第133話 魔王の選択
魔王城にて一人、コタツに籠もる魔王フユショーグン。
緊張した面持ちで待つ魔王はドアをノックする音にびくりと肩を弾ませた。
聞き慣れないノックの音は、恐らくは今日訪れるであろう初めての来客のものである。
慣れた相手にはそのまま入るように言葉で促す魔王も、今日ばかりは席を立つ。
そして、ドアを開け放てば……。
「よっ。」
ぼさぼさに乱れた白い長髪、ヨレヨレの青いジャージズボン、「女神」とでかでかと書かれたTシャツ、そこら辺のコンビニに行くにしてもこんな格好はしないだろうというゆるゆるの格好の、顔だけは綺麗な女が立っていた。
(ダッサ……!)
「おい、今だっさって思ったろ? 正直に言ってみ? 怒らないから。」
「思いました。」
「そこは違うっていうとこじゃん。普通に傷付くわぁ。……っていうのは冗談なんだけど。」
ダサい格好の女―――女神ヒトトセは「なはは!」と愉快そうに胸を叩いて笑った。
「寒くないんですか?」
「うちも腐っても女神だかんね。寒さとか感じんのよ。いや、誰が腐ってるって?」
「俺なんも言ってないです。」
「いや、実はクッソ寒いんだけどさ。オリフシの家に直接降臨してからこっち来たから、こっちの寒さ考えてなかったんよ。寒いから上着貸してって言ったら『汚されるから嫌だ』って。薄情すぎん? なんか最近うちへの当たりが強くてさぁ。」
「寒いなら早く中入った方がいいですよ。」
「それはそう。お邪魔しま~す。邪魔するなら帰って~。」
「それ一人で全部言うやつじゃないですよね。」
「君、なんでもツッコンでくれるから楽しいなぁ~。」
畳み掛けるように喋り倒しつつ、ヒトトセは魔王城に上がり込んだ。
前に会った時もそこまで重苦しい女神ではないと思ったが、形だけでも正装していたあの時から更に軽くなっていて、魔王は緊張していたのが馬鹿馬鹿しくなってきた。
部屋に上がり込み、遠慮無くコタツに潜り込むヒトトセ。
そんなヒトトセに魔王は尋ねる。
「何飲みますか? 緑茶、紅茶、コーヒー、一通り揃ってますけど。」
「うちに似合うカクテルをひとつ。」
「バーじゃないです。」
魔王のツッコミにけたけたと笑い、ヒトトセはバンバンとコタツを叩いた。
(ああ~……オリフシ様の当たりが強いの分かるわ……。)
色々と察した魔王であった。
「とりま、緑茶でよろです。」
「はい。」
ようやく普通に答えたヒトトセに、魔王は早速お茶を淹れる。
魔王は一応神様が相手という事で、ちょっとお高めの茶葉を買ってきていた。
若干、こんなの相手に律儀に礼を尽くそうとした事を後悔しそうになったが、一応、一応お高めな方を出した。
そして、同じくお高めなカステラ(和風がいいのか洋風がいいのか分からなかったので、どっちでもいけそうなので)をフォークと共に出す。
「どうぞ。」
「わお。あんがと。いたらきまーす。」
ヒトトセは早速お茶をズズズと音を立てて啜る。
「あっつ!!!」
「へぇ。」
「え? 『へぇ』って何?」
「そういう芸もするんだなと。」
「別にボケた訳じゃないよ!?」
知り合いの勇者がそういう芸をしつこく擦ってきていたので、これもそういう芸なのかと思って魔王は思わず冷めた目をしてしまった。お茶は冷めずに熱々だが、魔王は既に冷め冷めである。
その空気を流石に読み取ったのか、ヒトトセはふぅふぅとお茶を冷ましながら少し真面目な顔になった。
「あのね。うちはお堅いの好きじゃないから、フランクに接して貰っていいんだけどね。別にうちはコメディアンって訳じゃないんよ。常にボケてる訳じゃないから。そこんところは誤解のないように明言しとくね。」
「へぇ。」
「あ。駄目だ。もうそういう目で見られるやつだ。じゃあもういいよ。」
ヒトトセは諦めたようにお茶をずずずと啜り、ふぅと一息をつく。
「お。これはマグロ?」
「
「そうそれそれ。あ、今のはボケね。」
「はぁ。」
「溜め息はやめて?」
「もう答え言っていいですか?」
「話をとっとと済ませようとするの一番傷付く。」
しゅんとしつつ、カステラに手づかみでぱくりと食らいつき、ヒトトセは「んー。」と唸った。
「あもめ。」
「飲み込んでからでいいんで。」
お茶をずずずと啜って、ごくりとカステラを飲み込んでから、口の周りにカスを付けつつヒトトセは話出す。
「あのね。実は色々と説明が足りてない部分があったかな~、とオリフシと話してたら思うところがあってね。」
「え?」
「もしかして、うちへの回答に結構迷ってたりした?」
無神経で適当だと思っていた女神から飛び出してきた思わぬ核心を突いた問いに、魔王は呆れた顔を僅かに真面目に持ち直す。
「えぇ、まぁ。」
「それって、昔別れた両親を悲しませたままでいいのだろうか~? とか、今一緒にいる面々を悲しませていいのだろうか~? とか周りの事考えすぎてたり?」
「……。」
具体的に言葉にされると、確かに魔王が今まで迷っていたのはその部分が大きいのだと自覚する。
周りからは自分の望む通りにしろと言われてはいるものの、そう簡単には割り切れずにいた。
昔に失踪した自分の事を両親はどう思っているのか。
今まで行動を共にしていた協力者達の今後は大丈夫なのだろうか。
魔王の悩みは周りの者達に関するものが大半だった。
そこを的確に見抜いたのか、それとも何か口添えしたオリフシが気付いたのか、どちらにせよ伊達に女神ではないらしい。
改めて言語化されたその問いに、魔王は黙って頷いた。
ヒトトセは「はぁ」と溜め息をついた。
「君なら気付いてると思ったんだけどなぁ。」
「気付いてる? 何を?」
「君の選択に大した意味がないって事。」
選択に大した意味がない。
切り捨てるような言い方に、怒りを覚えるよりも先に疑問が浮かんだ。
ヒトトセの言っている事に今ひとつピンとこない。
魔王なら気付いていたであろうこと。自身の選択に大した意味がないということ。その因果関係が分からない。
「ああ。これも言葉足らずだったかね。別に君の選択を馬鹿にしてる訳じゃないよ。ただ、『君の選択が周りに与える影響』を考えて悩んでるなら余計なお世話……いや、これだと言葉が悪いか? うーんとね、杞憂? 難しいな。なんて言えばいいんだろ。」
ヒトトセは腕を組んで何度も首を傾げる。
言葉を選んでいるらしいが、今ひとつ言いたい事は分からない。
「……そうだな。順番に話していこっか。まず、君の故郷の両親の話からね。」
その言葉に魔王はぴくりと眉を動かす。
故郷の両親の話は魔王も気になっていた。
「まず、君が消えた後、君の両親は酷く悲しんでたよ。必死に君を探して、探し続けて、最後の最後まで胸を痛めてた。」
魔王の胸を刺す言葉だった。魔王の心が大きく揺れる。視線がコタツに落とされる。
魔王の内心を知ってか知らずか、ヒトトセはにっと笑みを浮かべた。
「その一方で、"君が消えなかった世界線"では、君と両親は普通に幸せに暮らしてるね。」
「え?」
君が消えなかった世界線という言葉に、魔王は顔を上げた。
「多分、君がやり直しを選んだとしたら、この世界線に近い生活を送ることになるんだろうね。」
ヒトトセは視線を右に流す。
「君がやり直しを選んだら、この世界に残された配下や勇者達は寂しいと思いつつも、各々の人生を歩んでいくよ。結構大きく引き摺っちゃう子もいるけどね。それがまぁ……ああ、これ以上未来の話をするのはやめよっか。こう、つい口が滑って喋っちゃ駄目な事まで話しちゃうからさらっと説明しがちなんよね、うち。」
これから起こるであろう未来について話し掛けて、ヒトトセは口に手を当てた。
気になるところで話を打ち切られて、魔王は苦い顔をする。
「んでもって、やり直さないなら彼女らはまぁ喜ぶよ。泣いちゃう子もいるね。君って意外と想われてる自覚を持った方がいいね。」
ヒトトセは口に手を当てたまま「ぷぷ」と笑ってからかうように魔王を指差す。
茶化されている、と怒るより先に、提示された可能性のひとつを聞いて、魔王はヒトトセの意図をはかりかねていた。
一体、そんな話をしてヒトトセはどうしたいのか?
魔王の怪訝な顔を見て、ヒトトセははぁと溜め息をついた。
「"七次元"まで見えてる君なら、あれこれ悩んだって意味ないって分かると思ったんだけど。」
「…………あ。」
魔王は気付く。
ヒトトセは呆れた顔をしつつ、お茶を取ってずずずと啜った。
そして、ふぅと息をつき、改めて口を開く。
「君がどんな道を選ぼうとも、選ばれなかったもう一つの道は絶対に生まれてるんよ。君が今、選ばれなかった道を選んだ未来は絶対に生まれる。君が気を利かせてどう足掻いたって考えるだけ無駄。君がどちらかを喜ばせる未来も、どちらかを悲しませる未来も全部存在しちゃってるの。」
魔王がやり直しを選んだとしても、やり直しを選ばなかった世界線は生まれる。
魔王がこの世界に残る事を選んだとしても、この世界に残らなかった世界線は生まれる。
七次元まで知覚できる魔王には、結局どちらの世界も認識できてしまう。
「誰かの為にって考えは立派よ。でもね、結局最後に選ぶべきなのは"今の""自分が""どうしたいか"なんよ。」
ヒトトセはにっと笑った。
「君のせいで何かが台無しになるなんてこたないよ。駄目になったと思ったことは、別の君がどうにかしてるからさ。だからもっと肩の力を抜いて選んでごらん。」
ヒトトセは身を乗り出して改めて尋ねる。
「今、君はどうしたい?」
ヒトトセの言わんとしている事を魔王は完全に理解した。
そして、心の中にあった荷がスッと下りたような気がした。
魔王の表情からそれを察したのか、ヒトトセがふっと微笑んだ。適当で下らない女神が初めて見せた、女神のような慈悲に満ちた笑みだった。
「君は実はちょっと賢いからそのくらい分かってると思ってたんよ。買い被っちゃってごめんね?」
「……喧嘩売ってます?」
「怒んないでよ。もっと早く話して欲しかった?」
たちまち悪戯っ子のような悪い笑みに変わってヒトトセが尋ねる。
魔王はじろりとヒトトセを睨んでいたが、その問いを受けて少し困ったように笑って返す。
「……いや。真剣に考える時間が取れて良かった。軽く見て適当に選ばなくて良かったと思います。」
魔王は取り返しの付かない事として真剣に考えた。
それ故に至る答えを大切に思っている。
何を選んだところで一緒と割り切り、選ぶような事がなくてよかったと心から思った。
そんな魔王の答えを聞いて、ヒトトセはふっと微笑んだ。
「そ。んじゃ、やっぱりこれで"正解"だ。」
ヒトトセの権能は"正答"。
ありとあらゆるものに対して正しい答えを導き出す。
説明をサボった事で、魔王が納得できた事が正解なのだとヒトトセは得意気に言った。
自身の言葉足らずを開き直る態度が少しだけ癪に障ったが、魔王は否定も出来ずに苦笑した。
「それじゃ聞かせて。今、君はどうしたい?」
ヒトトセが改めて問う。
魔王は今度こそ、迷う事無く答える。
「俺は……。」
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