第106話 変わりゆくもの




「お前が来るの結構久し振りじゃないか? いや、お前は前からあいつら程頻繁には来てなかったか?」

「ああ。そうだな。お邪魔する。」


 魔王城に久しく訪れたのは勇者ナツである。

 スッと丁寧に頭を下げると、ナツは手に提げた風呂敷を魔王に差し出した。


「これを。一つは英雄王からの差し入れ。もう一つは俺からの土産だ。」

「英雄王? ユキからか?」

「ああ。英雄王から仰せ付かって、様子見ついでに差し入れをと。」

「なんだアイツ。自分で直接来ればいいのに。」

「なかなか城から抜け出せないらしい。かと言って、通話の魔石で話を聞くだけじゃ分からない事も多いだろうから、俺に代わりに見てきて欲しいと。」

「まぁ、アイツも王様だからな。有り難く頂こう。さ、上がってけ。茶でも出す。」

「お言葉に甘えて。」


 ナツは魔王城に上がり込む。そして、そのまま魔王に促されたままにコタツに入り込んだ。魔王はナツに茶を淹れてやれば、ナツは「どうも。」と座ったまま頭を下げた。


「お茶請けあったかな……?」

「お構いなく。」

「まぁ、遠慮するな。」


 魔王はゲートを開く。普段、飲食物を閉まっている空間を開いて探れば、あまり取り置きはなかったが羊羹が入っている。


「……羊羹とか大丈夫か? あんことか駄目だったりしないか。」

「いや、大丈夫だ。」

「じゃあ、これでいいか。」

「お気遣い有り難う。」


 魔王は羊羹と皿とナイフとフォークを取り出し、ナツに取り分ける。

 羊羹とフォークの乗った皿を渡されると、ナツは「どうも。」と再び頭を下げた。

 ナツは差し出された羊羹を前に手を合わせて「いただきます。」と頭を下げれば、早速フォークを手に取り、羊羹に入れる。

 一口分を切り出し口に運べば、ゆっくりと丁寧に咀嚼した。

 ごくりと飲み込み、お茶を啜れば、ふぅと一息ついてフォークを置く。


「旨い。甘さは控えめでくどくない。そして、舌触りがよくしっとりとしている。これは、かなり良いあんこを使っているのでは?」

「いや……普通のそこら辺で売ってる市販品だけど……。」


 知ったかぶりの食レポをして、見事に外す。


「俺の前世の時点でも、割と市販品でも美味しいものって多かったからな。」

「お前今日どうした? そんなキャラだったっけ?」


 魔王が尋ねれば、ナツはすぐに答える。


「そんなにおかしいか?」

「いや……そんなテンションじゃなくなかったか? 喋るにしても無言から入ってたような……。」

「そうだったか?」

 

 ナツはすっとぼけているが、魔王は明らかに以前とは違うように感じた。

 以前の何を考えているか分からないような不気味さはなくなっており、どことなく明るくなったような印象を与える。それは言葉だけに限らず、表情も同様である。

 以前までの仮面のように張り付いた無表情はなく、どことなく感情を露わにしているように見える。


「……お前、本物のナツか?」

「いや、偽物がいるなら俺が逆に見てみたいが。」

「そういう返しも何か違和感が……お前、しばらく見ない内に何があった?」


 魔王が真面目に心配して尋ねれば、ナツは何やら心当たりがあるように「ああ。」と頷いた。


「実は最近、アキに手伝って貰って特訓しててな。」

「アキに? 特訓?」

「ああ。俺の"異能"の制御をしていて……。」

「異能……?」


 まるで訳の分からない話が出てきて魔王が戸惑う。

 そんな魔王を他所に、羊羹をもう一切れ切り出し口に運ぶと、ナツは満足げに「うまい。」と頷いた。


「異能ってなんだ……?」

「その人間が持つ独自の特性を持った魔力……みたいなものらしい。魔法ではない特殊な能力だと思えばいい。」

「ふむ……?」

「魔王の持っているゲートの力もその類いのものらしい。」

「え? そうなの?」


 初耳の情報が出てきて、魔王が更に驚いた。

 ゲート。魔王が生み出す事のできる次元を跨いだ門を開く能力。

 三次元に限らず、更に別次元にも跨がり世界を繋ぐ能力は"七次元門セブンスゲート"と名付けられている。


「俺のゲートみたいなものをお前も持ってたのか?」

「ああ。俺の前世では無意識に使ってたものが、魔力のあるこの世界で視認できる形で顕在化したとかで……目に見えたお陰で制御もしやすくなった。」

「どんな異能なんだ?」

「"虚飾"って能力だ。」

「ああ、"虚飾の勇者"とか言ってたな。」


 魔王はナツが名乗っていた称号を思い出す。

 当時はどこがそうなのかまるでピンと来なかったが、能力に由来する称号だったらしい。


「内心を隠して表情や仕草を見せたい形に作り替える。こんな感じに。」

「うわっ。なんか出た。」


 ナツが手のひらから黒い煙のようなものを出す。突然の事で魔王が驚く。

 煙はぼやっとナツの顔に覆い被さり、そのまますっと消えていった。


「……今のは?」

「今の煙みたいなのが俺の表情を隠しているらしい。」

「表情を?」

「ああ。他人に不信感を与えないように人当たりの良い表情に見せて、声色に変えているんだとか。」

「え。じゃあ、今は本当はそんな表情でも声色でもないって事か?」

「そうみたいだな。俺も違いは良く分からないんだが。そもそもが意識して見たところで、聞いたところで見破れない能力らしい。」


 今ひとつ見ても分からないのは、そういう特性だからなのだという。

 ナツの印象が以前の様な取っ付きづらいものじゃなくなっているのは、その能力による所が大きいのであろう。

 確かに以前より表情は柔らかく、声色も優しそうに聞こえる。

 以前までのナツを知らなければ、魔王も自然と人当たりのいい男だと感じ取っていただろう。


「アキに制御方法を色々と教えて貰った。そうしたら上手い事調節できるようになった。前は無意識に不自然なくらいに表情や声色を隠してしまっていたらしい。前世での人付き合いのトラウマのせいで内心を悟らせないように意識が回っていたからだと思う。」

「へぇ。あいつそんな事まで指導できるのか。」

「ああ。アキは本当に凄い。」


 ナツは何やら嬉しそうにそう言った。

 その様子を見て、魔王はふっと笑う。


「あんなに仲悪かったのにな。」

「まぁな。俺がデリカシーに欠けてたから仕方ない。」

「…………うん。まぁ、そうだな。」


 魔王は自分が適当な事を言った事を思い出し掛けて、気まずくなるので記憶から瞬時に消した。そして、咄嗟に話を切り替える。


「それにしてもハキハキと喋るようになったな。」

「ああ。前は色々と誤解や不快感を与えるのが怖くて考えてから喋っていたんだが、そういうものを与えないと分かったら口が回るようになってきてな。」

「まぁ、前も口回る時は滅茶苦茶回ってたけどな。」


 前も勢い付くと畳み掛けるように喋る癖はあったので、元来お喋りな性格なのだろうと魔王は考える。

 自身の能力に頼る形ではあるが、多少自信のなさが改善されたので、自然と喋れるようになったのだろう。


「最初はこんな魔法みたいなものに頼って、自分の本心を隠すのもどうかと思ったんだが……それも俺の才能、元々持っているものだとアキに諭された。この異能というものも、俺の感情表現のひとつなのだと。それで段々と抵抗がなくなっていったんだ。」

「随分と助けられたんだなぁ。」

「ああ。まぁ、心境の変化は、他の勇者達からの影響もあるんだが。」


 随分と変わったナツを見て、魔王は少し親心のようなものを覚える。

 大飯食らいのハルも勇者として、巫女として強い自覚を持って動くようになった。

 気難しかったアキも、人との交流を覚え、今では他の勇者を助ける存在になった。

 そして、ナツも何を考えているのか分からない奇妙な男から、こうして変わってきている。

 頼りないと思っていた勇者の成長を、魔王は感慨深く思う。


「俺の話ばかりになってしまったな。魔王、そっちは最近どうだ?」

「ん? ……ああ。大丈夫だ。お前達の助けもあって、次第に希望も見えてきてるよ。」


 魔王が話せば、ナツはその表情を読み取ろうとしているようだった。

 魔王が本心から「大丈夫」と言っている事を読み取ったようで、ナツは少し安心したような表情を見せた。


「手伝える事があったらなんでも言ってくれ。力仕事とか。」

「ん? ああ。いずれ力を借りることもあると……。」


 魔王は言い掛けて言葉を止める。

 魔王はナツに、いずれ訪れる大きな戦いの戦力として期待を寄せていた。

 しかし、ナツの力を借りると考えたところでふと気付く。


「…………ナツ。その"虚飾"っていうの、ナツ自身にしか使えないのか?」

「え?」

「例えば……それで他のものを隠すとか、そういった事はできないのか?」


 ナツは聞かれてぽかんとした。

 少し考える素振りを見せた後に手のひらを出し、その中に黒いもやを作り出す。

 手元の食べかけの羊羹に視線を落とし、ナツは少し育てた黒いもやをそれにそっと近づけた。


 もやが食べかけの羊羹を包み込む。

 すると、黒いもやが羊羹に溶け込むように移っていって、やがて……。


「おお……!」

「意外とやればできるものだな……。」


 羊羹は食べた痕跡を消した、完璧な形に復元された。

 ナツが先程食べた位置にフォークを降ろすと、幻であるかのようにすっとフォークはすり抜ける。

 どうやらナツの"虚飾"という能力は、他のものにも適用する事ができるらしい。


「……ナツ。これを、人間とか、もっと大きいものに適用したりはできないか?」

「……大きさによるかな。一応俺の魔力を元にしてるみたいだから、その限界はあるんじゃないかと思う。あまりその辺りは自信がないからアキに相談してみようかな。」

「ああ。できれば正確にお前の能力を把握して欲しい。」


 魔王は身を乗り出してナツを見る。


「お前のその力が、大きな助けになるかも知れない。」


 その言葉を聞いたナツはきょとんとした。

 この力が大きな助けになる。そう言われてもピンと来ない。


「良く分からないが……分かった。助けになれるのなら尽力しよう。」


 ナツは力強く頷いた。

 

「それにしても、久し振りに食べると羊羹も旨いな。昔はそこまで好きじゃなかったのに。」


 力強い肯定の後、ナツは再びフォークを手に取り羊羹に入れる。

 

「昔はケーキとか洋菓子のほうが好きで、こういう和菓子はあまり食べなかったんだが。」

「へぇ。まぁ子供のうちはそうかもな。」

「うん。旨い。」


 羊羹を満足げに食べるナツを見て、魔王は何となくハルっぽいなと思った。




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