エピローグ6 勇者と魔王城




 勇者、"剣姫けんき"ハルは魔王城を訪れていた。


 魔王城、と言っても旧魔王城……辺境に建てられた小屋である。

 今魔王軍は魔界にある魔王城へと引っ越しており、今は何もない空き家となっている。

 誰も居なくなった小屋は、空き家にしては綺麗に残されており、今でも誰かが住んでいそうに見えてしまう。


 ハルは魔王城の扉に手を掛ける。鍵の掛かっていない扉は何の抵抗もなく開いた。


 扉の向こうにあるのは、やはり見慣れない部屋であった。

 以前は敷き詰められていたカーペットも今はなく、少しだけ置かれていた家具もなければ、部屋の中央に陣取っていたコタツも勿論残されていない。

 デッカイドーもすっかり暖かくなり、空っぽの小屋でも寒くはない。

 ハルは部屋の中に靴を脱いで入ると、今までじっくり見た事のなかった小屋の中をゆっくりと眺め回した。


 何でも出てくる不思議な世界が此処にあったとは思えないくらいに、小屋の中には何もなく、ひどく殺風景に見えた。


 ハルは部屋の中央から少しずれた位置に腰を下ろす。

 いつもコタツに入るときに座っていた位置に座ると、部屋の内装こそ様変わりしたものの見える部屋の雰囲気は少しだけ当時に似通ったものになった。


 ハルは座ったまま目を閉じる。


 暖かいコタツに入りながら、色々なものを食べた。

 下らない会話を交わす事もあったし、アイスの取り合いでトランプをした事もあった。何を食べたのか忘れてしまうくらいに色々なものを食べてきたが、いつも幸せな気持ちになった事は覚えている。

 最初は魔王を倒すつもりで乗り込んで、気付いたら入り浸るようになっていた。

 此処に来るのがいつからか楽しみになっていた。




 ハルは今でも魔王と連絡を取り合っている。

 時折、困り事があると相談を受けるし、逆に魔王の力を借りる事もある。

 なんでもシキの一件が解決して以降も、魔王は色々な厄介事を抱え込んでいるらしく、ハルは度々その解決を手伝った。

 手伝うと魔王はお礼として今までのように色々なものを御馳走してくれたし、魔王城にも他の勇者や預言者シズと一緒に遊びに行った事もある。 


 別にあの頃から交流がなくなった訳でもないのだ。


 でも、ハルは旧魔王城の中で寂しさを感じた。


 時折ハルはこうして誰もいない魔王城を訪れる。

 そして、あの頃を思い出すようにこうして目を閉じる。


 また冬が来たら、女神オリフシはコタツを出してくれると言った。

 別にコタツに入れなくなった訳ではない。

 それでも、どこかハルは寂しさを感じていた。

 どうしてなのかはハルにも分からない。だから、オリフシは心配してくれても、言葉にしてその寂しさを打ち明ける事はできなかった。


 狭くて不便な、天井の低い魔王城。

 立派なお城の魔王城よりも、アキに招かれたお屋敷よりも、何ならハルの自宅よりも、窮屈で不便な筈なのに。

 どうしてまた此処に戻ってきたいと思ってしまうのか。




「……帰ろう。」


 しばらくハルは小屋で目を閉じていたが、何もない狭い小屋に長く居る意味も無い。もう何の意味がないと分かっているのに、ハルは何度も此処を訪れてしまっていた。

 目を開けて、ゆっくりと立ち上がる。

 そして、扉に手を掛けて、もう魔王城ではない小屋を後にしようとする。




 その時であった。

 力を込めようとした扉が、勝手に開いた。

 

「ひゃあ!」

「わっ!」


 入口の先で悲鳴があがる。突然の事でハルも驚き声をあげた。

 すると、ハルの目の前にいた小さな影はごろんと後ろにすっ転んだ。


「……アキ?」


 ひっくり返っているのは、大きな三角帽子を被り、バッグを背負った勇者、"魔導書"アキであった。

 どうやら思いもよらず小屋の中にいたハルに驚き、重いバッグに引っ張られて後ろに尻餅をついてしまったようだ。


「あいたたた……もう! びっくりするじゃないですか! なんでハルが此処にいるんですか!」

「いや、私もびっくりしたぞ。そう言うアキこそ何で此処に?」


 目に少しだけ涙を浮かべて腰をさするアキは、聞かれた途端に「うっ。」と気まずそうな声をもらして、ハルからすっと目を逸らした。

 ハルは不思議そうにアキに手を差し伸べる。

 アキは差し伸べられた手をちらりと見ると、少し不服げながらぱしっと手を取り助け起こされた。

 雪が溶けた魔王城付近は草と土に覆われている。汚れてしまったマントをぱんぱんと払いながら、アキはバッグを背負い直した。


「…………別に何でもないです。」

「何でもないのに、何もないこんなところにきたのか?」

「そういうハルこそ何もないこんなところに何の用です?」


 アキが言い返すと、ハルも返答に困った。

 返答に迫られ、ハルは初めて今の気持ちを思ったままに口にした。


「……何だか、昔が懐かしくなって。」


 そんな感傷的な事を言ったら笑われるだろうか。

 ハルは少し気まずそうに視線を逸らしながら言ったのだが、アキはハルを笑う事はなかった。

 どうしたのだろう、とハルがアキの顔を見れば、アキも照れ臭そうに目を逸らしながらぼそりと呟く。


「……私も、ですけど。」


 アキも自分と同じ気持ちなのだと、ハルはそこで気付いた。

 ハルは特に何も言わずに、もう一度小屋の中へと引き返す。

 すると、アキもハルに続いて小屋の中に入ってきた。

 靴を脱いで小屋の中に踏み入ると、腰を下ろしたハルと同様、アキもバッグを降ろして座る。

 コタツが置いてあった頃、二人が揃うといつも腰掛けていた位置に陣取る。

 ほんの少しだけ、何もなくなった小屋の景色が見慣れたものに近付いた。


 特に何も言わずに二人は座っている。


 しばらくの沈黙の後、アキは傍らに置いたバッグを開いて袋を取り出す。

 ガサガサと袋から大きなクッキーを取り出すと、その場でぱくりとかぶりついた。


「……。」

「……。」


 もくもくとクッキーを頬ばるアキと、その様子をじっと見るハル。

 しばらくの沈黙の後、じっと見つめ合った後にアキは袋をすっと差し出す。


「……いります?」

「……いる。」


 ハルは遠慮なく袋に手を入れた。

 クッキーを手に取り、ハルも同じくぱくっと齧り付く。

 二人でもくもくとクッキーを頬ばり、ぼーっと見つめ合う。


(……何やってるんでしょうか私達。)

(……何やってるんだろう私達。)


 ハルとアキが同時に思った。

 誰も居なくなった狭い小屋で、女二人座って静かにクッキーを頬ばる。

 とはいえ、今更何を話したものかと、二人は黙ってもぐもぐしている。


 その時、ギィ、と音を立てて扉が開く。


 二人は誰が来るとも思っていなかった。

 突然の来訪者を望んでいた訳でもないのに、何か期待するような目で入口の方を振り返っていた。


「……何してるんだ二人で?」


 扉を開いて現れたのは勇者"拳王けんおう"ナツであった。

 期待していた人物ではなく、ハルとアキは複雑な顔をしたが、すぐにふぅと息を吐いて元通りに座り直した。


「クッキー食べてました。」

「え、なんでだ? しかも、何かがっかりしてないか?」

「そういうナツこそ何しにきたんだ?」


 困惑するナツに、ハルが尋ねる。

 すると、ナツは「え?」と抜けた声を出してから、難しい顔で頭を掻いた。


「いや……何をしに来たという訳でもないんだが。懐かしくなって魔王城を覗きに来た。」

「奇遇ですね。私もです。」

「私も。」


 それは偶然の出来事。

 ふと懐かしくなって勇者達が魔王城を訪れて、偶々三人で顔を合わせた。

 奇跡のような巡り合わせだが、三人はそれを喜んだりはしない。


(……割とちょいちょい来てたとは言えない。)

(……結構来てるとは言えないですよね。)

(……しょっちゅう来てたとは言いづらいな。)


 三人とも割と頻繁に魔王城を訪ねて来ていたのである。

 むしろ、今まで出くわさなかった方が奇跡なのだ。

 魔王城を未だに懐かしみ、センチメンタルになって何度も訪れている事を知られるのは恥ずかしかったので三人ともが黙っていたが。


 ナツはとりあえず小屋の中に上がる。

 そして、コタツのあった位置をハルとアキと共に囲むように腰を下ろした。


 三人で向かい合うように座る勇者達。

 

 こうして人が揃ってくると、次第に懐かしかった風景に近付いてくる。

 しょっちゅう誰かしらが集まっていた、魔王城の光景が蘇る。


 三人で会ったのはついこの間の事である。

 忙しいときは少し間が空いたりもするが、勇者達の交流はずっと続いている。

 新魔王城に一緒に訪ねに行った事もある。


 それでも奇妙な懐かしさを覚えて、まずはハルがくすっと笑った。

 それに釣られるようにアキも笑えば、ナツも僅かに微笑んだ。


「何やってるんだろうな、私達。」

「本当ですよ。なんでこんな狭くて何もないところで集まってるんですか。」

「何でだろうな。」


 ようやく自分達のおかしな状況に触れて、三人は楽しく笑い合う。

 ほんの少し小屋の中が暖かくなった。


「コタツがあった時はもっと狭かったよなぁ。」

「ですね。それに、ハルったらいつも食い意地張ってて。」

「アキには言われたくないぞ。」


 そこまで昔でもないのだが、昔のことのように懐かしみ勇者達は語らう。

 コタツを囲んで美味しいものを味わったこと。

 コタツを囲んでくだらない話をしたこと。

 コタツを巡って色々な事件が起こったこと。

 他愛のない思い出でもあり、かけがえのない記憶でもある。


 けらけらと笑い、ぷりぷりと怒り、やれやれと呆れ、三人の会話が弾めば、自然とハルが口を開いた。


「また、ここで集まりたいな。」


 誰もが言い出したかったけど言えなかったこと。

 それを聞いたアキが、少し照れ臭そうにこくりと頷く。


「それも悪くないと思います。」


 それに続けてナツも大きく頷いた。


「ああ。俺も良いと思う。」


 そして、魔王が困惑しつつ口を開いた。


「お前らここで何やってるんだ……?」


 バッ!と勇者達の視線が、いつも魔王がいた定位置に空いているゲートに向く。

 いつの間にか、ゲートが開いて魔王が顔だけ覗かせていた。

 驚き唖然としている勇者達の前に、魔王は困惑しつつゲートを潜って姿を現す。


「ま、魔王!? どうしてここに!?」

「いや、俺の持ち家なんだから来たっていいだろ。むしろ、お前らがなんでここにいるんだよ。」


 魔王の言う事が正しかった。

 今のところ勇者達の方が不法侵入者である。

 

 なんでここにいたのかを、魔王に話すのは流石に気恥ずかしかったのでアキが誤魔化すように口を開いた。


「な、何か用事でもあったんですか?」


 苦し紛れの逆質問だったが、魔王は「ん?」と質問に耳を傾け、どかっと腰を下ろすと「うーむ。」と悩ましげな声をあげた。


「いや……用事があった訳じゃないんだが。」


 魔王は顎を撫でながら、実に悩ましげに目を細めた。


「……あっちの魔王城、広すぎて落ち着かんのよな。ってか、ほぼ職場みたいになってて慌ただしいし。……所詮は庶民生まれ庶民育ち、城より六畳一間の狭い部屋のが性に合ってるらしい。だから、たまの休みにはこっちで寛ごうと思ってな。」


 魔王らしからぬ庶民的発現。

 ぽかんとそれを聞いていた勇者達だったが、話を聞き終えてからぷっと笑った。


「魔王らしいな。」

「魔王らしいですね。」

「魔王らしいよな。」

「お前ら馬鹿にしてんのか?」


 魔王は不服げにじろりと勇者を睨み回したが、はぁ、と大きく息を吐いて腕を後ろについて仰け反った。


「はぁ~、やっぱこっちのが落ち着くわ。片付けたコタツもやっぱこっちに置いとくか~。」

「え。」

「え。」

「え。」


 魔王の発言に勇者が揃って、呆けた顔をする。


「……コタツまた置くのか?」

「ん? ああ、まぁ冬になったらだけど。」

「……冬になったらまたここで過ごすんですか?」

「あっち寒いからなぁ。狭い方が暖房の利きがいいし。」

「……また此処に来てもいいのか?」

「いや、今も勝手に来てるだろ。……いや、そうだよ。お前らなんで人の家で勝手に集まってるんだ?」




 勇者達は顔を見合わせる。




 そして、バッと手を上げて、パンと互いに手を合わせた。


「「「やったー!」」」

「え、なに!? どうした急に!?」


 歓喜の声を上げる勇者達。魔王はそれを前にして困惑した。


 何で人の家に勝手に上がり込んでいたのか。

 何でこんなにも喜んでいるのか。


 聞きたい事は色々とあったが、きゃっきゃとはしゃいで喜んでいる勇者達を見て、魔王ははぁと溜め息交じりに苦笑した。


 六畳一間の魔王城に、再び魔王が舞い戻った。




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