第107話 勇気をくれた人
そこは一面真っ白な不思議な世界だった。
気付くとそこに居た少女、シズは辺りを見回す。
「ここは……?」
それはシズが全く知らない世界だった。
どうしてこんな場所にいるのか。どうやってこの場に来たのか。全く分からない。
今まで自分は何をしていたのだろうと思い返す。
そう思って記憶を辿ると、覚えている限りでは確か自室のベッドに転がり本を読んでいた事を思い出す。
本を読んでいてそのまま寝落ちしてしまったのだろうか。であればここは夢の中だろうか。
シズはそんな事を考えながら、周囲を見渡し歩いてみた。
どこまでも広がる真っ白な世界。以前に一度、外に連れ出して貰って見た雪原を思い出す。
あの景色を懐かしみながら歩いて行くと、ひとつの人影が見えてきた。
誰だろう? 気になったシズは人影に歩み寄る。
既にここが自分の夢の中であると認識しているシズは、特に警戒する事もなく見えた人影に近寄った。
影に見えたそれは、近付いてみれば全身黒ずくめの女性だった。
黒いドレスを身に纏い、黒いつば広帽子を深く被っている。
白い景色と黒い装いに溶け込むような灰色の長髪が印象的であった。
女性は日の光も、雨も、雪もない真っ白な世界の中で何故か黒い傘を差している。
じっと立っていた黒ずくめの女性は、近寄ったシズに気付くとゆらりと動く。
人形かと思うくらいに静かだったそれが生きている事にシズはようやく気付いた。
「こ、こんばんは。」
目の前で突然女性が動いたので、シズは思わず挨拶した。
これは夢の中だから勝手に夜だと思っていたが「こんばんは」で良かっただろうか?
そんなどうでも良いことを口を開いてから考えていると、女性は僅かに見えている黒いルージュで怪しく光る口元を僅かに緩ませた。
「こんばんは。」
どこかシズにも聞き覚えのある声だった。
しかし、誰の声だったのかはすぐに思い出せない。
思い出せない事よりも、挨拶を返された事、「こんばんは」で良かった事、微笑んでくれた事、それらの安堵が勝ってシズはほっとして微笑んだ。
黒い女性は傘と帽子の影が掛かり、口元しか見えないが、シズに対して微笑み返した。
「ご機嫌如何かな?」
「え、えっと、はい。私は元気です。」
「そう。それはよかった。」
「えっと、あなたは?」
「僕はまぁまぁかな。」
女性はハスキーな声で気さくに話し掛けてくる。
初対面ながらやり取りがきちんとできている事にシズが安心していれば、女性はくすくすと笑った。
「僕の事、覚えているかな?」
シズはぎくりとした。
女性の声に聞き覚えがある、というのは気のせいではなかったらしい。
シズは女性が誰なのか未だに思い出せていない。
忘れている、なんて言ったら失礼だろうかとわたわたとしていると、女性はクククと可笑しそうに笑いを堪える。
「まぁ、僕から一方的に話し掛けてきただけだからね。ピンと来なくても仕方ない。そう怯えなくて大丈夫さ。」
「は、はい……? え、えっとすみません……。思い出せそうで思い出せなくて……。」
申し訳無さそうにシズが目を伏せる。
どうやら覚えていないことを察せられたらしい。
しかし、気分を損ねてはいないようなので、シズはほんの少し安心した。
「あなたは……どなたですか?」
「……『愛しき我が子よ。天上より導かん。』」
胸元に手を当て、澄ました声で芝居臭く女性が喋れば、シズはぎょっとしてさーっと青くなった。
その言葉は、シズが、預言者が、天の神より預言を授かる際の触りの文言であった。
同時にその聞き覚えのある声と一致する、過去に聞いた声を思い出す。
目の前にいる黒い女性の正体は……。
「神様……?」
「フフ。そう呼ばれるのも気恥ずかしいかな。ソロウとでも呼んでくれ。」
「も、申し訳ありません! き、気付くのに遅れてしまって!」
「そう畏まらなくていいよ。いつものは仕事柄仰々しく話しているが、本来僕は堅苦しいのは苦手でね。自然に接してくれたまえよ。」
ソロウと名乗った女性は、預言者シズに今まで預言を授けていた天の神であった。
神というには気さくな印象を与える語り口ではあるが、神を目の前にして緊張するなというのもシズには中々に厳しい話である。
「あ、ああああああの……。」
「ありゃりゃ。名乗らない方が良かったかな?」
ガチガチになっているシズにソロウは苦笑した。
「ど、どどどどうして……? こ、これ、夢……? あれ?」
「一旦落ち着いて。」
ソロウが傘を軽く揺らすと、しゃんと鈴の音が鳴る。
傘に付けられた鈴が鳴ったらしい。
音が鳴れば、シズとソロウの間には二つの椅子とテーブルがパッと現れた。
ソロウは傘を折りたたみ、テーブルに掛けて置く。そして、つば広帽子を外し、サングラスを外すと切れ長ながら優しげな目が現れた。
「座って話そう。」
「ひゃ、ひゃい……。」
ピッとソロウが指を振れば、シズの側にある椅子がサッと下がる。
シズは促されるままに、下がった椅子に腰を掛けた。
「あ、あの、あの、な、何を話すので、しょうか……?」
緊張してガチガチのシズに、ソロウは「おや?」とからかうように笑みを浮かべた。
「君が僕と話したかったんじゃないのかな?」
シズはそう言われてビクリとした。
「シズがソロウと話したかった。」
そう言われてみると心当たりがない訳ではない。
以前にシズから天の神に話をしたいと祈り続けてきたのだ。
ソロウがシズの夢に現れた理由を理解したシズは、ごくりと息を飲み込み、ふっふと呼吸を整える。
そして、伏せていた目を上げてソロウの目を見た。
「……申し訳ありません。私からお話したいとお願いをしていたのに。」
「おや。急に落ち着いたね。ちょっとした冗談のつもりだったんだが。そう肩に力を入れずに。僕もお話したいからこうして夢枕に立った訳だし。」
ソロウは頬杖を突いて気楽に構える。
「まぁ、積もる話も色々とあるだろうけど、まずはアイスブレイクから入ろうか。シズ、君最近ちょっと可愛くなったね。前から可愛かったけど。」
「んな!?」
突然の言葉にシズが顔を赤くして肩を張る。
その反応を見たソロウは「おや?」と視線を上に流した。
「あれ? 余計に固くなっちゃったかな? ごめんごめん。普段の僕は女の子にはまずこうやって接するのだけれど。」
「ソ、ソロウ様ってそういうキャラなんですか……?」
「キャラて。」
ソロウはハハと笑った。
妖艶な装いの麗人(神?)という見た目の印象とは裏原に、割と軟派な性格らしい。娯楽小説でそういうキャラは割と好みなシズは、若干ソロウを見る目が変わった。
「肩の力を抜こうと思ったんだけど……まぁ、いいか。シズから聞きたい事があったらどうぞ。なんなら違う話でもいいし。」
話を振られる。シズはすぅっと深呼吸した。
好きなタイプのキャラの女神を前にして、浮ついた気持ちを一旦緩めて、シズは真面目な顔になって話を切り出した。
「ずっと、お話を伺いたかったんです。神様……ソロウ様は私に、預言者に色々な言葉を授けて下さるけれど、その一つ一つの深い意味までは教えて下さらないから……。」
「…………まぁ、そうだね。」
「ご、ごめんなさい。責めているのではく……。」
「分かってる。大丈夫。続けて。」
ソロウは微笑みを浮かべているものの、どことなく真面目な表情になった。
少し責めるような言葉使いになったかと不安になったシズに、気にしなくて良いとソロウが言えば、シズも遠慮せずに話を続けた。
「たくさん、たくさん伺いたい事はありますけど……ひとつだけ、どうしても教えて頂きたい事があったんです。」
シズはギュッと胸元に手を当てて、その問いを投げ掛けた。
「勇者とは一体なんなんですか?」
それがシズがずっと神に問いたかったこと。
「勇者は一体何をするために選ばれるのですか。何を基準にして選ばれるのですか。神様は、ソロウ様は一体彼らに、彼女らに、何を求めていらっしゃるのですか。」
その預言を授かった時は感じなかった事。
シズが勇者と、勇者になれなかったものと出会って感じた事。
勇者は一体何をするために選ばれるのか。
何故彼らは勇者に選ばれるのか。
そして、何故勇者に選ばれないものがいるのか。
今までは神様の言葉だからとそのまま伝えてきた。
しかし、彼らを知ってしまって、シズはその言葉の責任の重さを知った。
「神様に勇者としてこの世界に生まれ変わらされたのに、勇者に選ばれず、人知れずに生きていた人達がいました。」
ソロウはそこを聞いた時だけ、ぴくりと頬を引き攣らせた。
「その人に、勇者として選ばれなかった理由を聞かれて、私は答えられなかったんです。」
シズは彼との出会いを思いだし、旨に当てる拳に力を込めた。
「今までは、何も考えずに預言を伝えればいいと思っていました。でも、その言葉に人生を左右される人を直接見て、それじゃ駄目だって思ったんです。」
ソロウが口元の微笑みをなくしていく。真面目にシズの言葉に聞き入っている。
「私は私が伝える言葉の意味を知りたいんです。胸を張って、自分の意思で、これが正しい事だと思った上で伝えたいんです。」
シズは勇者になれなかった勇者に救われた。
にも関わらず、シズは預言者として彼の期待に応えることができなかった。
神の言葉を伝言するだけの自分が恥ずかしかった。悔しかった。
彼の、彼らの、彼女らの力になりたいと思った。
神の言葉は未だ世界にとって大きい。ただ、それを伝言するだけではいけないとシズは思った。
「だから、私はソロウ様とお話したいと思ったんです。」
シズの言葉を聞いたソロウは、真面目な表情で問う。
「つまり君は、神の言葉を伝える者ではなく、神と対話する者になりたいんだね?」
「……傲慢、でしょうか?」
「いいや。」
ソロウはそこでフッと笑った。
「強くなったね。」
あんなに弱かった子が。続くその言葉はソロウは心の内で呟いた。
ソロウは今まで多くの預言者を見てきた。
天の神の言葉を聞けるという特別な存在故に生じる様々な葛藤。
どの預言者も自身の抱える重責に、運命に悩んできた。
それら預言者の中でもシズはもっとも弱く、もっとも苦しんでいた。
自分に自信を持てず、いつでも人の顔色を窺い、神の言葉以外の、自分の言葉を持てない子だった。
そんな彼女がこうまで変わった事に、ソロウは親心にも似た感慨深いものを感じている。
だからこそ、本来であれば自身の役割上認められていない預言者との対話に赴いたのだ。
「君の質問に答える前に、ひとつだけ聞かせておくれ。」
ソロウはシズに問い掛ける。
「君を変えたのは、その勇者くんなのかな?」
シズは一人の男を思い浮かべる。
外の世界に連れ出してくれて、立ち向かう意思を教えてくれた人。
シズはこくりと頷いて、ソロウの問いを肯定する。
「はい。私に勇気をくれた人です。」
「そうか。」
ソロウは感慨深そうに呟いた。
女神ヒトトセから聞いていた。
この世界を動かすために、起爆剤として勇者を転生させた。
もしも、預言者の心持ちに変化があったのであれば、その起爆剤が影響しているかも知れない、と。
どうやら本当にその起爆剤がシズを突き動かしたらしい。
「僕も多くを知る神ではないけど、君の質問に出来る限りは答えよう。なに、ここは夢の中。語らう時間は存分にあるさ。」
女神ヒトトセが起爆剤となる勇者を転生させた。
その勇者が預言者シズを突き動かし、天の神と向き合おうとする意思を与えた。
預言者の変化に天の神ソロウは動かされ、貫いてきた不干渉のスタンスを変えようとしている。
運命を導く自分さえも運命の手駒であるのだと、ソロウは自嘲の笑みを浮かべつつ、これも悪くないと思った。
「勇者ははいわば未来を作る為のパズルのピース。未来というパズルを完成させるには、ピースが欠けていてはならない。ピースの形はそれぞれ違う。どのピースも変わりを用意できるものではない。」
天の神ソロウは語り出す。
「君の問いに答えるには、これらのピースの形を教えるのが一番早いかな?」
今までは天の神もまた、更に上から定められた預言を届ける存在に過ぎなかった。
そういう意味では預言者シズと天の神ソロウは同じような存在であった。
自分の意思で動いたシズに、ソロウもまた自身の意思で答える。
これは初めて、天の神自身の言葉で授けられる預言であった。
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