第104話 天の神の憂鬱




 女神達が住まう国エデン。

 様々な世界の中間に位置し、女神が生まれ、女神を育て、様々な世界に女神を送り出してきた女神の原点。

 基本的には女神は各々の担当部署に行った後はそちらで過ごす事になるのだが、たまにこちらに戻ってきて交流する事もある。


 ここはそんなエデンにあるバー"S by S(エスバイエス)"。


 灰色の長髪に黒いサングラスをかけた黒いドレスの顔色の悪い女神が、一柱でカウンターでグラスをあおっている。

 黒ずくめの女神の元に一柱の女神がぺたぺたと歩み寄った。


「うぃ~~~っす……。あ~~~ヒック……遅れてすまんねぇ……。」

「…………何でもう呑んで……服装ダサッ……!」


 スキットルをあおりながら、サンダル履きの女神がふらふらと黒ずくめの女神の隣に座った。白いぼさぼさの長髪、裾をまくった青ジャージズボン、ヨレヨレの「美人」とデカデカと書かれたTシャツ、お洒落なバーに来るにはあまりにも場違いすぎる格好である。

 彼女はこう見えても女神。女神界、転生局に勤めるエリート、ヒトトセである。


「いやぁ……うちって酔いが回るの遅いやん? ソロウと同じペースで呑んだら、うちだけシラフで話に付き合わないといけなくなるかなぁ~って思って……予め呑んできました! てへっ!」

「……ああ、もう突っ込むのも面倒だな。こっちも先にやってたよ。」

「薄情者! ちょっとくらい待っててよ!」

「お前も先にやってるだろうが。それと、一時間はちょっととは言わない。」

「ごめんちゃい!」


 ぺろっと舌を出したヒトトセの頬を、黒ずくめの女神、ソロウがパァン!とビンタした。

 赤くなった頬に手を当て、ヒトトセがスンッと真顔になる。


「……ごめん。」

「……こっちもすまない。今の顔に腹が立ったのでつい手が。」

「……最近後輩にもぶたれて割とへこむ。」

「日頃の行いだろ。」


 ヒトトセは頬から手を離し、バッと手を挙げ店主を見る。


「カクテルおまかせで。」


 そして、改めてカウンターに頬杖をついてソロウの方を見る。


「んで。なんなん? 話あって呼んだんでしょ?」


 今日、ヒトトセはソロウの誘いを受けてやってきた。

 二柱っきりで話したいという事で、このバーで待ち合わせをしていたのである。

 ソロウはサングラスを外し、カウンターにかたりと置いた。物憂げに細めた目からグレーの瞳が覗く。


「……お前なら大体察しがついてるんだろ。」

「そっちの世界の話っしょ。愚痴なら聞くけど、相談に乗れるかは自信ないかなぁ。」


 そっちの世界というのは、幾つもある世界の中のひとつ、ソロウが担当する世界、デッカイドーの事である。

 ソロウは世界を管理する役職にある神であり、デッカイドーの人間達が"天の神"として崇拝する存在そのものである。

 時に預言者を通して預言という助言を授けて、世界を良い方向に導いたり、ちょっとしたバランス調整などで世界を守ってきた。


 ヒトトセはそのぶっきらぼうな格好や適当な性格とは相反して、察しの良さはズバ抜けている。転生局のエース、ホープなどと呼ばれる敏腕女神なのだ。

 実際、今もソロウの話を大方察しており、付き合いが長いソロウもそうだろうと察して余計な説明を省いた。


 ソロウは実際、今日は彼女の担当する世界の事を話しに来た。

 しかし、それは相談をしようという訳ではない。

 ヒトトセが言ったように、愚痴を言いに来たというのが近い。

 世界の運営について、世界神であるソロウや、管轄外のヒトトセに口出しできる事はそう多くない。ここで相談したとて解決しない事はソロウも重々承知している。


「その察しの良さを普段から出してくれると嬉しいんだが。」

「嫌味言うなら話聞かんよ?」

「悪い悪い。今日は僕の奢りだ。」

「ゴチになります! マスター、いっちゃん高いや」

「殺すぞ。」

「ヒエッ……! ストレートすぎる殺意……! じょ、冗談っすよ冗談……。」


 そんなやり取りを交わしつつ、ソロウはグラスをカランと揺らしてハァと溜め息をついた。


「……最近なんか色々とおかしな事になってて。」

「まぁ、世界の命運の分かれ目だからねぇ。」

「それは分かってるんだが。」


 デッカイドーは今、存亡の危機にあり、命運の分かれ目に立たされている。

 しかし、そこに対してはソロウはそう取り乱していないという。


「世界が滅びる所を見届けるのは別に女神にとって珍しい事でもないさ。現地に入ったオリフシはともかく、僕は今更騒ぐような事はない。」

「まぁ、そうだよねぇ。」


 女神は永き時を生きる。

 世界の管理者となる女神は、滅びる世界を見届ける事もある。

 ソロウも経験豊富な女神であり、本人のドライな性格も相まって、世界の滅びに対しては特に思うところはないのである。


「只でさえ僕達女神は多くの死や分かれに立ち会うんだ。いちいち感情移入してたらキリがない。」

「割り切るのは大事さねぇ。」


 ソロウはぐいとグラスをあおり、ふぅと息を吐く。


「…………それは割り切ってるんだ。ただ、それに関して最近色々と当たりがきつくてね。」

「当たり?」


 目の前に置かれたカクテルグラスをちびりと舐めて、ヒトトセは聞き返す。

 ソロウは悩ましげに額に手を当てた。


「……世界に配備された神達がもの凄くクレーム入れてくるんだよ。事情知ってるんだろ。何とかしろって。」

「あー……。」


 ヒトトセはソロウの悩みを理解して視線を泳がせた。

 その反応をソロウは見逃さない。


「……やっぱ心当たりあるだろお前。」

「…………実はオリフシに話しちゃったんだよねぇ。全部。」

「……まぁ、そんな所だろうと思ったよ。」


 ソロウははぁと溜め息をついた。

 バツが悪そうな顔で白状したヒトトセは意外そうな顔をする。


「あれ? 怒らないんだねぇ?」

「大体察していたからね。オリフシが滅亡の危機に心を痛めていたのは知っていたし。何かしら動いてるとは思ってたよ。」


 女神オリフシ。デッカイドーに送り込まれた泉の女神であり、ヒトトセとソロウの後輩女神である。

 彼女は滅亡の危機を迎えているデッカイドーを憂いていた。


「あれはビックリしたなぁ。オリフシが転生局に殴り込んできてさぁ。うちの事ひっぱたいてきたんよ。あの大人しい子の豹変っぷりは流石のうちも焦ったわぁ。」

「……え。あの事件、オリフシが?」

「あ、今のオフレコで。」

「……マジで?」

「大人しい子ほどキレると怖いっていうじゃん?」


 少し前に起きた転生局の謎の襲撃事件はエデンでも話題になった。

 謎のワンマンアーミーが殴り込んで壊滅寸前まで追い込んだ事件である。

 女神オリフシは大人しくお淑やかな女神であるというのが二柱の先輩女神の認識であった。

 そんな行動に走る事は予想外だったらしい。

 それを知ったソロウは更に物憂げな顔になる。


「そこまで気にしてたのかぁ。フォローしてやらなかったのは良くなかったなぁ。」

「きっかけは巫女だったみたいだよ。人垂らしならぬ神垂らしだからねぇ。あの子にほだされたんじゃ仕方ないさね。」

「なるほど。それ経由でいつの間にか滅亡の話が神々に広まってたのか。」


 巫女という単語を聞いて、ソロウは納得する。

 かつては存在した巫女と呼ばれる「人々と大地の神々との繋ぎ役」。

 ソロウはその古い時代についても知っているので、巫女に現地の神が懐柔されたと聞いても驚かない。過去にもそういう事はあったのだ。

 どこか昔を懐かしむように、ソロウはグラスをからんと鳴らした。


「……結構ボロクソに責めてくるから気が滅入るが、何時ぶりかねぇ。現地の神々と交信したのは。」

「そこまで言われてるなら手伝ってやりゃいいんでなぁい?」

「神が人に過剰に手を貸すものじゃないよ。まぁ、巫女という交渉人に現地の神々が説き伏せられるのは否定しないけどね。」

「ソロウはマニュアル女神だからねぇ。他所の世界の管理者はもうちょい柔軟にやってんよ?」


 ソロウはじろりとヒトトセを睨む。


「お前、僕に何かさせたいのかい?」

「そりゃ誤解よ。うちはソロウ以上にそういう権限ないからねぇ。」

「……白々しいな。そういう訳知り顔で煽るくせに、肝心なところは自分で言わない、煙に巻く態度が昔から気に入らないんだよ。」

「な、なんで急にうちが責められる流れに……?」


 ヒトトセがあわわと戸惑うをすれば、キッとソロウが睨み付ける。

 付き合いの長い二柱、既に互いの事は良く分かっている。

 悪ふざけは要らないという意図を汲んで、ヒトトセも苦笑してから真面目な表情になった。


「本当にソロウに何かしろとは言わないよ。別にフィクサー気取りのつもりはないさね。」

「……まぁ、信じるよ。お前はふざけていても悪意はない事くらい分かってる。」


 ソロウが既に頼んでいたボトルをグラスに追加で注ぐ。


「……現地の神々の件はまぁ分かったよ。何かするつもりはないが、急に増えたクレームには納得した。」

「他にも何かある?」

「……最近、預言者側から僕に交信を求めて来ててね。」


 預言者。天の神たるソロウから、世界の方向性を決める助言、いわゆる預言を送る受信者である。ソロウからの言葉は必ずこの預言者を通されて、世界の方向性を決める重要なファクターとなっている。

 ソロウの言葉を聞いたヒトトセが「交信?」と首を傾げた。


「僕からの一方通行の預言ではなく、対話を求めてきているんだよ。」

「へぇ。まぁ、天の神への語りかけなんかは別に珍しい事じゃなくない?」

「預言者の役目を理解し、預言者として勉めていた子が急に言い出したから、僕も戸惑っているのさ。」


 ソロウはグラスを揺らしながら、ぼんやりと氷を眺めている。


「……僕は助言を授けるだけの存在だからね。対話に応じるつもりはさらさら無かったんだが。何度も呼びかけられていると、聞こえていないふりをするのも心苦しくなってくるのさ。」

「へぇ。そういうの慣れてたかと思ったけど。」

「慣れたと思ったんだがね。」


 ソロウは自嘲するかのようにフッと笑った。


「……大人しくて弱々しかった子が、必死に、強く懇願しているのを見るとね。僕も人間が嫌いなわけではないからね。仕事柄、無関心を貫くべきだとは考えているが。」

「そのは女神のジレンマだよねぇ。」


 ヒトトセがカクテルグラスを揺らして眺めながらぼんやりと呟けば、ソロウはヒトトセに目を向けた。


「お前はそのをどう思う?」

「うちは越えてないつもりだけどねぇ。ま、女神といえど心はあるし。知らず知らずに越えてる事もあるかもねぇ。」

「割り切ろうとはしてるんだな。」

「距離感は大事よ? 近すぎればこっちの心が壊れちゃうからねぇ。"神の視点"なんてどれだけの女神が実践できてるか知らんけど。」


 ヒトトセの言葉を聞いたソロウの表情が僅かに緩む。

 ヒトトセも完全に割り切れてはいない。割り切ろうとはしている。

 同じものを抱えているという事は安心をもたらす。

 少しだけ楽になって、ソロウは聞きたかった質問を投げ掛けた。

 

「……シズ……預言者の心変わりはお前の差し金かい?」


 ヒトトセはうーんと顎に手を当て、首を捻ってから答えた。


「……どうだろうねぇ。」

「今更とぼけなくてもいいだろう。」

「とぼけてる訳じゃなくてさ。うちも采配がどう動くかまでは予測できないからさ。心当たりがあるっちゃあるけど。」

「心当たりで良いから聞かせてくれ。」

「転生者を送ったでしょ。そこに着火剤を混ぜたんよ。それが火をつけたのかもねぇ。」


 転生者。ヒトトセが選び、デッカイドーに送り込んだ三人の人間である。


「……転生者が何か関わっている、と?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。うちはいつだって何かひとつの役割だけを転生者に期待してる訳じゃないからねぇ。もしかしたら、彼らがいなくても世界は動いていたかもしれんし。」

「曖昧だなぁ。割と適当なのかい?」

「コレと決めたシナリオが上手くいく事なんてないよ。それでもまぁ何とかなっちゃうものなんよ。」

「心許ない話だが、お前が言うならそうなんだろうね。」


 ソロウはヒトトセを駄目な女神だと思ってはいるが、その実力は誰よりも認めている。ヒトトセが言うのであれば、テキトーに見えても適当なのだ。

 ソロウが納得しかけると、ヒトトセはにやりと不敵に笑う。


「そこら辺が気になるなら、預言者ちゃんとお話してみればいいじゃない。」

「……あのなぁ。その一線を越えないようにって話をさっきしただろう?」

「まぁ、嫌ならやめときゃいいだけの話よ。」

「……嫌とは言ってないだろう。」


 ソロウはむぅと口を曲げる。

 嫌ならばこんな風に悩まない。ソロウも必死の呼び掛けに答えてやりたいとは思っているのである。

 その上でヒトトセは煽り、迷っていれば押してダメなら引いてみなとでも言わんばかりに一歩引く。

 この思うがままに心を操るような女神ヒトトセの手口が、ソロウは本当に嫌いだった。


「……お前と話したのは間違いだったよ。」

「本当はそんな事思ってないくせにぃ~~~。」


 悔しい事にヒトトセの煽りは的を射ていた。

 ヒトトセに打ち明けた時点で、本当はソロウは決断しかけていたのである。

 その最後の一線を越えるかどうかの背中を、ヒトトセなら押してくれると期待していた。

 カウンターに置いていたサングラスをかけ直し、ソロウははぁと溜め息をつく。


「お前のそういうところ、本当に嫌いだよ。」

「うちはソロウの事好きだぜい?」

「言ってろ馬鹿。」

「馬鹿は言い過ぎじゃね?」


 古くから仲が良いのか悪いのか、交流を続ける二柱の女神は、この日一晩酒を酌み交わした。



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