第129話 魔王と魔導書




 魔王城にてコタツを囲むのは二人と一柱と一匹。

 魔王城の主、魔王フユショーグン。

 勇者"魔導書"ことアキ・メイプルリーフ。

 今は魔王城の居候、新神しんじん神様の四季しき

 そして、コタツから顔だけ出している黒猫シキ。


「いただきます。」


 アキが目の前に置かれたバニラのアイスクリームとスプーンに手を伸ばす。

 蓋を開け、すっとスプーンを通し、掬い上げたアイスクリームをぱくりと食べる。

 その瞬間、アキの頬はたちまち緩んだ。


「ん~~~!」


 満足げな唸り声と幸福に満ち溢れた顔を見て、魔王はふっと笑った。

 ここ最近は色々と大変で、こうして落ち着いた時間は少なかった。

 久し振りに流れる緩やかな時間に心を落ち着かせる。


「今日のアイスは特別美味しいですね。」

「ちょっとお高めのやつだからな。」

「そうなんですか。気前がいいですね。」

「そりゃ、世界を救って貰ったんだからな。それ位の労いはする。むしろ安すぎるくらいだ。」


 魔王がはははと笑って言えば、アキはふふんと悪戯っぽく笑う。


「お安いと思ってるなら、もういくつか貰っても構いませんよね?」

「いいぞ。けど、食べ過ぎるとお腹壊すぞ。」


 少し欲張ってアキが言えば、魔王はあっさりと承諾する。

 気前の良い返事にアキは少し驚ききょとんとした。


「気前がいいですね。前はアイス取り合って大人げないトランプ勝負までしたのに。」

「そんな事もあったなぁ。」


 思い返すように、コタツに頬杖をついて魔王が目を閉じる。

 

「まぁ、あの時はノリでだな。なんだ、気前がいいのが気味悪いなら、やらなくてもいいんだぞ?」

「いいえ、貰います。」

「それ食べてからな。」

「はーい。」


 アキは手元のバニラアイスクリームを食べる手を再び動かし始めた。

 その様子を見た四季が、「きしし」と笑ってコタツから立ち上がる。


「ちょっとお散歩行ってくるね~。」

「え? 急にどうした? アイスはいいのか?」

「後で貰うよ~。ちょっと、気が変わってね~。」


 四季は僅かに身を傾けて、魔王の耳元に口を寄せる。


(まぁ、色々話す事もあるでしょ~? ボクはお邪魔だろうし席を外すよ。)


 ひそひそと呟けば、魔王は一瞬驚き目を見開く。

 しかし、すぐにその気遣いに対してこくりと頷いた。

 四季が魔王に対する気遣いをした事に驚いたが、その気遣いは実際に有り難いものであった。


「シキも行こうよ~。」

「我が輩は寒いので遠慮するのである。」

「おやつあげるよ~。」

「いくのである。」


 コタツからのそのそと這い出す黒猫シキ。

 シキまで連れて、四季は魔王城の外に出て行った。


 その様子を横目に見て、アキはぽつりと呟いた。


「気遣いなんてしちゃって。まるで人間みたいですね。」

「そうだな。」


 アキにも四季の気遣いは分かったらしい。

 

「心配なさそうですね。」

「ああ。」


 人の心遣いを理解している四季を見れば、これから世界を再び滅ぼそうとする事はないだろうと安心できる。

 魔王城に残されたのは魔王とアキ。

 アイスを幸せそうに味わうアキを魔王は静かに見守っている。


 しばらくの沈黙が魔王城を包む。


 やがて、アキがスプーンをくわえて、じろりと魔王を睨む。


「何をじろじろ見てるんですか。」

「ん? あ、ああ。すまん。」

「謝って欲しい程の事じゃないですけど。」


 アキはハァと溜め息をつく。

 

「今日はトーカさんは居ないんですね。」

「ああ。ちょっと、な。」


 魔王は言葉を濁す。

 沈黙が気まずい事もあり、アキは咄嗟に思い付いた話題を出したのだが、何やら事情があるようだったので深掘りしない事にした。


「……。」

「……。」


 再び沈黙が訪れる。

 

「…………はぁ。焦れったいですね。」

「ん?」


 アキがスプーンをコトリとカップの上に置き、魔王を真正面から見据える。


「あなたはこれからどうするんですか?」


 アキは真っ直ぐに魔王に尋ねた。

 魔王がその言葉を受けて言い淀む。

 しかし、今度はアキは遠慮すること無く話を切り込んだ。


「……シキをどうにかする為に、この世界に来たんでしょう? それが片付いた今、あなたが此処に居る理由はない。違いますか?」


 魔王がこの世界に来た事情は既に過去に話している。

 アキには魔王が「これから」を言い淀む理由が先んじて分かっていたらしい。

 そこまで分かった上で聞いているのであれば、魔王も最早濁す事はできなかった。


「……実は、故郷に帰れる方法が見つかるかも知れないんだ。」


 祝勝会にて現れた女神ヒトトセに告げられた、世界の破滅を封じた魔王に対する褒美。

 かつて見失ってしまった魔王の故郷への帰路と、失ってしまった魔王の過去を取り戻すチャンス。

 魔王はその褒美に揺れていた。


 魔王の言葉を聞いたアキは、アイスを一口、口に含む。

 そして、むぐむぐと口を動かして黙った後に、ちらりと魔王を上目遣いで見上げた。


「もう会えないかも知れない。そういう事ですか?」

「……分からない。」


 女神ヒトトセ曰く、魔王は過去に失った時間をやり直せるという。

 そうなれば、魔王はまだ若い頃に戻る事になる。

 姿形の変わってしまった魔王は、果たして今のままで居られるのだろうか。

 仮に記憶を持ったままでも、自分の生活に戻っていく中でこの世界に戻る事はあるだろうか。


 そんな事を考えるのは、魔王にも故郷に居た頃にはなかった絆というものが生まれているからであろう。


 魔王は世界の危機に立ち向かう旅路を、あながち悪くないと思っていた。

 その途中で出会った配下達、英雄王と呼ばれるようになった友、次世代の勇者達……彼ら彼女らに特別な感情を抱いている。




 今、アキの目の前でそんな事を言うのは流石に気恥ずかしくて出来なかったが。




 アキは少し物憂げに目を伏せ、ぽつりと言葉を切り出した。


「……"かも知れない"って事は、まだ決めてないんですよね。」

「……ああ。」


 アキは少し困ったように笑った。


「もし、帰っちゃうならちょっと寂しいですね。」


 魔王の胸がぎゅっと締め付けられる。

 後ろ髪を引かれるような、そんな一言。そんな表情。

 魔王の顔にもその苦しさが滲み出たのだろう。

 魔王の顔を見た、アキはくすりと笑った。


「ごめんなさい。もう自分の気持ちに嘘は吐かないと決めたので。」


 意地っ張りで本心を偽ってばかりだったアキの成長。

 そこまで長い時間を過ごした訳じゃないが、魔王はその変化をしっかりと見ている。

 その本音は少し魔王には厳しいものであり、確かに嬉しいものでもあった。


 魔王はふっと笑う。


「変わったな。」

「ええ。変わりましたよ。」

「……でも、寂しいのは"ちょっと"なんだな。」

「ええ。"ちょっと"です。」

「手厳しいな。」


 冗談めかして言葉を交わして、魔王とアキは「あはは」と笑い合った。

 笑いが次第に小さくなる。

 そして、アキは微笑みながら続ける。


「……寂しいですけど。結局はあなたの気持ち次第です。泣いて呼び止めたりしませんよ。私は大人ですので。」

「……そうだな。」


 魔王は分かっていた筈のことを今更再確認する。

 冷たく突き放すような人間も、強く引き留めるような人間も此処にはいない。

 だからこそ居心地の良さを感じているのだと。

 結局は魔王は自分で決めなければいけない。旅をどうやって終わらせるのかを。


「ありがとう。」

「お礼は形で返して下さい。」


 アキはとんとんとアイスのカップを叩く。

 魔王はふぅと溜め息をついて苦笑した。


「何味がいい?」

「次はチョコレートでお願いします。」


 魔王はゲートを開いて、冷凍庫に接続する。

 そして、最早溜め込んでおく意味もなくなるかも知れない冷凍庫から、惜しげも無く高級なチョコレートアイスを取り出した。



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