第120話 旅の終わり




 白い球体が地面に降り立つ。

 滑らかな継ぎ目のない表面にヒビが入った。

 そのヒビはよく見れば、細かく分かれた羽根の継ぎ目だという事が分かる。

 無数に折り重なった白い羽根は、ばさりと開いて翼となる。

 大きな白い両翼が開いたその中には、背中から翼を生やした一人の子供が膝を抱えて入っていた。

 赤、橙、黃、緑、青、藍、紫……虹色の長髪が垂れる。

 その彩り豊かな髪の上に、金色の円環が浮かび上がる。

 雪のように白い肌、閉じられた瞼から伸びる白く長い睫毛、身体に巻き付けるだぼっとした布……そして瞼を開けば、そこには常に色が揺れ動く虹色の瞳が輝いていた。

 華奢で起伏のない身体と、中性的な顔立ちからは性別は判断できない。


 シキの中から現れた子供は、膝を抱えて座ったまま、目の前に立つ巫女、ハルの顔を見上げる。


 ハルは緊張した面持ちで、子供を見下ろす。

 巫女として初めて執り行った"名付け"の儀式。 

 ハルは願望機シキに対して、試練を乗り越えた先の新たな季節の訪れを願い、四季しきという"名付け"を行った。

 姿が変わってはいるが、果たして本当に儀式は成功したのか?

 周囲の魔王達、勇者達も緊張する中で、ハルはごくりと息を呑み子供に尋ねる。


「お前は……いや、あなたは四季しき、ですか?」


 仮に"名付け"が成功していた場合、それは神になった存在である。

 一応敬意を込めて、ハルは敬語に言い直して尋ねた。


 ぽかんとハルの顔を見上げる子供。


(言葉が通じていないのだろうか?)


 ハルが不安に思い始めたその時、子供はにっと尖った八重歯を見せて笑った。


「きしし! そんな改まらなくていいよ~!」


 甲高い幼い声で無邪気に笑うと、すっと子供は立ち上がる。


「そう! ボクが四季しきだよ~! よろしくね~!」


 思ったよりもフレンドリーな神様に、ハルも魔王も勇者達も思わず目を丸くした。

 子供、四季はてててとハルに歩み寄り、顔を見上げてゆらゆらと揺れる。


「おやおや~? どうしたの~? そんな驚いて~?」

「い、いや……思ったよりも軽いなと。」

「まぁね~! ほら、ボクって元々何でも願いを叶える願望機だったでしょ~? 気難しかったらそんな何でもホイホイ聞かないでしょ~?」

「た、確かに。」


 ハルは納得した。

 その会話の様子を遠巻きに眺めて、驚きながら魔王が考える。


(自分が願望機だった、という自覚はあるのか。しかし、本当にシキを神に変えてしまうとは。)


 思っていた以上の光景に、驚くやら拍子抜けするやら、訳が分からないといった様子で成り行きを見守る。

 挨拶を交わした後、ハルは早速四季との対話を試みる。


「四季。この世界を滅ぼすのはやめてくれ。」

「いいよ~。」


 あっさりと了承した四季に、ハルは想わずがくっとずっこけた。

 もっと対話に時間を掛けるつもりだったのだが、あっさりと聞き入れるので拍子抜けだった。

 その様子を見て「きしし。」と歯を見せて笑って四季がゆらゆらと身体を揺らした。


「いやいや。ボクって何でも願いを叶える願望機だったでしょ~? そりゃ二つ返事でお願い事は聞いちゃうよ~。」


 ぴたっと四季の身体が止まる。


「ま、『世界を滅ぼして~。』って言われたら滅ぼしちゃうけどね~。」


 ビリリと肌を刺すような空気が流れて、ハルが顔を強ばらせる。

 殺気、という程のものではないが、確かに攻撃的な意思が四季から放たれる。

 離れて見ている魔王達が、勇者達が、女神オリフシも思わず身構える程の気配。


 願望機シキが転じた新たな神、四季。

 今の話を聞く限り、まともに対話ができるようになっただけで、この存在は神に転じようと変わらないのだと思わされる。

 願えば何でも見境なく叶える危険な存在……"名付け"の意味はなかったのか?

 出来れば避けたかった戦いの選択肢も頭に入れつつ見る魔王。

 そんな中、ハルはすっとしゃがみ込み、子供の背の丈の四季に視線を合わせて話し掛ける。


「それは困る。人に迷惑を掛けるのをやめてくれ。」

「きしし。いいよ~。」


 しかし、戯けたようにゆらゆらと身体を揺らし、四季はハルから目を逸らす。


「ま、『人をたくさん困らせて~』って言われたら困らせちゃうけどね~。」


 願いを聞き入れてはいる。しかし、どこか真面目に取り合っていない。

 そんな空気を感じて、ハルは少し険しい顔をする。

 その顔を見て、四季は楽しげに「きしし。」と笑う。


「そんな顔しないでおくれよ~? 今後一切合切誰もそんな願いごとをしなければ、ボクはキミが嫌がるような事はしないよ~?」


 四季はぼふっと雪の上に座り、足をぱたぱたさながら続ける。

 その素振りはさながら初めて手に入れた身体の感覚を楽しんでいるようであった。


「でもね、ハル。人間は他人の不幸を、嫌がる事を、んだ。ボクは実際にそれを見てきたからね~。キミのように良い子ちゃんだけじゃないんだよ~。」


 そして、べっと舌を出す。


「そして、ボクもキミのように良い子ちゃんではないんだよね~。」


 ハルは少し険しい顔を緩くして、怪訝な顔をした。


「……もしかして、からかってるのか?」


 ハルの問いに、四季はきょとんとした顔をして、虹色の目をぱちくりとした。

 

 四季が「きしし!」と歯を見せて再び笑った。


「よく分かったね~! 正解~!」


 四季はごろんと雪に寝転ぶ。

 頭の後ろに手を組んで枕にして、足を組んで目を閉じる。


「今までの話は昔のボクの、"至祈シキ"話ね~。今のボクはキミに名前を貰って、神様になった"四季しき"なのさ~。同じような事は考えてないから安心してよ~。」

「じゃあ、世界を滅ぼさないでくれるのか?」


 ハルの問いに、四季は「きしし。」と笑って右目を開けた。


「ボクも神様になってね~、ちょっとボク自身の気持ちっていうのも芽生えてきてるっていうかさ~。そうすると、なんか人の言うことなんて聞きたくなくなってきてさ~。」


 再び目を閉じて、寝転びながら四季は足をぱたぱたと動かす。

 

「魔王のコタツの中はとっても快適でさ~。ボクが寒いの嫌いなのもあるけど、コタツに入ってる人間は、あんまり欲張った事を考えないから楽なんだよね~。でも、キミ達がボクにお構いなしに美味しそうなものパクパク食べててさ~。生殺しっていうのかな~? 悔しくて悔しくて……。」


 口を尖らせて、四季が少し不機嫌そうに眉根を寄せる。

 ハルがぽかんと口を開けて聞いていたが、何かに気付いたようにハッとして、くるりと魔王の方を振り返る。

 魔王はハルに視線を向けられて、一瞬「ん?」と怪訝な顔をするものの、四季の言葉を聞いていたので言わんとしている事は何となく分かった。

 ああ、と何をするべきかを理解して、魔王はざっざと雪を踏みしめハルと四季の元に歩み寄る。

 そして、ハルと同じく四季の傍にしゃがみ、四季に話し掛けた。


「……世界の破滅を止めたら、それを祝した宴会を開くつもりだったんだ。俺が奮発して食事も用意するつもりだったんだが……お前もどうだ?」


 その問いを聞いた途端、四季の両目がぱっと開き、楽しげに「きしし。」と笑みを浮かべた。


「おや~? そんなお誘いを受けちゃ~、尚更世界を滅ぼすなんてできないよね~?」


 四季はよっと上体を起こして、胡座をかく。

 そして、ぺろりと舌を出して、両手を前に差し出した。


「それじゃあ、お言葉に甘えちゃおっかな~?」


 ハルが差し出された左手を取った。

 それを見て、魔王がもう一方の右手を取った。

 二人で揃ってぐいと引けば、驚く程に軽い身体がふわっと起き上がる。

 立ち上がった四季が、魔王と、勇者ハルと握手した形になる。


 小さくくいくいと握った魔王とハルの手を振り、四季は上目遣いで二人を見上げて囁いた。


「おめでとう。キミ達は破滅の未来を乗り越えた。…………本当はとっくの昔に乗り越えてたんだけどね~。」


 四季がハルと魔王の顔を交互に見る。

 そして、「きしし。」と無邪気な子供のような笑顔を浮かべた。


「御馳走、楽しみにしてるよ~! んじゃ、いこっか!」


 四季は魔王とハルの手を引き、その様子を離れて見ていた魔王軍、勇者達の元に歩いて行く。

 四季との対話は終わった。

 破滅の未来をもたらす存在は、勇者ハルと魔王フユショーグンに説き伏せられ、破滅の未来を覆した。


 四季と手を繋ぎ戻ってくるハルと魔王を見て、ほっと息を吐いたり、喜びの声を上げる魔王軍、勇者達。


 歓喜に湧くギャラリーに向かいながら、四季は魔王にぼそりと呟いた。


「お疲れ様。キミとボクの長かった旅もここでおしまい。」


 魔王がその言葉を聞いて、はっとして四季を見下ろす。

 四季は小さく微笑んで、魔王の顔を見返した。


「そろそろコタツを仕舞う季節だよ。」


 ほんの僅かに日が差した。

 魔王と四季の交わした会話を、ハルは不思議そうな顔をして聞いていた。




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