私の第三の能力。」

スターチャイルドはおもちゃで遊ぶように、無邪気に。手の上に水の塊を発生させた。そしてその水はバズソーめいて高速回転をした。

「魔王マグネイトの能力。ウォーターカッター。」


そう言ったスターチャイルドは。誰も居ないはずの背後を振り向いた。

マレヴォレントの背筋が凍った。


「ッ! 逃げ」

言い終わる前に、ウォーターカッターは発射された。


「AAAAAAAAARG!」

叫び! 悲鳴は一瞬で止んだ。


ウォーターカッターが通過したその場所には、一体の巨大なワニが真っ二つになったものが落ちていた。


「無鉄砲に怒りながら。ちゃんと作戦を持っていたんだね。私が待ち構えてるからには罠があるはず。だから自分も不意をついて殺せるよう、能力のワニを忍ばせ機会を伺っていた。」

「こいつ……!」


マレヴォレントは年端もいかない子どもに恐怖した。

否。魔王第六感が告げる。

その敵は、子供の皮に収まっているだけであると。


「てめぇは、一体なんなんだ……!」

それは。卜部治世などではなく。魔王スターチャイルドですらなく。もっと別の何か。


「それはまだ秘密。」

魔王はいたずらっぽく指を口にあてる。

「さぁ、そろそろ終わりにしようか。私の洗脳は魔王だとしっかり体力を削って瀕死にしないと効かないからさ。そろそろガス欠するころでしょ?」


そう、魔王の力は無限ではない。黒煙の鎧という大質量を創り、マレヴォレント本来の力である大鰐を破壊された今。彼女のスタミナは枯渇しつつあった。

「今は勝てねぇ、か……。だが。」


逃げることはできるか? 逃げなければならない……! 正体が何であろうと、あの不快な敵は、自分を馬鹿にしきった奴は、思い知らせなければならない。


「おおおおおおお!」

マレヴォレントは叫ぶ! 黒い鎧は再び黒煙に分散され、瞬時にマレヴォレントの肉体に吸い込まれていく!


「やらせないよ。ハハハハ!」

スターチャイルドは動くこと無く、意識するだけで彼女の周囲に無数の高圧水流円盤が生成! さらにそれらのウォーターカッターに電流が流れる!


「捨て台詞だ! 『覚えてやがれ!』」

マレヴォレントは回収した黒煙で体力を回復させ、背中に黒い翼を作り出した! そのまま敵の頭上を最高速度で飛ぶ!


「ダックハントだ! 君は私を楽しませてくれる!」

電撃ウォーターカッターが発射!


「当たるかよ!」

マレヴォレントは黒煙の目と魔王反射神経を発揮しウォーターカッターを回避する!


「ここで逃がすと面倒か」

ぼそりとスターチャイルドは呟く。

「ロンジェビティを生かしておけば儀式は完成しないしね。あれは今消したほうが得策かな。」


黒い翼をはためかせ、残量の黒煙噴射で高速移動するマレヴォレント。

「止んだか? ……! まずい!」

彼女の優れた探知能力は危険を察知させた。既にだいぶ距離をとったはずのスターチャイルドから発生する巨大なエネルギーを!


「充電完了。よーし。」

この時。戦いの場であった運動公園の一角には、もともと居た利用者が洗脳され一箇所にまとめられていた。そして今、それらの人々は力なく倒れていた。

魔王スターチャイルドによって精神力を喰われたのだ。


「友達には手を出していないからいいでしょ? チセ。」

虚空に話しかける魔王。

「インクィジションの能力、フルパワー。」

魔王を中心に空気が震えた。スターチャイルドが奪い、増強した精神力はインクィジションのソウルによって電力に変換される。

膨大な電力がスターチャイルドに集中する!


「じゃあね。マレヴォレント。」

激しい爆音と共に、雷光の矢が放たれた。



「くそ! 死んでたまるかよ!」

マレヴォレントは全力で飛ぶ! 少しでも威力を落とせるよう建物の密集した場所へと……!

その瞬間。閃光が走り、マレヴォレントの視界は真っ白に染まった。




「ハハハ。ハハハハ! やはりこの戦いは面白いね。ただの魔王戦と違った驚きがある。」

スターチャイルドは楽しそうに笑った。その腕からは血が流れていた。

地面には焼き焦げた大鰐が、灰と化し消え去っていった。


一体何があったのか? 正解は、こうだ。

雷光の矢を放つ直前、死んだと思われたマレヴォレントの大鰐……の、千切れた上半身がスターチャイルドに飛びかかったのだ。そして瞬時に防御し大鰐は排除できたが、その影響で雷光の矢は狙った方向からずれたのである。


「あーあ、逃がしちゃった。もう非常食もないし……。こりゃ、次はもっとひどい戦闘になるぞ。」

スターチャイルドはマレヴォレントが飛び去った方角の空を見た。そして笑った。

「楽しみだなぁ。」




「ハァー、ハァー……。」

マレヴォレントは人気の少ない裏路地で腰を下ろしていた。

この時ばかりは死を覚悟したが、どうやら大鰐が窮地を救ったようだ。自身の能力ゆえ、それを感覚で理解できた。


「多分……。さっき、人を食ったからだ……。」

うめきながら言う。限界を超えた魔力の行使と生命力の喪失により激しい苦痛が襲っているのだ。

「知らなかったが……。私の能力は、食えば強くなる……。そういう、性質……!」


マレヴォレント。他人の不幸を願うその名を持つ魔王。彼女に憑依した魔王。

その力の本質を彼女は感じ取った。


「このままじゃ、あのガキに勝てねぇ……! もっと人を食わせるか……ア?」

彼女は地面にに落ちていたゴミの、新聞紙が目に入った。その記事には先日の殺人事件の内容が書かれている。


その時彼女は別の考えに思い至る。

この事件はまぁ、魔王がしたもんだろう。んで、犯人があのスターチャイルドってやつ。あと、さっき見た事件現場からするにあの妖怪爆発ババァが使われた可能性が高い。

だが、あの現場では見た感じウォーターカッターや雷の矢が使われた形跡がなかった。私が見逃しただけかもしれんが……。そうなると、あの場で敗北した魔王はインクィジションとマグネイトとかいう奴以外になる。魔王は7体。私で2体分、スターチャイルドで3体分、婆さんで1体分。そして事件現場でやられた1人をあわせて7人。


しかし、魔王ロンジェビティは「今度は負けない」とか言ってたはずだ。狂いに狂ってるから信用はできんが……。そうなると、8人になってしまう。それはおかしい。それなら、あの事件現場で、スターチャイルドと戦闘した魔王は生き残ってるのではないか?


そうだ。逮捕者がいたはずだ。魔王が警察に捕まるはずはないと思ってたからどうせ無能警察の誤認逮捕、冤罪だと軽く見ていたが。こうなると話が違う。あのナントカという男は、魔王かもしれない。ならば……!



「手を組んでも良し。食って力を得ても良し、だ。」

魔王マレヴォレントは立ち上がり、周りの目も気にせず街に歩きだした。

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