第110話 ハルの巫女修行




 女神オリフシは困っていた。


 カムイ山の木こりの泉、その底に佇む女神オリフシの家。

 コタツに入って向かい合うのは、オリフシが娘のように可愛がっている勇者"剣姫けんき"ことハル。

 実はこのハルという娘、デッカイドーで大地の神々との繋がりを作っていた巫女一族の末裔であり、途絶えたと思われていた血筋を引き継ぐ正真正銘の巫女である。


 世界に訪れる危機に、ハルの巫女としての力が大きな鍵となる。


 そこで、ハルに巫女としての力を習得させる為にオリフシが助力をしていたのだが……。


(この子、"名付け"が致命的に下手だわ……!)


 "名付け"。かつて巫女が行使した役割であり力のひとつ。

 自然や災害に名前を付けることで神とし、意思疎通をはかる術である。

 巫女は人の手に負えない事象に名前を与え、神として対話を行う事で世界を鎮めてきた。

 これさえあればたとえ形のない災害でも形を与える事ができる。対話し災害を治める事さえもできる。


 ハルは"神通じんつう"、神との対話については既に習得している。

 世界に捧げる歌、"祝詞のりと"も完璧に習得している。

 "名付け"を今まさに訓練しているのだが、ハルはこれが致命的に下手なのである。


 オリフシはコタツに丸い石をコトリと置いて、ハルに言う。


「ハルちゃん。これに"名付け"をしてみなさい。」


 ハルは石をじっと見て、難しい顔をした後にカッと目を見開いた。

 そして、ゆっくりと口を開く。


「『丸い石のやつ』。」

「はい、ストップ。」


 オリフシは待ったを掛けた。

 そう、ハルにはネーミングセンスが致命的にないのである。


「丸い石のやつて。まんまじゃない。あとその何々のやつってやめましょう。それおかしいから。」

「おかしいんですか? 私の剣の技は全部そんな名前なんですけど。」

「えぇ……。」


 オリフシは困惑した。

 あまりにもあんまりなネーミングセンスなのだが、逆にどういう名前を付けてるのか気になってくる。


「たとえば?」

「『剣の切れないところでなぐるやつ』。」

「峰打ちね。」

「『上から下に斜め方向にたたき切るやつ』。」

「袈裟切りね。」

「『風を巻き起こして周囲一帯を吹き飛ばすやつ』。」

「なにそれ。」


 技名も壊滅的らしい。根本からしてネーミングセンスが駄目なのだ。

 これにはオリフシも困った。


「あのね、ハルちゃん。"名付け"は相手に形を与えて交渉をする術なのよ。変な名前付けられたら相手が怒っちゃうでしょ?」

「変ですか? 見たままの名前を付けてるんですけど。」

「見たまますぎるのよ。もっと、こう名前っぽくできない?」

「たとえばどうやるんですか?」


 ハルから急に例題の提示を求められる。

 オリフシも一応、巫女の"名付け"という術については調べてきた。

 過去の巫女がどういう"名付け"をしてきたのかは頭に入れてきている。


「たとえば、クルルルって鳴く不思議な怪物だからクルルとか……。」

「……まんまじゃないですか?」

「……まんまね。」


 いやいやと首を振ってオリフシは他の例を思い返す。


「吹き止まない強風に対して、ビュウビュウとか……。」

「……まんまじゃないですか?」

「……まんまね。」


 割と昔の巫女も勢いで決めてるみたいなネーミングセンスであった。


「と、とにかく! "名付け"はまず相手にその名前を受け入れられないと駄目なのよ! 今、この丸い石に"名付け"をしても変質しないのは、つまり名前が駄目なのよ!」


 良い例が記憶の中になかったので、オリフシは勢いで誤魔化す事にした。


「ハルちゃんだって、何とかのやつって呼ばれるの嫌でしょう?」

「私よく"でかくて怖いやつ"って言われてましたけど。」

「ごめんなさい。今の忘れてちょうだい。」


 オリフシはスンッと謝った。

 ハルは何かと周囲からの扱いが悪かったようでオリフシは気を遣ってしまう。

 

「とにかく、相手に気に入られる名前を付けなきゃ駄目なのよ。そうねぇ。たとえば、ハルちゃんがあだ名を付けられるなら、どんなのが嬉しい?」


 その名前で呼ばれる自分の身になって考える、オリフシは言った後になかなかいいアドバイスが出来たんじゃないかと思った。

 しかし、ハルはピンと来ない様子である。


「うーん。私はハルって呼んで欲しいです。お母さんから貰った大事な名前なので。」

「……うん。そうね。ごめんなさいね。私のたとえが良くなかったわ。」


 オリフシは苦笑して訂正した。


(残念な子だけど良い子なのよねぇ。)


 そういう話ではなかったのだが、ハルの気持ちを汲んでオリフシは別のアプローチを考える。


「……たとえば、さっきのクルルやビュウビュウみたいに、相手の特徴が分かりやすい名前をつけるとか。いや、それだと"何々のやつ"になっちゃうから……。」


 うーんとオリフシは頭を悩ませる。


「……他には、相手に何を望むのか、何を願うのか、そういう目線で名前を付けるとかかしらね。」

「何を望むのか、何を願うのか?」


 ハルが興味深そうに聞き返す。


「お花のように綺麗な子になって欲しいから、お花の名前をつけるとか……大きくなって欲しい、元気に育って欲しいからそれを意味する文字を入れるとか……。」


 どちらかというと巫女の"名付け"というより、子供の命名の由来についての例を挙げているのだが、ハルにはそちらの方が分かりやすいのではないかとオリフシは考える。とりあえずは名前を付ける事に慣れて貰わないと話が進まない。

 思ったよりもハルは前のめりになって聞き入っていた。

 

「へぇ……そうなんですね。」


 何か思うところでもあったのだろうか。

 オリフシがそう思いながら見ていると、ハルはぽつりと呟いた。


「……私の名前はどうやってつけられたんだろう。」


 ハルの名前は母親に付けられたという。

 オリフシはハルの母親は幼い頃に他界した事を聞いていた。

 名前の由来がなんなのか、今も知らないという事は父親からも聞いていないのだろう。

 ハルが今のオリフシの話に興味を持ったのは、どうやら自分にも関わる事だったからのようだ。


 オリフシはにこりと笑った。


 オリフシにはハルの母親がどういう由来で名前を付けたのかは分からない。

 しかし、その名前から思い浮かぶものはあった。


「……これはこの世界じゃない、他の世界の話なのだけれど。」


 オリフシが口を開けば、ハルの意識が再びオリフシに向く。


「その世界にはね、ここのように寒い日もあれば、まるでコタツに入っているように暖かい日、もっともっと暑い日があるの。それがお日様が昇って、沈んでいくと夜になるようにぐるぐると巡ったりするのよ。」

「へぇ……そんな世界があるんですね。」

「そんな気候の異なる色々な時期は季節と呼ばれて、四つに分かれて巡るそれらは四季しきと呼ばれるの。」


 オリフシは指をくるくると回しながら語る。


「そんな四季の中で、ぽかぽかと暖かい、始まりの季節と言われる季節……これが何て言われるか知ってる?」

「……全然思い付かないです。」

はるって言うのよ。」


 ハルは思わぬ回答に思わず目を見開いた。

 オリフシはその表情を見てくすりと笑う。


「ハルちゃんのお母さんがそれを知っていたのか、どうやって知ったのかは分からないけれどね。きっと、その名前にはぽかぽかと暖かい子になって欲しいって願いが込められているんじゃないかしら。」


 ハルは目を伏せて照れ臭そうに笑った。

 その姿を見て愛らしいと思いながら、オリフシは更に話を続けた。


「そういえば、昔はこのデッカイドーにも四季があったそうね。私が来た頃には既に冷たい世界になってしまっていたけれど。最近たまに少し暖かい日もあるし、もしかしたらその内また四季が戻ってくるかも知れないわね。」


 オリフシは比較的この世界では新参の女神である。

 古くは四季があったデッカイドーの昔の姿も知らない。

 巫女についてハルに指導もしているが、それはあくまで神の文献から知った受け売りであり、かつての巫女を知っている訳でもない。

 そんな彼女の語った空想を聞いて、ハルは目を輝かせて顔を上げた。


「本当ですか?」

「……あっ。ごめんなさい。そうだったら良いわね、って話よ。期待させちゃってたわね。」

「い、いえ。……そうですね。私もそうなって欲しいです。」


 少ししゅんとしてしまうハル。

 変に期待させて申し訳無い事をしたと思うオリフシ。

 何か励ました方が良いだろうか、そんな事を考えながらハルの様子をそわそわと眺めていると、ハルはそう時間をおかずに顔を上げた。

 しゅんとしていたのは一瞬。顔を上げたハルは、何か思い付いたような、何かに気付いたようなはっとした顔をしていた。


「……そっか。そういう事か。」

「え?」

「ありがとうございます、女神様。今の話で私、気付きました。」


 ハルは胸に手を当てる。


「今みたいな気持ちが、足りなかったんです。女神様の言った望みや願いって話、分かりました。」


 どうやらオリフシの話でハルは"名付け"に関する何かを掴んだらしい。

 きょとんとしていたオリフシだったが、何やらすっきりした様子のハルを見て、優しく微笑んだ。


「今ならできそう?」

「いえ。多分、今のままじゃ駄目だと思うんです。」

「どうして?」

「私はまだ、この石ころにそこまでの想いを込められないから。」


 ハルはコタツに転がる小さな丸い石を指でつついて言った。


「でも、私が本当に"名付け"をしなければいけないものには、もっと強い想いを込められると思うんです。」


 本当に"名付け"をしなければいけないもの。

 それは、いずれこの世界を滅ぼさんとする災厄。

 あらゆる願いを叶える願望機シキから生まれた破滅の運命。


 ハルの言いたい事はオリフシにも分かった。

 確かに、石ころに"名付け"をしろと言っても、思い入れもないそこらにありそうな石などに、そこまで想いを込めて名前を与える事などできないだろう。

 簡単な練習のつもりで、今まで何てことはない"名付け"したところで影響の出なさそうな小さなものを用意してきたオリフシ。しかし、これはむしろ難しい課題だったと今更気付く。


 ハルは正しく"名付け"に必要なものを理解した。

 その迷いのない真っ直ぐな瞳を見て、オリフシはもう大丈夫だろうと思った。


 しかし、ハルが何かを掴んだとはいえ、今の言い方だとまるでぶっつけ本番で"名付け"に挑むようにも聞こえる。

 流石にそれにはオリフシも不安を感じて、ハルに尋ねた。


「ハルちゃん。あなたは"それ"になんて"名付け"をするつもり?」


 ハルはオリフシの質問に間を置かずに答える。

 気付きを得ただけでなく、彼女は既に答えも見つけていた。


「……世界の終わり。それを乗り越えた先には、また新しい始まりがあると思うんです。その新しい始まりは、始まりの季節の春なのかなと思ったんです。女神様の受け売りですけど、このデッカイドーにもまた春が来たらいいなっていう、私の望みもあるんですが。」


 ハルは胸に手を当てて照れ臭そうに笑った。

 

「"それ"を乗り越えた先に、春が来たらいいな。言い換えると"それ"は春を持って来てくれるものになってくれたらいいな、って。だから私は"それ"に――――――」


 ハルは囁くように、小さな声で女神に自分が初めて考えた"名前"を告げた。




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