第100話 Re:boot




 魔王の元に連絡が入った。

 勇者"魔導書"ことアキからの連絡である。

 その連絡内容を聞いたとき、魔王は耳を疑った。


『簡易版のシキの作成に成功しました。』


 アキの言うシキというのはあらゆる願いを叶える願望機のシキを指すのだろう。

 アキは願望機シキについて調査、研究をしていた。滅びた世界の調査にてシキを形作った思念エネルギーの概念はすぐに理解し、引き続き研究を続けるとの事だったが、まさかいきなり願望機の作成までできるようになるとは魔王も思わなかった。

 出来るだけ早く見てみたいという旨を伝えたところ、アキは今日にでも持っていくという話を始めた。すぐにでも研究成果を見せたいのか、はたまた研究成果から何か分かった事があったのか、通話の魔石を通した声はどこか急いているようにも聞こえた。


 そして、魔王城で一人待つ魔王の元に、アキは大きな箱を抱えて訪ねてきた。


 アキを魔王城に通した魔王は、不思議な金属のように見える箱を見て尋ねる。


「それが例の?」

「はい。」


 アキはコタツの上に箱を置き、自身もコタツに入って座る。

 魔王も座れば、そのタイミングでアキは箱に手を置いた。

 鍵や蓋のようなものの見えない、継ぎ目のない金属質の箱はアキが手を触れると光の線が入って複雑な動きで開いていく。


「なんか凄い箱だな。」

「危険物ですので。錬金術で作った特殊合金で作った箱で、魔法の防護して施錠してます。私以外には開けられないようにしてますので。」

「お前、錬金術とかまでできるのか。」

「まぁ、齧った程度ですが。錬金術の話は今はどうでもいいんですよ。」


 複雑なパズルのように解けた箱の中には、黒い球体が鎮座していた。

 それを見て、魔王は首を傾げる。


「これが……?」

「まぁ、ピンと来ないのも分かりますよ。あなたの知覚してるシキはもっと多次元に跨がる不定形なんでしょう?」


 魔王の思考はアキに先読みされていた。

 願望機シキは、この世界では魔王にしかハッキリと輪郭を知覚できない。

 概念などに干渉できる特殊な才能を持ったものが、その存在を認識する事はできても、形までは掴めない。

 それはシキが多次元に跨がり存在する為、多次元を認識できる者にしか見えない為である。


「シキは次元の異なる世界の思念エネルギーを集めた存在です。多次元を認識できる者、もしくは思念エネルギーを知覚できる者でないと正しく全容を把握できません。恐らくは、滅びた世界の人達は思念エネルギーを知覚できるよう進化した人類なのだと思います。」


 アキの滅びた世界の考察を聞いて、魔王は尋ねる。


「じゃあ、これは一体?」


 アキの取り出した黒い球体は、明らかに三次元の中に存在する立体である。

 

「簡易版の願望機シキに魔法で輪郭を与えました。三次元の中でも、思念エネルギーを知覚できなくても輪郭が見えるように改造しています。」

「もうそんな事までできるようになってるのか……。」


 多次元の認識、思念エネルギーの認識、それらをこの世界に合わせての改造、次から次へとさらりと言ってのけるアキ。

 どこに驚けばいいのか困るくらいに驚く学習、研究能力に魔王はぽかんとしつつ、黒い球体に視線を落とす。


「…………気配は確かに何となく似ている気がするな。」

「気のせいですよ。簡易版と言ったように、これはもの凄く規模を縮小したものです。気配を感じられる程力は持ってないですよ。」

「…………そう言われると気のせいな気もする。」


 ちょっと知ったかぶりして恥ずかしい事になって、魔王が視線を逸らして誤魔化した。特に魔王に呆れること無く、アキは黒い球体に手を添えた。


「触って大丈夫なのか?」

「ええ。今から起動しますね。」


 アキの言葉と同時に、ピピピッと電子音のようなものが鳴り、黒い球体にぽっと赤い光が灯る。シキの簡易版と聞いていた魔王は、その音と光にびくりとして身構えた。

 願望機シキの規模を縮小したとはいえ、実動しているものを見るのは魔王も初めてである。


「起動しました。じゃあ、早速願いを叶えてみましょう。」

「え? だ、大丈夫なのか?」

「大丈夫ですよ。じゃあ、早速。『温かくして下さい』。」


 びくびくしている魔王を無視して、アキが言葉を投げ掛けて、すっと黒い球体から手を退ける。

 魔王がおどおどしながらじっと黒い球体を見ているが、特に動きは見られない。


「…………。」

「…………。」

「…………え。この後何かあるのか?」

「もう願い叶えてますよ。気持ち温かく感じません?」

「え?」


 魔王が黒い球体に僅かに身体を寄せる。温かさは感じない。

 恐る恐るぷるぷると手をふるわせながら黒い球体に手を近づける。

 すると、若干黒い球体から温かい空気が流れている事を感じた。


「あ。気持ち温かいな。……いや、え、これだけ?」

「これだけです。簡易版と言いましたよね?」


 魔王は拍子抜けしたように強ばった表情を崩した。

 その気の抜けた様子の魔王を見て、アキはむっとする。


「これでも結構すごいことしてるんですよ。思念エネルギーが弱いこの世界の人間の微弱なエネルギーでも願いを叶えるように、言葉に乗せられる程度の僅かなエネルギーで起動するようにしてるんです。まぁ、弱いエネルギーしかないので、本当に簡単な願いしか叶えられませんけど。」

「わ、悪い悪い。ヤバイものだと思ってたから安心しただけだから。」


 研究成果にこれだけと言った事で機嫌を損ねてしまったか、と魔王は慌てて謝る。

 

「別に。安全面を一切考慮しなくていいなら、本当にもっと凄いのを作ったって私は構わないんですけど。」

「ごめんごめん! 悪かったからやめてくれ!」

「冗談です。」


 べっと舌を出してアキは笑った。

 今までのアキを見てきたら、本当に作ってしまいそうなので魔王からしたら洒落になっていない。

 

「安全面とか関係なく、これは私の思念エネルギーのみで作ってるから大した願いを叶えられないだけです。大元のシキは、複数世界の全人類の思念エネルギーを集めたから全能と言えるレベルになってるんです。流石に私といえどこれが限界です。」

「そ、そうなのか。」

「物質を生み出すとかはとても無理です。今願ったような若干の発熱や冷却、そよ風を吹かせるとか小さな音を鳴らすとか軽微な願いしか叶えられません。」


 簡易版シキは相当に規模を縮小したもののようだ。

 魔王城に設けている電化製品の劣化版程度の性能しかないらしい。

 魔王はそれを確認して若干安心した。


「あなたも試してみていいですよ。」

「え? ……じゃあ、『冷やしてくれ』。」


 魔王はアキに言われて試してみる。

 先程アキの言った冷却というものができるのか。

 シキに呼びかけた後、手をそっと寄せてみると、若干冷たい空気が流れているのを感じた。

 魔王の暖房器具のように部屋中の温度に影響を与える程ではない。若干手を寄せれば影響が分かる程度ではあるが、言葉を投げ掛けると反応するのを見て魔王は「おお。」と感心した声を漏らした。


「『風を吹かせて下さい』。」

「…………おお~。少し風が出てきた。」


 若干風を感じる。扇風機ほどではないが、ふわっと空気が流れているのが分かるくらいの微風である。ここまで言う事を聞くと、魔王も少し面白くなってくる。

 感心した魔王の様子を見たアキは、得意気に頬を緩ませた後、おほんと咳払いして黒い球体に手を乗せた。


「とまぁ、これが簡易版シキです。」

「すごいじゃないか。」

「えへへ。そうでしょう。まぁ、これの自慢をしたいのではなく、私がシキの仕組みを解析して、シキを知覚できる段階まで至った事を証明したかっただけです。」


 そう言ったアキは、緩んだ頬を引き締める。


「……今ならハッキリ分かりますよ。コタツの中にあるシキが。」


 アキはコタツに視線を落とし、続けて魔王を若干変なものを見るような目でじろりと見つめた。


「……よくが入ってるところに足を入れてられましたね。」

「……ま、まぁ、何もなかったし。そういうお前も今入ってるだろ。」

「……ま、まぁ、心地良いのは心地良いので。」


 魔王もアキも互いにコタツの中に危険物が入っている事を認識しながらも、今平然と足を入れている。

 この寒い大地にて、コタツの魅力には抗い難いものがあるのである。


「まぁ、その話は置いといて。簡易版シキを実際に作ってみて、今のシキが動いていない理由は大方理解できました。」

「え? そうなのか?」


 アキはコタツに手を添える。


「シキは休眠しているんです。蓄積していた思念エネルギーを使い果たして。」

「休眠?」

「シキは願いを叶えるとき、溜め込んだ思念エネルギーを放出します。但し、思念エネルギーで出来た存在故に、エネルギーを放出し過ぎると存在自体を保てなくなります。故に、存在を維持できるレベルまでしか願いを叶えられないんです。」

「存在を維持できるレベル……?」


 魔王が分からなさそうな顔をしているので、アキは懐から紙とペンを取り出し絵を描いた。 

 大きな丸を書いて、その中に「シキ」と書き込む。

 

「この円がシキです。この円を描く線、ペンの墨がシキを形作る思念エネルギーだと思って下さい。」

「ふむ。」


 次にアキはシキを表す丸の中をペンでぐちゃぐちゃと塗り潰す。


「シキの中には大量の思念エネルギーが満たされています。シキは願いを叶える時、この思念エネルギーを使います。この塗り潰した墨も思念エネルギーだと思って下さい。」

「ふむ……。」

「この塗り潰した思念エネルギーの分だけ、シキは願いを叶えられます。蓄えた思念エネルギーを願いを叶える形で放出するんです。」


 アキは塗り潰すのに使った墨にとんと人差し指を乗せる。

 それをくいと円の外側に滑らせると、不思議なことに塗りつぶしの墨が円の外に移動した。さらっと行われた手品のような芸当に魔王はぎょっとする。

 「シキ」と書かれた円と、その外に移動した塗りつぶしの墨が並べられている。


「願いを叶えると思念エネルギーは消費されます。但し、このシキを形作る円の線まで使ってしまうと、シキは形を保てなくなりますよね?」


 アキが指でつつつと円をなぞると、円は消えて「シキ」という文字だけが残った。

 そこまで見て魔王は「なるほど。」と何度か細かく頷いた。


「シキは存在を保つだけの思念エネルギーは最低限残します。これは思念エネルギーを願い事の実現に変換するシキの根幹部分です。この根幹部分こそが、シキという存在の輪郭と言えるでしょう。」

「……今、コタツに封じ込めているのはこの根幹部分なのか?」

「正解です。」


 アキは再び「シキ」の文字の周りをペンで囲んだ。


「シキが使えるエネルギーはあくまで、この根幹部分以外に貯蔵したものだけです。自身の存在を脅かすほどのエネルギーは使えないんです。全能と言っていましたが、実際にはシキが叶える事のできる願いは有限なんです。そのエネルギーが途方もない量だというだけで。」


 途方もないエネルギー。

 複数の世界の全人類のエネルギーを集めたのだから当然だろう。


「シキは願いを叶えるエネルギーが不足した場合、一旦願いを叶える機能を停止して、エネルギーの回復につとめます。これが休眠状態です。」


 魔王はアキの説明を受けて考える。

 アキと共に導き出したひとつの可能性。

 シキが破滅の未来をもたらすのは、滅んだ世界の人間達が抱いた道連れの願いではないか、という仮定。


「……全ての人間を滅ぼす。願いとしては相当強力なものだよな。」

「シキはその願いを叶える途中。大きな願いの途中でエネルギーを使い果たしたから、滅びた世界であなたに見つかるまで休眠していた。……こんなところでしょうか。」


 魔王の顔色が悪くなる。そんな魔王にびしっと指差しアキは言う。


「勘違いしないで下さい。あなたが運び出さなくても、シキは思念エネルギーを集めていずれ再起動していました。シキは多次元に跨がって存在する。エネルギー補給が困難だと判断したら、世界を自発的に移動していた筈です。」

「……ああ、ありがとう。」

「だから、勘違いしないで下さいって。慰めのつもりで言っているんじゃありません。私の研究成果からの判断です。」


 魔王の行動のせいで世界を危機に晒しているのではないか、という不安をアキの言葉が和らげる。

 アキの方は素直に慰めているとは認めないが、魔王は若干その言葉で顔色を戻す。

 そして、改めて話の続きをする。


「……で、このシキが目覚めるのはどれくらいかかるんだろうか。」

「そんなの分かりません。」


 魔王の疑問にアキはばっさりと答えた。


「だって、世界を滅ぼすって願いにどれだけ思念エネルギー使うか分かる筈ないじゃないですか。私だって何でもは分かりませんよ。」

「……ま、まぁ、確かにそうか。ご、ごめんな。」


 アキは分からない事はハッキリと分からないと言うらしい。

 その上で、うーんと首を捻って考える。


「少なくとも、うん十年、うん百年とかかかるんじゃないですか。」

「そんなに!?」

「この思念エネルギーに乏しい世界で、幾つもの世界の全人類の願いを集約した分をそう簡単に補える訳ないじゃないですか。」


 シキの起動は随分と先の話らしい。


「それなら放っておけば破滅は訪れないのか?」

。確かにそうですね。」


 アキは魔王の問いに少し強めの口調で答えた。


「私達が死ぬまでに破滅が訪れない、後世に丸投げしても構わないなら、そう言ってもいいんじゃないですかね。……そんな薄情な事を考える人が、慌ててシキを持ち出したりはしないと思ってましたが。」

「すまん。今のは俺が悪かった。」


 このまま放っておけば、魔王や勇者達は世界の破滅を迎える前に寿命を迎えるだろう。彼らが破滅を経験する事はない。

 しかし、それは後世にシキを丸投げする選択肢に過ぎない。

 いずれは訪れる破滅がなくなるわけではない。

 魔王は他人に押し付けて知らん顔をする程薄情にはなれないからこそ、見つけたシキを放っておけなかった。

 アキもまた、後世に災厄を残すつもりはないらしい。


「シキは今休眠状態です。私の願いを一度叶えたから並行して投げられる軽微な願いなら叶えてくれるかも知れませんが……基本的に今は最大の願いを叶える為に思念エネルギーを蓄えている所でしょう。願いを取り消す事はできません。仮にこの願いを阻止したいのならば、願いを叶えようと起動したシキを止めるしかない……というのが私の見解です。この簡易版シキでの研究成果なので、ある程度信頼して欲しいです。」


 魔王は既にアキを全面的に信頼している。今更疑う事はない。


「……じゃあ、俺達の代で破滅の未来を終わらせるには、俺達でシキを再起動しなければならない、という事か。」

「あくまで解決策の一案です。そもそも、起動した後の破滅をどうやって止めるのか、止められるのかは不透明なので危ない賭けではありますが。」

「……いや、そこについては実は案がある。ハルから聞いた話なんだが……。」

「ハルから……?」


 アキが怪訝な顔をした。まぁ、信じられないのは分かる、と魔王は苦笑いした。


「それについては後から纏めて話す。それより、シキの再起動は可能なのか?」

「……思念エネルギーを増幅する手段を探してはいますが、難航していますね。そもそも、この世界の人間全員に願わせても足りるかどうか怪しい上に、この世界の人間全員に協力を仰ぐというのも非現実的。私達、事情を知る者だけで対処しなければならないですし。」


 この世界の人間全員の協力を仰ぐ。確かに非現実的な話である。

 全世界の人間に呼びかける事も困難であり、そもそもシキの存在を知らせる事もできるだけ避けたい。間違っても悪用される事は避けなければならない。




 そもそも、この世界の人間全員に願わせても足りるかどうか怪しい―――。




 魔王はその言葉を頭の中で復唱して、「ん?」と何かに引っ掛かったように眉を曲げた。その表情の変化にアキも気付く。


「どうしました?」

「いや……ちょっと待ってくれ……。」


 この世界の人間全員に願わせても足りない。




 もしも、の力を借りることができるとしたら?




 この世界にいるのは人間だけではない。

 人間以外の者達の力を借りることができるとしたら。


「…………あ。」


 魔王の頭に一つの可能性が浮かぶ。

 今まで使い所が分かっていなかった、破滅に立ち向かうためのカードの一枚。

 頭の中にふと思い浮かんだそれを、魔王はぽつりと口に出した。


「…………アキ。例えば――――」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る