第115話 決戦前夜




 会議の日から数日が経ち、全ての準備が整った。


 世界の破滅を乗り越える為の計画、その実行の前夜。

 破滅に立ち向かう者達は各々の夜を過ごす。




 カムイ山の木こりの泉、その底にある女神オリフシの家には勇者"剣姫けんき"、巫女の末裔ハルがいた。

 明日、ハルは巫女としての初仕事をこなすことになる。

 既に特訓と必要な手順は頭に入れており、後は明日を待つだけの状態だったのだが、一応過去の巫女の儀式を参考にして"清めの儀"なるものをオリフシの元で行う事になった。


 湯浴みを行い身を清め、食事も力を高める為に必要なものを採り、精神統一のために静かに祈りを捧げる。


 特にこの儀式には大きな意味はなく、いわば精神的なコンディションを整える為の形式的なものだったのが、オリフシからの提案で行う事になった。


 というのも実はオリフシが大きな儀式に臨む前日という事で、ハルの顔を見ておきたかったというところが一番大きい。儀式についてはほぼほぼ後付けの理由である。

 ハルの為に湯を沸かし、腕によりを掛けて食事を用意した。

 そして、明日朝一番で巫女装束の着付けと身だしなみの準備を行う。

 つまり、今日一日はハルは女神オリフシの元に宿泊する事になる。


 食事を終え、湯浴みを終えて、オリフシの用意した寝間着に身を包んだハルを見て、オリフシはホクホク顔であった。


「う~ん。やっぱり似合うわ。」

「ちょっと可愛すぎませんか……?」


 ふわふわもこもこな寝間着をハルは恥ずかしそうに見下ろす。


「いいじゃない可愛くて。そうだ、お風呂上がりのアイスクリームとかいる?」

「え? 食べてもいいんですか? 儀式の前日とかに。」

「いいのよ別に。むしろきちんと食べて最高のコンディションにした方がいいと思わない?」

「……女神様が言うなら。」


 オリフシがキッチンに向かって冷蔵庫を開く。

 今まではこの世界に合わせた生活を送っていたが、ハルの為にコタツを導入したところ、電化製品の便利さを改めて知ってしまい、結局あれこれと導入してしまった。冷蔵庫もその内の一つである。

 冷蔵庫からアイスを取り出しスプーンと一緒に持っていけば、ハルは既にコタツに入って期待した目で見上げていた。


「いただきます!」

「召し上がれ。」


 ハルは早速バニラアイスクリームに口をつける。

 一口食べれば満足げに頬を綻ばせる。その笑顔を見て、オリフシも微笑ましそうに笑った。

 明日、ハルは巫女としての大仕事に向かう。

 それでも、今日女神宅で過ごしたハルはいつもの調子で特に緊張した様子は見られなかった。緊張するだろうと色々と気分転換できる準備をしていたオリフシだったが、結局杞憂だったようである。

 アイスクリームを幸せそうに食べるハルを眺めながら、頬杖を突きながらオリフシは話す。


「明日、全てが終わったら、盛大にお祝いしなきゃね。」

「はい!」

「ハルちゃんの歌と踊り楽しみにしてるわね。」

「うっ……! は、はい……。」


 ハルは大地の神々に協力を求める引き換えに、歌と踊りで神々をもてなす約束をしている。その約束を今更ながら思いだし、ハルは困った様に誤魔化し笑いした。

 明日、全てが終わったら。

 自然とそう言ったが、ハルは当然といったように返事をした。

 

 オリフシは、不安がないといえば嘘になる。

 先輩のヒトトセから聞いた、出来る事は全てやった。

 これで上手く事は上手く運ぶと信じている。それでも、万が一の良くない事を考えてしまう。

 それはハルの笑顔を見れば和らぐものではなく、むしろその笑顔が失われたらと思うと余計に深まるもので……。


「どうしたんですか?」

「え?」


 そんな不安を見抜かれたのか、ハルは心配した様子でオリフシに尋ねる。

 明日、大勝負に望むハルに余計な不安を与えてはならない。

 オリフシは慌てて、取り繕うように笑った。


「いえ、何でもないわよ。全然大丈夫。」


 ハルは少し納得いかないような顔をしていたが、オリフシは誤魔化す様に立ち上がる。


「ハルちゃん。今日は一緒のベッドで寝ない?」

「え?」

「今日はちょっぴり冷えるし。寄り添った方があったかいわよ?」


 ハルはスプーンをくわえながらむぅ、と口を曲げる。


「そ、それはちょっと恥ずかしいというか……。」

「あら? 女神と寝るの嫌? 傷付いちゃうわぁ。」

「い、嫌ではないですけど……。」


 気を遣っている、という訳ではないらしい。

 単純に照れ臭いものの、一緒に寝る事自体は嫌ではないというのは本当のようだった。オリフシはうふふと嬉しそうに笑った。


「じゃあ、ベッドの準備してくるわ。ゆっくりアイスを食べてていいからね。」

「は、はい。」


 オリフシは家の奥の寝室へと向かう。

 心配そうな素振りをこれ以上見せないように。


 オリフシの不安を他所に、女神宅での最後の夜の時間はゆっくりと、着実に流れていく。





 ~~~~~~~~~~~~~~




 とある村の宿の二階の一室。その窓から"殺戮の勇者"ゲシはぼんやりと街並みを眺めていた。

 夜とはいえまだちらほら見掛ける道行く人々に視線を送りながら、ちょくちょく村の外の方にも視線を送る。

 そして、その度に深く溜め息をつく。


「どうした? 不安なのか?」


 部屋には"闘争の勇者"トウジもいて、感傷的な雰囲気を漂わせるゲシに尋ねる。

 

「安心しろ。我がいれば負ける事はない。」

「お前ェは暢気でいいよなァ……。」

「ですね。」


 ゲシに同意するのは同じく部屋にいる"束縛の勇者"うらら。

 三人の新人勇者は、明日に備えて計画実行の予定地近くの村に宿を取っていた。

 別々の部屋を取ってはいるのだが、就寝前に一旦ゲシの部屋に集まって打ち合わせやちょっとした飲み食いをしていた。

 ゲシとうららに暢気呼ばわりされたゲシはむっとした。


「暢気とは何だ。我だってちゃんと考えている。」

「……まァ、お前ェに言っても仕方ねェよなァ。」

「ですね。」

「何だ? 何の話だ?」

「こっちの話だよ。」

「こっちの話です。」

「お前達、何か我に隠し事でもしてるのか……?」


 トウジが怪訝な顔をして尋ねれば、「さぁ?」と二人はとぼけて見せる。 

 示し合わせたような態度にむぅ、とトウジは眉根を寄せた。


「まぁ、そんな事は置いといて。いよいよ明日ですねぇ。」

「世界を救う、かァ……未だに実感湧かねェわ。」


 女神ヒトトセによって選ばれて勇者として転生した三人だったが、始めは勇者に選ばれる事はなく、便利屋や傭兵等で生計を立てていた。その道でも多少は名を上げたものの、勇者の名声とは程遠いものであった。

 いつしか、十分生きていけるだけの力を持って、何にも縛られずに自由に生きる事に満足してしまっていた。故に彼らには勇者の実感も、世界を救うという実感もまるで湧いていない。


「そう難しい話ではないでしょう。今まで通り、各々の仕事をこなすだけです。」

「その仕事が難しい話なンだけどな。」


 ゲシは窓から部屋の中に顔を向ける。


「お前ェら、この仕事が片付いたらどうするか考えてるか?」

「まずは目先の仕事の事だけ考えた方がいいのでは?」

「そりゃそうだけどよ。」


 ゲシはうららの淡々とした返事に苦笑した。


「ほら。結局俺らが転生させられたのも、明日の為だろうがよ。一個の目標が片付いた後はどうすンのかって考えちまうだろ?」


 ゲシが話を振れば、トウジは腕を組んで胸を張る。


「我は明日以降も変わらん。より強い者を求めて最強の座を目指すのみよ。」

「アキちゃんとも再戦するんですか?」

「いや、あれは魔法使いであって我とは目指す所が違うというか。我はあくまで武闘者としての頂点を目指したいのであって。魔法使いと闘うつもりはないというか。そもそも少女相手にムキになるのも大人げないし。大体再戦も何も我は一度も"魔導書"とは闘ってないし今後も闘うつもりはないというか。」

「めちゃくちゃ必死で笑えます。」


 トウジの早口を聞いて、くすくすとうららは楽しげに笑った。

 それに若干むぅとバツが悪そうな顔をしたトウジは、じろりとうららを睨んで尋ねる。


「そういうお前はどうなんだ?」

「私? 私は……そうですねぇ。」


 うららは顎に手を当て天井を仰ぐ。


「明日が私達の最大の舞台でしょう。私にとっての最高の"痛み"はそこにあるんでしょう。それ以上の"痛み"が期待できない明後日以降を生きる意味は思い付かないですかねぇ。」


 痛みを求めるドMのうららが何処か物憂げにそう呟けば、ゲシがヘッと笑って尋ねる。


「自死でも選ぶつもりかァ?」

「それも悪くないですねぇ。」

「笑えねェなァ。」

「あら。ジョークのつもりだったんですけれど。」


 うららはくすくすと笑った。


「そんなつまらない事はしませんよ。まぁ、明後日以降の事は考えてないのは本当ですが。」

「それこそつまんねェなァ。」

「だったら、明後日以降はあなたが私を楽しませてくれますか?」

「お前ェのプレイに付き合う趣味はねェよ。」

「あら、残念。」


 トウジも「我も断る。」と一言申し出れば、うららは二人を交互に眺めて、つまらなさそうに溜め息をついた。


「ゲシはどうするつもりだ?」

「何たって世界を救うんだからなァ。報酬をタンマリ頂いて、しばらくは適当にぶらついて楽して暮らすかねェ。」

「それこそ退屈じゃないですか。」

「暇を持て余すってのもいいモンだろうよ。せっかくの二回目のオマケの人生だぜェ? 前世で選ばなかった時間が勿体ねェような生き方をしてもいいだろうよ。」


 ゲシはぐっと背筋を伸ばして欠伸した。


「あー。眠くなってきちまった。そろそろ寝るかァ。」

「まぁ、大仕事前ですし夜更かしは良くないですね。」

「そうか。じゃあ、おやすみ。」

「おやすみなさい。」

「オウ、おやすみ。」


 さらっと挨拶して、うららとトウジは部屋から出て行った。

 部屋から二人が離れたところで、ゲシはベッドに腰掛けて深く溜め息をつく。


「柄にもねェ話しちまったなァ。」


 やはり、自分は明日の大仕事に緊張しているのだとゲシは改めて自覚した。

 ゲシが任された仕事はそれ程重要なものである。

 既にの段階で、問題なく熟せる確信は得ているのだが、それでも想定外の事が起こらないかは不安になる。

 楽天的、というよりあらゆる事に無気力に向き合っているうらら。

 無駄に自信に溢れた傲慢な自信家トウジ。

 二人と違ってゲシは実に普通な人間であった。


「……寝るかァ。」


 これ以上考える事をやめて、ゲシはベッドに潜り込み、部屋の明かりを落とした。

 話を振ったゲシだったが、本人が明後日以降の事を考える事はない。

 彼は明日のことを考えながら、眠れない夜を過ごす事になる。





 ~~~~~~~~~~~~~~





 魔王城では四人がコタツを囲んでいた。

 とはいえ今日はくつろぎムードはない。

 

 コタツの中に頭を入れていた勇者"魔導書"アキが顔を出せば、その様子を上から覗き込んでいた魔王は声を掛ける。


「どうだ?」

「調整は済みました。これで明日も問題ないと思います。」


 アキが行っていたのは、明日起動する事になるシキの最終確認と調整である。

 今日までに十分調整は行ってきたのだが、シキは刻一刻と変動している不安定な存在である。前日の最終チェックを念のために行う事になっていた。


 アキと魔王以外に魔王城にいるのは、魔王側近トーカと占い師のビュワ。


 ビュワは未来を視た結果を常に伝えられるように、トーカは万が一の連絡役としてここに同席している。

 アキの調整中も特に未来の変化はなく、最後の調整は無事に完了した。


 丁度そのタイミングで、魔王城の扉が開く。


 現れたのは仮面をつけた紳士"魔道化"テラであった。

 四人が集まってぎゅうぎゅう詰めの魔王城を見て、テラはおっとと声を上げる。


「おやおや。満員でしたか。」

「どうしたテラ。今日は来る予定じゃなかっただろう。」


 魔王が尋ねれば、テラが参ったように頭を掻く。


「いえいえ。最後の準備の様子を見ておこうと思いまして。それとついでにこっちの状況の説明をと。ここまでキツキツだと思いませんでしたので。お邪魔して申し訳無い。帰ります帰ります。」

「あ、私もう帰りますので。」


 テラが帰ろうとするとアキが呼び止める。

 アキは作業が終わったので、これ以上魔王城に長居するつもりはなかった。

 テラもテラで用件があるような良い振りだったので、自分が帰るという事で魔王城のスペースを空けようとしてくれたのだ。


「悪いな、アキ。ゲートで送ろうか。」

「お願いします。」


 魔王が魔王城内に人間大のゲートを開く。

 アキは「では。」と一礼すると、そのゲートを潜って帰っていった。

 一人分のスペースが空いた魔王城。帰ろうとしたテラは「いやはや申し訳無い。」とへこへこと頭を下げながら、魔王城に踏み入った。


「で、そっちの状況の説明というのは?」


 魔王はコタツに入り込むテラに早速尋ねる。


「ああ。配下達は各地に配備済み。交代で各地を監視してますよ。今のところ問題なし。明日に余計な横槍が入ることはないかと。」


 テラは計画外の自体に備えて配下達を各地に配備した。

 その完了の報告を魔王城にしに来たという。


「時間は予定通りですか?」

「ああ。」

「勇者様方の人員の配備も変わらず?」

「そうだ。」

「王都の、英雄王殿の兵の配備は?」

「そこまでは知らん。」


 次々と質問するテラに、魔王は聞き返す。


「やたらと確認してくるな。何か気になるのか?」

「いえいえ。魔王軍側の警備、護衛の担当としては当日の細かいシチュエーションは把握しておきたいじゃないですか。念のため、ね。」

「そんなに真面目なやつだったか? お前。」

「それはちょっと酷くないですか? 私だってやるときゃやりますよ。」


 "魔道化"という呼び名はキャラ作りというだけではない。

 基本的には普段か戯けている。それ故にテラは"魔道化"と呼ばれているのである。

 そんな男が珍しく真面目に計画の細部を確認しにくるのを見て、魔王はふぅんと意味深に呟いた。

 テラはあははと誤魔化すように笑い、ビュワの方に目を向ける。


「明日はよろしくお願いしますね、ビュワさん?」


 テラは配下の配備の他に、本人はビュワの護衛を請け負う。

 未来を見通す計画の鍵、ビュワの身に危険がないよう、魔王軍最強の戦力である彼が直接護衛につくのだ。

 そんなテラをビュワはじろりと睨んで、ふんと機嫌が悪そうにそっぽを向いた。


 機嫌が悪そうなこと、テラに対して当たりが強いことは大体いつもの事である。

 その変わらぬ様子を見て、テラも魔王もトーカも苦笑した。


「いよいよ明日か。」


 魔王は感慨深そうに呟く。

 何処か緊張したような、何処か期待もあるような、何処か寂しげでもあるような、何とも言えない表情で。

 長かった戦いも終わりを迎える。魔王の中には様々な感情が渦巻いていた。





 ~~~~~~~~~~~~~~




 デッカイドーにて広く知られる武術"猛火流拳闘術もうかりゅうけんとうじゅつ"の道場にて、師範代であり勇者"拳王けんおう"とも呼ばれる男、ナツは道着に身を包んで正座をしている。


 暗い中、目を閉じ静かに精神を研ぎ澄まし、自身の纏う魔力の形を色々に変化させていく。


 アキから教わったトレーニング。

 魔力の形を変えて、薄めて、引き延ばす。

 以前は制御にも苦労したが、今ではすっかり慣れてきた。


 過去一番のコンディション。明日の本番に向けて、準備は完全に整った。


 ナツは目を見開いた。

 道場の窓から月明かりが僅かに差し込んでいる。

 正座から立ち上がり、窓の外の月を見る。


 この月明かりの下で、彼女達は何を思って明日を待っているのだろうか。


 そんな事を考えながら、ナツは一人で静かな夜を過ごす。







 各々の夜が更けていく。

 そして、決戦の日が来た。





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