第117話 盤面返し
"死の王"ハイベルンは入念に準備を行い、その時を狙っていた。
世界の破滅という危機に解決策を見いだした勇者達が勝利を確信したその時に、全てをかっ攫い世界をひっくり返す"盤面返し"。
この世界に呼び寄せられた時、ハイベルンはこの世界の可能性に気付いていた。
彼が降り立ったのは大地の神々の庇護下にはない"
そこは当時世界に四季があり完全なる寒冷の大地ではなかった頃から一年通して凍り付くような寒さに見舞われた死の土地であった。
この世界は既に死んでいる。
大地の神々の庇護下において、かろうじて生きているように見えているだけだ。
それを理解したとき、彼はこの世界を手に入れたいと思う程に惚れ込み、この世界を死と氷の大地に変えようと計画したのであった。
大地の神々を滅ぼせば、この世界を死と氷の大地に変える事ができる。
しかし、大地の神々の力は強大であり、その全てを滅ぼす事はハイベルンをもってしても不可能であった。
故に、ハイベルンは人々の神々の繋がりを断ち、人々から神の加護を、神々から人の信仰を奪う事で世界を弱らせる事にした。
ハイベルンはこの世界で"死の王"として君臨する時点で、大きなブラフを仕込んでいた。
これ見よがしにゾンビやスケルトンのような露骨な死体やゴーストを従え、"死の王"という側面を強調するように悪名を広めた。
目に見えるような死の象徴だけを従えていると人々に、神々に誤認させる為に。
死者や怨念を支配下に置き操る"死の王"は、死者がより死に行く過程も支配下に置ける。
死後、死体となった人間が腐敗し、白骨化していく、死者が無に帰していくまでの死の経過を彼はコントロールできる。
腐敗を止めたまるで生きているかのような死者。
言うなれば新鮮な死体"フレッシュゾンビ"。
ハイベルンは死体の軍勢を編成する一方で、密かに作り出したこのフレッシュゾンビを世界の各所に配備した。
人間達は気付かなかった。
密かに自分達の周辺に居る人間が、同じ姿をした全く別の肉塊に置き換わっている事に。
気付かないのも無理はない。
彼らの中身にいる魂は、ハイベルンに殺され支配を受けただけの、元居た人間のものなのだから。
こうして次第に国家の中枢にさえ食い込んでいったハイベルンは、"死の王"という役柄を演じながら、その裏で世界情勢をコントロールし続けてきた。
巫女をその家系から離れるように周囲の人間関係を操り、巫女の家系を途絶えさせた。結果、大地の神々と人々の繋がりは途絶え、世界に永遠の冬が訪れた。
預言者一族の中枢にフレッシュゾンビを潜り込ませ、自身に不都合な預言を握り潰し、また預言を捏造し、国家の動きを操作した。
世界中にフレッシュゾンビをばらまき、ありとあらゆる情勢を監視する目を、耳を手に入れた。
こうして自身の望む盤面を作り上げていった策士を阻んだのは、自身と同じく災厄と呼ばれる規模の危険な魔物達であった。
虫けらの直感と無数の虫の目を持つ勘の良い元神、死体を食い散らかす"暴食の王"
子を失った親の怨念ながら強大すぎる自我と力を持ち、ハイベルンの支配すらまともに届かない凍える怨霊"雪女"スオウ。
過去に干渉し世界を自在にコントロールする影の支配者、世界の語り部"魔王"インヴェルノ。
人間では太刀打ちできない怪物達は、人間から作った死の軍勢では対抗出来ないハイベルンの最大の敵であった。
この怪物達との睨み合いで膠着した盤面を、ひっくり返すきっかけになったのは、仕掛けた監視の目と耳が捉えた一人の男と"強大な何か"だった。
突然この世界に現れた男は、とてつもなく"強大な何か"を持っていた。
その中に自身に最も馴染み深いもの、強大な自我なき怨念を見いだしたハイベルンは、その男を特に注意して観察する事にした。
男はどうやらその"強大な何か"を処理したいらしい。
当然だ。これ程までに大きな怨念がもたらす災害規模は計り知れない。
しかし、それを支配下に置ける、手に入れたいハイベルンからしたら迷惑な話であった。
それさえあれば、この世界を手に入れるだけの力を得られる。
捨てるだなんてとんでもない。
ハイベルンはこの強大な怨念を奪い取る事を目的として動くようになった。
男は想像以上に大した存在であった。
"魔王"インヴェルノと何やら交渉の末に、"魔王"の座を受け継ぎ、奴の抱えていた魔族達を自身の配下におさめた。
密かに警戒していた未来を見通す"万里眼"なる占い師を手中に収めた。
そして、あろう事か"白の勇者"と呼ばれた、ハイベルンが今まで見てきた中でも最も強大な人間とすら手を結んでしまった。
ハイベルンが頭を悩ませてきた数々の障害が、警戒してきた存在が、全て男の手中に収められていく。
そして、極めつけは"白の勇者"から"英雄王"と呼ばれるようになったユキが選んだ三人の勇者達……これらを手駒にし、あの"雪女"スオウさえも浄化してしまった。
ハイベルンはあの怨霊はいずれ配下に加えたいと考えていた。世界を凍えさせる程の力を持つあの怨霊さえいれば、寒さに弱い寒蠱守も消え、死体によりよい環境ができ、死の軍勢はより完璧となる。
勇者達が弱らせた段階で気付けず、奪い取れなかった事はハイベルンの大きな失策、後悔のひとつである。
強大な怨念を掠め取る以前に。
こいつを何とかしなければならない。
ハイベルンが真に危機意識を覚え、男を最大の敵と見なすようになったのは、自身の元にまで勇者をけしかけられた時の事であった。
幸い、ハイベルンは生き残った。
勇者達はハイベルンの不死の秘密にまでは気付かなかった。
しかし、危うくやられるところだった。
更に幸運だったのは、勇者達がもう一つの"三厄災"、寒蠱守も弱らせていた事だろう。唯一、ハイベルンの不死の秘密に迫りうる虫の魔物の活動が鈍った事で、ハイベルンは体勢を立て直す機会を得たのである。
そして、いよいよ男を敵と見なしたハイベルンは本格的に動き出した。
男―――新魔王フユショーグンを名乗る奴の傍に常に監視の目と耳を置いた。
死体には心臓も脳も要らない。搭載した魂のみで動く。
故に、人の形でなくとも目や耳だけで役割を持たせる事ができる。
願望機シキの存在と、新魔王がそれを封じ込める為に動いている事、その為にどんな作戦を執り行うのかは全て筒抜けであった。
シキが再び起動する時、そこに蓄えられた怨念を掠め取る。
その時に邪魔になるのが、未来を見落とすことのできる"万里眼"ビュワである。
ハイベルンの計画では、シキの力を強奪する前にビュワを消すつもりだった。
シキが起動した直後に、ハイベルンがシキを掠め取るのを視られない為に。
しかし、早い段階から手を掛けてしまえば悟られる。
あくまで、シキのもたらす破滅によって未来が途絶えたと思わせなければならない。
新魔王の計画は進んでいく。その情報を逐一集めつつ、ハイベルンは並行してフレッシュゾンビを増やし、各地に手を伸ばしていた。
自身を倒しに来た元魔王インヴェルノ―――今では"魔道化"テラを名乗る男。
彼が来た時に、ハイベルンの計画は完成した。
長く彼を見ていたハイベルンは知っている。
元魔王インヴェルノという男は、暇潰しで生きている。
大きすぎる力を持ち、何でもできる。それ故に、何をすればいいのか分からず退屈している。
使命感や道徳心など欠片も持ち合わせて居ない。
徹底した享楽主義者なのだ。
彼が新魔王の計画に協力したのは、見た事のない強大な存在と、それに立ち向かう者達の物語を間近から眺めたいからでしかない。
より楽しい計画を提示すれば靡くだろうと、ハイベルンは考えた。
シキの力を手に入れて、デッカイドーを死と氷の大地に変える。
そして、有り余るその力を持って他の世界にも乗り出し、ありとあらゆる世界を蹂躙する。
この狭い世界の中で退屈していたインヴェルノに、外の世界に出向く事、今まで考えもしなかったであろう偉大なる行いは魅力的に映るはずだ。
そんなハイベルンの予想は外れなかった。
自身の計画を全て語った。嘘は吐いていない。一部伏せて話しはしたが。
インヴェルノはその計画に興味を持ったようだった。
手を組もうというハイベルンの手を、インヴェルノは取ったのだ。
インヴェルノの協力を得れば、全ての準備は整えられる。
インヴェルノには、ハイベルンは倒されたと新魔王に伝えさせた。
インヴェルノの監視が外れる上に、
デッカイドーで引き起こす革命の際に、邪魔が入らぬように魔王軍の魔族達を主要なエリアから遠ざけさせた。
ハイベルンの遺した死の軍勢が各地に散らばっている、とあえて一部だけ真実を新魔王に伝えさせ、その対策の為に魔王軍を散り散りにした。
切り札は各地に仕込んだフレッシュゾンビ。普通の隣人のように暮らすが、いつでもハイベルンの指示で隣人を襲う伏兵達。既に人類を制圧する準備はできている。
そして、インヴェルノが護衛に付くという名目で、"万里眼"ビュワの護衛をなくす。
インヴェルノは単騎で魔王軍の魔族全てに匹敵する程の過大な戦力だ。彼を護衛に割く事は最大限の安全策であり、過剰すぎるが故に他の戦力を割く事はなくなる。
そんな唯一の過大な護衛が、実は裏切り者であり、一切ビュワを護らなかったとしたら?
いつでもビュワを殺せる準備を整え、自身が革命を起こす未来を視られる事を防ぐ。
氷の大地には沢山の死が埋もれている。
魔王城と呼ばれる小屋の周囲が危険地帯と言われている理由。
魔王の制御下にいない魔物が出没するから……というのが、新魔王ですらも誤解している表向きの理由。
真実は、死の軍勢に加わったゾンビモンスター達が、常に死の軍勢を増やし続けていただけに過ぎない。
魔王城の周囲には、沢山の死体が埋もれている。
"死の王"の号令が掛かるその時まで、彼らが動く事はない。
ハイベルンは用心深く、用意周到な男であった。
インヴェルノの協力を得たところで、彼を完全には信用していない。
計画の一部を伏せ、更に彼には秘密で各地に監視の目を光らせている。
魔王軍の魔族達が、予定通りに僻地に配備されたことを確認した上で、協力する"フリ"をしている訳ではない事を確認した上で、インヴェルノを計画に組み込んだ。
更に、最後の最後に裏切って、"万里眼"ビュワを護る可能性も潰す。
インヴェルノにすら伏せている、魔王城周囲に潜ませたアンデッド達。
インヴェルノの目を盗んで、ビュワを殺害する準備はできていた。
結局それは杞憂だったが。
シキが起動する。
その瞬間を、息を潜めるまでもなく、息をすることのない死体達は待っていた。
シキが目覚めたその瞬間に、潜ませていたアンデッド達を呼び出す。
真っ先にビュワの胸を貫く。
そのタイミングで、インヴェルノはビュワに目もくれずに、シキの元に飛び乗った。インヴェルノに握らせていたのは
ビュワを見捨てたのを見て、ハイベルンはようやくインヴェルノは完全に味方になったと信じる。
これはあくまでインヴェルノを試す最後の試験。
インヴェルノは試験に無事合格した。
シキと呼ばれる願望機。その中に潜むどす黒い怨念にハイベルンは見えない手を伸ばす。禍々しい声が聞こえる。生者を羨み嫉み道連れにせんとする醜い声。ひとつの世界を滅ぼした人間の怨念が、ハイベルンの手中に収まった。
いくつもの世界を救い、いくつもの世界を滅ぼした、強大な力が"死の王"の元に集う。ハイベルンは完全に、シキの中の怨念を掌握した。
「ふふふふふ…………ふはははははははははははは!!!」
笑いが込み上げてくる。
「計画通りッ! 計画通りッ!! 計画通りッ!!! 全ては余の筋書き通りに進行したッ!!!」
手に入れた強大な力。何もかもが思い通りになると確信できる力。
「あぁ、なんと甘美などす黒い怨念ッ!!! これら全てが余のものとなったッ!!! おやおや? お前は誰だという視線を感じるぞ?」
見下ろせば、唖然としている新魔王や勇者達の姿がある。
いい気味だ。胸が高鳴る。心が躍る。
「余はハイベルン~~~♪ 怨念の主~~~♪ 恨み~辛み~が余の支え~~~♪ 生者への嫉妬こそ余が力~~~♪」
歌を歌えば、ハイベルンの上でテラがクククと楽しげに笑う。
ハイベルンもテラと共に楽しげに笑う。
そして、ハイベルンは高らかに宣言する。
「最高のショーの始まりだ。」
パチン!と指を弾く音がした。
「ハイベルン。あなたをひとつだけ褒めてあげたい気分です。」
声は下の方から聞こえた。
「あなた、私よりもよっぽど"道化"に向いてますよ。」
ハイベルンの視線が下に向く。
泥の巨人となったハイベルンの視点に映るのは、思いも寄らぬ光景であった。
新魔王を、"万里眼"ビュワを裏切り、ハイベルンの元に下った筈の旧魔王インヴェルノ。先程までハイベルンの頭の上にいたはずの仮面の男。
それがハイベルンの足元にいた。
立ったまま呆然としている"万里眼"ビュワに襲い掛かった筈の、死者の腕を握りながら。
「な……な……な……!?」
ハイベルンが愕然とする。
旧魔王インヴェルノが、殺した筈の"万里眼"ビュワを、しっかりと護っている。
裏切ったのを見た筈だった。死んだのを見た筈だった。全ての計画が成功したと確信した筈だった。
なのに、それが夢であったかのように、望んだ光景は消え去っていた。
愕然としていた筈の新魔王が、不敵な笑みを浮かべて見上げている。
その隣で、猫耳をつけたメイドの女が必死で笑いを堪えている。
勇者達さえも、女神でさえも、どこか嬉しそうに笑みを浮かべている。
呆然としているのは、"万里眼"ビュワ、"剣姫"ハル、"闘争の勇者"トウジのみであった。
何が起こっている。
そんな言葉を吐こうとするハイベルンに先んじて、ピストルのように作った指を髑髏の仮面に向けて、"魔道化"テラは宣言した。
「これが本当の"盤面返し"です。」
BAN!とピストルを撃つように手を動かし、テラは仮面をズラして笑みを見せ、意趣返しのように言葉を返した。
「最高のショーの始まりです。」
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