第143話 世界線B
時は魔王が自身の今後の道を選ぶ時に遡る。
魔王は女神ヒトトセと対峙する。
帰れなくなった故郷に戻り、失った時間を取り戻すのか。
それとも、故郷に帰らずに今まで通りに世界を渡り歩く生活に戻るのか。
「それじゃ聞かせて。今、君はどうしたい?」
ヒトトセが改めて問う。
魔王は今度こそ、迷う事無く答える。
「俺は…………このまま生きていこうかと思います。」
「そう。そっちね。」
女神ヒトトセは魔王の返事を聞いてふむふむと頷いた。
「一応聞こうかな。どうして?」
ヒトトセが理由を尋ねれば、魔王はふぅと溜め息をついた。
「帰れずにウロウロしてたりシキの為にドタバタしてた時期の方が長くなると、流石に今更こっちの生活を捨てるつもりにはなれなかったんです。」
「元居た世界で生きた時期の方が短くなっちゃったもんね。」
「勿論、元居た世界に未練がない訳ではないですが。俺が居なくなった後に両親が元気にやってるのかとか気にはなるし。それでも俺はこちらを選ぼうと思いました。」
「ふうん。」
ヒトトセはくくく、と楽しげに笑った。
「一つ良いことを教えてあげよっか。」
「え?」
「君が消えた時の世界の座標はXJe3K軸だよ。三次元の住所はまだ覚えてるよね?」
「……!」
一見するとどんな意味があるのかも分からない文字列。しかし、七次元の存在を知る魔王にはその文字列の意味が分かる。
魔王が認識している七次元における座標のコード。そして、今ヒトトセがさらりと言った魔王が消えた世界の座標は、魔王が能力を自覚する前、座標を認識する以前だった為に魔王が知る事ができなかったものである。
「自分で確かめてみるといいよ。君が居なくなった後の世界を。ただ、まぁ、実際に世界を見たうちが客観的に、一切の遠慮無しでどんなものかを言わせて貰うとしたら……。」
ヒトトセは苦笑しつつ言う。
「君が誰かの人生を変えてしまう程に悲しませる事はなかったよ。」
「……それは喜んでいいのか。それとも悲しむべきなのか。」
魔王は苦笑した。
魔王が居なくなった後の世界では、一時的に誰かが悲しむ事はあった。
しかし、悲しんだ人達はそのうち前を向いて歩き出した。
魔王は誰かの人生に影を落とすことがなかった。しかし、誰かの人生に影響する程に重い存在にもなれなかった。
ヒトトセが慈愛に満ちた笑顔を浮かべた。
「意外と人間って頑丈にできてるからね。何かを失っても割と前を向けるもんさ。まぁ、君の周りはちょっと……うん……さっぱりすぎるけど。」
「……慰めになってないのでは?」
「あはは。ごめんごめん。」
ヒトトセはカラカラと笑う。
「これ言っちゃうと君の選択肢が決まっちゃいそうだったからねぇ。座標もあえて伏せてたんだけど。ま、結局そういう選択肢になっちゃったか。」
「人が悪いな……。」
「神様だからねぇ。」
お茶をズズズと啜って、ヒトトセはふぅと一息つく。
「ま、とりまやり直しはなしって事でおけ?」
「はい。」
「ほいじゃこれからどうするのん?」
魔王に対する褒美、故郷でのやり直しが要らないと分かった。
それでは、魔王はこれからどうするというのか。
このまま生きていくという事だったが、シキを止めるという最大の目的を果たした今、魔王には何かやる事があるのだろうか。
それを聞かれた魔王は腕を組んでうーむと悩ましげに首を捻った。
「そこは……まぁ、まだ考えてないですけど。貿易だの環境管理だの資金稼ぎの副業を続けつつ、色々と考えようかと。」
「手広くやってるよねぇ君。」
魔王は世界間を移動できる能力を活かして"副業"という形で様々な活動を行っている。
様々なものを異なる世界同士に運ぶ貿易のような商売から、荒れている土地の閑居保全、絶滅の恐れがある珍しい生物の保護のような世界のバランスを保つのに助力する事で様々な報酬を得ている。
活動資金や資源の確保……という名目ではあるものの、何だかんだシキを放っておけなかった事にも共通するように、本人がお人好しである事が大きな動機である。
今後もやる事に変わりはない。しかし……。
「でも、それなら別にこの世界に根を下ろさなくてもいいんでね?」
ヒトトセの何気ない問いに、魔王は「む。」と口を曲げた。
そう。魔王の拠点は何もこのデッカイドーに限らない。
この世界に長く滞在していたのは、あくまでシキの課題があったからである。
シキを封じ込めるのに都合の良いのがこの土地であったというだけで、それ以外に雪と氷に包まれて、特に重要な環境がある訳ではないこの世界に留まる理由がない。
魔王の何やら考え込むような反応に、ヒトトセは「おや?」と意地悪な笑みを浮かべた。
「君って難儀な性格だよねぇ。理由がなければ自分の気持ちも選べないんだから。」
「……。」
「故郷に帰るって話にせよ、此処に残るかって話にせよ、うちならもっとシンプルに『そうしたいから』で済ますけどもね。」
魔王はこの世界に残るかどうかを、残る理由があるかないかで考えている。
故郷に帰らないという選択肢も、故郷にいた期間よりも長い時間を旅に費やしたから、つまり期間という数字で、もしくは抱えているものの量で優劣を付けたに過ぎない。
ヒトトセの指摘は魔王の痛いところを突いていた。
(俺はこの世界に残りたいのか?)
魔王は考える。
今まで彼は仕方なく旅をして、使命感でこの世界で活動してきた。
彼自身の気持ちで何かを選ぼうとした事はない。何をするにも自分以外に比重を置いた理由があった。
今になって自身の気持ちを問うても答えは出ない。
そんな悩める魔王を、頬杖を突きながら眺めて、女神ヒトトセはにっと笑った。
「そういう人間もいるさね。ほいじゃま、女神様の有り難いアドバイスを授けて進ぜよう。」
ヒトトセは人差し指を立てて目を閉じる。
「この世界には何がある? この世界は本当に、シキを閉じ込める為にしか役立たなかった? まぁ、最初にこの世界を選んだ理由はそうなんだろうけど。この世界は本当に"シキの檻"でしかなかったの? "シキの檻"が不要になった今、"今のこの世界"は本当に選ぶ価値のあるものはないの?」
ヒトトセの語った言葉を魔王は頭の中でなぞる。
この世界には何があるのか。
この世界はシキの檻でしかなかったのか。
違う。
魔王は心の中で自問自答する。
シキの檻としてしか役に立たなかった訳じゃない。選んだ理由は檻としてだった。しかし、本当にシキのもたらす未来を変えたのは、檻としてのこの世界ではない。
魔王が気付く。魔王が気付いた事にヒトトセも気付いて「にひひ。」と笑った。
「どう? 頭でっかち君も納得できる言い訳にはなったかな?」
魔王はふふと少し参ったように笑った。
そんな魔王に女神は助言する。
「まぁ、もっと気楽に自由にやってみんしゃい。死ぬ時に後悔しないようにさ。」
そして、何かを思い付いたようにハッと顔をあげた。
「あっ、それと故郷でのやり直しを蹴った分のご褒美は別にあげるからさ。そこんとこも考えといて。あ、これうちの連絡先~。」
ジャージズボンのポケットに手を突っ込み、ヒトトセは一切れのメモを取り出した。それを雑にピンと指で弾いて魔王に飛ばせば、魔王はそのメモを受け取る。
メモには電話番号らしき羅列が書き込まれている。
「普通に君の知ってる規格で繋がるから。願い事決まったらかけてちょ。」
「あ、ありがとうございます。」
「ほんじゃ、うちはこれで。」
ヒトトセはのそのそとコタツから這い出しむくりと立ち上がる。改めて全身像を見てもだらしない女性にしか見えない姿だったが、魔王城にやってきた直後よりは慈悲深い女神のように見えた。
両手を重ねて、ヒトトセはぺこりと頭をさげた。
「そいじゃ、これからの冬馬くんの人生に幸あれ。」
そして、顔を上げてウインクする。
「どう? 女神っぽい?」
「……最後のそれがなければ。」
「ひひ。手厳しいね。じゃ、バイバイ。いや、またねのほうがあってるか。」
ひらひらと手を振り、ヒトトセは魔王城の扉を開いて外へと出て行く。
扉が閉じてヒトトセの頼りない背中が消えた時、魔王の進む道が完全に決まった。
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