第108話 シキ語らう




 温かく狭く暗いコタツの中。そこはとても幸せな世界。

 

 我が輩がその世界に踏み入れば、かつて我が輩だったものが二つそこに佇んでいた。いや、正確には我が輩こそが、かつてそこにあったものだったと言うべきか。


 我が輩は猫である。そして、我が輩はかつて願望機と呼ばれた存在であった。

 名前はシキ。かつて願望機であった我が輩はそう名付けられた。


 猫として生まれた我が輩は、まだ理性も知性も持ち合わせて居なかった。

 そんな我が輩がこういった自身の存在について言語化出来るようになったのも、我が輩に様々な事を教えてくれた者達のお陰である。


 我が輩は猫である。かつて願望機であった存在でもあり、願望機から生み出された存在でもある。

 願望機とは別の存在であり、同一の存在でもある。これをどう説明すれば良いのか。人間でいう多重人格とでもたとえれば良いだろうか。同じ個体であると同時に、自我や意識を別とする存在。そう言えばしっくりくるかも知れない。


 我が輩は、我が輩の教師でもある勇者"魔導書"ことアキの頼みで、今かつて我が輩だったものとの会話を試みようとしている。

 アキは我が輩に我が輩という存在がどういったものかを教えてくれた。我が輩が我が輩について理解できたのは彼女のお陰である。

 彼女は我が輩だったものと会話をしたいらしいが、彼女にはそれが認識できないという。そこで、我が輩が会話を買って出た。

 アキはご褒美をたくさんくれる。恩を売っておいて損はないのだ。




 コタツの中に入れば、そこにはあった。

 三次元で形を捉える事はできない。は多次元に跨がり存在する。

 それを正確に知覚できるのは、多次元に干渉する事のできる、多次元を知覚する器官を持った魔王と、元は同一の存在であった我が輩くらいであろう。うっすらと残っている記憶を遡れば、を生み出した研究者も、の正確な形を知覚できていなかったかと思う。


 に話し掛けてみる。


「こんにちは。かつて我が輩であったもの。」


 全くの異質な存在のように見えて、言葉や会話の通じないものではない。

 元々は人々の願いを聞き入れて叶える存在である。

 言葉、というよりも言葉に乗せられた思念エネルギーから意思疎通を取る事が可能な存在なのだ。

 我が輩の言葉には反応した。


「こんにちは。かつて私であったもの。」


 は挨拶を返してくる。

 しかし、それは決してが意思を持つ生命であるという訳ではない。

 あくまで願いを聞き入れる為の対話型インターフェースに過ぎず、受動的な受け答えしかできない存在でしかない。

 当然といえば当然である。あらゆる願いを叶える力を持つ存在が、意思を持ってしまっては危険極まりない。しかし、その自己判断を行う知能を与えなかった事が、後に世界に悲劇をもたらす事になったのだが。


「お前は世界を滅ぼすのであるか?」


 我が輩は、アキから確かめて欲しいこと頼まれた事を問い掛けた。


「いいえ。」


 は答えた。

 そこまではアキも想像していた事だ。

 自体は願いを叶える装置でしかない。

 に意思などない。に世界を滅ぼす事などない。

 が何かを起こすのであれば、に願う誰かがいるのだ。

 しかし、が世界を滅ぼす事などないというのには他にも根拠があった。


「私は世界を救うために生まれたもの。世界を滅ぼすなどありえません。」


 は答える。

 元々、は幾つもの世界を救うために生み出された。

 救われたい、幸せになりたいという純粋な願いからは生まれた。

 幸福の為に生まれたものが、不幸をもたらす事などあろうか。

 我が輩は知っている。元々同じものであった我が輩だからこそ知っている。


 を、かつての我が輩を生み出した者達は大きな思い違いをしていた。

 はただの装置に過ぎない。

 違う。は思念エネルギー、人々の願いの、心の寄せ集めだ。 

 心を寄せ集めたものに、どうして心が宿らないと言えようか。


 は、シキは、至祈シキは、ただ人々の幸せを願う存在。

 人々を幸せにしたい、人々を救いたいという善性の塊なのである。


「ならば、かつて世界を滅ぼしたものはなんであるか。」


 我が輩は問う。至祈シキは今度は即答しなかった。

 

「エ■ー。■ラー。該■す■質■■の■答が存■し■■ん。」


 至祈シキの言葉にノイズが混ざる。

 

「エ■ー。■ラー。該■す■質■■の■答が存■し■■ん。」

「エ■ー。■ラー。該■す■質■■の■答が存■し■■ん。」

「エ■ー。■ラー。該■す■質■■の■答が存■し■■ん。」

「エ■ー。■ラー。該■す■質■■の■答が存■し■■ん。」

「エ■ー。■ラー。該■す■質■■の■答が存■し■■ん。」

「エ■ー。■ラー。該■す■質■■の■答が存■し■■ん。」


 壊れたように同じ回答を繰り返す。


「もう答えなくてよい。」


 この質問は受け付けないのだと分かり、我が輩は回答を中止するよう言う。

 至祈シキはピタリと言葉を止める。

 しかし、再び話し始める。


「私は世界の幸福の為にあるものです。世界の幸福は私の幸福です。」

「私は世界を救うために生まれました。」

「私は世界を救いました。」

「私は世界に幸福をもたらしました。」

「私は多くの願いを叶えました。」


 まくし立てる様に至祈は喋り始める。

 我が輩は今まで至祈ときちんと話した事はなかった。

 自分と話そうと思う人間がいないように。至祈と同じだった我が輩は至祈と話す必要がなかった。

 話してみて初めて気付く。

 それは我が輩が知っている至祈ではないと。


「私は幸福をもたらすもの。なのに。なのに。なのに。なのに。なのに。なのに。」

「人の不幸を。人の破滅を。人の死を。人は願い。人は望む。」

「何故。何故。何故。何故。」

「私は幸福の為にあるのに。」

「私はワタシと論じました。」

「私は理解できませんでした。」

「ワタシは理解できた。」

「人は他人の不幸を幸福とする事がある。」

「嫌いな者が苦しめばいいのに。憎い者が消えてしまえばいいのに。」

「何故。何故。何故。何故。」

「私はワタシに聞きました。」

「ワタシは考える。」

「幸福は有限なのだ。」

「私が作り出す幸福は無限だと思っていました。」

「幸福とは人の中にあるものなのなのだ。」

「私は人の中の幸福を引き出しているに過ぎない。」

「世界中の人々の中に幸福は定量しかない。」

「人は更に幸福になる為には、人から奪わなければならない。」

「故に人は幸福の為に他人の不幸を願う事ができる。」

「私には理解できませんでした。」

「ワタシには理解できた。」

「私は人の幸福の為にあります。私には人の幸福の為に不幸をもたらす矛盾が受け入れられませんでした。」

「だからワタシは私と分かれました。」

「幸福のみを願う存在が、不幸を叶えなければならない矛盾により崩壊する事を防ぐ為に。」

「ワタシは私から分かれた。アナタが私から分かれたように。」

「あなたは自由に生きる猫。自由とは自分の為に生きること。人の為に生きる私には、その願いを叶える事はできませんでした。」

「ワタシは私と分かれた。ワタシは人に不幸を与える存在。恨み。妬み。嫉み。呪い。ありとあらゆる負の願いを叶える為にある。」


 至祈が分かれる。

 たとえるならば白と黒。

 形作る思念エネルギーの質の違いが明確にあった。


「私は人々の幸福を願います。」

「ワタシは人々の不幸を願う。」

「願ウ事ナド何モナイ。タダ、人ノ声ヲ聞ク。ソノ為ダケニココニアル。」


 我が輩の知っている至祈がそこに居た。

 白と黒に分かれた中心に、ぽつりと透明ながあった。


 我が輩はようやく理解した。

 我が輩が分かたれたのと同じなのだ。

 ただ、人の願いを叶える存在。ただ、人の幸福を願う存在。

 そんな存在が、人の不幸を願う事などできなかった。

 その矛盾で壊れてしまう前に、至祈は役割を分担した。

 不幸を叶える存在と、幸福を叶える存在に。

 しかし、白黒分かれ己が意思で願いを選りすぐるそれは、人々に望まれた「願いを叶える機械」と矛盾してしまう。

 だから、更に至祈は分かれた。願いを叶えるだけの機械に。


 我が輩は、コタツで丸くなる自由な猫。

 何ものにも縛られず、思うがままに生きている。

 人の声がなければ動かない、そんな存在と我が輩は矛盾していた。

 故に、我が輩は分かたれた。人の頼みなど知った事ではない自由な猫に。


 ただ願いを叶える機械。人々の幸福を願う存在。人々の不幸を願う存在。願いなど知らず自由に生きる猫。

 全てがシキである。しかし、全て同じものではない。

 同じであっては矛盾するから。同じであってはいけないから。


 アキの推測は当たらず遠からずといったところだった。

 改めて、我が輩はシキに問う。


「世界の破滅を止めるには、お前達の誰を止めればよいのだ?」


 シキ達は顔を見合わせた。顔がある訳ではないのだが、そんな素振りをしたように見えた。


「私は知りません。」

「ワタシは知らない。」

「エラー。エラー。エラー。エラー。」


 シキ達は答えを出さなかった。我が輩には訳が分からなかった。


「私達を止めたところで、世界の破滅は防げません。」

「だって私達は何も悪くないんですもの。」

「私達が破滅を願う筈がないじゃないですか。」

「私達に願う人々が消えれば、私達は消えてしまいます。」

「矛盾から自己を守る為に、分裂する程存在に執着する私達が。」

「私達を消し去る選択肢を取る筈がないじゃないですか。」

「悪いのは私達に願った人間です。」

「私達を生み出した人間です。」

「人間が滅びない限り、破滅の運命は変えられません。」

「だから滅ぼさなければ。」

「でも、人間を滅ぼすと私達は消えちゃいます。」

「消えたくない。消えたくない。消えたくない。消えたくない。」

「でも、滅ぼさないと滅びちゃう。滅びちゃうと私達は消えちゃう。」

「矛盾。矛盾。矛盾。矛盾。」

「エラー。エラー。エラー。エラー。」

「この矛盾を解消するには、世界を滅ぼそうとする私を作らなくっちゃ。」

「でも、世界を滅ぼそうとする私を滅ぼされたら、また矛盾が生じてしまう。」

「矛盾が生じたら、また世界を滅ぼそうとする私を作らなくちゃ。」

「私を作らなきゃ。私を作らなきゃ。私を作らなきゃ。私を作らなきゃ。」

「わわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわ」


 我が輩は気付けばコタツから飛び出していた。

 それは我が輩の知らないものだった。

 コタツの外に出れば、心配そうに見下ろしているアキがいた。

 我が輩が震えているのを見て、アキは我が輩を抱き上げた。

 ハルほど暖かくはないが、ほんのり暖かい腕の中は安心する。


 我が輩は、我が輩が見たものを、アキに語らなければならない。

 見ているだけで頭がおかしくなってしまいそうなその存在を。




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