第4話③

「ここがそこだな……。」

 くたびれたジャージ姿の青年、豊水忍は焼けた廃倉庫前に来ていた。さきほどの学生は深追いしたところ逃げてしまったが、スライム状の何かに賞金がかかっていることはわかった。そして映像に写っていたこの場所は昔日雇いでアルバイトをしたことがあったので知っていた。

「こんなことしている場合じゃない気もするが……空腹でもうよくわからなくなってきたな。」

 忍はブツブツと呟きながら歩く。視界がぼやけ、めまいもたまに起こる。だが彼はこの症状に慣れた気がしていた。

「さぁ。100万円を探そう…。ふふ、それだけあれば、高級な料理をたくさん…。」

彼の目はうつろだ。そしてあてもなく歩み出した。


数時間後。16時もなるが空はまだ青い。夏の日だ。

「あー。やっと放課後だぁ。疲れた。」

椅子に座る追長静保が伸びをして言った。

「静保は勉強しないで寝てばかりだったじゃない。疲れないでしょ。」

連城恋は荷物を整理しながら目もくれずに言った。

「机に拘束されていると疲れるの。それで眠くなるの。でも差し引きでマイナスなの。」

「くだらなさの極みね……。」

恋は呆れた。静保は飛び上がり、教室の扉に駆けた。

「それでは追長謎ミステリ探検隊今日もはりきっていこー!」

「あなたがリーダーなの?」

そして二人は別クラスに向かい、廊下を歩いている。富豪の娘のワタヌキ金剛に会うためである。

「そういえば金剛さんはなんでこんな普通の学校に通ってるのかしらね。漫画みたいに金持ちなのに。」

「まぁ普通の学校に通うお嬢様っていうのも漫画見たいな話だけどねー。案外勉強ができないって理由だったりして。」

「その理由は静保さんだけですわよ。ワタクシは家から近いからここに入学したのですわ。」

ふと気づくと背後に金剛が立っていた。静保は驚いて飛び上がった。

「いっいつの間に!」

「それもそれで贅沢な学校選びねぇ。」

恋は冷静である。

「というか私を弄るネタをもう金剛さんが使い出している?」

静保を意に介さずに金剛が切り出した。

「さぁ、情報がどれだけ集まったか確かめましょう!」

15分後!

「なんの情報もなかった……。」

静保と金剛は落胆した。

 彼女たちは近場の喫茶店でノートパソコンを広げていた。

「ワタクシが街を探索させていた奴らも成果ゼロ……。」

「私がネットで呼びかけたのもまるで反応なしとは……。」

よほど期待していたのか落ち込む二人。

「まぁ、まだ24時間も立ってないんだし、そう気を落とすこともないわよ。」

しかしかく言う恋も内心焦っていた。あの危険物を放置するのはダメだ。しかしスライムは本当に実在するのだろうか。あれは夢か何かを見ていたのでは。

いや、馬鹿なことを考えるな。出来事は現実だ。未知への恐怖を呼び起こし、思考をクールにする。

「手がかりがないなら、私達で見つけましょ。」

恋は立ち上がった。

「おー、そうだね! レンの言うとおりだ!謎ミステリー探検隊リーダーの称号はレンにあげよう!」

「唯一怪物と接触したあなたとなら、スライムも出てくるかもしれませんわね。行きましょう。」

 そして3人は喫茶店を出た。

その時、異様な男が彼女たちとすれ違った。薄汚れたジャージを着た、ボサボサ髪で痩せた男だ。夢遊病のように目はうつろでふらふらとしていた。

 その姿は彼女らの目に奇妙な印象を与えた。しかし、別の課題を抱える彼女たちの思考にその男が上ることはなかった。


「あの、お客様。こんなところで寝ないでくさい。」

 喫茶店の床に転がる男が店員に声をかけられてた。彼はゾンビのように入ってきたあと、力尽きたように倒れたのだ。

「……ああ、すまん。食べ物の匂いに引き寄せられて……」

 そして追い出され、またふらふらと彼は歩き出した。

食事こそ生きる喜びだ。そう考えていた彼にとって断食生活はその心身を苦しめた。

「でも、これだけ腹が減ってから食べれば……。確実に人生最高の食事になるはずだ……100万円で…高級な……」

彼はおかしい目つきでさまよっていた。

 起きているのか寝ているのかも曖昧な自我で歩きまわること、1時間くらいだろうか。彼の足はついに止まり、ブロック塀にもたれかかってアスファルトの地面に崩れ落ちた。

 ひとまず眠ろう。寝ている間は空腹も気にならない。

意識は瞬く間に落ちていき、眠りの世界に誘われようとしたがその時、豊水忍の目の前を1台の黒いリムジンが高速で通り抜けた。

 身体にかかったリムジンの風圧が、彼の意識を覚醒させた。眠るにはまだ早い。彼は富豪の象徴に感謝をした。貧困層に生きた彼の人生を、病死した母親を、思い出したからだ。

 少し冷静になれば、スライムの怪物なんて馬鹿げている。まったく、空腹でどうかしていた。

「冷静になろう。こういう時、どうすればいいのか……ん?」

シュウー。ジュウー。奇妙な音が聞こえる。なんだ?音の方を見ると、、彼の頭の右側のブロック塀の亀裂から、青い半透明の粘体が出てきていた。粘体の周囲からは蒸気が吹き出ている。ブロック塀が溶けている。

「え?」

それは彼の顔に少しずつ近づいてきている。その距離が10センチに達した時、栄養不足の脳はようやく彼の身体に恐怖の信号を伝達した。

「あああああああああああ!?」

彼は地面を蹴った!横目でスライムが飛び跳ねた光景を見た。それだけではない。引き返してきた黒いリムジンが視界に写った。

 0.5秒後。豊水忍はリムジンに跳ね飛ばされた。

 彼は吹き飛びアスファルトに転がった。車は急ブレーキをかけ止まった。

「グウウウ……アアッ……」

経験したことのない痛みが広がる。骨が折れたのがわかった。空の内蔵に骨が刺さる。

「大丈夫ですか!?」

リムジンから運転手の男が血相を変えて飛び出した。

その時。

「今救急……アア! アアアアアアアーッ!?」

豊水忍はもうろうとする意識の中で確かに視認した。突如どこからか……恐らくはブロック塀の隙間から出現した液状の物質が運転手の顔にまとわり付いたのだ!

彼は確信した、あれこそ件のスライムであると!

「アアアアア! イイイアアアアア! ……。」

そして、なんという恐ろしい光景であろうか! 哀れな男の顔の肉はじゅうじゅうと音を立てて溶け、スライムと一体化していった!

そして頭部を溶かしきると首から下を、服ごと飲み込んでいく。

「グ……これは、不味い……」

彼は立ち上がり逃げようとしたが交通事故のダメージで立ち上がれない。叫ぼうにも、声を発すると胸(おそらくは肺)が激しく痛み、どうすることもできなかった。

 死ぬ前に上手い物を食べたかった……。彼が生存の意思を失いかけたその時、雷に打たれたような感覚がした。

突然にめまいが起こり、方向感覚が狂う。

「えっ?」

 ふと気が付くと豊水忍はカラフルな光が溢れる空間に浮かんでいた。

「見つけたぞ。お前は魔王になるのだ。」

彼の目の前には豪華な服飾を身につけた大男がいた。

「お前は私になる。6人の魔王が現れる。すべてを殺せ。さすれば大いなる力を手に入れることになる。」

豊水忍は当惑した。

「ええと……つまりなんだ? ここはどこ? あなたは誰? 魔王とはなに? ゲーム脳?」

しかし魔王は答えなかった。そのまま魔王の身体は無数の黒い粒子となり散らばっていく。

「飢えを満たせ。それが私の力だ。お前の力だ。」

黒い塊は青年の身体を包み込んでいく。

「うおおお!? なんだ!?」

視界が全て黒く染まった。彼の意識は途切れた。




「ジュババーッ!」

意識が戻ると明らかに巨大化したスライムが迫っていた!

「オオオオ!?」

「バババーッ!?

彼は反射的に腕で敵を払った! スライムは壁に叩きつけられた。

「えーあーうー何が何だ!」

彼は混乱した! 声に出して現状を確認する。

「腹は減っているが……怪我が治っている? なんか目がよく見えるし、かつてなく元気がみなぎってる感じだ……あっそうだ運転手の人は!?」

探したが、その姿は完全になかった。にわかには信じられないが、あのスライムに食いつくされてしまったのだろう。

「くそっ! わけがわからない!」

彼は更に困惑した。彼の理性はこの状況を夢だと思いたがったが本能が全ては現実であると理解させた。

「ジュジュジュ……バババガ……」

壁に叩きつけられたスライムが煙を出し、奇声を発しながら壁を溶かし取り込む!

「とにかく、これをなんとかしないといけない! 死人が出る!」

しかしどうやって。肉も服も壁も取り込むモンスターを、倒す?

そこで彼は先ほど無意識にこの化物を素手で弾き飛ばしたことを思い出した。

「バァーバァーグオワアァァーッ!!」

スライムが再びバネじみて飛んだ!

「ウウッ頼む!」

祈るようにスライムを殴りつけた!

すると。

彼の手が緑色に光り、触れた瞬間にスライムの体積が減少した。

「バババババーッ!?」

スライムは弾き飛ばされ、地面に落ち苦しそうに呻き、飛ぼうとしては失敗し落ちることを繰り返した。

「これは……?」

彼は緑色に光るその手を見た。そして化物の生命力を食らったという事実を理解した。

「俺が……魔王。俺は魔王。」

無意識から言葉が浮かんできた。自らの第二の名が。

「俺は、魔王エピキュア、だ。」

魔王エピキュアは理解した。自分はあの液状の怪物と同じ存在になったのだ。

コンピュータゲーム存在でも、夢でもない、魔王に生まれ変わったのだ。

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