第119話 その名は




 ハイベルンの心臓を握る魔王は命令する。


「まずはシキの中にある怨念とやらを、シキから切り離して貰おうか。」


 魔王の手に握られる宝玉は、アンデッド達を統べる王の心臓部。

 不死を騙る魔物の本体であり、無数のアンデッドと共にハイベルンと思われたアンデッドすらも操っていた心臓部である。

 これが潰されればハイベルンでさえも死に至る。

 能力さえも封じられた死の王には従う以外の選択肢は残されていなかった。


「くっ……!」


 願望機シキ。その中に眠る無数の人間の怨念。

 シキに他者の破滅を願い、多くの命の道連れを願った滅びた世界の人間達の醜い呪い。

 怨念を操るハイベルンは、通常は触れられないそれに触れる事ができる、シキの中に命令として染み込んでいる怨念を分離できる唯一の存在であった。

 シキから生まれた黒い泥の巨人がどろりととけて崩れ落ちる。

 泥の中から白い球体が現れる。

 白い球体から零れ落ちた黒い泥は下に落ち、地面にべしゃりと落ち、寄り添うように集まっていき立方体を形作る。

 起動したシキは、空に浮かぶ白い球体、地面に落ちた黒い立方体の二つに分かれた。


 シキの仕組みを理解したアキでさえ、分離する事はできないと判断していたシキの中の負の願い。

 ハイベルンにそれが可能なのかは期待半分といった所だったが、怨念を支配するという謳い文句はハッタリではなかったらしい。

 綺麗に白と黒に分かれたシキを見て、その場に居た全員が驚き目を丸くした。


「言ってはみたが本当にできるとは……。」

「ただの道化じゃなかったんですねぇ。」


 ハイベルン―――魔王の手の中に握られた宝玉がブルブルと震える。


「言われた通りにしたぞ……とっとと余を解放しろ……。」

「ああ。ご苦労。二度と馬鹿な真似はするなよ。」


 魔王はぽいと雑に宝玉を放り投げる。

 宝玉はぽとりと雪の上に落ち転がる。

 そして、魔王はうららの方を見た。


「お前の力を使うのにもリスクがあるんだろう? もう解放してやっていいぞ?」

「え? いいんですか?」


 うららが怪訝な顔で尋ねる。

 今、ハイベルンの死体を操る力はうららの"束縛の縄"で"縛"られている。

 故に本体である心臓の宝玉以外を動かせず、まるで無力な存在に成り下がっている。

 それを解けば、たちまちハイベルンは力を取り戻す。良からぬ企みをしていた危険な魔物をこのまま解き放っていいものなのか?

 うららの問いに魔王はこくりと頷いた。


「ああ。曲がりなりにも力を借りたんだ。何もしなければトドメを刺す必要はない。」


 魔王はハイベルンを見逃してやるつもりだという。

 うららは納得いかない様子だったが、ふぅと溜め息をついて"縛り"を解く。

 

(愚か者め……!)


 ハイベルンは心中でほくそ笑んだ。

 この魔物が素直に「見逃してくれてありがとう!」となる筈もない。

 人の悪意の権化とも言える死と怨念の化身は、解放された能力を使い、周囲に潜ませたアンデッド達に接続する。


(クク……! 貴様等の計画の鍵になっているのが巫女だという事は分かっているぞ……! ここで巫女を殺してしまえば、貴様等の計画は頓挫する……! その混乱に乗じて逃走し、心臓を隠した上で再びシキの力を奪い返してやる……!)


 この場にいる勇者達、魔王軍を制圧する為に用意した戦闘用アンデッドが周囲の雪の下に潜んでいる。しかも、丁度良く、巫女の傍に埋まっている。

 巫女を殺し、計画を頓挫させ、混乱させた上で逃走する。

 半ばヤケクソとも言える臨時プランを立てて、ハイベルンは動き出す。


 ハイベルンはもう余裕がなかった。

 この場に心を読む者がいる事も、未来を視る者がいる事も完全に抜け落ちている。

 既にそんな企みが見抜かれている可能性も考慮しないまま、ハイベルンは巫女、ハルの足元に忍ばせたアンデッド兵を飛び出せた。


「死ねい!!! 巫女!!!」


 ハルは背後から迫るアンデッドにまだ気付いていない。

 周りの勇者達も、魔王達も気付いていない。


った!!!)


 ハイベルンが勝利を確信したその時。


 ドッ! とハルに飛び掛かったアンデッドが吹き飛んだ。


 そして、遅れてハルが「ん?」と振り返る。


「なんだ?」

 

 ハルはいつの間にか頭の後ろに握った拳を置いている。

 一瞬の事でハイベルンは即座には何が起こったのか理解できなかった。

 しかし、顔面が拳の形にへこんだアンデッドを見て理解する。


 アンデッドは振り返らないままのハルに後ろ向きでぶん殴られたのである。


「な……な……!?」


 ハイベルンは驚愕した。

 何故、巫女がこんなに強いのか?

 当たり前である。彼女は巫女でありながら、"剣姫けんき"と呼ばれる剣の達人である。普通に強いのだ。

 何故、巫女の装いで待つ、武器を持たない"剣姫けんき"にアンデッドが殴り飛ばされたのか?

 巫女であり勇者のハルは、剣がなくとも強いのである。


 巫女を狙うという作戦自体がそもそも破綻していた。

 ハイベルンには巫女を、ハルを殺せない。


「チャンスはやったぞ。」


 魔王が静かに呟く。

 魔王はハイベルンに最後のチャンスを与えたに過ぎない。

 テラから話は聞いていた。

 この魔物は、全ての生命に死を与え、死者を操る力で支配を目論む外道だと。

 そんな外道でも自身が死を前にしたら、死の恐怖を知ったら改心するのではないか。万に一つも有り得ない可能性ながら、この魔物が変われるチャンスを与えたのだ。

 魔王がパチンと指を弾く。

 ハイベルンの心臓の下にゲートが開く。

 突如開いた穴に落下するハイベルンの心臓が、ゲートの先に見たものは……。


「…………ま、待」


 ハイベルンが落ちた穴がスッと閉じて、最後の叫びは掻き消された。

 しん、と辺りが静まり返る。 

 最初に口を開いたのは、ハイベルンを解放する事に懸念を抱いていたうららであった。


「何処に飛ばしたんですか?」


 魔王の力"七次元門セブンスゲート"。

 異なる次元さえも跨がり二つの世界を繋ぐゲートを開く力。

 ハイベルンの心臓は、魔王によってどこかに飛ばされたのだ。

 その送り先はどこなのか? うららの問いに魔王は答える。


「冥界、地獄、とでも言えばいいのだろうか。要は"死後の世界"だ。あいつをそこに。」


 ハイベルンはかつて冥界からやってきた。

 こちらの世界での儀式を通してやってきた彼を、魔王はゲートで送り返した。

 こちらからハイベルンを呼ぶ者はもういない。これで二度とハイベルンはこの世界に干渉する事ができなくなった。


 "死の王"ハイベルンは完全にこの世界から消失した。


 辺りが静寂に包まれる。

 しばらくの沈黙の後、緊張の糸が解けた。


 ふらりとよろめき倒れかけるのは"万里眼"ビュワ。

 掴んだ死者の腕を放り投げ、倒れる彼女の身体を"魔道化"テラが抱き留めた。


「大丈夫ですか?」


 ビュワは一度、ハイベルンの手で殺された。

 テラの能力で過去を改変し、無理矢理殺された事実をなかった事にしたものの、無理な過去改変は現在に若干の影響を残す。

 ハイベルンが過去が変わったにもかかわらず、計画が遂行していると誤認したように、死の現在がなかった事になったビュワにも一度死んだ記憶が流れ込んだ。


「すみません。確実な方法とはいえ、負担を掛けてしまいましたね。」


 テラがそう言えば、抱きかかえられたままビュワはテラを睨み付けた。


「汚い手で触んなクソが。」

「……おっと。失礼。」

 

 ビュワを護るために、テラはアンデッドの腕を鷲掴みにした。確かに手は大分汚い。それに気付いたテラはあははと苦笑いして、そっとビュワを座らせる。

 ハンカチをポケットから取り出し、軽く手を拭うと、テラは改めてビュワを見下ろす。


「では、死の記憶をすぐに消して……。」

「別にいい。」


 ビュワはふんとそっぽを向く。

 死の記憶は精神的苦痛の大きいものである。

 胸を貫かれた不快感が残っているのか、ビュワは胸元に何度も手を擦りつけていた。

 

「どうしてですか?」


 テラが困った様に尋ねれば、ビュワはじろりと視線だけをテラに向けて答えた。


「お前に一度死なされた恨みを忘れないようにだよ。」

「……あはは。怖い怖い。」


 テラは苦笑した。ふん、とビュワはそっぽをむき直して、地面にゆっくりと横たわった。

 その様子をにやにやとして見ているのは魔王側近トーカ。その視線に気付いたビュワがぎろりと一睨みすれば、トーカは「はーい。」とにやつきながら目を逸らした。


 そんな魔王軍のやり取りの一方で、二人の勇者が声を上げる。


「おい!!! 私はさっきの裏の計画とか知らなかったぞ!!!」

「我もだッ!!!」


 ハルとトウジである。

 トーカの力で密かに共有されていたという裏の作戦、この二人だけ知らなかったのである。それに対して、魔王はじとりとした目で二人を見て答える。


「いや……特にハイベルン対策でお前達に頼む仕事なかったし……それにお前達腹芸とかできなさそうだし。」

「私達を馬鹿にしてるのか!?」

「何を根拠にそんな事をッ!?」

「見た目。」

「!?」

「!?」


 ハルとトウジはどちらも大概ガサツそうである。

 ハイベルンに悟られないように内心を隠しつつ行動する等に向かなさそうだと魔王は判断した。実際、ハイベルン対策までは別にこの二人の力は要らなかったので不要ではあった。

 キーキーと猛抗議する二人を適当にあしらいつつ、魔王はアキに視線を向ける。


「アキ。どうだ。ハイベルンが切り離した怨念は。」


 シキの仕組みに最も精通している勇者アキ。

 アキは早速、今では沈黙している白い球体と、地面に落ちた黒い立方体を交互に眺める。そして、僅かにむすっとして答えた。


「悔しいですけど凄いです。思念エネルギーのマイナス要素だけを綺麗にこっちの黒い立方体に切り出してます。あのヘンテコアンデッド、口だけではなかったみたいです。」

「黒いのがマイナス要素だけ……という事は、あの白い球体が……。」

「本来のシキです。」

「そうである。」


 黒猫シキがとてとてとアキの足元に歩み寄る。


「あっちの白いのが以前我が輩と同じ存在だったものである。」


 願望機シキから生み出された黒猫シキの裏付けも取れた。

 魔王は続けて、緊張した面持ちで黒い立方体を指差して問う。


「……あれはやっぱり危ないものなのか?」


 すると、アキは首を横に振った。


「いいえ。あくまで思念エネルギーを別エネルギーに変換するのは"願望機シキ"の機能です。そこの黒いのは負の思念エネルギーの塊に過ぎません。それ自体に何かを起こす力はありません。触ると気分が悪くなるかも知れませんけど。」


 どうやら安全とは言い難いが、これ自体が破滅をもたらすものではないようだ。

 それを聞けて魔王はほっと胸を撫で下ろす。

 直ちに世界が滅びるような状況ではなくなった。

 しかし、どうにかしなければいけない状況は変わらない。


「この黒いのって処理できるのか?」

「固形化されているので可能だと思います。すぐにどうこうはできませんけど。一旦置いといて貰えます?」

「ああ。助かる。」


 負の思念エネルギーの塊についてはアキでも処理可能らしい。

 思念エネルギーの研究、検証をしていた彼女なら……という魔王の期待通りの返事であった。魔王はゲートを開き、一旦黒い立方体をこの場から隔離する。誰にも触れない完全な孤立空間にそれを移して、空に浮かぶ白い球体を見上げる。


 最後に残されたのは願望機シキ。

 今は負の思念エネルギーから切り離され、今すぐに世界を滅ぼすような存在ではなくなった。

 しかし、人々の願いを集め、無尽蔵に叶えてしまう危険をはらんだ存在である事には変わりない。

 魔王は横たわるビュワの方を見る。


「ビュワ。未来は変わったか?」

「分からない。」


 ビュワは横たわったまま答えた。


「どういう事だ? 未来を視れないのか?」

「"それ"の未来は全く見えない。あまりにも異質な存在過ぎる。多分存在なんだと思う。」


 ありとあらゆる願いを叶える存在。

 確かに、未来を視たところで、いくらでも書き換える事ができるような強大な存在なのだろう。

 未来視の及ばない存在である事を改めて確認し、魔王は最後に巫女装束を纏う、むっと拗ねているハルを見た。


「ハル。」


 仲間外れにされて拗ねていたハルも、魔王の視線を向けられて、拗ねた態度をすっと解く。


 元々の計画にもあった、破滅の未来を変える方法。

 無作為に人の願いを叶え、滅びをもたらすシキという異質な存在に、形を与え対話をできる存在、"神"に昇華する。


 巫女の執り行うその儀式は"名付け"と呼ばれた。


 巫女の末裔ハル、彼女がこの計画で与えられた役割。

 その実行の時がきて、ハルはこくりと頷いた。




 ハルが巫女装束を揺らしながら、身につけた鈴の音を鳴らしながら、舞うようなふらふらとした足取りで白い球体の下に歩いて行く。

 その優美な舞に、その場にいた者達はごくりと息を呑んだ。


 ゆぅら、ゆるりら、ゆぅり、ゆら。

 ふぅら、ふるりら、ふるり、ふぅら。


 母から受け継いだ歌を紡ぐ。澄み渡るような響きが辺りを包み込む。

 白い球体が僅かにぶるりと身を震わせる。

 その歌は巫女から神に捧ぐもの。

 その歌は心を安らかにし、暖かい気持ちで満たしていく。


 歌と舞を捧げて、神を迎え入れる準備は整う。


 ここまでが"名付け"の下準備。

 ここからが本番。


 ハルは天を仰ぐ。

 巨大な白い球体は、不思議と影を作らない。

 その球体をじっと見つめて、ハルは球体に語りかけた。


「あなたは世界を終わらせようとしたもの。」


 しん、と空気が冷たくなる。


「あなたは世界の終わり。……でも、それを乗り越えた先には、また新しい始まりがある。その新しい始まりは、きっと始まりの季節。」


 どくん、と白い球体の鼓動が響く。


「あなたの試練を乗り越えた先に、始まりの季節が来る。言い換えれば、あなたは始まりの季節を呼ぶものでもある。」


 ハルが両手を天に掲げる。


「試練を与えたその先で、新しい季節を運ぶもの。季節を巡らせるあなたの名は……。」




 どくん!と一際強く白い球体の鼓動が波打つ。


 そして、ハルはその名を告げる。


四季しき。」





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