第105話 夢の中で




 ゲシは広い庭園の中で、一つのテーブルの前に座っていた。

 カップを置かれたテーブルを見て、ゲシはふと思う。


(俺ァどうしてここに居るンだ?)


 今までの記憶がない。気付くとこの庭園にいた。

 テーブルに置かれた紅茶がなみなみと注がれたカップに手を触れると、温かさも冷たさも指先からは伝わってこなかった。


(あァ……こいつァ夢か。)


 夢を見ているのだと気付く。夢であるならば、突然見知らぬ庭園にいたのも頷ける。

 しかし、ここまでハッキリと情景が見られる程に意識があり、夢だと認識できる夢はゲシは今まで見た事はなかった。

 まるで、ここが現実であるかのような不思議な感覚。それでいて、テーブルやカップに触れる感覚、椅子に腰掛けているような感覚は全く感じない。

 夢だと気付いても目が覚める気配はない。別段急いで起きたいという気も湧かなかったので、ゲシは椅子に深く腰掛けて庭園の景色に目を向けた。


 木々や花が生い茂り、鳥や蝶が舞い、優しいそよ風が吹き抜ける美しい庭園。

 こんな場所でゆっくりと過ごした経験は前世も含めて全く無かった。

 

(見た事もねェ景色でも夢に見るモンなんだなァ。)


 そんな事を考えていると、テーブルの向かい側に一人の女性が腰を下ろした。


 メイド服のようなものを着た、見覚えのない女性。

 見覚えのない……と思いかけて、まじまじとその顔を見ると、そこにはそもそも顔がなかった。

 真っ白なキャンバスのような、モザイクのかかったような、黒く塗り潰されたような……何故だか顔が認識できない。にも関わらず、違和感を全く感じなかった事にゲシは少しだけぞっと背筋が冷えるのを感じた。

 違和感を感じた後でも、どうして顔が認識できないのかがまるで分からない。名状しがたい気持ち悪さを感じながら、ゲシはごくりと息を呑む。


 謎の女性は慣れた所作で目の前のカップに紅茶を淹れる。

 ゲシとお茶をするつもりなのだろうか。

 声を掛けてもいいものなのか。声を掛けてもいい存在なのだろうか。

 そんな事を考えながらゲシがまじまじと見ていると、謎の女性はくすりと笑った。見えない顔が何故か笑ったように見えた。


「そうまじまじと見られると恥ずかしいです。」

「え? あ、あァ! こいつァ失礼しました!」


 ゲシが慌てて頭を下げる。どうやら謎の女性は会話の出来る相手らしい。

 得体の知れなさの割に以外にも気さくな話し口調を聞いて、ゲシは少しだけ安心した。

 女性は淹れたお茶をくいと飲むと、ふぅと一息ついて足を組む。


「ゲシさん、ですよね。」

「え? あ、ハイ。えっと、貴女は……?」

「あら、覚えてらっしゃらない?」

「あっ……えっと……ハイ、すいません……。」

「冗談です。初対面ですよ、私達。」

「えっ……あ、あはは。」


 遊ばれているのだとゲシは気付く。

 こんな女性にからかわれる夢を見るなんてどうしたんだ、と自分を疑い始めるゲシ。一体自分はどうしてしまったのか、と苦笑いしながら考え始めていると、女性はカップをかたりと置いてにこりと笑った。


「ごめんなさい。人をからかうのが癖でして。今日はからかいに来たんじゃないんですよ。」


 謎の女性は何か目的があって来たかのように語る。


(これ、俺の夢だよなァ……?)

「夢ですけど、夢じゃありませんよ。」


 心の中の呟きに女性が答えたのでゲシはぎょっとした。

 そして、夢だが夢ではないという不思議な言い回しに、ますます気味が悪くなってくる。そんなゲシを楽しげに見つめて、女性は笑う。


「言葉足らずでしたね。ここはあなたの夢の中です。私は今、あなたの夢に入って話し掛けています。」

「……あなたは一体?」

「うふふ。そうですね。女神とでも思って下さい。」


 女神。普通であれば信じがたい話ではあるが、ゲシは既に女神という存在と一度出会っている。更に、夢の中でここまでハッキリと意思疎通できる事が、彼女がそういった特殊な存在である事を分からせてくる。

 自称"女神"に、ゲシは恐る恐る尋ねる。


「もしかして……オリフシ様のお知り合いで?」

「ああ、あの御方とはまた別口なんです。」


 ゲシも知っている女神オリフシを、自称女神一応知ってはいるらしい。


「じゃあ、ヒトトセの?」

「その御方はもっと知らないですね。」


 それであれば、とゲシは続けてゲシ達を転生に導いた女神ヒトトセの名前をあげるが、そっちはもっと違うという。

 今までに関係を持った事のある女神経由という訳ではないらしい。

 では、一体女神が何の用があるというのだろうか? ゲシが訝しむと、自称女神は「こちらから話しても宜しいですか?」と尋ねてきたので、頭を下げてゲシは話を譲る。


「私は今日、あなたにお願い事があって来ました。」

「お願い事……ですか?」


 自称女神はこくりと頷いた。

 女神からのお願い事とは何なのか?

 正直あまり良い予感はしないでゲシが耳を傾けると、その不安を読み取ったのか女神は苦笑しつつ話し始めた。


「何かをして欲しい、というお話ではありませんのでご安心を。むしろ真逆の、というお話ですので。」

「何もしないで欲しい……?」


 自称女神は軽く頷く。


「最近、あなたは街の中に不思議な人間を見掛けるそうですね。」

「……あァ、そうっすね。」


 不思議な人間、というのはゲシが最近街中で見掛ける人間の事である。

 ゲシは女神ヒトトセに"殺戮の勇者"として選ばれたように、"殺し"というものに対して天性の才能を持っている。生物をどうすればより効率的に死に至らしめるのか、それが瞬時に分かってしまう。

 その目をもってしても、"死に様"が見えない人間が最近街中を歩いている。

 まるで、そこに心臓を置いていないような、不気味な違和感でゲシは気に掛けていた。


 世界の破滅に関係する可能性も疑い、念のために魔王にも通話の魔石で相談を持ち掛けたのだが、恐らく無関係であろうという事、心当たりは全く無いので相談には乗れないとの素っ気ない返答を貰っている。

 本件について自発的に何かしら調べた方がいいのだろうか、とさえゲシは考えていた。


 何もしないで欲しい、というお願い。

 その後に話題にあがった、不思議な人間の話。

 これだけでゲシは大方察しはついた。


「……『その件に踏み入るな』、ってェ事ですかね?」

「そうです。あなたは調査しようと考えていたようですが、それを一旦踏み止まって欲しいのです。」


 自称女神の警告を受けて、ゲシはますますきな臭いと感じる。


「……何かマズイモンなんすかねェ?」

「深く聞かないで下さい。……と言っても、それは興味を持ってしまってる顔ですね。」


 自称女神ははぁと溜め息をつく。


「じゃあ、説明しましょう。あれはお察しの通り、普通の人間ではありません。しかし、下手に手出しをしたら二次災害を招きかねない地雷のようなものです。」

「地雷……ねェ。」


 思っていたよりもかなり危険なものらしい。

 それを理解した上で、ゲシは少しだけ今の言葉に引っ掛かる。


「……もしかして、アンタ俺と同じ世界の出身だったりします?」

「え。」

「この世界にゃなんてモンないっすよね?」

「…………あ。」


 自称女神は手で口を塞いだ。

 「地雷」というものはこのデッカイドーには存在しない。自然とその言葉が出たという事は、女神はゲシと同じ世界に関係する存在なのではないか。

 後の反応も含めてどうやらそれは当たりらしい。

 そんな女神が、どうして別世界であるデッカイドーに関与するのか。


「やめて下さい。私の素性に探りを入れるのは。」

「あァ、こいつァ失礼しました。ちょいと気になっちまいまして。」

「……はぁ。もっとあっさりと話を聞いて貰えると非常に楽だったのですが。」


 自称女神は悩ましげに頭を抱えた。

 

「……腹芸とか得意ですか?」

「何か、誰かに隠しておきたい事でもあるンで?」

「決して表に出さないなら、事情を説明しましょう。」

「まァ、苦手じゃないっすよ。」


 ゲシは既に女神の抱えている事情に、街を歩く不思議な人間に興味を持ってしまっている。触れてはならない禁忌だとしても、そんなものが街中を歩き回っていると思ったら逆に気が気ではない。ハッキリと事情を知ってしまった方がずっといい。

 そんなゲシの内心を自称女神は見透かした上で、仕方ないと首を振って口を開く。





 自称女神が話した、不思議な人間の正体。

 不思議な人間に触れてはいけない理由、触れた事で危惧される問題。

 それらを聞いたゲシはすべて納得した。


「…………そいつァ……まァ、下手に突かねェ方がいいっすね。」

「でしょう?」


 ゲシは女神の言った「地雷」という言葉が的確であると思った。

 自分に危険が及ぶ程度であれば、それを恐れる程にヤワではない勇者だが、その被害が他にまで及ぶとなると確かに軽薄に触れる訳にはいかない。


「……じゃあ、アレはどうすりゃいいンすか?」

「今は触れない……もっと言えばをして下さい。いずれ来たるべき時には、対処する方法はありますので。」


 自称女神の方で何かしらの対処は考えているという言葉を聞いて、若干ゲシの不安は和らぐ。

 それであれば手出しはしない方がいい……と思いつつ、どうしてもひとつだけ感じていた違和感が引っ掛かった。

 今受けた説明と、不可思議な感覚の正体を照らし合わせる。すると、自然と一つの答えが見えてくる。

 自称女神がどんな対処を考えているのかは分からなかったが、ゲシはひとつの可能性を口に出した。


「あの……こいつァ、俺の感じたモンからの推測になるンすけど……。」


 ゲシが感じた違和感の正体の考察を語る。

 自称女神はその話を最初はあまり期待せずに聞いていたが、次第に興味深そうに前のめりになってくる。

 やがて、可能性とその解決策をゲシが提案すれば、女神は顎に手を当てて真剣に考え込んでいた。


「…………確かに。…………もしそうであれば……うん……。」


 そして、考え込んだ末に、うんと大きく頷いた。


「…………一度、今の話を持ち帰らせて貰っていいですか? もしかしたら、あなたの能力と提案が、この厄介事の対処に役立つかも知れません。」

「それなら良かった。余計な口出しだったら、と思ってたンすけど。」

「もしかしたら、あなたに協力を求めるかも知れません。さっきは何もしなくていいと言った手前申し訳ないんですが……。」

「えェ。全然言って貰って大丈夫っすよ。俺も厄介事が傍に転がってちゃ困るンでね。出来る限りの協力はさせて貰いますよ。」


 ゲシは協力を約束すれば、自称女神は安心したように笑った。


「それでは、これにて失礼させて頂きます。また、機会があれば夢の中でお会いしましょう。」


 夢の中に現れた自称女神がそう言うと、途端に目映い光が辺りを包み込む。

 ゲシがその眩さに目を眩ませると、次第に意識が遠のいていった。








 ゲシはバッとベッドから跳ねる様に飛び起きる。

 上半身を起こせば、そこは昨日宿泊した筈の宿であった。

 今まで見ていたのはやはり夢だったのである。

 しかし、その夢で見た景色や自称女神の言葉はハッキリと頭の中に残っていた。


 そう分かった途端にどっと汗が噴き出してくる。

 夢の中で聞いた"不思議な人間"の正体が仮に事実であったとしたら?

 夢の中だと割りきって話を聞いていた時とは違う。今は現実である。あんな事が本当に現実であったらと思うとゲシはゾッとした。


 ベッドから起き、窓に向かう。

 宿の二階の部屋から窓を開けば、街には既に幾らかの人が歩いていた。


 その中に、あの違和感を感じる人間も見掛ける。


 以前の様に街中ですれ違う程度では気付かなかったが、まじまじと見つめるとその違和感の正体に気付く。


 違和感を感じる人間達は、どれもまるで仮面でも被ったかのように無表情であった。


 普通の人間のように歩き、普通の人間のように生活しているのに、その顔にはまるで感情が、生気が感じ取れない。


 あんな話を聞いたから意識し過ぎているのかも知れない。

 しかし、ゲシは夢の中に現れた自称女神の話を信じる事にした。


 不思議な人間の急所を見れば、やはりどこにも見当たらない。

 どこかに心臓を置いてきたような……そんな事を考えて、ゲシは窓から街の出口の方を向いた。


 何かに気付いたように。しかし、確信には至れなかったかのように。


 街を取り巻く不穏な空気。

 世界に訪れるという滅亡。

 無関係な筈の二つの事件が並行して起こっている。

 ゲシはそこに関係があるような気がしてならなかった。




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