第114話 ハルとナツ




 辺りが暗くなり始めた頃。

 預言者シズとの会話を終えた勇者ハルが王城から出れば、城の入口には勇者ナツが立っていた。

 腕を組んで何に寄りかかる事もなく真っ直ぐに立つその姿を見たハルは目を丸くした。


「ナツ? 何やってるんだ?」


 ハルに声を掛けられれば、ナツは組んでいた腕を解いてハルを見る。 


「いや……。夜になったから家まで送っていこうかと……。」


 思わぬ一言にハルはきょとんとした。


「遅くなるかもしれないから先に帰って良いって言ったよな?」


 ナツは参ったように頭を掻く。


「いや……。別に俺は大してすぐ帰る理由もなかったし……。」


 ナツの歯切れの悪い態度に、ハルは怪訝な顔をする。


「それに、送るとか私は別に大丈夫なんだが。」


 ハルの言った通りであった。

 ハルは勇者"剣姫けんき"とまで言われた剣の達人であり、何なら剣を持たずとも素手で魔物をねじ伏せる程の戦闘力である。自身の身くらい楽に守れるので、夜だからといって家に送る必要もない。


「いや……。万が一、暴漢と出くわす事もあるかも知れないし……。」

「いや、私は別に平気だけど。」


 魔物ですら歯が立たないのだから、暴漢など不意討ちしても敵わない。

 それはナツも重々承知しているのだが……。


「いや……。暴漢の方が大変な目に遭うかも知れないし……。」

「私を何だと思ってるんだ? 私だって相手に合わせて手加減できるぞ。」


 ハルがむっとした。

 機嫌を損ねたかと思ったナツは、慌てて首を横に振った。


「す、すまん。そういうつもりじゃ……。」

「何なんだ?」


 どうにも煮え切らない態度のナツに、ハルが怪訝な顔で改めて尋ねる。

 ナツも自身の力を制御する事で自信を持てるようになり、感情をうまくコントロールできるようになっていた。

 しかし、未だにハルの前では素直にはなれない。

 そんな自分の煮え切らなさを自覚して、ナツは息をごくりと呑んで、素直に自身の気持ちを整理した。


「……すまん。あれこれ理由を付けたが、俺がハルと一緒に帰りたかっただけだ。久しく会っていなかったから。」

「……。」


 ハルは怪訝な顔をしてナツを見ていたが、ナツも臆せず見返していれば、にっと笑った。


「なんだ。そういう事か。じゃ、一緒に帰るか。」


 どうやら煮え切らない態度が気になっていただけで、一緒に帰りたいという気持ちさえ伝えれば拒むつもりはなかったらしい。ハルは歩き出し、ナツも合わせて歩き出した。

 王都の街中を進んでいく。夜という事もあり、暗くなってはいるものの、まだまだあちこちの民家や店には明かりが灯っている。


「アキ達は先に帰ったのか?」

「ああ。別れ際には打ち上げに行くとか話してた。」

「そうか。まぁ、遅くなったしもう帰ってるか。」


 ハルが周囲を見回しながら言う。

 ナツはその横顔をちらりと見て、小さな声で尋ねる。


「最近どうだった?」

「女神様のところで巫女の特訓してる時間が多かったかな。それ以外は今までと同じで勇者の仕事をしてた。」


 ハルが巫女の末裔だった、という話はナツも既に聞いている。

 驚いた、というよりピンと来なかったというのがナツの正直なところであった。

 巫女と言っても何をするのかも分からず、特別な存在らしいが今更そういった事でハルを見る目は変わらない。

 それよりも、ナツには気になっていた事があった。


「……ハル、少し綺麗になったか?」

「……え。」


 ハルが足を止めて、ナツの方を見る。

 ナツもそれに合わせて足を止めた。

 気になっていた事をそのまま聞いてしまったが、言った後にナツは「あ。」と直接的に言い過ぎたと気付いた。

 ハルの顔が僅かに赤くなる。


「きゅ、急にそんな事……。」

「す、すまん。前と少し変わったなと思っただけで。変な意味じゃないんだ。」


 ナツが慌てて取り繕えば、ハルは照れ臭そうに頬を掻いた。


「……少しは身だしなみに気を遣うようにはなった。気付くんだなそういうの。あんまり会ってないのに。」


 よく覚えているから、と言い掛けてナツは口を噤んだ。

 あまりそんなに見ている事を知られたら気味悪がられたりしないだろうかと。

 ナツが黙っていれば、ハルは顔を見上げてはにかんだ。

 

「嬉しいよ。照れ臭いけど。」


 明るく笑う事の多かった以前のハルは見せなかった表情にどきりとする。

 ハルはそう言うと、更に顔を赤くして止めていた足を動かした。照れ隠しのつもりなのだろうか、先程よりも足早になった歩調に、ナツは少しだけ送らせて付いていく。ほんの少しだけ後ろを歩けば、ハルは振り返らずに言う。


「ナツも変わったな。」

「……そうか?」

「前よりも表情が増えた。」


 ナツは思わず自身の頬に手を添える。

 感情が表に出すぎないように、表情は"虚飾"で不自然さを薄めていると思っていた。再確認で手を添えれば、魔力は乱れていない。

 うまく表情を投影できていないのだろうか?

 そんな不安が脳裏を過ぎる。


「前はいつもどこか遠慮してただろう?」

「……そうだったか?」

「そうだぞ。初めて声を掛けた時も困った顔をしてただろう。」


 ナツが大きく目を見開く。

 ハルと初めて出会った時の事。

 勇者の就任式のパーティーにて、ハルはナツに声を掛けてきた。

 ナツの大事な思い出。ハルに心惹かれた時の事。

 それをハルも覚えている。

 期待していなかった。自分だけの思い出だと。そんな諦観が良い意味で裏切られた。


「そうだったかもな。」


 ナツはふっと笑った。

 嬉しい。素直にそう思って零れた自然な笑みであった。

 ああ。やはりこの人が好きなのだと。ナツは改めて思った。

 そして、微かに抱いていた不安が露わになる。


 もうすぐ全てが終わる時が来る。

 破滅の未来と向き合う時が。

 万が一敗れた場合は未来は来ない。

 勝てたとしても、そこで勇者としての使命は終わる。


 ハルとナツを繋ぐ唯一の絆、勇者の仲間という関係性は、それ以降も続くのだろうか?


 ハルだけではない。

 ナツの悩みを聞いて、大きな助けとなってくれた勇者アキ。

 女神ヒトトセに選ばれナツと共に世界にやってきた三人の転生者達。

 敵かと思えば実は味方だった、何かと相談にも乗ってくれた魔王。

 度胸のない自分に発破をかけてくれたトーカ。


 それら全ての関係性は、自分が勇者であるから、破滅の未来を止めようとしているから生まれたものだ。


 前世では得られなかった、本音で語り、悩みを相談し、信じられる人間関係。

 こんな時間が永遠に続けばいいのに、と思うのは自分勝手な事だろう。

 前に進まなければいけないのだと思っても、今の気持ちに気付く程に足取りは重くなっていく。


「ナツ?」


 気付くとハルは振り返っていた。

 心配しているようにナツの顔を覗き込んでいる。

 どうやら不安が顔に出ていたらしい。慌ててナツは顔に手を当てる。

 表情を隠そうとする。しかし、ハルの目を見てその手をぴたりと止めた。

 

「ハル。」

「なんだ?」


 ハルは表情が増えたと言った。

 今、ナツが不安を抱いた事にしっかりと気付いていた。

 ここで隠していいのか? 隠して後悔はしないか?

 素直に正面から向き合ってくれる彼女に対する不義理ではないか?

 

 ナツはごくりと息を呑む。意を決する。


「ハル。もし、全てが片付いた時、片付いた後……。」

「ん?」


 ナツはハルの目を見て言う。


「全てが片付いた後も、俺と一緒にいてくれないか?」


 ハルはきょとんとした。

 突然何を言い出すのだろう、そんな表情だった。

 きょとんとしたまま、ハルは視線を斜め上に流して考える。

 そして、不思議そうにナツに尋ねた。


「どういう事だ? シキを止めた後も別に何も変わらないだろう?」

「……え?」

「友達なんだから。」


 ナツの中で何かが砕けた。

 友達。

 ナツの意を決した一世一代の告白に対して、ハルは「何当たり前の事を言っているんだ。」とでも言いたげにそう答えた。


 ハルは勇者の仲間であるという以前に、ナツを友達だと思っている。

 今の告白を聞いたところで何も変わらない。

 シキを止めた後もそれは変わらない。


 ナツは一瞬だけ呆然とした。

 何かが終わったような気がして、しかし、どこか安心した。

 この関係性は変わらないのだと。


「……そうだな。すまん。変な事を言った。」

「大勝負前だから色々と感傷に浸ってるんじゃないか?」

「そうかも知れない。」


 ナツはふっと笑った。ハルもははっとおかしそうに笑った。





「あぁ~。ハルじゃないれふか。」


 ナツと向かい合い笑い合うハルの後ろから、ふわふわとした声が飛んできた。

 ハルが「ん?」と振り返れば、顔を赤くした小柄な少女がふらふらしながら見上げている。

 勇者"魔導書"ことアキであった。


「ア、アキ?」

「遅かったりゃないれすか。にゃにやってたんれふか?」


 呂律が回っていないアキ。

 それを見たハルが、身を屈めてアキの顔を覗き込む。


「おい。お前、酔ってるのか?」

「酔ってないれふ。」

「いや、酔ってるだろ。駄目だろお前。未成年なのに。」


 ハルがアキの額にぺちんとデコピンする。「ひゃん。」と変な声を上げて、アキが後ろに仰け反った。

 すると、アキの後ろから同じくらいの少女、"束縛の勇者"うららが顔を出す。


「いや、本当に飲んでないんですよ。ジュースしか飲んでないんです。空気で酔ってるだけで。」

「え。」


 うららの後ろからは"殺戮の勇者"ゲシと"闘争の勇者"トウジも顔を出す。

 ゲシがあははと苦笑いしつつ頭を掻いた。


「えっと……実は打ち上げって事で食事してたンすけど。何かアキさん飲んでないのに雰囲気で酔っちまいまして。」

「……そんな事あるのか?」

「実際こうなった。」


 トウジが淡々と言う。三人の証言が一致しているので実際にそうなんだろう。

 ハルははぁと溜め息をついた。

 額に手を当て涙目になっているアキ。赤い顔でふらふらと千鳥足の彼女の前にしゃがみ込み、ハルは顔を覗き込む。


「おい、アキ。大丈夫か?」

「だいじょぶれふ。」

「大丈夫じゃないだろ。……はぁ。しょうがないな。ほら。」


 ハルはくるりと回ってアキを背中に担ぎ上げる。

 アキはというと特に抵抗すること無く、ハルにそのままおんぶされた。

 おんぶされたアキはそのまま背中にもたれ掛かり、うとうととしたかと思うと目を閉じてしまう。そして、瞬く間にすうすうと寝息を立て始めてしまった。


「アキちゃん、意外とこうなっちゃうんですね……。」

「何か申し訳ないっす。まさかこうなるとは……酒の出る店が不味かったっすかねェ?」

「いや、気にしないで。こうなるとは思わないだろ。」


 驚くうららと申し訳無さそうにするゲシに、ハルはフォローする。

 

「まぁ、もう寝ちゃったし。私が送るから。」

「同行しましょうか?」

「いや、いいよ。うららも遅くまで出歩くなよ。ゲシさん、送ってあげられます?」


 うららは同行を申し出たか、思わぬ少女扱いに「まぁ。」と頬に手を当て、口元を緩ませた。

 そして、送るように頼まれたゲシは戸惑いつつうららを見下ろす。


「え? えぇ……。分かりました。……でも、ハルさん大丈夫っすか?」


 一応その話は構わなかったが、アキを背負って一人で帰路につくハルの方を心配するゲシ。そこでトウジが手を挙げる。


「我が護衛として同行しようか?」

「いやいや。私は大丈夫。前もおんぶして魔物の中を駆け抜けた事あるから。」

「か、駆け抜けた?」


 トウジが困惑する。

 見た目は凜々しい美人という見た目のハルから想像も付かない話であった。ハルの実力を目の当たりにしていないトウジからしたら意外に思えるのも仕方ない。

 ハルは大丈夫と言ったものの、もしもの事があってはよくないと同行を続けて申し出ようとしたトウジだったが……。


「俺が同行する。」


 そこでナツが名乗り出た。ハルはナツの方を振り返る。

 大丈夫だ、とハルが言い出すより前に、ナツは言う。


「一緒に帰るって言っただろう?」

「……そうだったな。」


 ハルはふっと笑って、改めて新人勇者三人に向き直り言う。


「ナツも一緒に来てくれるから大丈夫だ。」


 むう、とトウジは口を曲げる。

 トウジはナツと実際に手合わせをして実力を知っている。

 彼が付いていくのであれば、それ以上トウジは何も言うことがないようだった。

 

「それじゃあ、また。」


 ハルは新人勇者に頭を下げて、アキをおんぶしたまま歩き出す。

 ナツは小走りで新人勇者に頭を下げて、ハルに並んで歩き出した。


「気ィつけて下さいよォ。」

「うふふ。それでは、また。」

「ナツ。ちゃんと送り届けるんだぞ。」


 新人勇者三人がそれぞれ送り出し、ハル、ナツ、アキは帰路につく。


 


 ナツはアキをおんぶするハルを隣に見て、ふっと笑った。

 終わりが近付いている。それでも変わらない彼女達に救われたような気がした。




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